天土楔の憂鬱な教職日誌   作:金属粘性生命体

40 / 51
魔術師の掌、あるいは勝者なき撤退戦

 

 

 森の闇を切り裂く銃声と、鋼鉄が肉を断つ音が響く。

 天土(あまつち)(クサビ)の戦闘スタイルは、洗練された事務作業のように無駄がなかった。

 右手のマグナムがムーンフィッシュ(月亮淡路)|の歯の根元を正確に撃ち砕き、再生の隙を与えずに左手の日本刀が肉薄する。

 踏み込み。

 刃が銀色の軌跡を描き、拘束衣ごとその身体を切り裂いた。

 

「肉、あ」

 

 ムーンフィッシュが音もなく崩れ落ちる。

 楔は残心もそこそこに、視線をもう一人の敵、Mr.コンプレスへと向けた。

 だが、仮面の男は既にその場にいなかった。

 彼は木々の梢を飛び移り、軽業師のような身のこなしで爆豪(ばくごう)勝己(かつき)(とどろき)焦凍(しょうと)の後を追っていた。

 直接戦闘を避ける、徹底した逃げの姿勢。

 

「逃げるか」

 

 楔は静かに呟き、地面を蹴った。

 バイクを生成する時間すら惜しい。

 彼は自身の脚力を土細工で強化――足元のアスファルトをバネのように隆起させ、爆発的な加速を得て森を疾走した。

 

 前方では、轟の氷結と爆豪の爆破が断続的に輝いている。

 だが、コンプレスの個性は厄介だ。

 触れたものを小さな球体に圧縮する『圧縮』。

 彼の手中には、既に一つの「戦利品」があった。

 青いビー玉のような球体。

 その中には、行方不明になっていたプロヒーロー、ラグドールが閉じ込められていた。

 

「いやはや、最近の若者は元気がいいねえ。おじさん、腰が痛くなっちゃうよ」

 

 コンプレスが木の上から、ふざけた調子で声をかける。

 彼は爆豪たちの攻撃をのらりくらりと躱し、決して正面からは打ち合わない。

 逃げ足と欺くことだけが取り柄。その言葉通り、彼は幻惑的な動きで翻弄し続けていた。

 まるで舞台の上で観客を煙に巻くマジシャンのように。

 

「待てコラ。仮面野郎」

「おっとっと、焦りは芸を殺すよ、爆豪くん。君は最高の素材だ。我々のショーにお招きしたい」

 

 コンプレスが指を鳴らす。

 瞬間、爆豪と常闇(とこやみ)踏陰(ふみかげ)の姿が消えた。

 地面に転がる二つのビー玉。

 コンプレスはそれを拾い上げ、優雅に一礼した。

 

「鮮やかなもんでしょう。これぞ圧縮のイリュージョン」

「返せ」

 

 轟が氷塊を放つが、コンプレスはそれをひらりと避ける。

 そこへ、上空から質量爆弾のごとく緑谷(みどりや)出久(いずく)障子(しょうじ)目蔵(めぞう)、そして轟が突っ込んできた。

 彼らは森を抜け、開けた場所――回収地点へと雪崩れ込む。

 そこには、ヴィラン連合のメンバー、荼毘(だび)トガ(渡我)ヒミコ(被身子)、トゥワイスが待ち構えていた。

 

「遅ぇぞコンプレス。回収は済んだか」

「ああ、大漁だよ荼毘くん。予定通り、爆豪くんと常闇くん、そしてオマケのプロヒーロー一名だ」

 

 コンプレスが仮面の下で得意げに笑い、ポケットから三つのビー玉を取り出して見せる。

 緑谷たちが血相を変えて飛びかかる。

 

「返せ!!」

「おっと、慌てないでくれよ。これは大事な商品なんでね」

 

 コンプレスがひらりと身をかわし、ビー玉を懐にしまう素振りを見せる。

 だが、それはフェイクだ。

 遅れて到着した楔の動体視力は、コンプレスの一瞬の掌の動きを見逃さなかった。

 彼がポケットに入れたのはダミー。

 本物のビー玉は、まだ彼の手の中にあり、そしてあろうことか口の中へと隠された。

 

「舌の裏か。古典的な手品だ」

 

 楔は走りながら、右手の人差し指を突き出した。

 生成したのは、銃ではない。

 指先に圧縮した空気の弾丸。

 いや、それは「鉄球」だ。

 土中の金属成分を凝縮し、指先で弾き飛ばす即席のレールガン。

 

「種明かしだ、詐欺師」

 

 指が弾かれる。

 音速を超えた鉄球が、コンプレスの仮面の縁を正確に削り飛ばした。

 衝撃が顎に伝わり、コンプレスが反射的に口を開く。

 

「がっ」

 

 口の中から、隠していた三つのビー玉が吐き出される。

 スローモーションのような時間の中で、青い玉が空を舞う。

 

「しまっ、芸がバレたか」

 

 コンプレスが慌てる。

 障子が手を伸ばし、一つの玉を掴み取る。常闇だ。

 轟が氷壁を展開し、荼毘の蒼い炎を遮断する。

 そして、残る二つの玉――爆豪とラグドール。

 緑谷が必死に手を伸ばす。

 だが、それより速く、荼毘の手が爆豪の玉へと迫っていた。

 

 その時だ。

 爆豪の玉とラグドールの玉が、コンプレスの術が解けて元の姿に戻り始めた。

 圧縮解除。

 爆豪勝己と、意識のないラグドールが空中で実体化する。

 爆豪は瞬時に状況を理解した。

 目の前には、自分を捕らえようとする荼毘の手。

 隣には、無防備に落下するラグドール。

 そして遠くには、駆けつけようとする緑谷と楔。

 

 自分が逃げるために爆破を使えば、その反動でラグドールは荼毘の方へ吹き飛ぶか、あるいは炎に巻かれる。

 彼女を助けるには、自分が踏み台になるしかない。

 爆豪の脳裏に、オールマイトの背中が過ぎる。

 勝つこと。助けること。

 

「借りなんか作らねェよ」

 

 爆豪は吼えた。

 彼は自分の退路を作るためではなく、ラグドールを救うために掌を向けた。

 爆破。

 その衝撃波が、ラグドールの身体をヴィランの射程圏外――楔の足元へと正確に弾き飛ばした。

 

「爆豪」

 

 楔がラグドールをキャッチする。

 だが、その代償は大きすぎた。

 爆破の隙を突き、コンプレスが再び爆豪の背後に回り込んでいたのだ。

 

「悪いね、主役は降板させないよ」

 

 再圧縮。

 爆豪の姿が再びビー玉へと変わり、コンプレスの手の中に収まる。

 

「くそっ、返せ!」

 

 緑谷が叫び、走り出す。

 だが、背後の黒霧(くろぎり)がゲートを開き、彼らの退路を作り出す。

 ワープゲート。

 ヴィランたちが次々と闇の中へ消えていく。

 コンプレスが帽子を取り、大袈裟にお辞儀をした。

 

「では諸君、これにて閉幕だ。最高のショーだったよ」

 

 コンプレスもまた、ゲートへ飲み込まれていく。

 楔は地面を隆起させてゲートを物理的に塞ごうとするが、黒霧の空間干渉の前には物理攻撃が無力だった。

 ゲートの向こう側、コンプレスの手の中にあるビー玉が、一瞬だけ解除されかけた。

 爆豪の顔が半分だけ覗く。

 彼は、助けに来ようとする緑谷と楔を見つめ、ニヤリと不敵に笑った。

 それは、助けを求める顔ではない。

 プロヒーローを救った自分の選択に後悔はないという、意地の笑みだった。

 

「来んな」

 

 その言葉を残し、爆豪勝己の姿は闇に消えた。

 ゲートが閉じる。

 残されたのは、燃え盛る森と、呆然と立ち尽くす生徒たち。

 そして、楔の腕の中に残された、意識のないラグドールだけだった。

 

「………………」

 

 楔は無言で、腕の中の同僚を見つめた。

 戦闘の余波によるのか破損が激しいヒーロースーツを着たラグドール。

 爆豪は、彼女を救った。

 自分の自由と引き換えに、プロヒーローの命を敵の手から奪い返したのだ。

 生徒に守られた教師。

 その事実は、楔のプライドを粉々に砕くのに十分だった。

 

「馬鹿なガキだ」

 

 楔の声には、怒号よりも重い響きがあった。

 彼はラグドールに自分の防刃コートをかけ、抱き起こした。

 周囲では、緑谷が絶叫し、轟が悔しさに地面を叩いている。

 敗北。

 完全なる敗北だ。

 敵の目的――爆豪勝己の拉致は完遂された。

 ラグドールと常闇を取り返したことは、何の慰めにもならない。

 雄英は、未来の象徴を奪われたのだ。

 

 数十分後。

 消防と警察が到着し、消火活動と現場検証が始まった。

 楔は救急隊員にラグドールを引き渡すと、一人離れた場所で特売茶のボトルを握りしめていた。

 中身は空だ。

 プラスチックの容器が、彼の手の中でミシミシと悲鳴を上げている。

 

「天土先生」

 

 声をかけてきたのは、相澤(あいざわ)消太(しょうた)だった。

 彼もまた、満身創痍だ。

 二人の教師は、燃え残った森を見つめ、重い沈黙を共有した。

 

「俺の責任だ。俺がもっと早く、もっと強引にでも合宿を中止にしていれば」

「やめてくれ、天土先生。今は責任を論じている場合じゃない」

 

 相澤が楔の肩に手を置く。

 だが、楔はその手を振り払うように立ち上がった。

 その瞳には、激情の炎は見えない。

 あるのは、絶対零度の殺意だけだった。

 それは教育者の目ではない。

 標的を見定めた暗殺者の目だ。

 

「さらったな。俺の生徒を」

 

 楔は懐から端末を取り出した。

 画面には、赤い点が一つ、地図の上で点滅している。

 爆豪に渡した発信機。

 奴らはまだ、それに気づいていない。

 コンプレスが持っている爆豪のビー玉、その服の隙間か何かに、タグが紛れ込んでいるはずだ。

 

「戦争だ、ヴィラン連合。教育的指導の時間はおしまいだ」

 

 天土(あまつち)(クサビ)は端末を握りしめ、夜空を見上げた。

 林間合宿は最悪の結末で幕を閉じた。

 だが、それは次なる戦い――「神野の悪夢」への序章に過ぎなかった。

 教師たちはもう、ただ守るだけの盾ではいられない。

 奪われたものを取り返すための、矛となる刻が来たのだ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。