俺たちは夜の森を歩いていく。当たり前だがきちんと整備されているわけでもない。それでも月明りだけの夜であろうが、この森は俺にとっては庭のようなものだ。気がそぞろだったとしても歩き回るなんて余裕だ。
………………………………………………………………まぁ一応母さんが魔法で光の玉を出して周囲を照らしているからか、足元もそこそこ明るくしてくれているのだが。
……ただ先程思い浮かんだことで気がそぞろであったからか、辿り着いたのはそれに関連する場所だった。そこは何の変哲もない、森の景色に溶け込んだ場所だ。特徴的なものは全く見当たらない、普通なら視界の端で捉えて通り過ぎるだけのありふれた木の下である。
だけどそこで足を止める。平凡で、本当ならば見逃しても構わないけれど俺にとってはそうではないから。
「レイ?どうしたの?また巨大な動物でもいるの?それとも……お化け?正直お化けはやめて欲しいのだけれど……」
一緒に歩いていた母さんは、俺がその場に留まったことに対し不思議そうに尋ねてくる。握られた手は温かく、声色は優しくて。それが何だか無性に切なく思えてしまった。
「変なこと聞くんだけどさ……母さんは、俺が産まれた時って嬉しかった?」
俺からの唐突な質問に母さんは驚いたように瞬きを繰り返す。それもそのはず。母さんからすると、あまりにも急で変な質問なのだ。でも今、この場所で聞きたくなった。
「レイが急にそんなこと聞くなんて珍しいわね。けれど……うん、とても嬉しかった。あなたが私のお腹にいた頃から、ずっと会えるのは今か今かと待っていたのだもの。名前も決めて、どんどん重くなるお腹が祝福のように思えて……だから生きて……生まれてきてくれて、本当に嬉しかった」
記憶を掘り起こすなんて作業は必要ないかの如く、時間を置かず感慨深げに話してくれる。母さんにとっては過去を思い出すというより、未だに地続きの話なんだろう。だって多分俺はまだまだ子どもで、それだけ心配も掛けてしまっている。
でも答えは知っていたけど。ただ確かめたかっただけだ。親ってそういうものなんだろう。
「………………………………………………………………そっか。子どもって、産まれたら嬉しいよね。それって絶対に確かなことだよね」
「レイ……?」
母さんが困惑するのも無理はない。自分勝手に聞いて、自分勝手に納得して、自分勝手に言葉を吐いただけだ。俺は母さんの手を引いて目の前の木のすぐ傍まで連れていく。うん、やはり何度見てもそこには物理的に大したものはない。そこにあるのは俺とキースの出会いだけだ。
「母さん。ここなんだ。ここで俺は眠ってる赤ん坊を、キースを見つけたんだ。不思議と傷一つなくて綺麗な赤ん坊だったよ」
「……」
俺は母さんに向かって『ここだよ』とわかりやすく指を差す。静寂が辺りを支配し、他の動物の鳴き声も響いてこない。俺の声だけだ。ただ母さんに聞いて欲しいんだ。
隣を見上げると母さんは次の俺の言葉を待ってくれている。何も言わずにだ。だから俺も言葉を続ける。
「どうして、キースは置いていかれたのか。きっと色んな事情があるんだろうね。そんなの理解している。だって教会の前に置いていかれる赤ん坊だって……いるから」
仕方ないことはあるし、ままならないこともあるんだと思う。許す許さないとかの話ではなく、どうにもならない事情なんてどこにでも転がっている。本来ならそのありふれた事情に俺が口出しすべきではない。結局個々人が勝手にすればいいんだ。
……でも。
「でも、でもさぁ。こんなところに、こんな誰も近づかない森にポイっていらない物を捨てるみたいに……動物にでも、何にでも襲われても別に良いみたいに……きっと、望まれて産まれてきたはずなのにさぁ……」
欠片程にも情があるのなら、人のいない場所にただの赤ん坊を置いていくことなんて決してしないだろう。誰かに見つけてもらうことなど全く考えていない。何にも見つかることなく、消えてくれた方が良いとしか思えないのだ。それが俺には……やはり堪らなく悲しい。
せめて何かキースのことを考えて、少しでも良いようにどうにかしようと考えて欲しかった。だってそれが親ってもんじゃないか。なのにどうして……野生動物のいる森に、身を守る手段を何も持っていない赤ん坊を置いていく結果になるのだ。
「本当の親が自分の子どもに対してそんな薄情なものであっちゃダメじゃん……そんなのってキースに対して酷いじゃないか……」
「レイ……」
会話とは言えない、ただ一方的に自分の言いたいことを唇を噛みながらそう吐き捨てた。本当なら楽しく夜の散歩をして戻るだけだったはずなのに。この場に来て、心の蟠りを言わずにはいられなかったのは俺の弱さだろう。母さんに甘えてしまったのだ。
そして俺の中で渦巻いているのは多分、大人であるのなら割り切れるような思いなのだろう。だが悔しいとかやりきれないとか、これらの感情を切り捨てることはしてはいけない気がする。
……というかあれこれ考えてはいるが本質は一つだ。あとまだ言い足りないので深呼吸して次に備える。黙って神妙な顔で聞いてくれている母さんには申し訳ないが、もうちょっと甘えさせてもらうとしよう。よぉし言うぞー。
「母さんの前だから言うんだけどさ………………………………………………………………要はめちゃくちゃムカつく。ものすごいムカつく。つーかね、もうずっーーとムカついてる!」
「ううん……?」
む!少しだけ大声を出したら何だか調子が出てきたぞ!ちょうど近くにあった岩の上にハンカチを敷き、そこへ座るよう母さんに促してから、俺はその場に足を崩してぺたんと座り込む。そして感情の赴くままにぺしぺしと地面を右手で叩く。勢いをつけているのでまぁまぁ痛い。
俺が騒がしくなってきたせいか、どこかに隠れていたであろう夜行性の動物たちが『なんだなんだ』とぞろぞろと集まってきている。うるさくしてごめんね!だが観客が多い方が燃えてくるというものだろう。
「やっぱりね!普通に腹が立つ!キースを置いていった奴もぜーったい『あーこれでいいや、終わった終わった』とか思ってるんだよ!?ひどくない?いやまぁこれに関しては俺の勝手な予想だけど!」
論理的だとかそういうものは全くない。相手の事情はとりあえず無視して、俺の中ですごいムカつくから言ってるだけだ。でも言う権利はあると思う!
頬をはち切れんばかりに大きく膨らませ、如何に俺が怒っているかを視覚的に表す。追加で地面も叩いておこう。
「キースが良い子に育ってくれてるから、置いていった奴に余計に腹が立つ!まぁ?もう俺がキースの親だから、森に置いていくような薄情な奴のことキースは知らなくてもいいんだけどね!でも、もしも仮に今この場に来て、返してくださいーって言ってきてもぜーったい!渡さないもん!俺と一緒の方がキースもぜーったい!良いはずだもんね!」
理由は明白だ。この場でそいつと俺が親バトルすれば確実に俺の勝ちだからだ。そもそもの親力が圧倒的に違うんだから!
つーか俺なら……万に一つもその可能性はないが!赤ん坊だったキースをこんな野生動物満載の森に放置なんてしないし!危ないもん!
はい。そんな初歩的な点からも勝負にならない。つまりは急に挑まれたとしても親バトルは大勝利。余裕の完勝である。おととい来やがれ!ざーこ!泣いて帰ればーか!お腹痛くなれ!
「もう!本当にね!普段はあまり言わないようにしてるんだけどね!実はすっごい!怒ってる!」
フー!フー!と気合を入れ過ぎて鼻息が荒くなってしまった。心なしか周りに集まった動物が一歩引いているように見える。あ、ちょっとそっちに目をやると、見学に来てた子タヌキに後退りされてるじゃん……恥ずかし!でもいいや!気にしないよ!本心を言ってるんだし!
しかしこんな我儘に言いたい放題の俺を咎めるどころか、母さんはただ相槌を打ちながら温かくも真剣に聞いてくれる。嬉しい。けどそう思ってしまうのもやっぱり子どもっぽいだろうなぁ。
それからも俺はキースを置いていった奴にどれだけ怒っているのかを力説した。観客人とも呼べる動物たちもなかなかの数集まってしまう程度には騒がしかったのだろう。あまり見覚えのない種類のコウモリが出てきているし、先程見かけたフクロウも地上に降りてきて近付いてきていた。
………………………………………………………………ただ、ムカついても怒っていても。行きつく先は大体同じだ。そこに行きついてしまうと……俺は意気揚々と演説のように話していたさっきとは違い、少しだけ止まってしまう。言葉にしなければこのまま終わるけれど。それでもはっきりと言葉にしなければ、心の中にあるモヤモヤはずっと燻ぶったままだから。
そして、そのモヤモヤした部分に目を向けてしまうと自分が醜く感じてしまうのだ。でも聞いて欲しい。俺は躊躇いつつも、もう一度口を開く。
「……でも!……でもね、母さん。こうも思うんだ。この森に置いていってくれてなかったら、俺はキースと出会えなかったんだよなって……俺、キースと出会えて嬉しい。キースのこと大好きだ。けどつまり『キースがこの森に置いていかれてよかった』ってこと……なんだ。それはキースの不幸を喜んでるのと同じだ」
置いていった奴にムカついても、怒っていても、最終的にそこに行きついてしまう。俺はキースと出会えてよかったと思っている。だけどその意味は、キースにとっての不幸が俺にとっての幸運だ。そこに気付いてしまうのが、一番切ない。
キースの不幸が俺にはよかったことなのか。俺はキースの不幸を喜んでしまっているのか……気づいてしまえばとても醜く思えてしまう。
「レイ、その考えは飛躍し過ぎよ。極端な考えは無暗に自分を傷つけるだけで、何も良いことはないわ」
今の今まで静かに聞いてくれていた母さんが淡々と否定する。そして柔らかな所作で手を招いて俺を呼び寄せる。俺もそれに導かれるまま、流れるように膝の上に乗せられてしまった。
「母さん?」
「客観的な事実を見れば、確かにキースはこの森に放置された可哀想で不幸な子だったのでしょう。けれど……そんなのは過去の切り取った一部分の瞬間で、数えていくべきものではないの。キースとの喜ばしい運命的な出会いまでを、レイ自身が悲しみに変えようとしないで」
膝に乗せられて抱えられているからか母さんの表情はわからない。だけど顔を見なくても、言葉の響きだけでもその慈しみが理解できる。だからこそ弱音を吐いてしまう。
「……俺、ずっと不安なんだ。本当にキースのためにできてるのかが。ちゃんと親ができてるかが。キースが幸せかどうかが」
「………………………………………………………………幸か不幸かはキース自身が決めることよ。それに何が正しいかの結果は、今はわからないわ。ずっと先のことになると思う。だからキースの今をしっかり見てあげて。目一杯愛してあげて。大丈夫。今まで通りのレイならきっと問題ないから」
母さんの言葉には不思議と力強さがあった。何か確信めいた自信が、それを信じさせてくれる真摯さが。子育ての先輩が『大丈夫だ』と伝えてくれている。
「できるかな?」
「もちろん。レイだって本当に自信がなければ……んん!『俺と一緒の方がキースもぜーったい!良いはずだもんね!』……って自信満々に言えるはずがないでしょう?」
そうして母さんは俺が先程言った言葉を繰り返す。若干恥ずかしがりながら俺の真似をして。
「……フフン!あまり似てないね!」
「フフン!練習が必要ね!」
心の中に溜まっていたもの吐き出すと安心する。俺は話し終えると正直眠くなってきてしまった。母さんの膝に乗りつつ、うつらうつらとし始めてしまった。おいおい!これじゃあマジの子どもみたいじゃないか!ただ……眠い!
「くっ!散歩に誘った俺がこんな眠気に負けるわけには!」
「おぶって帰るから安心して眠っていいのよ?ほら、おやすみ」
「あ、いいのぉ?」
むむ!天使の囁きだ!これは従わなければ!母さんの口から紡がれる音は正に安眠しなさいと言わんばかりの美しさである。もしかするとこれだけでお金が取れるかもしれない。すごい。
もうね、自分でもわかる。これは眠る。だって目も瞑ってるし。安眠エルフになりそう。いや、なってる。それを超えて熟睡エルフになってるかもしれん。
「………………………………………………………………レイ。あなたとキースの間にはこれから、確実に困難が待ち受けているわ。私の見立てが正しければ、だけれど。でもその時は一人で抱え込まないで誰かに頼りなさい。あなたの周りには心強い味方がたくさんいるから」
ほぼ睡眠に移行している俺に対し、母さんが何か言っているのだがはっきりとは聞き取れない。だけど。
「うん……そうする……」
きっと、いいや間違いなく。俺たちを思ってのことだろうからとりあえず頷いておこうぜ。
▽▽▽
すやすやと私の膝の上で眠り始めたレイの寝顔は愛らしく、あどけない。天から贈り物とはこのことだろう。周囲にわらわらと集まっていた動物たちも『話も終わったみたいだし、さぁ帰るか』と言うかのようにゆっくりと自分たちの巣に帰っていく。妙に統率の取れた動物たちに驚くが、まぁレイが好かれているのなら些事だろう。
「さて、と」
気持ち良さそうに眠るレイを背負い、私も帰ることにしよう。そう思って踵を返そうとするのだが、ふと目につくのは『キースが置いていかれていた』場所だ。
レイが話したキース関係のことには見落としている部分がある。本当に捨てていったのかという点だ。明確な意思の下でいらないと思い、邪魔であって捨てていったのなら……良くはないがそれでいい。それで話は終わりだ。これからも平穏な日々が続くと思う。
しかしそうではない、突発的な何かが原因によって『この森に偶然辿り着いた』のなら……非常に難しいことになる。キースは明らかにこの国の人間ではなく、白銀というその珍しい髪色の人間はそう多くはない。
だが考えても仕方ないことはある。その時が来れば自ずと対処せざるを得ないだけだ。そう思いながら数年経って微かにしか残っていない魔法の痕跡を後ろ目で見つつ、歩いてきた道を……道を?そういえばレイが結構自由に歩き回って、それに私が付いていって……?あれー?
「……ふぅ…………………………………………………………家までの道がわからないわ。え、どうしよう」
最終的に何故かまだ近くにいた親切なコウモリが家まで案内してくれた。どうやらその親切なコウモリは魔女の使い魔だったらしい……屈辱である。