「……」
そもそもの発端になった頭の怪我に手で触れてみるが、その怪我は既にきれいさっぱりと治っている。傷跡もない。痛みも全くない。
結局、数日経っても元々あったであろう記憶が戻ることはなかった。
時間が経てば……と一応希望を持っていたが、ここ数日の感覚ではそれもあまり期待できない。あくまで感覚的なものではある。
ただ一向に回復の兆しが見えることなく、時間だけが過ぎていくのが現状となっている。
現在の俺は『今までの経験』というものの多くが抜け落ちてしまっている。が、その経験がなくなった一方で経験したうえでの結果だけは残っている状態だ。要は学習した記憶とでもいえばいいのか。それらはしっかりとこの身に沁みついている。
具体的には薬や魔法の知識、生活には全く困らない程度のその他一般的な常識は残っている。そしてガーランジュに住んでいた頃の記憶もところどころ穴抜けになってはいるが、多少は残っている。
覚えている最新の部分……と胸を張って言えるのはガーランジュの研究所の所長をしていたことまでだ。そしてそこから時間がいきなり飛んでいるような不思議な状態と言えばいいのか……そんな感覚である。
残っていないのはこの国で過ごしたはずの日々の記憶と……『自分らしさ』とも呼ぶことができる部分だ。何というか……性格の方向性を決定づける、幼少時の記憶に激しく靄がかかっている?そんな感覚だ。恐らく、大事な記憶だったはずだ。
その部分が消えているせいなのか、かなり性格の違いがある……と周囲の反応からも判断できた。さらにシスターさん……もといアリアさんに聞くと、記憶喪失以前の俺はもっと見栄っ張りで、褒められたがりで、そして少しだけ子どもっぽかったらしい。
それだけ聞くと『えぇ……?』と困惑する性格評だが……どういう経緯でその性格になったのかすら俺には見当もつかない。
目覚めた直前よりも詳しい状況を把握し、ほんの少し時間が経った。そのうえで思うのだ。
………………………………このまま。もしもこのままならば、俺がここにいる意味はあるのだろうか。
……よし。やはり、記憶が戻る可能性があるのにそれをしないのは間違っている。やるだけやってみよう。気持ちを新たにし、俺は行動に移した。
「レイさん?今、何をしようとしていました?」
俺は教会の人たちに見つからないように隠れてこそこそと品定めをしていたが、当然の如くアリアさんに発見された。
何故なら記憶喪失になってから今の今までの間、この教会でキースくんと共に寝泊りをしているのだ。さらに行動自体を教会周辺で済ませるように厳命されている。
理由?『今のレイさんを放っておくと危ない方向に突っ走りそう』とのことだ。俺は大人だから、そこまで心配する必要はないはずだが……ん?どうして今『大人だから』と思ったのだろう……
まぁそんなことはどうでもいい。まずはアリアさんの意識を俺から逸らさなければ。
俺は何でもないように手を振り、冷静に答える。
「アリアさんお気になさらず。ただ少し、この机の触り心地がいいなぁと。あと、ほら。ここの角の尖がり具合……頭をぶつけてみると記憶が戻りそうな形をしてると思いません?」
「はい。ダメ。せめてもっと隠す努力をしてくれませんか……?」
ふむ、ダメだったようだ。
「私たち、約束しましたよね。記憶を戻すのに、危ないことはだけはしないようにって」
「確かに約束はしました。ですが、やはりこれが一番手っ取り早いと。それに初めにぶつけた一度目で記憶喪失になったんです。記憶を戻すために二度、三度試してみる価値はあります。多分大丈夫です。痛くても泣きません」
ここ数日過ごしてきて、記憶が戻ってくる気配すらないのだから仕方ない。多少危なかろうが、やれることはやらなければ。
「記憶が戻らなくて焦る気持ちはわかります……ただ、レイさんが自分自身の身体を故意に傷つけようとするのなら私は止めます。最適解であったとしても」
「……それはどうして?」
俺はアリアさんのことは覚えていない。だけど今の短い付き合いしかない俺を甲斐甲斐しくサポートしてくれる良い人だと思う。
でも、アリアさんも俺の記憶が戻って欲しいはずなんだから。
「もしも打ち所が悪ければ?もしもそのせいで今よりも取り返しのつかないことになったら?レイさんは、その部分を軽視し過ぎています」
「言ってしまえば可能性の話、そのリスクをとってもやる価値はある、俺はそう思います」
俺も最悪の場合を考えていないわけではない。それでも、である。
「アリアさんも早く元に戻って欲しいと思っているはずです。そうでしょう?」
「………………………………ふふ、記憶があろうがなかろうがレイさんの鈍感さは変わりませんね。ちょっとだけ安心しました」
「へ?」
俺が想像していた『今すぐにでも戻って欲しい』という返答はなく、アリアさんは優しい微笑みを浮かべていた。
「もちろん、レイさんの記憶がこれから先も戻らないのであれば寂しいですよ?それは私にとっても、キースにとっても、誰にとっても当たり前の話です。でも……今まで過ごしたここでの記憶や私との記憶が永久に眠ってしまっても、レイさんはレイさんです。私はそう思います」
アリアさんが真っすぐにこちらを見つめる。慰めではない、その真っすぐで何かを信じている目線に俺は耐えられず、思わず顔を逸らしてしまった。どうしてそんなことを言ってくれるのかが俺にはわからないのだ。
「よく、わかりません。だってアリアさんが親しかったのは記憶のあった時の俺ですよ?あなたとの信頼の積み重ねも、あなたと過ごした日々も、何もかも思い出せない今の俺ではありません……」
これこそ事実だろう。アリアさんにとっては今の俺は別人そのものだ。アリアさんが知っている俺では……
「レイさん、私を見損なわないでください。積み重ねたものが完全に崩れたとしても、決して二度と同じような形にはならないとしても……また積み重ねていけば良いだけの話です。何度でも。鬱陶しがられようとも」
しかし、はっきりとした強い意思のこもった言葉でアリアさんが断言した。アリアさんは自分の発言を何一つ疑っていない。恐ろしいほどに力強く、芯がある者にしか出せない覚悟だ。
「でも、それにはレイさんが元気でいてくれないとダメなんです。だから、レイさん自身が自分を大切にしてください。自分から先走って危ないことをしないで……レイさんが傷つけば、悲しむ人がいくらでもいるんです。少なくとも……私がその一人だから」
………………………………ここにきて、ようやく気が付いた。いや、そもそも一番初めの段階からではないか。
俺は元に戻ろうと焦った行動を取り、アリアさんを始めとする周囲に対して心配をかけている。俺が痛いだけで済めばそれでいい、とは間違いではないが正しくはない。頭をぶつける再現をしようとし、それを必死に止めてくれたあの時の反応からもわかっていたはずなのに。
「……すみません。軽率な行動を取っていました。反省、しています」
「そうしてください。レイさんのそういうところ本当に全く褒められませんからね!」
アリアさんは眉間に皺を寄せ腰に手を当て、あからさまに『私、怒っています!』というポーズを取る。それを見て心配をかけてしまっているなと思う一方、俺は焦らなくてもいいんだなとも思えるのだ。
「それにね、レイさん?記憶喪失と言っても、きれいさっぱり消えてなくなるわけではないと思うんです。今はいつもよりも奥で眠っているだけで、何かのきっかけ次第で簡単に起きてくる。例えば……」
そう言うとアリアさんが急に脈絡もなく、俺のことを正面からぎゅうっと抱きしめてきた。なんで?
「どうです?何か言いたいことってありますか?」
色々と言いたいことはある。どうして急に抱きしめてきたのかとか、この子背が高いなぁとか。
「アリアはいつまで経っても、甘えん坊だなぁ……ってあれ?」
思い浮かんだものはたくさんあった。だけど口から出てきたのはそんなこと。記憶のない俺からは出てくるはずのない、無意識に出てきた言葉だ。
無理に思い出そうとして出てきたわけではない。ただ言い慣れた思いが紡ぎだされたのだ。ほんの少しだけ俺のことを思い出せた気がする。
「アリアさん……!少しだけ、少しだけ思い出せた気がします……!」
「ほら、言った通りでしょう?思い出すにしても、一つずつでいいんですよ。でも……思い出すとしたら、まずは私に関係する何かだと嬉しいですけどね?」
アリアさんが頬を少し赤くし照れた表情になっているのを俺は上目遣いで見る。この子、すごいなぁ。でも確かにきっかけさえあれば………色んなことを試してみよう。もちろん危険なことを除いて、だ。
「レイさん、見せつけてくれるじゃないですかぁ」
アリアさんとの会話の後、何となく座っていた俺のところに来たのは神父さんだった。どうやらどこかに隠れて観察されていたみたいだ。
「見せつけるって……神父さんからかわないでください。アリアさんは俺のために恥ずかしいのを我慢して抱きしめてくれたんですよ?」
「記憶があろうがなかろうが、その辺は変わらないですねぇ。ま、それはそれで安心しました。その方がレイさんっぽくていいですよ」
神父さんは自分だけで納得してしまった。むぅ。まぁいいけど。
そうだ、せっかくだ。神父さんにも色々と協力してもらおう。何かをまた思い出すためのきっかけ作りだ。先程のアリアさんと同じことをすれば……
「神父さん、神父さん。嫌かもしれませんが、お願いしたいことがあります」
「悪態をつかないレイさんは新鮮ですねぇ。もちろんいいですよ。嫌なんて言いませんから、何でもどうぞ」
「では……はい」
俺は神父さんに向かって大きく手を広げる。神父さんはというと困ったように笑いはするが、何が何だかわからない表情で首を傾げている。俺の意図は伝わっていない。
「つまり?」
「説明なしではわかりにくかったですよね。えぇっと、俺を抱きしめてください。ぎゅうっと」
「はい???」
神父さんが困惑する気持ちは当然理解できる。理由もわからずに抱きしめてくれと頼まれてもいきなりするのは難しいはずだ。
「神父さんも先程のアリアさんとの一幕は見ていましたよね?アリアさんに抱きしめられると、以前の俺を少しだけ思い出せた感じなんです。なので、神父さんに抱きしめられると何か思い出せるかもしれません」
「………………………………うーーーーーーん」
神父さんは目元を片手で覆いながら天を仰ぎ、唸り始めてしまった。
「ダメ……ですか?」
神父さんが嫌だと言えば仕方ないし、当然俺も強制できない。だが何かしらを思い出せる可能性はあるのも事実だ。やれることは何でも試してみたい。
「いえ!ダメではないんです……けどぉ」
「なら!はい!抱きしめてください!」
はい!ともう一度大きく手を広げて催促をする。しかし、ダメではないと言ってくれた割には悩んでいるようだ。どうしたのだろう。
……!そうかわかった。俺も配慮が欠けていたのだな。
「すみません、配慮に欠けていました……この身体は女性と言えども、俺はそもそも男です。抱きしめるという行為は同性相手ではなかなか難しい。そうですね?」
「……そうじゃなくて…………………………逆に聞くんですけど、レイさんは本当にいいんですか?僕、自分で言うのも何ですが、割とくたびれた男ですよ?抵抗感とかは?」
「神父さんは良い人です。特に抵抗感などはありません」
おかしなことを聞く人だ。前提として俺が失礼を承知で頼んでいる側なのだから、抵抗感などは微塵もない。
「……うーーーーーーーん。じゃあいいんですかね……?」
「はい。神父さんが構わないのでしたら」
よかったよかった。これで何か思い出せるかもしれない。
「じゃあ……」
「はい!お願いします!」
恐る恐るといった様子の神父さんが俺を正面からゆっくりと抱きしめる。むぅ。流石はかなり背の高い男性だ。俺がすっぽりと簡単に収まってしまった。しかし、何かを思い出した気配はない。どうしてだろうか。
「レイさん?もういいですか?いいですよね?」
アリアさんの抱きしめと比較してみると、なるほど。違いを発見した。力強さと密着力が足りていない。アリアさんはぎゅうっとしてくれていたが、神父さんはふんわりだ。触れるか触れないかの狭間である。
「神父さんもっと密着できますか?それともう少しぎゅうっとお願いします」
「いやぁ、それはちょっとぉ……」
ふむ。よくよく見れば神父さんは及び腰だ。もしかするとかなりの体格差あるために神父さん側からは抱きしめにくいのかもしれない。これではいけない。ならば、俺からだ。
「こちらから失礼しますね」
「ちょっ」
俺からぎゅうっと顔と身体を押し付けて抱きしめてみる。なんだか硬い木にしがみ付いている感覚に似ている。とりあえずしばらくこれで様子見だ。
ふむふむ。ある程度の時間が経ち、これくらいでいいかと神父さんからすぅっと離れる。そして何故か魂が抜けたかのように固まってしまっている神父さんに対して結果を発表する。
「すみません。ピンときませんでした」
「あれだけやっといて!?」
密着した状態でぎゅうっとしてみたり、匂いを嗅いでみたり。色々と試してみたが、特に何かを思い出した感じはしない。
「レイさん……いくら僕が心の広い神父だからといってやって良いことと悪いことが」
「不快な思いをさせてしまって申し訳ありません……」
「……いや、別に不快とかじゃなくてですね?これ、直接説明すべきなのかの判断が難しいなぁ!もう!」
神父さんの表情がコロコロと変わっていて面白い。俺の記憶喪失以前はこういったやり取りがあったのだろうか。そうだと楽しかっただろうなぁ。
………………………………神父さんにも聞きたいことがある。
「神父さん」
「はいはい、何ですか」
「神父さんは俺に早く元に戻って欲しいですか?」
アリアさんにも聞いた質問だ。
「そりゃあ戻って欲しいですよ。『早く』の部分は気にしませんがね。友人としては何だかんだ忘れられているのは寂しいですからねぇ」
「友人?」
「そう、友人。心配しないでも、僕は記憶喪失になったくらいで友人じゃない!なんてほざく薄情者ではないですって!」
神父さんは何でもないように言ってのけた。友人……かぁ。そうか、俺たちは友人だったんだ。それって結構嬉しい。
「フフン!神父はさぁ、見る目があるよ。また今度、精力剤でもおまけして……んー?」
「あっ!ほらほら!口調が戻ってますって!段々と思い出してきてますよ!!」
また、無意識のうちに出てきた言葉に自分でも驚く。神父さんもほら!と喜んでくれているが、それ以上に気になる部分もある。
「あの……俺はどうして神父さんに精力剤を……?」
「………………………………この哀れな友人に情けをかけてくれるなら、その件は触れないでもらえるとありがたいです」
その後は教会の子どもたち、何故か交流のあるらしい町の警備の人たちを始めとする教会周辺の町の人たちとも話してみるが、記憶の戻りはあまり芳しくない。ただ何となくではあるが、少しずつ以前の自分のことを見つめ直すことができている気がする。
一つ言えるのは以前の俺はなかなか癖の強いエルフだったようだ。偉そうだったり、普通に不審者扱いだったり……本当に色々だ。それでも、割と受け入れられていた。この町の人たちは懐が広いんだなぁ。
そうして皆と話をし、俺はようやく決心がついた。俺がちゃんと話さなければならない人がいるのだから。
俺はアリアさんに連れられて、教会の居住スペースにいるキースくんに会いに行くことにした。
広い居住スペースの中で、教会の子どもたちと元気に遊ぶ姿を入り口近くで眺める。キースくんは俺の姿を見るや否や、すぐに駆け寄ってきた。綺麗な銀色の髪が光に反射し、きらきらと宝石にも負けないくらいに輝く。
「まま!だいじょーぶー?あたまいたくないのー?」
「もう大丈夫だよ。キース、寂しくなかったかー?」
「うん!みんないて、きぃもいるもん!」
事前に教えてもらった口調を真似しながら会話を続ける。
キースくんはというと嬉しそうに使い魔のキィの頭を撫でている。キィは俺を見上げて、ただ見つめるだけだ。俺は大きく深呼吸をする。この様子なら『思い出せない』とキースくんの目の前で言ったことは、流されているはずだ。
大丈夫だ。キースくんのことはきっと思い出せる。
数日前にキースくんと初めて会ってから、その後はできるだけ会わなかった。いいや、会えなかったというのが正しい。
保護者である俺が、キースくんのことを覚えていないと完全に気づけば……小さな子どもであるキースくんは傷つくのではないだろうか。俺が同じ立場なら……傷つくと思う。
「レイさん。もしもキースのことを思い出せなかったとしても、気を落とさないでください。時間はあるんですから」
アリアさんが小声で囁く内容に頷く。だけどそれではダメなんだ。キースくんは小さな子どもで、しかも俺がその子の保護者代わりで……だからせめて、せめてキースくんだけは絶対に思い出さなければならない。
「まま?おうちにかえろー?」
ねぇねぇと服を引っ張るキースくんの頭を撫でてあげる。そうするとくすぐったそうにしながらも満面の笑みになる。
………………………………あぁ。
「うーん、もしかするともう少し時間がかかるかもしれないんだ。ちょっとな」
「えー」
「ごめんなぁ。でもきっと平気だからさ。そうだ、抱っこしてやろうか」
「やったぁ!」
キースくんは抱っこが好きらしい。好き、らしい……
「よっと……重いなキース。大きくなったんだなぁ」
小さな赤ん坊の頃に森で拾ったそうだ。その頃は今よりもずっと軽かったんだろうなぁ。
「まま?」
あまり人見知りをしない元気な子だと聞いた。色んなことを覚えて、おしゃべりも上手になっていったとも。
「ん?キース、どうした?」
歩くのだって、きっと。以前の俺は育っていくのを楽しみに。
「……まま、なかないで」
「え、あ」
涙がただただ流れていく。何も、何一つ思い出せない。どれだけキースくんの今までのことを聞いてみても、どれだけキースくんに触れてみても、何も思い出せないんだ。
でも、もう少しなんだ。きっかけさえあれば……掴めそうで掴めない。ここで逃せば手の中からすり抜けていく。でも………………………………届かない。
己の不甲斐なさ、きっと大丈夫だと踏んでいた思い上がり、そして……キースくんに対する申し訳なさだ。
今の俺はキースくんから保護者を奪ってしまっている。それが、何よりも辛い。
「まま、いたいの?」
「キース……大丈夫だ……違うんだ。心配しないでくれ」
痛い。キースくんが心配そうに俺を見る目が痛い。悪いのは俺なのに、ぽたぽたととめどなく流れる涙を拭いてくれるキースくんの健気さが痛い。
傷つけたくないのに、このままではキースくんの心を傷つけてしまう。それが恐ろしくてたまらない。
「なかないで、なかないで」
「……ごめん。ごめんなさい。俺は、俺は……」
「レイさん……少し、休みましょう。ね?」
キースくんを抱き上げたまま、どうしようもなく泣くしかない俺をアリアさんが慰める。でも、嫌だ。
「大丈夫だから、あと少しなんだ。あと少しで思い出せるから……」
多分、ここで思い出せなければもう一生そのままな気がする。いや、多分でも、気がするでもない。そんな確信がある。
俺は嫌だ。俺はキースくんを忘れたままで生きていたくない。後悔を残したままで生きても意味はない。だからこれが最後のチャンスなんだ。
……でも、俺一人では不可能なのも自覚している。それでも……諦めるわけには。
「まま……」
………………………………最後の最後に頼るべきなのは。
俺はキースくんを床に降ろし、目を合わせるために屈む。涙はキースくんが拭ってくれた。もう大丈夫だ。
「キース?我慢してたけどやっぱりぶつけたところが痛いんだ。まだ痛くて痛くて、泣いてしまった。だから……」
「うん」
こんなことをしてもどうにもならないかもしれない。でも、どうにかなるかもしれない。
怪我は既に癒えている。記憶なんてほんの少しのきっかけで戻ってくるというのは、今までの皆との交流からもわかっている。ならば、賭けてみようではないか。
「……キースからぎゅっと抱きしめて欲しい。それで痛くなくなるはずだからさ」
「いいよ!」
俺が泣いているのを心配し、そして戸惑っていたキースくんの表情は笑顔へと変わり、了承の意を示すように大きく縦に頷いてくれた。
屈んでいる俺に向かってキースくんは小さな両手を広げて歩み寄る。可愛らしい笑顔だ。その笑顔が曇ることは許されない。記憶がなかろうがそう思うというのは……多分正しいこと何だろう。
だって、そう思うのが間違いなら、世界に正しさなどない。
ただ俺はキースくんが抱きしめてくれるのを待つ。これではどちらが子どもかわからない。でも、それでいいんだ。今の俺にはキースくんに関する記憶がない。だが、記憶は消え去ったのではなく、眠っているだけだ。
確信めいたものがある。根拠は何もないけど。自信を持って言える。
キースくんは俺の首元に勢いよく、そして元気いっぱいに飛びつき。そして心の底から楽し気に抱きしめてくれた。
「まま!だいすきー!」
「あぁ!俺もだ!」
最後にもの言うのは、俺とキースとの間にある切り離せない愛だろう。
しばらく、キースがぎゅっと抱きしめてくれるのを俺は堪能している。これはやべぇな。リラクゼーション効果がすげぇ。おっと。俺たちはいいかもしれんが、近くで見ているアリアはよくわからないだろう。
「なぁアリア。愛情って与えるものじゃなくて、感じるものなんだっけ?確かに感じたぜ、キースからの愛情をな」
「レイさん記憶が……よかった……本当に」
「おいおい!泣くなよぉ!でも……ありがとうな」
アリアが泣いてしまった。やはりなんだかんだで気を張らせてしまっていたんだなぁ。うぅむ。申し訳ねぇな。
「まま!」
「キースぅ!もうなんか久しぶりな感じだよなぁ!キィも!」
遠巻きに見るだけであったキィを呼び寄せ、優しく頭を撫でる。キィ、数日間ご苦労様ってやつだ。キースも元気いっぱいでいいねぇ!
「おっ!ようやくレイさんも復活したようですねぇ。いやぁよかったよかった」
教会の子どもたちもざわざわしながらも安堵の表情を浮かべ、騒ぎを聞きつけた神父も駆けつけてくれて、もう収拾がつかなくなってきた。
まぁこれはこれでいっかぁ。
「じゃあ、レイさん?とりあえず皆に言うべき言葉がありますよね?」
近くまで来た神父が俺に向かって何かを催促する。むぅ、確かにその通りだ。
「えっとぉ………………………………心配をかけてごめんなさい!もう平気だ!」
大きな声で謝るがやっぱり恥ずかしいのは秘密だ。自分が悪いのは当然だけど恥ずかしいものは恥ずかしい。
「それと……皆、ありがとう!」
感謝と謝罪は大事だからな!皆に囲まれて温かい雰囲気の中ではあるが、俺もそこは大事にしておきたい。
こうして皆からの甲斐甲斐し協力の元、数日間に渡る記憶喪失騒動は幕を閉じた。長く感じたが、数日間で治まってよかったというのが俺の感想だな。
ま、とりあえず今回の教訓は……無理して肩車をするのはダメ!ということだ!
………………………………本当に今回はもうダメだと思った……