「ねぇねぇ。ききたいことあるの」
俺の服の裾をくいくい引っ張ってキースが俺に問いかけてくる。『うーん?』と振り返ると一冊の本を手にしたキースが俺を見上げていた。可愛い。
で、持っているのは絵本だな。森に住む三人家族がテーマで、この間町に行った時に一緒に選んで買ったものだ。人間の親子が森に住む動物と歌って踊って……みたいな教訓は特になさそうな内容だった気がする。まぁ別に何でもかんでも教訓があればいいってわけでもないが。
「ねぇーねぇー」
しきりに絵本を見せつけながら、キースは急かしてくる。ははぁーん。これ読んで疑問があったんだな?
うんうん。最近のキースは所謂なぜなぜ期に突入している。こうして知りたいことや気になることをよく俺に質問してくるのだ。ついさっきも『ままのかみはどうしてながいのー?』と聞かれた。俺の答えは「最悪困った時に髪を切って売るためだぞー」である。なんか良い値段で売れるらしいんだよな。でもすげぇ微妙な顔をされた。
「おぉ?なんだぁ?質問かぁ?キースは勉強家だなぁ。偉い!!」
「えへへー!」
俺としては、キースが色々な物事に興味を持ってくれるのは嬉しい。小さいうちから興味の幅を広げることが大事だと思うし。だからキースが知りたがることには、俺も真剣に答えていきたい。
キースと同じ目線になるように屈み、頭を撫でながら俺はにっこりと微笑む。
「いいぞぉ。何でも聞きなさい。さぁ世界が羨望の眼差しを向けるこの優秀なエルフの俺に!ガーランジュ始まって以来の叡智に!」
「えっとね、あのね……なんでうちにはぱぱがいないの?どうして?」
「!?」
「これよんだらね。ぱぱがいるの」
そう言って絵本の一ページ目に仲良く、楽しく暮らしているであろう家族の挿絵を見せてくる。父母の間にいる子どもが笑顔で二人と手を繋いでいるその姿は、なるほど……ごくごく一般的な家族に思える。
「どうしてー?ぱぱはー?」
『なんでー?なんでー?』とひたすら聞いてくるキースと、微笑んだまま固まるしかない俺。
あわわわわ……それは流石に難問すぎる……!
「お、俺は無力だぁ!こた、答えれないよぉ!あの質問にはぁ!」
夜、キースが眠ったことを確認してから俺が来たのは町にある酒場だ。活気に溢れ、一日の終わりをここで楽しく飲んでいる奴らとは対照的に俺は悲しみに包まれている。俺はおいおい泣いてもう酒を飲んで飲んで飲みまくる
しかない。
うぅ……何があっても大丈夫なように魔力をたっぷりと与えたキィがいるし、ぐっすり眠っているから起きないはずだけど………………………………まだ幼いキースを残して、町に自棄酒を飲みに行くのって……
「うわーん!最低だ―!」
カウンター席には俺ともう一人しかいない。俺が来るのが相当珍しいのか、ちょっかいを掛けにくる奴らもいるにはいたが、それも少し前にはいなくなった。なぜなら誰に聞かせるわけでもない大きな大きな独り言を漏らして、泣きながら飲んでいる面倒くさそうなのには近づかないのが吉だからだ。
それにフードを被って飲んでる姿は異様なはずだ。フードの中の暗黒空間に吸い込まれていく酒はきっとすげぇぞ。
酒場の主人も早く帰ってくれないかな……みたいな雰囲気を出しているが俺はまだ帰らないぞ!ローブをごそごそ探り目当ての薬を見つける。酔い覚ましだ。そして酔い覚ましの薬を飲んで更に酒を追加する。こうすることで無限に飲めるのだ。
「気持ちはわかるけどそういう飲み方はあまり感心できないわねぇ」
「だってぇ……!」
カウンター席にいる唯一の客が俺に向かってやれやれと忠告してくる。娼館の女主人のサキだ。なんか……いつの間にか隣にいた。徐々に接近してきて隙あらば俺の肩に手を置き、魔力を微妙に吸ってくるが一々気にしない。これくらいなら可愛いものだ。
「俺だってさぁ、ビシッと答えてやりたいけどぉ……言えないじゃんかぁ……」
「そうねぇ。それにデリケートよねそういった話題は」
「………………………………わかってくれるのか?」
カラカラと氷の入ったグラスを回してサキが困った表情で相槌を打ってくる。そうなんだ!すげぇデリケートな話になるんだよ!その辺に触れると!!
「だってぇ……だってぇ……森で拾ったからパパどころか本当はママも今のところいないよ、なんて言えないしよぉ……」
「別に適当に誤魔化すのでいいんじゃないの?そんな馬鹿正直に答えなくても。お空の上にいるよーとでも言いなさいよ。幼い子ども相手なんでしょ?バレないってば」
「そ゛れ゛は゛誠゛実゛し゛ゃ゛な゛い゛!!」
「わ。びっくりしたぁ」
俺はカウンターをバンバンと掌で叩いたついでに大号泣する。酒が入ると大体泣いている気がする。あまりの泣きっぷりにサキも哀れに思っているに違いない。
「あーハイハイ。泣かない泣かない。ほら顔を拭いてあげるからフードを外しなさい。ね?」
「う゛ん゛!!」
言われた通りにフードを外すと、ずびずびと泣いて液体まみれの顔面をハンカチでゆっくりと丁寧に拭いてくれた。うぅ、優しい……あれ?でも段々眠くなってきたな……おかしいな酔い覚まし飲んだのに……
「あらあら。あまり派手に泣いてると可愛い顔が台無しよ?とりあえずお酒は止めにして違うところに行かない?ここって騒がしいから。なーんて冗談」
「ひっぐえぐっ、どこにぃ?」
頭がポヤポヤしながらも俺はサキの提案に興味を示す。すると思いの外驚いたようにサキがこちらを覗き込んでくる。真剣に何かを考えて『これは……いけそう』呟いたかと思いきやそれも一瞬。すぐににこやかになる。なんだよぉ……
「そうね!じゃあうちの娼館の最上階にある部屋に行きましょう?あそこなら静かだしぃ、色々とあるしぃ……何より邪魔も入らない!」
「うん行く……」
「しめしめ……!これはめくるめく夜になるわね……!」
半分寝ている感じの俺をサキが立たせてくれようとしている。なんか変なところ触られてるけど多分気のせいだろう。そういうことはしないだろうし……今の身体は女だし……
「ちょ、ちょっとストップ!!待ってくださいサキさん、酔わせてお持ち帰りはどうなんでしょうか!流石にダメですって!」
「チッ、あと少しだったのに……神父さんが今度来た時にサービスするように言っとくから見逃して❤お願い❤」
あ、神父の声がする……いたんなら声かけろよぉ……む、胸のあたりがグルグルしてきた。気持ち悪い……俺は近くあった椅子にもう一度座る。二人が話している間、少し休んでおこう。
「ものすごく魅力的な提案なんですけどね……見なかったことにしたいんですけどね……」
「じゃあそれでいいじゃない。ね?ね?すごいチャンスなのよ、わかるでしょ?こんなに酔ってるのってなかなかないのよ?この子無駄に耐性あるからこうやって酔ってる時にしか夢魔の魔法が多分効かないの!変なことはしないから!!見なかったことにして!」
「………………………………いやぁ、サキさんダメでしょ。冷静になってレイさんを見てください。いくつに見えます?」
「……大人って自称してんだから、いいじゃない。ちょっと……まぁかなり若く見えるけど。エルフってその辺わかりにくいし」
こそこそと二人で話し合っているのは聞こえる。そんなことより、俺はお腹からせり上がってくるものを我慢するのに必死である。両手で顔を覆って他の視覚情報を入れないようにしよう。天井を向いておくと、吐くのをギリギリ我慢できるぞ。
「僕は人間なので判断できませんが……実際のところ長命種であるあなたから見て、長命種は何歳から大人なんですか?」
「………………………………………………………………そ、それはぁ、個人差あるしぃ?」
「あ!!目を逸らした!絶対『ちょっとヤバいかな?』って自分でも思ってるんですよね!?レイさんの性格的に、見栄を張ってる可能性の方が高いんですよ!?」
会話の内容は眠くてよく聞こえないが、多分言い争ってるのではなさそうだな……よかったよかった。あっ気持ち悪くなってきた……もう無理……おろろろろろ!
「そんなの、あっ」
「あっ」
ふぅ。近くに桶があって助かったぜ。一回吐いたらすっきりしたな。なんか酔いも醒めてしまったぞ。あれ?神父とサキが微妙そうな顔してんな。
「……急に萎えてきたわ」
「もうお開きにしたらどうです?それが良いですって」
あれれ?もう終わりの雰囲気出てきたな。あぁ、俺が吐いちゃったからか……水を差してしまって悪いことしちゃったな。
「そうする……じゃあ、帰るわね。また一緒に飲みましょう?邪魔の入らないところで」
「おう!また今度な!話聞いてくれてありがとな!」
「……こういう存在をどっぷり快楽に浸らせるのが楽しいのも事実なのよねぇ……あぁ、でもこんな機会滅多にないのに……いや、でもヤバいかなぁ」
「???そうだな!」
よくわからんが、まぁ話を聞いてもらえたからいいかぁ!酒場からトボトボと出ていくサキの後ろ姿に疑問を覚えながらも、手を振っておく。
「サキってちょっと魔力吸ってくるけど結構良い奴だよなぁ」
「正気ですか?え、嘘ですよね?うわぁ……周りの人が振り回されるだけ振り回されて自分だけ何も知らないタイプだ……」
その後、神父とも別れて一人で夜道を歩く。昼はうんざりするくらい通行人がいる道には、ぽつぽつとまばらに人がいるだけで、静かなものだ。それもそうだ。もう深夜に差しかかる時間だ。ほとんどの者が寝静まる時間帯である。
酔っ払いが酒瓶を抱えて眠っているの横目にし、俺も気を付けないとな思う。あまり飲むことはないが、酒癖は良くはないのは自覚している。
そのまま町を出て、我が家ある森に向かって歩いていく。整備された道から外れ、踏み慣れた土の感触に安心する。地面を踏みしめる音だけが、周囲を相配するだけだ。少し前までは酒場のざわざわした空間にいたからか、今の静寂が際立ってくる。
こうして風に揺られて一人ぼっちで進んでいくと思考がクリアになっていくかのようだ。考えるのはもちろん今朝のことである。
『なぜぱぱがいないのか』そうキースに聞かれるのは遅かれ早かれの部分であった。当然だ。キースが社会生活を送っていくうえで避けては通れないのだ。それは町に赴き、他の家庭を見ればわかることなのだから。
キースからの質問に対し、結局俺は……黙ってしまった。口を噤んでしまったのだ。その場を切り抜ける方法などいくらでもあったのに。
そもそもキースには父親だけでなく母親もいない。俺は保護者という立場ではあるが、それが『親』という神聖な立場であるかは疑問だろう。少なくとも、キースを拾ってからの俺は『親』を自称したことはない。
だからこう言える。『キースには現時点で親がいない』
いや、いなくなったが正しいか。残酷だなと思う。だが、それを幼いキースに直接言えるはずもない。
……実はキースが置いていかれていた場所に度々訪れることがある。もしかしたら……という思いで。何度行っても人影もなく、いるのは精々小型の魔物や小動物くらいだがな。だけど、多分これからも俺はそこに足が向いてしまうことだろう。
ただ……俺はそこに誰かいて欲しいのか?キースに似た人間がそこにいて欲しいのか……?『ここに子どもがいませんでしたか』と探していて欲しいのか…………?
いいや。違う。断じて違う。
俺は誰もいないことを確かめるためにそこに行く。そうして思うのだ。『あぁ、誰もいなくてよかった』と。
誰もいなくて残念な気持ちよりも、誰もいなくて安堵する気持ちの方が大きいのは俺自身が一番わかっている。正しいことではないのだろう。本当の親が探しに来るのならば、それはキースにとっても喜ばしいことだと思う。だから、俺が持っているこの感情は自分勝手なものだ。
赤ん坊を拾った当時は暇つぶし程度にしか思っていなかった。それに見捨てるのは後味が悪い。結局のところ赤ん坊のためではなく、俺自身のためだ。
情などが生まれてしまうのは避けたいとまで内心は思っていた。ある程度育てば、出ていってしまっても構わないとも。あくまで赤の他人でしかないと。
だが、そんなことは不可能だった。
胸の中で眠る姿を見た。
何かを求めて大声で泣く姿を見た。
初めて立って歩く姿を見た。
キィと遊び戯れる姿を見た。
母でもないのに『まま』と呼ぶ姿を見た。
そして……だって俺が『キース』と名を付けたんだから。
認めよう。俺にとって、キースと共に過ごす時間がかけがえのないものだ。溢れんばかりの情が芽生えてしまった今では暇つぶしなどとは思えない。キースの成長が何よりも嬉しい。キースが笑うと心が安らかになる。キースと一緒にいると俺は幸せだ。
たかが数年一緒にいただけなのに、俺にとってはもうキースは宝物なんだ。誰にも渡したくないと思う程に。
だからこそ俺は。
だからこそキースの本当の親がキースを捨てていったのが許せないと思うし、その役目を放棄していったのがたまらなく悲しいのだ。やはりキースにとっての親とはそいつらであるのだろう。それは……羨ましいとも思う。キースを捨てたのに未だに親という権利を持っているのが。
腹が立つ。
……じゃあ、もうもらってもいいんじゃないのか?事情があろうがなかろうが、いらないから捨てたのであろう。
そうだ、それがいい。捨てたのが悪い。キースを捨てた時点で親の権利なども必要ないはずだ。うん!そうに違いない!
キースもその方がいいはずだ。今回の件だって、俺がキースにとっての『保護者』だとか『親ではない他人』だとか思いこもうとしたからこそ、上手く答えられなかったのに過ぎない。
でも今ならちゃんと答えられる。だって俺は今、キースの親なのだから。
そうして俺は家まで帰ってきた。大きな音を立てないように扉を開けて、足音も立てないように部屋の中を歩いていく。向かう先はもちろんベッドで眠るキースの元にだ。窓の外からの流れてくる月の光に照らされて、部屋は暗くない。それでもそろりそろりと、足元に気を付けつつゆっくり進んでいく。
ベッドの近くまで赴くとキースの傍らで眠るキィの目が開き、俺を見つめる。『やっと帰ってきたかぁ』とでも言うように。
「キィ、ありがとな」
俺が労いの言葉を掛けると、キィは『んにゃ』と一鳴きだけ上げてそのまま再び眠りについた。頼りになるなぁ。
キースを見ると、少しだけよだれを垂らし、幸せそうな顔で大の字になって眠っていた。キースの寝顔を眺めると安心する。元気に生きているなって思うのだ。
大きくなっていくキースは将来どんな大人になるのだろうか。きっとカッコイイ男になることだろう。モテモテ男だな。
………………………………ズルいとは思うが、眠っている間に今朝の質問に答えることにしよう。言うなれば練習だ。もう一度聞かれた時のために俺は今の考えを伝える。
「キース、朝は質問に答えられなくてごめん。俺、逃げてただけなんだろうな。キースを傷つけたくないってだけじゃないんだ。結局本当の親にはなれないって、そう思ってしまうのが辛かっただけなんだ」
でも俺は、キースが森に捨てられていたなどと本人に直接伝えられない。捨てられたなどと、思って欲しくないのだから。
「キースには、本物のママとパパの方がいいに決まってる。だけど、頑張るから。俺、ママとパパを両方頑張るから。俺一人だけだとしても、キースを寂しくさせないように頑張るから」
いつか『どうしてぱぱがいないの』という疑問から『自分はどこの誰なのか』を気になる時が来るはずだ。その時、俺はちゃんと答えられるだろうか。
いいや、その時は誠実に答えればいいだけだ。それがキースを拾った責任であり、親の役目だろう。
「キースが今、幸せだと思ってくれるように頑張るから」
月の光に照らされて、透き通った宝石のようにきらきらと光るキースの銀の髪を愛おしく触れる。ただ、俺が思うのはキースが健やかに育っていって欲しいという小さな願いだけだ。