USJの入り口付近は、鉛の暴風圏と化していた。
その六本の銃身が高速回転し、毎分四千発を超える発射速度で吐き出される弾丸の群れは、もはや点ではなく線となり、空間を塗り潰す鉄の壁となって
本来、黒霧の個性『ワープゲート』は、物理攻撃を無効化する性質を持つ。
自身に向けられた攻撃を、霧状の身体を通して別の空間へと転移させるその能力は、防御において無敵に近い。
だが、いかなる個性にも「許容量」という限界が存在する。
楔が狙ったのは、まさにそこだった。
(……座標指定、転送処理、霧の展開。それら全てに脳のリソースを使うはずだ。なら、処理落ちするまで負荷をかければいい)
楔はあくびを噛み殺しながら、トリガーを引き絞る。
弾丸の一発一発が、コンクリートを砕くほどの威力を持つ重機関銃弾だ。
それを数千、数万発と絶え間なく浴びせられれば、ワープの座標指定が追いつかなくなる。
事実、黒霧の霧は揺らぎ、いくつかの弾丸が実体――首を守るプレートや、霧の奥にある肉体――を掠め始めていた。
「……ッ、なんという、デタラメな……!」
黒霧の焦燥を含んだ声が漏れる。
こちらの狙いに気づいたのだろう。だが、気づいたところでもう遅い。
楔の足元からは、次々と土が供給されている。
薬莢が地面に降り注ぎ、金属の山を築いていくその光景は、一個人が保有していい火力を遥かに超えていた。
「物理無効? 関係あるか。実体がないなら、空間ごと削り取るまでだ」
楔は無表情のまま、淡々と事務作業のように攻撃を続ける。
その瞳は、まるで工場のライン作業をこなす作業員のようだ。
そして、その圧倒的な弾幕の裏で、本来の目的を果たす時が来た。
「……おい、委員長」
楔は視線を動かさずに声をかけた。
「は、はい!」
「道は開けた。さっさと行け」
その言葉は、エンジンの点火合図だった。
飯田が地面を蹴る。
その速度は、トップスピード。
黒霧がそれに反応し、霧の一部を触手のように伸ばそうとするが、楔は左腕のチェーンソーでその退路すら断ち切る。
さらに
飯田天哉という名の弾丸が、入り口の扉を突き破り、外の世界へと飛び出した。
非常ベルの音が遠ざかっていく。
それは、この閉鎖空間に穿たれた希望の風穴だった。
「……チッ。逃げられましたか」
黒霧が悔しげに揺らぐ。
任務失敗。
増援を呼ばれれば、プロヒーローたちが大挙して押し寄せる。
この襲撃作戦における「ゲームオーバー」のカウントダウンが始まったのだ。
「さて、と」
楔はガトリングの回転を止め、銃口から立ち昇る白煙を手で払った。
飯田は逃がした。第一段階クリアだ。
だが、黒霧はまだそこにいる。
「お前はどうする? ここで俺たちに削り殺されるか、それとも親玉の元へ帰って泣きつくか」
挑発というよりは、確認作業に近い口調。
黒霧の黄色い瞳が、細められたように見えた。
「……貴方は危険だ。ただの教師ではない。その火力、その判断力……まさか、
「今はただの冴えない地理教師だ。……とっとと消えろ、邪魔だ」
黒霧は一瞬だけ逡巡する素振りを見せたが、すぐに霧となって拡散した。
生徒たちを狙う気配はない。
彼の優先順位が変わったのだ。
ここでの戦闘に見切りをつけ、広場にいる主――
空間が歪み、黒霧の姿が消える。
「……行ったか。やれやれ」
楔は大きく息を吐き、両腕の武装をボロボロと崩して土へと戻した。
緊張の糸が緩む。
背後では、
だが、楔に休息の暇はない。
彼は入り口のテラスから、眼下に広がる中央広場を見下ろした。
そこでは、黒ずくめの男――
◇
中央広場。
そこは暴力の坩堝だった。
相澤の捕縛布が蛇のように舞い、ヴィランたちを次々と無力化していく。
彼の個性『抹消』は、集団戦において絶大な制圧力を発揮する。
だが、多勢に無勢。疲労は見え始めていた。
楔はテラスの手摺りに足をかけ、その戦況を冷静に分析する。
手には、床のタイルを剥がして生成したスナイパーライフルが握られている。
(……相澤の動きが悪くなっている。個性の使用間隔が短くなり、髪が下りる頻度が増えている。ドライアイの限界か)
そして、敵の分析。
雑魚ヴィランは問題ではない。
問題なのは、広場の中心で異様な存在感を放つ二つの影だ。
(……あの全身手の男。あれがリーダーか。子供のような癇癪と、殺戮を楽しむ異常性。……そして、後ろの黒い怪物。あれはなんだ?)
脳味噌が剥き出しになった巨体。
微動だにせず、ただ命令を待っているだけのような不気味さ。
楔の直感が警鐘を鳴らす。
あれは生物としての何かが欠落している。
まるで、人工的に作られた生体兵器のような。
筋肉の質感、骨格の太さ、立ち姿。どれをとっても「強さ」のみを追求してデザインされた化け物。
(……面倒なもん連れてきやがって)
楔がスコープを覗き込んだ、その時だった。
死柄木が動いた。
相澤の一瞬の隙――瞬きによる個性の解除――を突いて、懐へと飛び込む。
パンッ。
乾いた破裂音と共に、死柄木の足元の地面が弾けた。
楔による威嚇射撃。
死柄木の動きが止まり、苛ただしげにこちらを見上げる。
「……チッ。あっちの先生は随分と過保護だな」
死柄木が不快そうに舌打ちをする。
その背後に、黒い霧が現れた。
「死柄木弔」
「黒霧か。13号はやったか?」
「逃げられました。……一名、生徒に脱出を許しました」
その報告に、死柄木の動きがピタリと止まる。
カリカリカリ……と、首を掻く音が激しくなる。
あからさまな動揺と、憤怒。
「……はあ? 黒霧、お前……ワープゲートだろ? なんで逃がしてんの?」
「申し訳ありません。……あの地理教師、厄介です」
死柄木が、憎々しげにテラスの楔を睨み上げる。
その目は、ゲームに負けた子供がコントローラーを投げつける直前のような、理性の欠けた色をしていた。
「……ああ、そう。ゲームオーバーだ。増援が来たら勝てない。……帰ろう」
唐突な撤退宣言。
広場の水際で、様子を窺っていた
相澤もまた、警戒を解かずに距離を取ろうとする。
だが、楔は銃を下ろさなかった。
むしろ、気怠げにため息をつきながら、次弾を装填する。
(……帰る? これだけの戦力を投入して、何も成果を得ずに? ……いや、違うな)
あの手の男からは、そんな諦めの良さは感じられない。
自分の思い通りにならなかった世界を壊したがる、幼稚な破壊衝動。
負け惜しみでもいい、何か一つでも壊して帰らなければ気が済まないはずだ。
その矛先は、どこへ向く?
「……けどもその前に」
死柄木が、ゆらりと向きを変えた。
その視線の先には、オールマイトでも、プロヒーローでもない。
最も柔らかく、最も未来ある存在。
水際で身を潜めていた、三人の生徒たち。
「平和の象徴としての矜恃を少しでもへし折って帰ろう!」
その言葉と同時だった。
死柄木の姿が掻き消えた。
いや、黒霧のワープゲートを介して、瞬時に空間を跳躍したのだ。
現れたのは、蛙吹梅雨の目の前。
「――ッ!!」
蛙吹が反応する暇もない。
死柄木の手が伸びる。
その五指が、少女の顔面に触れようとした。
緑谷が手を伸ばすが、間に合わない。
相澤が血まみれの顔を上げ、執念で個性を発動し、死柄木の「崩壊」を消す。
だが、個性は消せても、大人の男の腕力までは消せない。
死柄木の手が、蛙吹の顔を掴み――。
さらに、その横から黒い影が迫る。
脳無だ。
主の殺意に呼応し、緑谷を粉砕しようと拳を振り上げている。
絶体絶命。
誰もが死を覚悟した、そのコンマ一秒。
ドゴォォォォォォォン!!
天井が落ちてきたかのような重厚な音が響き、死柄木と生徒たちの間に「鉄の壁」が突き刺さった。
いや、壁ではない。
それは巨大な鋼鉄の杭。
テラスから飛び降りた楔が、空中で生成し、落下の運動エネルギーを全て乗せて叩き込んだ超重量級のパイルバンカーだ。
土煙が舞う中、楔はその身一つで脳無の拳と、死柄木の手を受け止めていた。
正確には、パイルバンカーの装甲で脳無を受け止め、死柄木の手首を自身の左手でガシリと掴んでいる。
その表情は、怒りというよりは、面倒ごとの処理に追われる会社員のような憂鬱さに満ちていた。
「……あー、重い」
楔は至近距離で死柄木を見下ろした。
死柄木の赤い瞳が、驚きに見開かれる。
「……先生、どうして」
「授業の邪魔だ。……生徒に触るな、書類仕事が増えるだろ」
楔は死柄木の手首を握り潰さんばかりの力で締め上げ、同時にパイルバンカーの杭を射出した。
至近距離からの炸裂。
脳無が弾き飛ばされ、死柄木が舌打ちをして距離を取る。
「……下がれ、緑谷。相澤を連れていけ」
楔は生徒たちの方を見もせずに言った。
「せ、先生……!」
「ここは子供の遊び場じゃない。……さっさと失せろ、邪魔だ」
冷たい言葉。
だが、その背中は、どんな言葉よりも雄弁に「守る」という意志を語っていた。
楔は首をコキリと鳴らし、脳無と死柄木を前にして、ポケットに手を突っ込んだ。
「さて、と。……残業代、たっぷり請求させて貰うぞ」