天土楔の憂鬱な教職日誌   作:金属粘性生命体

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後始末、所謂エピローグ
エピローグ、あるいは病室の静寂と終わらない残業の始まり


 

 

 厳重なセキュリティシステムによって外部からの接触が完全に遮断された警察病院の最上階に位置する特別室は、高価な医療機器が発する無機質な電子音と鼻腔の奥を刺すような冷たい消毒液の匂いだけが支配する極めて静謐で退屈な空間であった。

 

 神野区の更地において絶対悪であるオールフォーワンと繰り広げられた想像を絶する死闘から数日が経過しており、最高ランクの労災認定を盾にしてこの最も高額な個室を陣取った天土(あまつち)(クサビ)は、窓から差し込む眩しい朝日を忌々しげに睨みつけながら備え付けの硬いベッドの上に力なく身を横たえている。

 

 彼の左半身は魔王の放った規格外の熱線と衝撃波によって炭化するほどの深刻な損傷を受けていたが、国内でも最高峰の治癒能力を持つ複数の医療系ヒーローたちによる集中的な治療の甲斐もあって現在は分厚い純白の包帯の奥で細胞が急速な再生を果たす際の耐え難い痒みと鈍痛を絶え間なく発信し続けていた。

 

 本来であれば数ヶ月は意識すら戻らないほどの致命傷であると医師団から宣告されていたにも関わらず、天土の冷酷な計算回路は自らの肉体に起きている生体反応を単なる修復プロセスのデータとして極めて客観的に処理しており、彼はただ痛みよりも退屈という名の苦痛から逃れるために病室の壁に掛けられた薄型のテレビモニターを無表情のままぼんやりと眺め続けている。

 

 音量を極限まで絞られた画面の中では連日のように神野の悪夢に関する報道が繰り返されており、平和の象徴たるオールマイトがその力の大半を失って事実上の引退状態に陥ったという絶望的な事実と、巨悪が完全に打ち倒されたという安堵が入り混じる混沌とした社会の情勢がニュースキャスターの深刻な表情と共に垂れ流されていた。

 

 絶対的な抑止力であった一人の超人が表舞台から姿を消したことで今後の社会には間違いなくヴィランたちの暴動という新たな波波が押し寄せることになり、プロヒーローたちの労働環境がこれまで以上に過酷で終わりの見えない激務へと変貌していくことは火を見るよりも明らかである。

 

 天土はその画面に映るオールマイトの痩せ細った真の姿を一瞥すると、手元にあるリモコンの電源ボタンを無造作に押し込んで社会の喧騒を強制的にシャットダウンし、大きく重い溜息を病室の乾いた空気の中へと吐き出した。

 

 防音仕様の重厚な扉が微かな電子音と共に静かに開き、深い疲労の色を顔中に滲ませたヨレヨレの黒いスーツ姿の相澤(あいざわ)消太(しょうた)が分厚い紙の束を小脇に抱えながら病室の中へと足を踏み入れてくる。

 

「せっかくの最高級の個室だというのに、随分と陰気な顔で寝込んでいるな」

「当たり前だ。せっかく命を削って手に入れた有給休暇だというのに、テレビをつければこれからの過酷な残業増加を予告するような不愉快なニュースばかりが目に入ってくる。これならまだ地下の訓練場で弾薬の在庫管理をしている方が精神衛生上マシというものだ」

 

 天土が顔だけを扉の方へ向けて極めて気怠げに悪態をつくと、相澤は呆れたように小さく息を吐きながらベッドの脇にあるパイプ椅子を引き寄せて遠慮なく腰を下ろした。

 

 彼の顔や腕に巻かれていた包帯は既に大部分が取り外されているもののその瞳の奥には林間合宿から神野の決戦に至るまでの激動の数日間を駆け抜けたことによる隠しきれない疲労困憊の影が色濃く張り付いており、彼もまた一人の教育者としてこの未曾有の事態の事後処理に奔走し続けていたことがその佇まいから容易に推測できる。

 

「お前がマスコミや警察の鬱陶しい事情聴取を全て俺たちに丸投げしてこの個室で泥のように眠っている間、外の世界は上が見えないほどの書類の山と会議の連続だったぞ。塚内警部も、お前の残したあの戦艦の主砲のような巨大兵器の残骸の処理報告書を書くために徹夜続きで泣きそうになっていた」

「俺はあらかじめ退院するまで仕事の話は持ち込むなとオールマイトに釘を刺しておいたはずだがな。あの巨大なレールガンは俺の個人的な趣味ではなく、あくまで害虫駆除に必要な最低限の経費だ。領収書は全て雄英の経理に回しておけ」

 

 全く悪びれる様子のない天土の合理的な言い分に相澤は頭痛を堪えるように眉間を指で揉み解し、小脇に抱えていた分厚い紙の束を病室の小さなサイドテーブルの上に乱暴に放り投げた。

 

「お前のそのふざけた経費請求の件は校長が笑いながらハンコを捺していたから安心しろ。それよりも問題なのは、お前が神野の戦場で緑谷(みどりや)たち五人の生徒を非公式の作戦に組み込んで爆豪(ばくごう)の救出に利用したという事実の方だ」

「結果的に誰も死んでいないのだから問題はないだろう。俺が敵の戦力を引き剥がした一瞬の隙を突いてターゲットだけを回収するという極めて単純なゴミ拾いの作業だ。あいつらも少しはプロの戦場の空気を吸って良い経験になったはずだぞ……そもそれを知ってるのはほぼいないはずなんだがな」

 

 天土が備え付けのストロー付きカップから冷えた水を一口啜りながら平然と答えると、相澤はその漆黒の瞳に鋭い光を宿してベッドの上の同僚を真っ直ぐに睨みつけた。

 

「結果論で教育が語れるなら苦労はしない。彼らが無事だったのはただの運と、お前が文字通り自らの命を削って魔王の攻撃を全て引き受けたという異常な自己犠牲の産物だ。教師が生徒を死地に送り込むような真似は、二度と許さない」

「自己犠牲などという安い言葉で俺の行動を美化するな。俺はただ、あの場で最も早く帰宅できる確率が高い作戦を選択しただけだ。ガキどもが俺の指示通りに動かなければ、躊躇なく更地ごと爆撃していた」

 

 天土の言葉には一切の誇張が含まれていない純粋な殺意の響きがあり、相澤はしばらく無言でその冷酷な瞳を見つめ返していたがやがて諦めたように肩の力を抜いた。

 

 相澤自身もまた天土楔という男がどれほど非情な言葉を口にしようとも、その本質が誰よりも生徒の命を合理的かつ確実に守り抜くための最強の盾であることを理解しており、だからこそ彼の歪な教育方針に対してこれ以上の追及を行うことを止めたのだ。

 

「緑谷たちには俺からこってりと絞っておいた。全員が自身の軽率な行動を反省し、これからは正規の手順でヒーローを目指すと誓っている。爆豪も無事に家族の元へ帰り、現在は警察の保護下で大人しくしている」

「そうか。なら俺の仕事は完全に終わったわけだ。テーブルの上のゴミを持ってさっさと帰れ、俺は昼寝の時間だ」

 

 天土が布団を顎まで引き上げて露骨に会話を打ち切ろうとするが、相澤はサイドテーブルに置かれた紙の束の一番上にある分厚い書類を一枚手に取り、それを天土の顔の前に無慈悲に突きつけた。

 

「残念ながら、お前の長い休暇は今日で終わりだ。社会の急激な変化と生徒たちの安全確保のために、雄英高校は全寮制という新たなシステムへの移行を決定した。これはその計画書と、保護者への説明に向かうための家庭訪問のスケジュール表だ」

「正気か。俺はまだ左半身の肉が半分焼け焦げている重傷患者だぞ。労基署が飛んでくるようなブラック企業でももう少し従業員を休ませる配慮があるはずだ」

「お前のその異常な回復力なら、明日の朝には問題なくスーツを着て歩けるようになると担当医からお墨付きをもらっている。俺とオールマイトだけでは到底回りきれない。お前にも担当地区の保護者を説得して回ってもらう」

 

 相澤の口から宣告された逃げ場のない追加業務の決定に天土は心底嫌そうな表情を浮かべて大きく舌打ちをし、包帯に巻かれた右手で突きつけられたスケジュール表を乱暴に奪い取った。

 

 そこには緑谷や爆豪といった今回の一件で最も世間の矢面に立たされた生徒たちの名前が連なっており、保護者の不安と不信感が渦巻く家庭に直接乗り込んで土下座に近い説得を行わなければならないという、殺戮の戦場とは全く異なる意味での地獄のような外交戦が待ち受けていることが明確に記されている。

 

「オールマイトが引退し、社会が混乱の渦に飲み込まれようとしている今、俺たち教師が防波堤となって子供たちを守り抜かなければならない。これは教育者としての最低限の義務だ」

「くだらん。俺は教育者である前にただのしがない掃除屋だ。だが、俺の受け持っている担当地区で害虫が湧くのは俺の管理責任が問われるからな。不本意極まりないが、書類の処理だけは手伝ってやる」

 

 天土がスケジュール表を忌々しげにサイドテーブルへと放り投げると、相澤はわずかに口角を上げて立ち上がり、病室の扉へと向かって静かに歩き出した。

 

「頼りにしているぞ、アーセナル。明日の朝八時に、スーツを着て職員室に集合だ」

「遅刻したら減給処分にしてくれ。俺はもうしばらくこのベッドと同化する」

 

 相澤が短く頷いて病室から立ち去り再び重厚な扉が閉じられると、部屋の中には医療機器の無機質な電子音だけが静かに鳴り響く元の空間へと戻っていった。

 

 天土は包帯に覆われた左腕をゆっくりと天井に向けて伸ばし、その指先で虚空に漂う見えない大地の脈動を微かに確かめると、これからの果てしなく続くであろう教育と警備という名の果てしない残業業務に向けて小さくため息を漏らす。

 

 神野の悪夢は完全に過ぎ去り時代は大きな曲がり角を迎えたが、理不尽なまでの暴力を極めた一人の男にとっての日常は、ただ面倒な書類仕事とガキどもの後始末という名の静かな戦場へと再びその姿を変えて続いていくのだった。

 

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