天土楔の憂鬱な教職日誌   作:金属粘性生命体

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魔獣の森、あるいは地獄への片道切符

 

 

 夏休み初日。

 雄英高校1年A組の生徒たちを乗せた大型バスは、都会の喧騒を離れ、緑深き山間部の高速道路をひた走っていた。

 車内は、期末テストという死線を潜り抜けた解放感と、これから始まる合宿への期待で、動物園のような騒ぎになっている。

 

「いやー! まさか赤点組も行けるとはな! 奇跡だぜ!」

「補習はあるけどな。ま、キャンプファイヤーとかカレーとか、楽しみは多いし!」

 

 上鳴(かみなり)電気(でんき)芦戸(あしど)三奈(みな)が通路越しにハイタッチを交わし、切島(きりしま)鋭児郎(えいじろう)が興奮気味にガイドブックを広げている。

 その喧騒の中、最前列の教師席に座る天土(あまつち)(クサビ)は、特売の耳栓を装着し、アイマスクをして死んだように眠っていた。

 隣の席の相澤(あいざわ)消太(しょうた)が、呆れたように彼を揺り起こす。

 

「天土先生。起きてくれ。もうすぐ休憩ポイントだ」

「んあ? もう着いたのか。まだ一時間も経ってないぞ」

 

 楔がアイマスクをずらし、不機嫌そうに窓の外を見る。

 山、山、山。

 コンビニ一軒見当たらないド田舎の風景に、彼は深く溜息をついた。

 

「煎餅の補給ができそうな店がないな。ここは秘境か」

「林間合宿だからな。おい、お前ら。そろそろ静かにしろ。バス酔いしても知らんぞ」

 

 相澤が後ろを向いて一喝するが、生徒たちのボルテージは下がらない。

 飯田(いいだ)天哉(てんや)が立ち上がり、手刀を振るって注意を始める。

 

「皆! バスの中とはいえ、雄英生としての品位を保ちたまえ! 特に爆豪くん、足を前の席に乗せるのはマナー違反だ!」

「あァ? うっせェなクソ委員長。遠足気分じゃねェんだよ」

 

 爆豪(ばくごう)勝己(かつき)が窓の外を睨みながら悪態をつく。

 その隣で、緑谷(みどりや)出久(いずく)は緊張した面持ちでノートを見返していた。ショッピングモールでの死柄木(しがらき)|との遭遇。その記憶が、彼の心に重い影を落としているのだろう。

 楔は耳栓を外し、低い声で生徒たちに告げた。

 

「お前ら、今のうちに騒いでおけ。これから行く場所は、悲鳴を上げる気力すら残らない地獄の一丁目だからな」

「えっ、先生、またそんな脅しを」

 

 麗日(うららか)お茶子(ちゃこ)が引きつった笑みを浮かべる。

 バスが速度を落とし、パーキングエリアではなく、舗装されていない砂利道へと入っていった。

 

「あれ? 休憩ってここ? トイレとかなくない?」

 

 耳郎(じろう)響香(きょうか)が窓の外を指差す。

 バスが停車したのは、断崖絶壁の上にある広場だった。

 眼下には広大な樹海が広がっている。

 生徒たちがバスから降り、困惑した様子で周囲を見渡す中、一台の黒塗りの車が停車していた。

 ドアが開き、派手なコスチュームに身を包んだ四人の影が飛び出してくる。

 マンダレイ、ピクシーボブ、ラグドール、そして虎のような大男、まんま虎。

 彼らは崖の上で華麗にポーズを決めた。

 

「煌めく眼でロックオン!!」

「猫の手 手助けやって来る!!」

「どこからともなくやって来る…」

「キュートにキャットにスティンガー!!」

「「「「ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツ!!!」」」」

 

 背後で爆発のエフェクトが見えるほどの完璧な名乗り。

 生徒たちが呆気にとられる中、緑谷だけがオタク特有の早口で解説を始めようとする。

 

「プッシーキャッツだ! 山岳救助を得意とするベテランチームで、結成十二年目の」

「心は十八!!」

 

 ピクシーボブが緑谷の顔面を猫の手で鷲掴みにし、殺気たっぷりに訂正する。

 その様子を見て、楔は相澤に小声で囁いた。

 

「相澤。あの人、年齢の話は地雷か」

「触れないのが吉だ。挨拶を」

「どうも。雄英の天土です。今回は場所を貸していただき感謝します」

 

 楔が軽く頭を下げる。

 マンダレイが笑顔で応じた。

 

「あなたが噂のアーセナルね。聞いてたよりずっと枯れてるわね」

「褒め言葉として受け取っておきます。で、早速ですが、始めますか」

 

 楔が崖の下を指差す。

 生徒たちが「始める?」と首を傾げる間もなく、ピクシーボブが地面に手を触れた。

 個性『土流』。

 生徒たちの足元の地面が盛り上がり、彼らを崖の外へと弾き飛ばした。

 

「うわあああああ!?」

「なんでェェェ!!」

 

 悲鳴と共に、A組全員が崖下の森へと落下していく。

 マンダレイが拡声器で叫ぶ。

 

「そこが私有地の樹海、『魔獣の森』よ! 今の時間は午前九時半。宿舎はあそこの山の麓! お昼ご飯までに辿り着けば食べさせてあげる!」

「ちなみに最短ルートでも三時間はかかるわよ〜! 魔獣たちを突破できればね!」

 

 森の中から、土塊でできた巨大な魔獣(ピクシーボブの生成物)が出現し、生徒たちに襲いかかる音が聞こえてくる。

 爆発音、氷結の音、そして悲鳴。

 地獄の合宿が唐突に幕を開けた。

 

 崖の上に残ったのは、教師陣と、帽子を被った少年だけだ。

 楔は崖の縁に立ち、下を覗き込みながら、ポケットから煎餅を取り出した。

 

「相変わらずスパルタだな。だがあの森、俺なら五分で更地にできるが」

「天土先生、環境破壊はやめてくれ。さあ、俺たちは車で先回りするぞ」

 

 相澤が車に乗り込むよう促す。

 楔は車に向かう途中、マンダレイの横に立っていた少年、出水(いずみ)洸汰(こうた)に目を留めた。

 洸汰は生徒たちが落ちていった森を、憎々しげな目で見つめていた。

 ヒーロー嫌い。

 事前に情報は聞いている。

 

「坊主。煎餅食うか」

 

 楔が袋を差し出す。

 洸汰は楔を睨みつけ、フンと鼻を鳴らした。

 

「いらない。馴れ馴れしくするな、ヒーローもどき」

「もどき、か。言い得て妙だ。俺も自分がヒーローだなんて思ったことはない」

 

 楔は苦笑し、自分で煎餅を齧った。

 そして、洸汰の目線に合わせて屈み込み、低い声で言った。

 

「だがな、坊主。嫌いなら嫌いでいいが、目を背けるなよ。あいつらが何のために泥にまみれてるのか、その理由くらいは見届けてやれ」

「ッ!」

 

 洸汰がハッとして楔を見る。

 楔はそれ以上何も言わず、立ち上がって車に乗り込んだ。

 ラグドールがハイテンションで車内を覗き込んでくる。

 

「わーお! あの子が説教を聞くなんて珍しい! いつもは誰彼構わず噛みつくのに!」

「噛みついてくるのは元気な証拠だ。無関心よりはマシですよ」

 

 車が発進する。

 楔はシートに深く沈み込み、窓の外を流れる緑を見つめた。

 生徒たちは今頃、泥と汗にまみれて戦っているだろう。

 だが、本当の敵は、こんな可愛い魔獣ごっこではない。

 森の奥、光の届かない場所に潜む、本物の悪意。

 

「虎さん。この森の結界機能、セキュリティレベルは」

「最高レベルだ。登録されていない個性が使用されれば、すぐにラグドールの『サーチ』で感知できる」

「そうですか。なら、そのセンサーが反応しない抜け道がないか、後で俺にもチェックさせてください。俺は、機械よりも自分の目を信じている」

 

 虎とマンダレイが顔を見合わせる。

 楔の纏う空気が、先ほどまでの枯れた教師のものから、鋭利な刃物のようなプロのものへと変貌していたからだ。

 

「何かあるのか?」

「何もないことを祈るための確認作業です。心配性なもんでね」

 

 夕刻。

 予定時間を大幅にオーバーし、ボロボロになったA組の生徒たちが宿舎に辿り着いた。

 

「し、死ぬ」

「腹減った。もう動けねェ」

 

 上鳴や切島が地面に這いつくばり、緑谷も膝に手をついて荒い息を吐いている。

 魔獣との連戦、慣れない山道、そして空腹。

 極限状態だ。

 だが、彼らの目は死んでいない。むしろ、困難を乗り越えた達成感が微かに宿っている。

 

「三時間と言ったが、実際は八時間か。まあ、初日にしては上出来だ」

 

 玄関前で待ち構えていた相澤が告げる。

 楔はその後ろで、大量のカレーが入った大鍋を前に仁王立ちしていた。

 

「おい、予備軍ども。飯だ。食いたいやつから並べ。ただし、残したら俺の特製『地獄の補習ドリル』が待っているぞ」

「ごはんー!!」

 

 生徒たちがゾンビのように復活し、カレーに群がる。

 その食欲は凄まじい。

 飯田が高速でスプーンを動かし、麗日が「うまーい!」と叫び、爆豪すら黙々と、しかし猛烈な勢いで平らげている。

 楔は皿にカレーを盛り付けながら、一人離れた場所で食事を拒否している洸汰に視線を向けた。

 緑谷がカレーを持って洸汰に話しかけに行き、そして玉砕(股間を殴られる)しているのが見える。

 

「不器用な奴らだ」

 

 楔は自分用のカレー(激辛)を一口食べ、呟いた。

 平和な夕食風景。

 だが、この平穏も今日までだ。

 明日からは本格的な「個性伸ばし」の地獄が始まる。

 そして、その先にある試練の予感。

 

 食事が終わり、入浴タイム。

 露天風呂からは、男子生徒たちのバカ騒ぎする声が聞こえてくる。

 峰田(みねた)(みのる)が女湯を覗こうとして、飯田に説教されている声も。

 楔は脱衣所のベンチで、風呂上がりの牛乳を飲みながら、隣に座る相澤に話しかけた。

 

「相澤。明日のスケジュールだが、俺の担当はB組の方だったか」

「ええ。ブラドキング先生と交代で見てもらいます。A組は俺がしごきますが、B組も底上げが必要です」

「了解だ。物間あたりが煩そうだが、俺の『弾幕』で黙らせてやる」

 

 楔は牛乳瓶を置いた。

 窓の外、暗闇に包まれた森を見つめる。

 風が木々を揺らす音が、まるで何かの囁き声のように聞こえた。

 

「静かすぎるな」

「ええ」

 

 二人の教師は、言葉少なに夜の闇を睨んだ。

 生徒たちの笑い声だけが、この山奥で唯一の光だった。

 その光を守るために、楔は今夜も眠れそうになかった。

 

「さて。夜の見回りに行ってくるか。ついでに、あの生意気な坊主がどこで寝ているかも確認しておくか」

 

 楔は立ち上がり、懐中電灯と特売茶を手にした。

 彼の背中には、目に見えない重圧と、プロとしての覚悟が張り付いていた。

 長い夜が始まる。

 

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