少年の安否が気になりはするが、それはそれ。アリアが『レイさんは青少年にとっての甘い毒ですから』とボソッと零していたが、それもそれ。
湖畔の視線が妙にこちらへ集中しているが、これは俺たちが美しすぎるから仕方ない。むしろもっと見るべきそうすべき。おらおら!そこで眺めている男子諸君!もっと近付いてきて褒めてくれ!それとも俺から近づいて褒めてもらいに行こうか?この美貌をなぁ!
…………………………………………アリアにしっかりと止められてしまった。いや、ちょっと褒められたくて……あ、キースも穢れの知らぬ目できょとんとして見てる。これは親として大反省である。
さて。見ての通り、今の俺は気分最高潮である。このめちゃくちゃでけぇ湖を前にしたら……ね?俺の中でいつまでも激しく燃え続けるやんちゃ心が叫ぶのだ。『早く入って遊ぼうぜ!』と。
あとめんどくさい休憩場所の作成も終わったのでね?もう遊ぶだけだ。
目の前に広がるは遥かなるカルグ湖。天の日を反射して輝く水面。周囲の人々は普段の喧騒を忘れたかの如く、各々楽しそうに、しかし穏やかな顔つきで過ごしている。
……………………いいじゃねぇか。これこそリゾート地ってやつ?ならば俺たちもその中に入って楽しまねば損だよなぁ。
おっと!その前に!
「……なぁ皆。ここで言うのも恥ずかしいんだけどさ、実は湖で遊ぶっていうのは初めてで。初めて……つまり初体験ってやつだ。合ってるよな?だから俺の初体験の瞬間を……全て余すことなく見届けてくれないか?」
身体を捻ったり屈伸したり。入念な準備体操を行いつつ、俺は既に水の中に足を踏み入れている三人の前ではにかんで宣言をする。そう、湖での遊びは初めての体験であるのだ。初体験エルフである。
「……………………キィさん」
「アリアちゃん、わかるわかるよ。ご主人は単に初めての体験って意味でしか言ってないけど、いかがわしく感じちゃうよね。なんでわざわざその言葉を!ってね!」
「あぁもう。レイさんはどうしていつも誤解を招いてしまう言葉の選択を……」
両手で顔を覆うアリアとそれを見てけらけらと笑うキィ。
……絶対二人だけでわかる会話してんなぁ!?ずるい!そもそもいかがわしい部分なんてないだろ!?まぁ別にいいしー!俺は余裕のある大人だしー!
「ままはやく!あそぼうよ!」
ウサギを模した桃色の浮き輪を腰に嵌めたキースがその場でバシャバシャと地団太を踏む。流石はキースだぁ……初めての湖遊びだというのに恐れがない。俺が休憩所を作成しているあの短時間で、ここまで大自然の水に慣れてしまうとはな……やはりキースは将来大物になるぞ……!末は冒険家かぁ?
「あぁそうだな!キース!見ていてくれ!俺の雄姿!これが俺の湖デビューだぁ!」
俺もキースを見習って恐れなく湖に立ち向かうとしよう。とたとたと走り、ばちゃんと飛び込み、もがもがと潜る。あ!口と鼻に水が入っちゃった!
がぼぼ。がぼ。がぼぼぼ!!
「ふふふ。レイさんキースに良いところ見せたいのかとても威勢よく、躊躇なく潜っていきましたね。レイさんって運動はかなり苦手ですけど、意外と泳ぐのは得意なんですね」
「んにゃ。泳ぐどころか、潜るのなんてもっての外。何ならご主人は水中で目を開けるのすら苦手だよ。だからご主人を助けに行くね。キースをお願い」
「え?」
がぼぼぼぼ!!がぼ!!!!
「ご主人。ゆっくり息を整えてください」
「う、ひっぐ。キィありがとう……」
キィによって水中から助け出された俺は陸地で膝を突き、涙目になって水を吐き出す。しっとりと濡れた髪からも水がぽたぽたと落ち、それすらも拭う気力がない。
うぇぇえ!口と鼻に水が溢れるくらい入ってきたぁ!鼻の奥がツーンとするよぉ。痛いよぉ。
「ど、どうして泳げないのにあんなに自信満々で潜っていったんですか……?『あぁレイさん泳ぐのが得意なんだなー』って何の疑いもなく思ってました」
俺のあまりにも無様な姿に驚きを隠せないアリアが背中を摩りながら尋ねてくる。理由?理由なんて簡単だ。
「俺っていざという時の本番に強いタイプだから……!いけるかなって……!あとキィがいるから多少は無茶しても大丈夫だろうなぁって……!」
「……あまりにも迂闊すぎません?」
アリアの率直かつ正しい意見に賛成だ。ただ俺の言い分もある。
「大人の男としてぇ、皆にカッコイイところ見せたくてぇ」
「……」
だが練習……!!何事も上手くするためには練習は大事!何の策もなしにいきなりやっても失敗するのは当たり前!特に俺は運動系に関してはかなりのよわよわエルフ!そこを勘案すべきであった!
ぎりりと握った拳で地面を力なく叩く。悔しい……悔しいよ俺は!己の未熟さに身を焼かれそうだ。キースだって俺の近くまで来てしまった。きっと心配させて…………………………………………
「ままはおよぐのがへたっぴなんだねぇ」
「お゛っ゛」
キースの素直な言葉が突き刺さる。思わず日常では出すことのない声を出し、俺は完全に倒れ伏す。
終わりだよ。キースに失望されたら俺は終わりだよ。あーあ今からでも人魚になれねぇかなぁ。それならめちゃくちゃ泳げるのになぁ。それか湖が蒸発しねぇかなぁ。
「だからねぇ……ぼくがおしえてあげる!」
「こうやってね!ぐーっていきをとめるんだよ!かおをつけてみて!」
「おう!」
湖の中の俺はアリアに手を引かれ、浮き輪をつけたキースはキィに手を引かれる。俺の足の着く深さの場所で横でキースに泳ぎ方を教えてもらっている……!幸せ過ぎてもしかすると夢かもしれん。
キースに指導される日が来るとは……感無量である。
「レイさんすごい嬉しそう」
「いやぁ、キースに教えてもらえるなんてな。こんなに嬉しいことはないよ」
キースに言われた通りに練習しながら、アリアとほのぼのとそんなことを話す。俺も何だかんだで少しは水に慣れてきたな。飲み込みが早いエルフかつ、キースの教え方が上手いからかな。
おいおいキース。まさか教師の才もあるのかよ……!とんでもないことだぞこれは……!
「ままできた?すごい!これはとんでもないことだよ……!」
「キースの教え方もわかりやすくてすごい!」
「ままもちゃんとできててえらい!」
しかもめちゃくちゃ褒めてくれるし!気分が上がってしまう!俺もうきうきだぁ!
「……キースの褒め方がレイさんそっくりですよね」
「ご主人が日常的に褒めまくってるからね。こういうのを見ると子は親の言動を真似るっていうのは本当なんだねぇ」
アリアとキィが感慨深げに会話している。え、なに?つまりは俺の育て方も良いってこと?良い影響を与えられているのなら嬉しい!
それからしばらくの間、キースによる実地指導を受けた。途中でなんか『俺が教えてあげますよ?』と言ってくれる者も何人かいたが『息子に教えてもらってるから』と丁重にお断りすると、すぐにどこかに行ってしまった。その時の誰もが三度見くらいしたのが面白かったなぁ。
そして!遂に!俺は!泳げるとか泳げないとかではなく、とりあえず水の中で目を開けられるようになった。うん。まぁ上出来じゃない?キースは満足しているし、俺も満足している。
そもそも泳ぐことだけが全てじゃないと思うのだ。こうして浮き輪でプカプカ浮かんでいるのも一つの楽しみ方である。
決して疲れ切ってしまったわけではない。決してだ。疲れたわけではないけど、体力はあった方が今後もいいよなぁ。でも身体能力を強化してこれだから、伸びしろはほぼないが。
それはそれとして浅瀬でキースとキィがボール遊びをしているのを、少し遠くから大きな浮き輪に横になって眺めるのも良いものである。
「アリアも無理に俺に付き合わなくてもいいんだぞ?遊んできても……」
俺の隣にはアリアがいる。俺と同じようにのんびりしているようだが、いいのだろうか。
「いえ。こんな場所でレイさんを一人にすること自体、何が起きるかわかりません。例えば……」
アリアが右に目を向ける。俺もアリアに倣ってそちらに目を向けると、二人組の若い男たちが泳いで近づいてきていた。見るからに筋骨隆々で友好的な雰囲気である。
「そこの綺麗なお二人さん。どう?一緒に……」
「結構です」
「え」
「結構ですので」
「あ、はい……」
アリアの有無を言わせないはっきりとした態度での発言によって、二人組はしょんぼりして戻って行ってしまった。か、かわいそう……
「例えば先程の場面。レイさんが一人ならどうしますか?」
「ええっと。普通に『いいよ!』って言うかな。あんなに筋肉を鍛えているのなら悪い人ではなさそうだし。多分一緒に遊びたいんじゃないのか。じゃあ別に」
「……もうその答えの時点で、誰かに誘われたらどこかに行っちゃうのが確定じゃないですか。しかも恐らく私たちに何も言わずに。心配です」
むぅ。確かに付いて行っちゃうな。まぁそこは俺も大人だ。そこまで長い時間は付いていかないし。仮に何かしら危なく思ったらすぐに戻るだけだ。何も心配はない。魔法だって護身用に使えるのだから。
「それに」
「それに?」
「せっかく一緒に来てるんですから、ね?ちょっとだけでもいいから私にも構って欲しいかなぁと」
俺の乗っている浮き輪に顔を押し付けたアリアが何ともまぁいじらしいことを言ってくるではないか!あまり直接的にこんなことは言わないアリアが!珍しいなぁ。
言われてみればここ最近はアリアに構っていない気がする。これは兄貴分として、妹分へ対しての態度としては由々しき事態だ。これはいかん!
「そっかそっかぁ。じゃあ何がしたい?いや違うな……俺に何をして欲しい?」
「……二人きりになりたいなぁ、なんて」
「うん。いいよ。ちょうどあそこに誰もいない浮島があるから行こうか」
実際、島というには小さいが岩場というにはガタガタしていないちょうどいい場所を指差す。そこには林もあってちょっとした避暑地のようなものだ。少しの間二人きりになるのならあそこがいいだろう。
その前にキィに意思を込めた魔力を送る。この短い距離ならギリギリ問題なく伝わるはずだ。そうするとキィがこちらを見やり、了承の意であろう手を挙げているのが確認できた。これでよし。それじゃあ行くとしよう。
浮島は思ったよりも狭い。林が場所を取っているせいもあるが、精々二、三人がくつろげるくらいの広さしかない。まぁそれでも俺達には十分だがな。
林の陰になっている部分に陣取り、とりあえず隣り合って並んで座る。こうして並ぶとどちらが歳上かわかったもんじゃないな。
「改めて。アリアは俺に何をして欲しい?遠慮しないで言ってくれ」
「…………………………………………じゃあ膝枕」
「そんなのでいいのか?つーか俺も濡れてるけど」
「いいんです。どうせ私も濡れてますので」
アリアはそう言うとすぅっと流れるように俺の膝に頭を乗せてきた。アリアのさらさらの髪が膝をくすぐり、むずがゆい気分になる。
「水着で膝枕する機会ってあまりないよなぁ」
「……さっきは初対面の子に膝枕してた癖に。誰にでもするんですね。別にいいですけど。気にしてないですけど」
「はいはい」
若干棘のある言い方だ。本気で怒っているわけではないだろうが、拗ねているのは雰囲気で感じ取れる。この甘えたがりのアリアはなかなか見られないぞ。ぐりぐりと頭を押し付けてくるのも愛らしいものだ。
「何度膝枕をしてもらっても柔らかいです。しかもすべすべ。病みつきになります」
「アリアの膝だってあまり変わらないだろう?」
「レイさんの膝だからいいんです」
「そういうもんか」
「そういうものです」
アリアがあどけない表情を浮かべている。普段はしっかり者のアリアのこんな顔を見られるのは俺の特権なのだろう。ありがたい。
風は吹いているが強くない。ただ緩やかに、濡れた身体に気持ちよく流れていく。林の陰で日も当たらずに心地良い。そのおかげかアリアも穏やかに目を瞑っている。
この浮島からはある程度湖の様子が見渡せる。様々な人が泳ぎ、遊び、くつろいでいる。たくさんの人々がそこにはいる。だがここにいるのは俺たちだけだ。誰も近づいては来ない。二人きりの空間で、二人だけの世界だ。
「レイさん、この水着どうですか?」
無言の時間は唐突に終わりを迎えた。
「あぁよく似合ってるよ。暗色で大人っぽくて綺麗だ。アリアは美人だから何でも似合うけどな」
「ふふふ。ありがとうございます。でも本当はレイさんと全部同じにしたかったんです。デザインは同じようなものですが……冷静になるとやっぱり全部同じって恥ずかしいかなって」
「気にすることなんてないのに」
そういえば初めはペアルックみたいに言ってたような気がする。実際は色も違うし、デザインは似たようなものだが若干違う。
「いいえ、気にしてしまうものなんです。要は微妙な乙女心というものです」
「……難しいな」
「正直、この気持ちをレイさんが気づかないのは多少鈍感だと思いますけど………」
「ひでぇ」
取り留めのない会話が続く。何でもない普通の会話が俺にとっては快い。アリアにとってもそうだといいなと思うのは我儘だろうか。
「ねぇ、レイさん。撫でてください」
「もちろんいいぞ。今日のアリアは甘えん坊だなぁ」
「これでも抑えている方です」
「そっかぁ」
そうしてゆっくりと大切な宝物を扱うように撫でていく。アリアは身じろぎをしながらも受け入れる。アリアがもっと小さな頃はよくこんな風にしていたなぁ。
するといつの間にかすぅすぅと寝息が聞こえてきた。何だかんだで疲れていたのかな。ならばアリアが心地よく、眠れるように俺はこのまま撫で続けるだけだ。
「レイさん……」
アリアの寝言を聞きつつ、俺も静かに流れていく時間を楽しんでいく。平和だなぁ。