天土楔の憂鬱な教職日誌   作:金属粘性生命体

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林間合宿、所謂戦争への序章
木椰区の怪遇、あるいは崩壊の足音


 

 

 一学期が終了し、雄英高校は夏休みに突入した。

 だが、ヒーロー科の生徒たちに安息の二文字はない。彼らを待っているのは、林間合宿という名の強化プログラムだ。

 職員室では、教師たちが合宿の準備と、それに伴う警備計画の策定に追われていた。

 

「……天土先生。バスの手配とルート確認、済んでいますか」

「ああ。ダミーのルートも含めて三パターン用意した。……敵に情報をリークされる可能性も考慮して、運転手には当日の朝まで行き先を伏せる」

 

 天土(あまつち)(クサビ)は、デスクに広げた地図に赤ペンを走らせながら答えた。

 彼の表情は険しい。

 期末テスト以降、彼の「勘」――長年の戦場経験が告げる警鐘は、日増しに音量を上げていた。

 何かが起きる。それも、今までの散発的な襲撃とは違う、組織的で大規模な何かが。

 

「……用心深すぎませんか?」

「用心して損するのは手間だけだ。……だが、油断して損するのは生徒の命だぞ、相澤」

 

 相澤(あいざわ)消太(しょうた)は肩をすくめたが、否定はしなかった。彼もまた、ヴィラン連合の沈黙を不気味に感じている一人だったからだ。

 

       

 

 翌日。

 楔は木椰区にある巨大ショッピングモール「ウーピン」を訪れていた。

 目的はパトロールではない。

 このモールの地下食品売り場で開催される「乾物大放出セール」だ。特売の煎餅と茶葉を合宿用に大量確保するため、彼は休日の人混みの中へ足を踏み入れたのである。

 ヨレヨレのTシャツにハーフパンツ、サンダル履きという、プロヒーローの威厳の欠片もない格好でカートを押す楔。

 

「……人が多いな。平和な証拠だが、熱気が鬱陶しい」

 

 彼は独り言を呟きながら、エスカレーターを降りて広場へ向かった。

 すると、前方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「あ! 天土先生だ!」

 

 芦戸(あしど)三奈(みな)の声だ。

 見れば、1年A組の生徒たちが集団で買い物を楽しんでいる。

 合宿用の備品を買いに来たのだろう。

 

「……奇遇だな。お前らも買い出しか」

「先生、その格好……完全に近所のおじさんですね」

「うるさいぞ、耳郎。……プロにもオフは必要だ」

 

 耳郎(じろう)響香(きょうか)のツッコミを受け流しつつ、楔は生徒たちを見渡した。

 緑谷(みどりや)出久(いずく)爆豪(ばくごう)勝己(かつき)(とどろき)焦凍(しょうと)など、クラスの主要メンバーが揃っている。

 彼らは一様に明るい表情をしていた。

 期末テストを乗り越え、これから始まる合宿への期待に胸を膨らませている。

 その無防備な笑顔が、楔には少し眩しく、同時に危うく見えた。

 

「……あまり羽目を外すなよ。人混みは死角が多い。スリや変質者に気をつけろ」

「はい! 先生も、煎餅の買いすぎに気をつけてください!」

 

 麗日(うららか)茶子(ちゃこ)が笑う。

 生徒たちはそれぞれの目的の売り場へと散っていった。

 楔はそれを見送り、自分も地下へ向かおうとした。

 だが。

 その時、彼の背筋を冷たいものが走った。

 

 殺気ではない。

 もっと異質で、ドロリとした粘着質な「悪意」。

 それが、この平和な喧騒の中に一滴のインクのように垂らされたのを感じ取った。

 

「……なんだ、この空気は」

 

 楔は足を止めた。

 彼の視線が鋭く周囲を巡回する。

 家族連れの笑い声。カップルの会話。店員の呼び込み。

 何も変わらない日常の風景。

 だが、楔の感覚センサーは、広場の中央にあるベンチ付近で、空間が歪んでいるような違和感を捉えていた。

 

(……緑谷?)

 

 そこには、一人の男と並んで座る緑谷出久の姿があった。

 男は黒いパーカーのフードを目深に被り、緑谷の肩を抱くようにして何かを話している。

 一見すれば、親しい友人同士の会話に見える。

 だが、緑谷の表情は凍りつき、脂汗が滝のように流れていた。

 そして何より、男の手が緑谷の首筋に触れている。

 指一本を浮かせて。四本の指だけで。

 

「……死柄木(しがらき)(とむら)

 

 楔は即座に理解した。

 USJ襲撃の首謀者。

 なぜ奴がここにいる。

 楔の脳内で警報が鳴り響く。

 今すぐに飛び出し、奴を制圧すべきか。

 否。

 周囲には数百人の一般人がいる。もし死柄木が暴れれば、彼の個性「崩壊」によって広場は大パニックになり、多くの犠牲者が出る。

 それに、彼の手は既に緑谷の喉元にある。楔が動くより早く、緑谷の首を崩壊させることも可能だ。

 人質を取られているに等しい状況。

 

(……冷静になれ。奴の狙いはなんだ。……ここで緑谷を殺すことか? いや、それならとっくにやっているはずだ)

 

 楔はカートをその場に放置し、人混みに紛れて接近を開始した。

 足音を消す。気配を断つ。

 彼はプロヒーローとしての隠密スキルを全開にし、死柄木の死角へと回り込む。

 距離、十五メートル。

 ここなら撃てる。

 楔はポケットの中で、掌サイズの「サイレンサー付き拳銃」を生成した。

 だが、引き金は引けない。

 死柄木と緑谷の距離が近すぎる。貫通した弾丸が緑谷を傷つけるリスクがある。

 

 その時。

 緑谷を探していた麗日が、二人に近づいてくるのが見えた。

 

「デクくん?」

 

 麗日の声。

 それが均衡を破る合図となった。

 死柄木がふと顔を上げ、麗日の存在に気づく。

 緑谷の首にかけていた手が、ゆっくりと離れていく。

 チャンスだ。

 楔は一気に間合いを詰めた。

 ただし、走るのではない。

 あくまで「通りすがりの客」を装いながら、しかし明確な殺気をピンポイントで死柄木にぶつけたのだ。

 

「……おい。友人が呼んでるぞ」

 

 楔の声は低く、地を這うようだった。

 彼は死柄木の背後、わずか三メートルの位置に立っていた。

 ポケットの中の銃口は、死柄木の延髄を正確に狙っている。

 

 死柄木がゆっくりと振り返る。

 その赤い瞳が、楔を捉えた。

 狂気と理性が混ざり合った、底知れない瞳。

 だが、死柄木は笑った。

 

「……ああ、なんだ。雄英の先生か。……今日は非番かな」

 

 死柄木は立ち上がり、両手を挙げた。

 敵意はないというポーズだが、その全身からは「触れれば崩す」という警告が発せられている。

 

「……連れが来たようだ。俺はこれで失礼するよ」

「……待ちやがれ」

 

 楔が一歩踏み出す。

 だが、死柄木は人混みの中へと後ずさり、一般人の家族連れを盾にするような位置取りをした。

 

「……追いかけてくるなよ。……俺がパニックになれば、何に触っちまうか分からねェからな」

「……ッ」

 

 楔は足を止めた。

 卑劣な。

 だが、ここで強行すれば確実に民間人が巻き添えになる。

 死柄木はニヤリと笑い、そのまま雑踏の中へと姿を消した。

 楔は歯を噛み締め、生成していた拳銃を砂に戻した。

 完全な敗北ではないが、勝利でもない。

 奴を見逃したという事実だけが重く残った。

 

「デクくん! 大丈夫!?」

「あ、ああ……麗日さん……」

 

 へたり込む緑谷。

 楔はすぐに緑谷の元へ駆け寄り、彼の首筋を確認した。

 傷はない。だが、恐怖による過呼吸を起こしかけている。

 

「……緑谷。深呼吸しろ。……奴はもういない」

「あ、天土先生……。し、死柄木が……オールマイトを……」

「……今は喋らなくていい。……麗日、すぐに警察に通報しろ。……俺は奴の追跡を試みるが、深追いはしない」

 

 楔は指示を出し、再び人混みを見渡した。

 だが、死柄木の気配は完全に消えていた。

 まるで幽霊のように。

 あるいは、この街の空気そのものに溶け込んでしまったかのように。

 

(……奴は変わった)

 

 楔は直感した。

 USJの時の死柄木は、ただの駄々っ子だった。暴力衝動を撒き散らすだけの子供。

 だが、今の奴は違う。

 明確な「信念」を持ち、自分の目的のために理性を働かせている。

 ステインの影響か。

 あるいは、その背後にいる巨悪(オール・フォー・ワン)の教育か。

 どちらにせよ、死柄木弔は「ヴィラン連合のリーダー」として覚醒しつつある。

 

       *

 

 数十分後。

 ショッピングモールは一時閉鎖され、警察による厳戒態勢が敷かれた。

 塚内(つかうち)直正(なおまさ)警部が到着し、緑谷から事情聴取を行っている。

 楔はパトカーの横で、冷めた特売茶を飲みながらその様子を眺めていた。

 

「……天土さん。死柄木を取り逃がしたのは残念ですが、あなたの判断は正しかった。……あの状況で戦闘になれば、被害は甚大でした」

 

 塚内が声をかけてくる。

 楔は首を横に振った。

 

「……買いかぶりすぎだ、警部。……俺はただ、生徒の目の前で虐殺が起きるのを恐れただけだ。……結果として、爆弾の導火線を消し損ねた」

 

 緑谷の話によれば、死柄木は「オールマイトがいる社会」と「ステインの信念」の矛盾について語り、全ての元凶はオールマイトにあると結論づけたという。

 信念なき破壊者から、信念ある破壊者への変貌。

 それは、彼が次のステージへ進んだことを意味していた。

 

「……合宿、中止にした方がいいんじゃないですか」

 

 楔が呟く。

 塚内は難しい顔をした。

 

「……雄英側でも議論になるでしょう。ですが、中止にすれば『ヴィランに屈した』というメッセージを社会に発信することになる。……それに、生徒たちの育成を止めるわけにはいかない。警察としては止めて欲しいけれど、そうは言ってられない社会の空気がある」

「……メンツと教育論、それに世論か。くだらん」

 

 楔は空になったペットボトルを握り潰した。

 嫌な予感が確信に変わっていく。

 死柄木は宣言したのだ。次はオールマイトを殺すと。

 そして、オールマイトの魂を継ぐ者たちが集まる場所――林間合宿こそが、その前哨戦の舞台に選ばれる可能性は極めて高い。

 

「……警部。合宿の警備、俺の独断で強化させてもらう。……法的な手続きは後回しだ。文句があるなら根津校長に言ってくれ」

「……天土さんらしいですね。……期待していますよ、アーセナル」

 

 楔はパトカーを離れ、帰路についた。

 手には、結局買えなかった煎餅の代わりに、緑谷の無事という安堵と、未来への重い懸念が握られていた。

 夏休みの始まり。

 それは同時に、雄英高校にとって最も長く、熱く、そして暗い夜の始まりでもあった。

 

 楔は空を見上げた。

 入道雲が、不気味な形に膨れ上がっている。

 崩壊の足音は、もうすぐそこまで迫っていた。

 

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