天土楔の憂鬱な教職日誌   作:金属粘性生命体

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崩れ去る境界、あるいは嵐の前の静寂

 

 雄英高校本校舎、一階の北東の隅。

 そこに、生徒たちが「魔窟」と恐れ、一部の教師が「サボりの聖地」と呆れる部屋がある。

 地理準備室である。

 

 日当たりが悪く、常にジメッとした湿気が漂うその場所は、天土(あまつち)(クサビ)にとって最高の城だった。

 何しろ一階の隅だ。窓を開ければすぐに地面があり、非常時には廊下を通らずとも外へ出られる。

 大地と繋がっている安心感。

 そして何より、校長室や職員室から物理的に最も遠いという立地条件が、彼の怠惰な生活を支えていた。

 

「……んー、ぬるい」

 

 昼休み。

 楔は煎餅を齧りながら、窓の外を眺めていた。

 校門の向こうには、朝からマスコミが群がっている。

 オールマイトが教師に就任したというニュースは、それほどまでに世間を騒がせていた。

 

「平和の象徴ねぇ……。光が強けりゃ影も濃くなる。……騒がしいことだ」

 

 楔は興味なさげに欠伸をし、ソファに寝転がろうとした。

 その時だった。

 

 ウゥゥゥゥゥゥゥ――ッ!!

 

 校舎内に不快なサイレン音が鳴り響いた。

 空気がビリビリと震えるほどの音量。

 同時に、無機質なアナウンスが流れる。

 

『セキュリティ3が突破されました。生徒の皆さんは速やかに避難してください』

 

「……あ?」

 

 楔の目が、瞬時に見開かれた。

 セキュリティ3。それは校舎内への侵入者を意味する。

 ただのマスコミか?

 いや、雄英のセキュリティシステム「雄英バリア」は、鉄壁の守りを誇る。カードキーを持たない者が触れれば、センサーが感知して遮断壁が降りるはずだ。

 それが「突破」されたということは。

 

「……センサーごと、物理的に壊されたか」

 

 楔はジャージのポケットに手を突っ込み、窓枠に足をかけた。

 廊下はパニックになった生徒たちで溢れかえっているだろう。そこを通るのは得策ではない。

 彼は窓から直接、外の地面へと降り立った。

 

          ◇

 

 食堂や廊下は、避難しようとする生徒たちで混沌としていた。

 将棋倒しになりそうな密集地帯。

 だが、その喧騒を一喝する声があった。

 

「大丈夫!! パニックにならないで!!」

 

 非常口の看板の上に立ち、大声を張り上げているのは、1-Aの飯田(いいだ)天哉(てんや)だ。

 彼は壁に張り付き、群衆の上から状況を伝えている。

 

「ただのマスコミです! 校内への侵入者は報道陣だけ! ここは雄英高校です、最高峰の行動をとりましょう!!」

 

 その的確な指示と、妙に様になっている非常口ポーズのおかげで、パニックは急速に沈静化していった。

 遠くからその様子を見ていた楔は、ほう、と感心したように息を吐いた。

 

「……やるもんだ。ありゃ、人の上に立つ器だな」

 

 だが、楔の足は食堂へは向かわなかった。

 彼は喧騒を避けるように、破壊された「校門」の前でしゃがみ込んでいた。

 

「……なんだ、こりゃ」

 

 頑丈な特殊合金製のゲートが、無惨な姿になっていた。

 爆破されたわけではない。切断されたわけでもない。

 まるで、長い年月を経て風化したかのように、ボロボロに崩れ落ちている。

 楔は指先で、ゲートの残骸――粉状になった金属の粉を掬い上げた。

 

「……()()。いや、風化か?」

 

 土細工(アース・クラフト)を持つ楔は、物質の構成には敏感だ。

 この壊れ方は異常だ。

 物理的な衝撃ではなく、物質の結合そのものを強制的に解除された痕跡。

 ただのマスコミに、こんな芸当ができるはずがない。

 

「……マスコミは囮か。あるいは、これを通すための隠れ蓑か」

 

 楔は立ち上がり、粉を払った。

 背筋に冷たいものが走る。

 この「壊し方」には、明確な悪意がある。

 子供じみた、しかし底知れない破壊衝動。

 

「……天土先生! ここにいたんですか!」

 

 背後から声をかけられた。

 校長の根津だった。その小さな体躯に、鋭い知性を宿した瞳が光っている。

 

「校長。……これ、見ましたか」

「ああ。酷い有様だね。……ただの事故じゃなさそうだ」

「ええ。人為的です。それも、かなり危険な個性の持ち主が関与している」

 

 楔は顎で崩れたゲートをしゃくった。

 

「センサーが反応する前に、ゲートそのものを粉に変えた。……侵入者の目的は不明ですが、カリキュラムか何かを探っていた可能性が高い」

「……やはり、君もそう思うかい」

 

 根津が髭を震わせる。

 

「警察には鑑識を回してもらうよ。……天土先生、君は明日の予定は?」

「明日は1-Aの救助訓練でしょう。バスでUSJ(ウソの災害や事故ルーム)へ移動と聞いてますが」

「君も同行してくれるかい? オールマイトとイレイザーヘッド、13号だけでは、万が一の時に手が足りないかもしれない。……嫌な予感がするんだ」

 

 校長からの直接の要請。

 本来なら、面倒だと断るところだ。

 バス移動は疲れるし、USJは広すぎて管理が面倒くさい。

 だが、指先に残る「崩壊」した金属の感触が、楔の防衛本能を刺激していた。

 このゲートを壊した何かが、明日、生徒たちを狙うとしたら。

 

「……分かりました。特別手当、弾んでくださいよ」

「ははは、善処するよ。頼りにしているよ、アーセナル」

 

          ◇

 

 翌朝。快晴。

 1-Aの教室前は、バス移動を前に浮き足立った生徒たちで賑わっていた。

 昨日のパニック鎮圧の功績を認められ、緑谷(みどりや)|から正式に「学級委員長」の座を譲り受けた飯田が、笛を吹きながら整列を促している。

 

「出席番号順に二列に並ぶんだ! スムーズな乗車を心がけよう!」

「飯田ちゃん、張り切ってるねぇ」

 

 生徒たちが順次、バスに乗り込んでいく。

 その最後尾に、気怠げなジャージ姿の男が続いた。

 

「……天土先生?」

 

 座席に座っていた緑谷が、驚いたように声を上げる。

 楔はあくびをしながら、空いていた最前列の補助席にドカッと腰を下ろした。

 

「おう。今日は俺も引率だ。……相澤一人じゃ、お前らの面倒見きれんだろ」

「珍しいですね。貴方が遠出の引率なんて」

 

 運転席の近くに立っていた相澤(あいざわ)が、ジト目で突っ込む。

 

「昨日の騒ぎで校長が神経質になっててな。……ま、俺はバスの中で寝てるだけだ。着いたら起こせ」

「……仕事してくださいよ」

 

 そのまま背もたれに体重を任せ懐から出したアイマスクをつけて目を閉じる。

 

 バスが発車する。

 車内は遠足気分の生徒たちで賑やかだ。

 蛙吹(あすい)梅雨(つゆ)が、隣の緑谷に話しかけている。

 

「緑谷ちゃん。私思ったことはなんでも言っちゃう性格なんだけど」

「え、あ、はい! 何かな蛙吹さん!」

「あなたの個性、オールマイトに似てるわね」

 

 ドキッ。

 緑谷がわかりやすく動揺し、硬直する。

 その様子を、最前列でアイマスクをしたままの楔は、耳だけで聞いていた。

 

(……鋭いな、カエルの子)

 

 楔は心の中で独りごちる。

 オールマイトの赴任と、緑谷の入学。

 無個性だった少年が、突然力を得て、それがオールマイトに似ている。

 タイミングとしては完璧すぎるほどの偶然だ。

 

(……ま、偶然ってのは重なるもんだ。……だが、もしあいつがオールマイトの()()を受け継いでいるとしたら、その道は茨だな)

 

 切島(きりしま)鋭児郎(えいじろう)が「でもオールマイトみたいにバキバキなんねーしな!」とフォローを入れるのを聞きながら、楔は心の中で苦笑した。

 平和な会話だ。

 だが、楔の神経は休まってはいなかった。

 懐には、圧縮土のカプセルを詰めたケース。

 もし襲撃があるなら、移動中か、現地か。

 昨日のゲート破壊犯の狙いが「オールマイト」なら、今日の授業は絶好の機会だ。

 

 しかし、肝心のオールマイトは、通勤中の活動限界により遅刻が確定している。

 つまり、現場には「オールマイトがいない」状態が生まれる。

 それが吉と出るか、凶と出るか。

 

          ◇

 

 バスが到着したのは、巨大なドーム状の施設だった。

 「ウソの災害や事故ルーム」、通称USJ。

 スペースヒーロー・13号が出迎え、生徒たちが歓声を上げる。

 

「わあー! 13号だー!」

「好きなヒーローなんだ!」

 

 麗日が興奮気味に叫ぶ中、楔はバスを降り、周囲を見渡した。

 静かだ。

 あまりにも静かすぎる。

 鳥の声一つしない。

 

「……天土先生、どうかしましたか?」

 

 13号が不思議そうに首を傾げる。

 楔は眉間に皺を寄せ、地面を軽く踏みしめた。

 

「……いや。少し、空気が澱んでる気がしてな」

「換気システムは正常ですよ?」

「そういう意味じゃなくてな……」

 

 施設の中に入る。

 広大な演習場。水難ゾーン、火災ゾーン、山岳ゾーン。

 13号が「個性」と「人命救助」についての高説を垂れている間も、楔は最後尾で油断なく視線を巡らせていた。

 

 そして。

 その瞬間は、唐突に訪れた。

 

 バチッ。

 

 施設の照明が、一瞬だけ瞬いた。

 電力の供給が不安定になったかのような挙動。

 同時に、中央広場の噴水付近の空間が、歪み始めた。

 

「……!」

 

 誰よりも早く、楔が反応した。

 彼は懐からカプセルを取り出し、前に出た。

 

「相澤!! 生徒をまとめろ!!」

「……え?」

 

 相澤が振り返るのと同時。

 空間に黒い霧のような穴が開き、そこから不気味な手が伸びてきた。

 一つ、二つではない。

 ぞろぞろと、湧き出るように溢れ出す異形の集団。

 その数、数十。いや、もっとか。

 殺意の塊のような悪意が、USJの空気を支配する。

 

「……ヴィラン!?」

 

 生徒の誰かが悲鳴を上げた。

 13号が立ち尽くす。

 相澤がゴーグルに手をかける。

 だが、楔は既に動いていた。

 彼は生徒たちの前に立ち塞がり、手にしたカプセルを地面に叩きつけた。

 

 パァン!!

 

 弾けたカプセルから土が溢れ出し、楔の個性によって瞬時に変形する。

 現れたのは、分厚い鋼鉄の「バリケード」と、数本の鋭利な「鉄杭」。

 

「一歩も動くなよ、ヒヨッコ共」

 

 楔の声は、いつもの気怠げなものではなかった。

 低く、冷たく、そして絶対的な「防衛者」の声。

 その背中から放たれる凄まじい威圧感に、パニックになりかけた生徒たちが息を呑む。

 

「……授業参観にしては、随分と質の悪いゲストが来たもんだ」

 

 楔はギラリと目を光らせ、黒い霧の奥に潜む「何か」を睨みつけた。

 嵐が、来た。

 

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