「キース!どうだ!神父の肩車なんかより!俺の肩車の方が!絶対に楽しいぞ!」
「わー!まますごーい!」
教会の中でキースを肩車した俺は激しい動きで走り回る。額から汗が流れて息も絶え絶え、顔は真っ赤である。し、死ぬ。首が死ぬ。
「レイさーん?あまり無理しない方がいいんじゃないですかぁ?キースくんもね、僕の肩車の方がいいに決まってますよ。高さが違いますんで。負けを認めましょうねぇ?」
そんな必死な俺の姿を見て、にやにや笑っているのは神父だ。無駄に優雅に頬杖をついていて、なおのこと腹が立つ。この野郎……ちょっと背が高いからって調子に乗りやがってよぉ……!
「うるせぇ!俺は!勝つ!」
俺は走る。足はがくがくになり、泣きそうになりながら。くそう……疲れる……!
事の発端は簡単だ。キースが神父に肩車をしてもらっていたのだ。キースを喜ばせることに定評のあるエルフの俺は思ったね。『は?俺の方がキースを肩車で楽しませることができるんだけど???』とな。
しかし、俺も大人の余裕を兼ね備えたエルフだ。そんなことで取り乱したりはしない。悠々と、広い心で二人を眺めていた。所詮、俺の抱っこには到底及ばない塵芥。なめんなよ。
……ただ、男には負けてはならない瞬間がある。例えば神父に『あ、すみません。レイさんにはできないことを僕がキースくんにしてしまって……』と半笑いで謝り、しかもその肩車をキースが非常に、それはもう非常に興奮して楽しんでいる様子を見せられたらなぁ!?俺もなぁ!負けてられんと思ったわけだ!
……もう俺自身もなんでそんなバカなことを思ったのかわからない。で、気が付いたらキースを肩車して走っていた。
キースは喜んでいた。神父は爆笑していた。
「き、キース……俺と神父、どちらの肩車がよかった……?」
体力の限界がきて、キースを降ろした後に最終的な判断を任せる。キースの判断が全てだ。膝に手を置き、ぜぇぜぇと息を荒げながらも勝負の結果を待つ。何してんだろうな俺………
「ままのかたぐるま!まますごいがんばってた!」
「……いや、僕もそんなになりふり構わず必死に肩車する人初めて見ましたよ……いいでしょう、今回は僕の負けです。よく、やり切りましたね」
………………………………勝った!へ!肩車は高さじゃないんだよ!わかったか!両腕を思い切り天に突き出して勝利の栄光を……味わおうとしたが、支えをなくした身体はそのまま後ろに倒れていく。
「あっ」
恐らくその場にいた全員が『あっ』と言った。目の前の景色が上へと流れていく。感覚的にはゆっくりと進んでいくのだが、どうにもこうにもならない。
「ぐぇ」
そして強かに後頭部を何かにぶつけて俺の意識は遠く遠く闇の中へと落ちていくのであった。
目を開けると見たこともない天井が広がっている。どこだろう、ここ。頭が痛いけど、どうして痛いのかがよくわからない。
「ん……」
「あぁ、よかった!レイさん、気分はどうですか?」
声を掛けられた方向に目をやると、心配そうにこちらを見る若いシスターさんがいた。十代半ばだろうか、しっかりした雰囲気を漂わせる綺麗な人だ。
「一時はどうなるかと思いましたよぉ!レイさん、体力も腕力もないんですから無理しないでくださいよ。まぁ、僕が煽ったのも悪いですけど……」
次に声を掛けてきたのはは少しだけ頼りなさそうに見える神父さんだ。妙に気安い話し方をしているが、知り合い……?
「……ここ、どこですか。あと頭が痛い……」
「ここは私の部屋です。レイさんは後頭部を机にぶつけてしまったんですよ」
シスターさんが端的に状況を説明してもらい、ようやく何があったかを何となく察する。どうやら頭を打って運ばれたということらしい。確認してみると後頭部に大きなたんこぶができている。触れるとやはりというか当然痛い。
神父さんやシスターさんがいる……つまりはここは教会?運ばれるにしても、病院か診療所のような気が……
「わざわざ運んでくださり、ありがとうございます。見ず知らずなのに」
やっぱり聖職者だからなのかなぁ。親切な人たちだなぁ。
「……?レイさん?あの、何を言ってるんですか?それに口調がいつもと違いますよ……?」
シスターさんには何か違和感があるようだけど、さっぱりわからない。神父さんも何かが気になるのだろうか、見るからに怪訝そうだ。
「俺……俺ってレイって名前なんですね」
そういえばなんで『俺』って一人称何だろうか。普通は『私』の方が正しい。でも『俺』方が口に馴染んでいる。不思議だなぁ。
「……レイさーん、冗談きついですよぉ。僕もアリアも心配してるし、キースくんだって待ってるんですから。」
「ご、ごめんなさい……でも本当にわからないんです」
神父さんは怒っているわけではないけれど、思いの外背が高くて見下ろされているせいか威圧感がすごい。申し訳ないがちょっと怖い。身体がビクッとなり、固まってしまう程には。
「アリア、これってまさか」
「恐らく……」
ひそひそと内緒話をしている二人の反応と、先程までの会話で俺は何となく察した。ならば、正直に告白する方が傷は浅い。
「あの、多分です。多分なんですけど……俺、記憶がなさそうです。あなたたちのこと、何も覚えてないんです」
教会の礼拝場まで移動し、二人から色々な説明を受ける。
「ここはゴーンっていう国のキューンという町で……レイさんは森に住んでいる薬師さんなんです」
「ふぅむ。ガーランジュですらないんですか」
神父さんとシスターさんの話を総合すると、どうやらここはガーランジュから遠く離れた国のようだ。俺は地理や国名に詳しいわけではないから断言はできないが、ゴーンという国はあまり聞き覚えはないのは確かだ。
それで、森で薬師をしていると………………………………本当に全く実感がない。ガーランジュの研究所で何らかの薬の研究をしていたはずだ。
「あのぉ、レイさんの覚えている範囲って……?何もかも忘れてしまってる感じではなさそうというか。僕的にはまだ冗談が続いてる方がありがたいんですけど」
神父さんが
「覚えている範囲、ですか?……俺はガーランジュに住んでいるエルフです。そこで研究所の所長をしていて……自分で言ってて不思議ですけど、覚えている部分が中途半端な穴抜けになってますね。あと、確実に時系列がおかしい」
『レイ』という名前は全く覚えていなかったのに、ガーランジュという国名やある程度の知識は覚えている。だが時系列に関しては、少なくとも俺の記憶からは十年近くは恐らく食い違っている。正に中途半端だ。
それに……言葉にするのは難しいが、大事な部分も抜け落ちている感覚だ。自分を構成している過去が微妙に消えているのだ。特に幼少時の記憶がさっぱりだ。その結果、普段の自分ではない、色々なものが抜け落ちてふわふわして曖昧な自分になってしまった。
………………………………そして重要な部分で現実と記憶の認識がズレてしまっている。
「……それと自分でもおかしい自覚はあるんですが、俺は男だったはずなんです」
今の俺はどこからどう見ても男ではないのだけは確かだ。俺がおずおずとそう言うと、シスターさんは悩みながらも答えてくれた。
「前々からレイさんも『元々男だった』と言ってたんですが、正直どこまで本当なのかは……私たちは女性のレイさんしか知らないんです」
「なるほど……では、この際それは無視してもいいですね。俺自身の認識はそうであるだけで、身体に違和感はありません。使い慣れている、そんな風ですので」
俺自身がおかしなことを言うエルフだったに過ぎない。そう納得する方が建設的だし現実的だ。
「いや、でも記憶がないだけでここまで変わってしまうものなんですか?レイさん、演技してるんならそろそろ終わりにしましょうよぉ。こんなに冷静で他人行儀なレイさんは僕も及び腰になっちゃいますってぇ」
「いいえ、神父さん。俺も表には出さないだけで内心不安でいっぱいなんです」
未だに疑いの目を向ける神父さんに俺は伏し目がちに答えるしかない。
「………………………………アリア、これ危険ですよ。煽りや強めの言葉が飛んでこないのが物足りなくなってしまっている!その一方で普段との言動とのギャップがなかなか効きますよ!」
「神父さま……」
落ち込んでいる雰囲気を感じ取ってくれたのか、神父さんが場を和ますために色々茶化してくれている。ありがたい。
そうだ、俺もいつまでも落ち込んではいられない。これからどうするかを考えていくべきだろう。といっても、方法なんて限られている。気を取り直して二人に向かって、自分の考えを述べることにした。そしてその方法の準備を。
「すみません。少しいいですか?俺もようやく状況を飲み込めました」
椅子から立ち上がり、二人から離れた場所へ歩いていく。その方法は直前で止められてはいけない。そのためには神父さんとシスターさんの元から離れる必要がある。
何を話すのだろうかと座って待ってくれているので、こちらとしてはとてもありがたい。
「レイさん?」
それでもシスターさんは俺がその場ではなく、離れた場所に行こうとするのに疑問を持っているようだが。まぁ別に構わないだろう。
話を聞く限り、俺は机に頭をぶつけたことが原因で不可思議な状態に陥っている。ならばさっさと普段の俺に戻った方がいいだろう。
「要は後頭部を勢いよくぶつけたことによって、様々な記憶が飛んだり、混濁した状態……そんな状況なわけです。つまり俺は一時的な記憶喪失になっているんですね。恐らくですけど」
「まぁ……そうでしょうね。でもそっちに行く必要あります?」
「神父さん、いい質問です。永続的ではない一時的な記憶喪失とはいえ、いつも元に戻るかわかりませんよね?それではあなたたちも接し方とか他にも色々と困るでしょう?なので、俺は状況の再現に賭けてみようと思います」
これなんかいいかな?あ、よく見るとちょっと血が付いてる。ここで俺は頭をぶつけたんだろうなぁ。うんうん。高さや硬さもこの机がちょうど良さそうだ。再現するには同じことをするのが一番だ。この辺から倒れたのかな。じゃあ位置を調整して……
「神父さま!」
「わかってますって!」
でも少し、緊張するなぁ。事故ならともかく、自分でやるとなると。まぁいいや。せーのでやろう。
せーの!
………………………………来るべき衝撃に備えて目を瞑っていたが、何も起こらない。ちらりと目を開けて様子を窺うと、神父さんに抱きかかえられていた。頭をぶつける寸前で止められてしまったようだ。神父さん、意外と足が速い。
遅れてシスターさんもやってきたが……二人ともわかりやすいくらいに怖い顔をしている。
「レイさん!!!なんでそんなに無駄に!思い切りがいいんですか!バカ!神父さまが間に合ってなかったらどうするつもりだったんですか!えぇ!?」
「アリアが怒ってくれてるんで僕はとやかく言いませんけどね!でも、もう、本当に……寿命が縮まるんで……金輪際止めてください。死にたいんですか」
ごもっともな意見だ。でも、これ以外に方法も思いつかないかったんだから仕方ない。目を逸らしてみるが、全くもって効果はない。針の筵とはこのことだ。
「あなたに何かあったら!キースはどうなるんですか!?わかってるんですか!?あぁ、覚えてないんでしたっけ!?」
「キース?」
そういえば初めの方でその名前が出ていたような気がする。親しい人物なのだろうが一体誰のことなのか、俺は覚えていない。
「そうですよ!ちょっと僕はキースくんを連れてきます。もしかするとキースくんを見れば思い出すかも。アリア、少しの間だけレイさんを頼みます」
「わかりました。レイさん……!本当にこんなことするのは止めてください……!」
神父さんがキースくん?を連れてくる間中ずっと、シスターさんには泣きながらずっと抱き締められたままだ。これが一番手っ取り早いと思ったけど、間違いだったようだ。これは俺の落ち度だな。
少しして神父さんが連れてきたのは銀髪という珍しい髪色をした幼児だ。
「ほら!レイさん!キースくんを連れてきましたよ!」
「まま?だいじょーぶ?だいじょーぶ?」
「………………………………」
小さくて可愛いキースくんは俺のことを『まま』と呼んだ。呼び方はともかく、俺はこの子の保護者なんだろうな。その経緯も全くわからないが。
だが俺も真剣に答えるべきだろう。ちょっとだけ微笑んで俺は答える。
「………………………………ごめんね。神父さん、シスターさん、キースくん。やっぱり何にも思い出せないや」
これは………………………………本当に困ったなぁ。