合宿二日目。
早朝五時半。
まだ夜の帳が完全に降りきっていない薄暗い広場に、1年A組の生徒たちが叩き起こされて集まっていた。
昨日の「魔獣の森」突破による筋肉痛と疲労で、彼らの動きは錆びついたロボットのようにぎこちない。
そんな彼らの前に立つ
「おはよう。今日から本格的な強化合宿を始める。この合宿の目的はただ一つ、個性の『限界突破』だ」
相澤は
記録は七百九・六メートル。
入学直後の体力テストから、数値が伸びていないという現実を突きつけられる。
「君たちの経験値や技術は確実に向上した。だが、それ以外、基礎的な身体能力や個性の出力自体はさほど変わっていない。今日から君らには、個性を伸ばしてもらう」
筋肉が破壊と再生を繰り返して太くなるように、個性もまた、使い込み、限界を超えて酷使することで、そのキャパシティを広げることができる。
理屈はシンプルだ。だが、その内容は拷問に近い。
爆豪は熱湯に手を突っ込んで爆破を繰り返し、
広場は瞬く間に、爆音と悲鳴が入り混じる地獄絵図へと変貌した。
そこへ、遅れて1年B組の面々が到着した。
担任のブラドキングが、A組の惨状を見て引きつる生徒たちに檄を飛ばす。
「B組も同様だ! A組の後塵を拝したくなければ動け! お前たちも個性の容量をこじ開けるんだ!」
そのB組の指導エリアには、特売のジャージを着た
彼はあくびを噛み殺しながら、地面に手を触れた。
地鳴りと共に地面が隆起し、B組の生徒たちを取り囲むように、無数の「ペイント弾発射用砲台」が生成される。
「おはよう、B組。俺はブラドキング先生の補佐として、お前らのケツを叩く係だ。ルールは簡単。個性を使い続けろ。手が止まった奴から、俺の砲台が愛の鞭という名のペイント弾をお見舞いする」
楔が指を鳴らすと、砲台が一斉に駆動音を上げた。
B組の生徒たちが悲鳴を上げて散開する。
「ちょっ、A組の先生だからって容赦なさすぎでしょ!?」
「くそっ、鉄壁の守りを見せてやるぜ!」
「甘い。地形を変えるなら、こっちは地形に対応するだけだ。もっと頭を使え、そして出力を上げろ」
楔の指導は的確かつ冷徹だ。
そんな中、弾幕をかいくぐり、一人の男子生徒が楔に接近してきた。
彼は不敵な笑みを浮かべ、楔の背後に回り込むと、その腕に素早く触れた。
「タッチ。へえ、これが噂の戦略級個性『
物間の個性『コピー』。触れた相手の個性を五分間だけ模倣し、自在に使うことができる能力。
彼は自信満々に地面に手を突き立てた。
脳内には、楔が作り出しているような精巧なガトリング砲のイメージがある。
「見てなよA組の先生! 君の武器は、僕が頂く! 発現!」
物間の手元で、土がボコボコと盛り上がる。
だが。
現れたのは、銃身もなければ発射機構もない、ただの歪な「土人形」のような塊だった。
泥団子を大きくしただけの、無意味なオブジェ。
「は? なんだこれ? イメージ通りにならない?」
物間が焦って何度も試みるが、出来るのは形の崩れた土塊ばかり。
楔は特売茶を一口飲み、足元の失敗作を一瞥した。
「当たり前だ。馬鹿者」
楔の声は低く、嘲笑ではなく憐憫を含んでいた。
「俺の個性は、確かに土を素材に物品を生成する。だが、それを作るには『構造』『部品』『組み立て手順』の全てを脳内で寸分違わず設計し、出力しなければならない」
楔が、物間の作った土塊を足先で崩した。
「引き金のバネ一つ、ライフリングの溝の深さ、火薬の圧縮率。それら全ての『知識』がお前の頭に入っていなければ、ただの泥遊びで終わる。お前がコピーしたのは『土を加工する機能』だけで、俺の脳内にある『設計図』まではコピーできていないからだ」
物間が愕然とする。
彼のコピーは万能ではない。蓄積型の個性や、高度な技術・知識を必要とする個性とは相性が悪いのだ。
楔は砲台の射撃を一時停止させ、物間の前に立った。
「俺がこの個性を実戦レベルにするまでに、どれだけの図面を引き、どれだけの兵器を分解し、指先を血塗れにしてきたと思っている。上っ面の接触で、俺の十数年を盗めると思うな」
圧倒的な経験値の差。
物間は唇を噛み締め、悔しそうに拳を握った。
「くそっ、ハズレかよ!」
「ハズレじゃない。使い方の問題だ。剣やハンマーのような単純な構造なら、お前でも作れるはずだ。高望みせず、今の自分に扱える武器を選べ。それが、複数の個性を扱うお前に必要な見極めと言うやつだ」
楔のアドバイスは、厳しいが的を射ていた。
物間はフンと鼻を鳴らし、すぐに地面からシンプルな「鉄球」を生成し、迫りくる砲台の弾丸を弾き返した。
「ふん! 言われなくても分かってるよ! 次はもっとマシなもん作ってやる!」
「いい度胸だ。なら、弾幕を二倍にしてやろう」
「げぇっ!」
楔が指を鳴らす。
砲台が増設され、B組の訓練場はさらなる地獄と化した。
夕刻。
個性を使い果たし、泥雑巾のようになった生徒たちが広場に転がっている。
だが、休む暇はない。
自炊という名の「夕食作り」が待っているからだ。
「昨日も言ったが、食わなきゃ体は治らんぞ。動かない手足を無理やり動かしてカレーを作れ」
相澤の無慈悲な指示に、生徒たちはゾンビのように立ち上がり、カマドに向かった。
飯田が火起こしに奮闘し、爆豪が包丁さばきで無双し、轟が火加減を調整する。
B組も負けじと、鉄哲が頭突きで薪を割り、拳藤が巨大な手で鍋をかき混ぜる。
A組とB組が入り乱れ、協力し合う光景。
それは、地獄のような訓練の中で生まれた奇妙な連帯感だった。
楔は少し離れた木陰で、自身の夕食(やはりレトルトカレーと湿気た煎餅)を摂りながら、その様子を眺めていた。
ふと、視界の端に
彼は自分の分のカレーを皿に盛り、こっそりと広場を抜け出そうとしていた。
向かう先は、断崖の上にある「秘密基地」。
そこにいるであろう、
「お節介な奴だ。自分の体もガタガタだろうに」
楔は呟いたが、止めはしなかった。
洸汰の頑なな心を溶かせるのは、理屈を並べる大人ではなく、汗と泥にまみれた「余計なお世話」かもしれないからだ。
「天土先生。B組の様子はどうでしたか」
隣に座ったブラドキングが、缶コーヒーを片手に尋ねてくる。
楔は煎餅を齧りながら答えた。
「悪くない。特に物間や鉄哲、拳藤あたりは芯が強い。A組への対抗心が良い燃料になっている。だが」
「だが?」
「時間が足りない。彼らが一人前のヒーローになるには、まだ積み上げるべきものが多すぎる」
ブラドキングは怪訝な顔をした。
「随分と焦っているように聞こえますが。何か懸念でも?」
「ただの職業病ですよ。平和な風景を見ると、その裏にある時限爆弾を探してしまう」
楔は誤魔化したが、その目は笑っていなかった。
森の暗闇。
そこから視線を感じるような錯覚。
プッシーキャッツの結界があるとはいえ、広大な山岳地帯を完全に封鎖することは不可能だ。
食事が終わり、生徒たちが風呂へと向かう。
楔は片付けを手伝いながら、洸汰の元から戻ってきた緑谷の顔を見た。
少し落ち込んでいるが、諦めてはいない表情。
どうやら、今日も玉砕したらしい。
「緑谷。皿洗いを代わってやる。さっさと風呂に入って寝ろ」
「あ、天土先生! すみません、ありがとうございます!」
緑谷が頭を下げて去っていく。
楔は冷たい水で皿を洗いながら、夜空を見上げた。
合宿二日目が終わる。
まだ何も起きていない。
だが、その静寂こそが、嵐がエネルギーを溜め込んでいる証拠のように思えてならなかった。
「明日は三日目。折り返し地点か」
彼は知っていた。
物語において、転換点は常に中盤に訪れることを。
そして現実の戦場においても、気が緩みかけたその瞬間こそが、最も危険なタイミングであることを。
楔は洗い終えた皿を籠に入れ、懐から通信端末を取り出した。
画面には、彼が独自に設置したセンサーの稼働状況が表示されている。
オールグリーン。異常なし。
だが、楔は端末を握りしめ、誰にともなく呟いた。
「来るなら来い。この山でお前らを迎撃できるのは、俺と相澤、そしてあの猫たちだけじゃない。生徒たちもまた、牙を研いでいる最中だぞ」
夜風が吹き抜け、木々がざわめいた。
その音は、遠くから近づく軍靴の音のように、楔の耳に重く響いた。