……エルフの個体数は他の数少ない長命種と比較しても輪をかけて少ない。
特に成人を迎えていないエルフは珍しい。その言葉に偽りはない。何故ならここ二百年の間、ガーランジュにおいて新たに生まれたエルフは一人だけしかいないのだから。その子は魔力に富むエルフの中でも、類を見ない程に豊富な魔力を持つエルフだ。
しかし新たに生を受けたそのエルフは……私たちの息子であるレイは…………………………親だけでなく、周囲が心配になるほど弱弱しく小さく生まれ、それに見合ってしまうように虚弱であった。
特にレイが乳飲み子から幼児の頃はそれが顕著であった。よく発熱し、よく寝込み、よく生死を彷徨った。だからその頃のレイは屋敷の中から、いいや部屋からも出られなかった。
外で走り回って遊びたいだろうに。それもできずにただじっと、ベッドの近くの窓から外を寂しそうに見つめているレイが不憫でたまらなかった。そしてもっと丈夫に産んであげられなかったことを……母として何度も悔やんだ。
レイは言いつけを守り大人しく過ごす。不満を言うわけでもなく、癇癪を起すわけでもなく、ただ大人しく。レイにとっての世界は部屋だけで、そんなレイをどうにもできないのが何より辛かった。
しかし転機は偶然訪れた。レイが五歳になって少し経った日のことだ。
ある時、目を離した隙にレイがいつの間にか部屋を抜け出してしまったのだ。それはレイが初めてした現状に対する抵抗であったのだろう。
遊びたい盛りのレイにとってはちょっとした冒険のつもりで……周囲の者にとっては『まさか外に行ってしまった?』と背筋の凍る出来事であった。それほどにレイの身体は弱い。屋敷の者を総動員して捜索を行った。
結果的にレイはすぐ見つかった。魔法に関する書籍を保管している隣の書斎に潜り込んでいたのだ。書斎の奥、光が入り込む窓のすぐ下の床に座り込んで挿絵付きの魔法書を読み、ふむふむと可愛らしく頷いていた。
書斎に入った私たち夫婦に気が付くと、レイは『みてみて!』と嬉しそうに言って、普段では想像もつかないくらいに元気よく走ってきた。そう、元気よくだ。
跳ねるように、でも息を切らせながら。本を抱えて目をキラキラと輝かせて走ってくる。初めての光景だった。
……レイが見ていた挿絵は、身体を強化する魔法の部分だ。魔力を大幅に消費し、肉体機能を向上させる魔法。レイはそこに描かれた挿絵を見て、自分の感覚で魔法を行使したとしか考えられない。
初めてで、しかも何も知らない幼子がここまで……けれどそんな些細なことよりも、レイがこんなにも楽しそうに生き生きとしている姿を見られることの方が代えがたいものだった。
レイはこちらに走って近づいてから明らかに『しまった』という表情に変わる。勝手に部屋から出たことを叱られると思ったのだろう。私たちの前で悲し気に俯いてしまった。
だから私たちは褒めた。目一杯褒めた。ここで叱ってしまうと、きっとレイは塞ぎ込んでもう自分の意思を出さなくなってしまう。そう思ったから。
『これならそとにでてもいい?』
いつも我慢していたレイを止められるはずもなかった。誰かと一緒になら、という約束をするとレイは飛び跳ねて喜んだ。
………………………………飛び跳ねた後、急に眠り込んでしまったのには驚き、すぐに医者に診察してもらったけれど。
少ししてレイは慣れたのか意識せずとも常に強化をできるようになり、活発に行動するようになった……最大限まで強化したうえで、ようやく同年代の子どもたちよりも体力がないけれど。
さらに魔法の勉強も積極的にねだるようになって、そしてレイは……よく笑うようになった。
そこからのレイは私たちの心配をよそに、順調すぎる道のりを歩んでいった。魔法学院を飛び級しながら進んでいき、最終的にガーランジュの首都に構える魔法薬学部門の研究所所長にまで上り詰めてしまったのだ。
各地の研究所にいる間に恐るべきスピードで新しい魔法薬を作成し、実績を積み重ねていったのだから当然と言えば当然のなのだけれど……あまりにも早すぎる。
ガーランジュにおいて魔法関連の役職に就くのに年齢は関係ない。しかし、レイはエルフの成人年齢にも遠く満たない子どもだ。親としては心配なのだ。
ただ一方で、もしかすると心配し過ぎるのも良くないのかもしれない、そう夫婦で話し合ったのはよく覚えている。反抗期のような言動をしているとはいえ、周囲にいるのは大人ばかり。レイ周辺にいる研究員に聞き取りをしても『生意気で口は悪いですけど、反抗期ってあんなもんでしょう』という反応だ。
ガーランジュの上層部に問うても『実務能力もしっかり備わっているし、あの子なら平気だよ。それに行く行くはもっと上の方にしたいし、今のうちに色々経験させとくのもいいでしょ?サポート役も当然つけてるし。安心しなって!』と言いのけた。
ところどころ若さゆえの改善点はあるのだろうが、周囲の支えもありつつレイはしっかりやっている。
結局は……自分たちから子どもが離れていくのが寂しい。だからこんなにも心配してしまうのだろう。
安心しきっていた。それは事実だ。
………………………………そんな時だ。レイが刺されたと出張中の他国で報告を受けたのは。
慌ただしく、無慈悲に時間は過ぎていく。レイはまだ見つかっていない。
レイは自らが研究中の薬を飲み、性別が変わってしまうけれど一命を取り留めた。しかし親ですら面会謝絶の中で、その後程なくして忽然と姿を消してしまった。失踪時に残されたものは二つ。手紙と何かを探すように荒らされたレイの部屋だけ。
震える字で書かれた手紙には『全ては自分が招いた結果です。国外に出ます。探さないでください』と。こんな怪しいもので、はいそうですかと納得する者は誰もいない。きっと誰かに無理矢理書かされたものである。ガーランジュにいる誰もがすぐにわかる程度には、あからさまなものだった。
レイは何者かによって誘拐された。そして恐らく今も見つかっていないレイを刺した者の犯行だろうと。そう結論付けられた。病院内の厳重な警備体制でどうやって連れ出したのかなどの疑問は出てくるが、それよりもレイの捜索の方が大事だ。
そのためガーランジュでは総出で国内外問わず、何年にも渡ってレイの捜索を行っている。少なくとも、ガーランジュ国内にはいないことは確か……
生死すらわからない。生きていたとしても……考えたくもない。ただ一つ、これだけは言える。犯人にはそれ相応の罰を与える。これは私たち夫婦だけでなく、ガーランジュの総意である。
季節は何度変わっただろうか。レイの手がかりすら見つからない。エルフは長命種といえど、時間が過ぎるスピードが早く感じるわけはない。一日は一日で、一月は一月で、一年は一年だ。ただ時間だけが過ぎていくのに無力さすら覚える。
しかしある時、赤い目をした長命種が噂を聞きつけてやって来た。旅の途中でガーランジュに寄り、レイに関する話を聞いてここまで来たそうだ。旅人に似つかわしくない魔女のような服装の長命種はにやにやしながら、語りだす。
曰く『実はーそのエルフの子に似た子、見かけたんですよねー?え?どこでかって?いやぁ、それはもう一度私が確認してきますんでー。こっちとしては信じようが信じまいが、別にいいんですよー?関係ないんで。でも、周辺の国まで探してるのに見つかってないのなら、少しでも情報欲しいでしょ?明らかに噓っぽい話でも飛びつきたくなりますからねー』と。
………………………………神経を逆撫でする、あまりにも舐めたことをほざくが一理ある。数年に渡って捜索しているが、行き詰まりを感じているのも確か。こんな弱みに付け込む詐欺師紛いの似非魔女、さっさと追い返す方が良いとは思うけれど、藁にも縋る気持ちだ。
『まぁまぁ、安心してくださいって。では契約しましょう。『私はその国に行き、確認をしてきます。三年以内にその確認ができたことをあなたに報告しなければ死ぬ』……これでどうです?本来ならこうした血の呪いは自分に掛けるものではないですけど、私にとってはチョロい仕事ですからねー』
……そう言って赤い目をした長命種は呪いのような契約を自分自身に掛けた。魔法ではない別系統のものだ。吸血鬼の血の呪いは掛けるのは難しいが、その分強制力が強いと聞く。
正直こういう輩の話は信じない方が賢明だ。賢明だけれど……ここまでするのは自信があるということだろう。
『じゃあ、無事に私が戻ってきたら一応契約達成ってことで。その時は情報料たんまりお願いしますねー?』
そうしてそろそろ約束の三年が過ぎようとした頃に、赤い目をした長命種はガーランジュへと戻ってきた。
『確認してきましたよー。うん、確認してきました。確認は!してきたんで契約も成立ですね。ふぃー!危なかったー!でもその子はもう……これ以上は私の口からは言えない。これで察してもらえると助かります。惨い詳細は聞きたくないでしょう?』
………………………………あぁ、そうか。もう、レイは。
全身から力が抜け、傍で共に話を聞いていた夫に支えられる。希望が見えなくなると人は弱く脆いものだ。それを自身で体験するとは思わなかった。
赤い目をした長命種も申し訳なさそうにこちらを見ている。子を亡くした母を哀れんでいるのだろうか。
『……流石の私も、これ見せられるのはちょっと心にくるって言うか………………………』
渋い顔をしながらも情報料を受け取って、ちらりちらりとこちらを窺いつつも去っていく後姿をぼんやりと見るしかできなかった。
気が付くと私はベッドの中にいた。あの後気を失っていたようだ。起き上がるのも億劫だ。もう涙は出ない。もしも可能ならばこのまま死んでしまいたい。
ふとレイが生まれた時のことを思い出す。弱弱しく生まれ、それでも生きようと必死に産声を上げていたレイのことを。でも、それは遠い過去になってしまった。そしてレイと会うことは二度とできない。
………………………………ペンダントが赤く点滅している。不具合など起こったこともないのに。念話が繋がるのには条件がある。命に係る衝撃など受けた時に時間をおいて子から親へと繋がる。どうして今になって……
それでも。こうしてペンダントに話しかけるのは未練なのだろう。生きているなら返事をしてと問いかける。もちろん返答はない。わかってはいた。
何度も声を掛ける。そして少しするとペンダントの赤い点滅は消え、いつのような物言わぬペンダントに戻ってしまった……でもペンダントに本人の魔力が入ってなければ、この機能は使えないはずだ。最近まではこのペンダントが使われていた……?
数日後、同じようにペンダントが赤く点滅し始めた。何も返答がないのはわかっているはずなのに、声を掛けてしまうのは何故だろうか。どこか心の奥で未だに生きていると信じたい気持ちがあるのだろう。
返事をしてと、ペンダントにまた問いかける。何度も。この前と同じだ。返答は……
『……えっと。ひ、久しぶりー?母さん元気にしてる―?』
え。
………………………………あのクソ魔女を………………………………まずは捕まえる。
あの噓つきのクソ魔女を捕まえて問い質すべく、ガーランジュの魔法治安部隊を動員したが逃げられてしまった。逃げ足の速い。国内にいるうちに尋問しておきたかったけれど、捕まえる。
どうせ周辺国にまだいるはずだ。さっさと捕まえてレイの情報を吐かせる。それが一番の近道だろう。
今の私はやる気に満ちている。レイがどこかの国で生きていることはわかった。ならやることなど一つだ。
必ず探し出して保護する。そしてまた一緒に暮らす。それだけだ。ガーランジュも周辺国だけでなく、さらに大陸中の各国に向けて使節団を送るようにした。これならきっと見つけ出せる。
「奥様!渡り鳥がこれを!」
屋敷の執事が慌てた様子でこちらに走ってきた。手に持っているのは少しだけ汚れた封筒だ。封筒側には送り主の住所や名前書いていない。いや……よく見ると名前だけは隅に小さく書かれている。『レイより』と。渡り鳥が?これを?
急いで封筒を破く。手紙の字からはレイが流し込んだ魔力を感じる。恐らくレイが自分自身が書いたものであると証明するために流し込んだのだ。懐かしいレイの魔力。忘れるはずもない。
内容……内容は!?焦る気持ちを抑えつつ、手紙に目を通す
……は?……え?……………………子どもがいる???レイは今、女の子だから……う、産んだの?え?誰との!?判明してない……?
………………………………は、裸の付き合いぃ??神父?神父って何?どういうこと!?
……これはつまり。誰かに襲われて子ども産まされた挙句、保護された教会で神父に脅されて裸の付き合いを強要されている……?これ、どんな気持ちで書いたの?
「あっ!奥様?奥様!誰か来てくれ!奥様が泡を吹いて倒れた!」
薄れる意識の中で思ったのは………………………………レイを見つけたら、まず何よりも神父から罰を与えよう……ということだ。