アシッドヒガンバナ   作:崖ノ下コースト

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第1話 錆びた不発弾

 熱風が吹きすさぶ。荒涼とした太陽と白けた青天の下、荒れた茶色の大地で砂塵が舞い散る。

 城室(ジョウムロ)は砂が口に入らぬよう口元を軍服で覆いながら、まんじりともせず遠くの塹壕を網膜サーマル越しに見据え続けていた。命令にいつでも対応できるよう、両腕のサーボ機構が焦げたオイルの臭いと共にアイドリングする。

 

「ううッ、緊張で吐きそうだ」

 

 彼のすぐ隣、身震いする声。新兵の宮司が弱音を漏らし、泥にまみれた手で百一八式小銃の遊底を前後させている。カチャ、カチャ、カチャ。瞑想中の城室には不快なノイズだ。

 

「俺ら、生きて帰れるのかなあ?」

「知らん」

 

 城室はぶっきらぼうに吐き捨てた。こんな末成り兵士の感傷に付き合い、研ぎ澄ませた殺意が乱れればたまったものではない。戦場で最も厄介なのは無能な味方だ。聴覚をフィルターし、城室は余計なノイズを取り払った。

 

 突如、サーモグラフィー視界に赤点が灯り始める。初めのうちはポツ、ポツと。点と点だったそれは増えるにつれて重なり合い、一本の帯となる。視界フィルターを切ると、地平線、大量の黒い影が一丸となって大地を駆け、青い空に鮮明な輪郭を残していた。

 来る。戦が近づくにつれ、城室の精神はむしろフラットになりつつあった。恐怖も、葛藤も感じない。ただあるのは、ソリッドに凝縮した殺意。そして大日本帝国の偉大なる未来への淀みなき理念。

 かつての同盟国であったイギリスやドイツすらも今や敵国と化した。日本対世界。勝ってやる。

 

「迎撃用意ッ!」

 

 乙田中尉の怒号。塹壕に乾いた操作音が響き、兵士が前方に照準を合わせた。城室は動かない。役目が違う。

 逆光の中、決死に突撃する敵兵の姿が徐々に大きくなる。

 

「撃てーッ!」

 

 轟音。たちまちのうち、銃口から光と銃弾が立て続けに発射され、鉛の暴風雨が走り来る兵士を襲う。

 だが、敵軍の勢いは止まらない。恰も灰色の波の如し。銃声が響き穴が開けども、その死体を踏み越え次が来る。銃撃程度では止まらない。もうすぐだ。人工心臓が俄かに鼓動を早める感覚をよそに、城室は全身に力をたぎらせ、奥歯に舌を置いた。

 

「……戦車部隊!突撃ィーーッ!」

 

 何倍にも引き延ばされた数秒の後、爆発するような怒声が響く。同時、城室が塹壕を踏みしめ飛び上がり、前線に躍り出た。銃どころか、短刀すら持っていない。だが問題はない。何故ならその五体そのものが凶器なのだから。視界の端で、同類の戦車兵が並走するのが見えた。

 

「ファイア!」

 

 どこかからか叫び声。敵兵が銃を構え、無数の銃口が城室に向く。マズルが光る。ドン! ドオン! だが、城室は片腕を掲げ顔面をかばいつつ、意に介さず前進。

 キィン!キン!キィン!丸太のような腕にめり込んだ弾頭は、しかし貫通せず、硬質な衝撃音とともにひしゃげ弾け飛んだ。城室、無傷。敵兵の海への突入まであと2秒、1秒。

 

 慄く最前線の敵兵士。何かを口汚く罵っている。破れかぶれな小銃から、再び銃弾が放たれた。城室の脇腹に着弾。キィンッ!だが貫通することもなく、銃弾は横に逸れ、彼方へと飛んでいった。眼前の兵士が絶望に顔を歪める。その顔面へ、城室は鋼鉄の拳を余すことなく叩きこんだ。

 

「オラアッ!」

 

 確かな手ごたえとともに、敵兵の顔面が砕け――

 

「ッ……!」

 

 ――なかった。

 

「アア……?」

 

 拳が空を切る感触で、城室は弾かれたように目を開けた。硝煙と血の臭いはない。代わりに、埃っぽい空気とかび臭い湿気が肺を満たしている。視界の端に淡い光。付けっぱなしだったテレビが環境映像とリラクゼーション音楽を流している。

 城室は頭を振り、軋む体を起こした。そして振り上げた拳を下ろす。一見生身だが、その人工皮膚を一枚捲れば物々しい軍用強化骨格が露出することだろう。これで殴ったのが壁だったらヤバかった。決して安くない修理代を要求される。

 

「またこの夢かよ……クソッ」

 

 滲むように痛む頭をよそに、城室はゆっくりベッドから這い上がり、遮光カーテンを乱暴に開けた。

 ……今日も雨だ。防弾の窓を濁った水滴が叩いている。分厚い雲に蓋された空の下、墓標のように林立するビル群。その谷間を極彩色の傘が埋め尽くし、汚れた車列が川のように流れていく。史上最悪の魔窟、オールド東京。

 

「……」

 

 見飽きた絶景だ。目を背けた城室は、腹を搔きながら冷蔵庫を開けた。何とも侘しい中身だ。水が数本と、「豚の恵み」とパッケージに印された合成ハムが二つ。城室は舌打ちし、水のペットボトルとハムを一つずつ取り出した。これで晩飯も食べれば、もう明日の分が無い。早いところカネを集めねば。

 

 チチチチ……ボッ。ガスコンロの青い火が。錆びたフライパンを炙る。その上にスライスした合成ハムを落とす。立ち上る脂の臭いは、肉というより化学薬品に近い。裏返す。焼く。

 

 数分後。焦げ目のついた合成ハムのスライスと白飯、そしてコップの水が卓上に並んだ。

 

「いただきます」

 

 手を合わせ、食材への感謝の言葉を述べる。とはいえこのハムは合成食料だ。何に感謝しているのだか。自嘲と共に箸を伸ばしかけたその時、テレビが無機質なアナウンスとともにニュースを流し始めた。

 

「本日を以て、日本大戦の終結から十年が経過しました。第二次世界大戦の単独戦勝国となりながら、世界中を敵に回した愚かな戦争。敗戦による領土返還と、莫大な賠償金は今もなお――」

 

 ピッ。リモコンで電源が落とされる。部屋にホワイトノイズじみた雨音が戻る。不愉快だ。お前ら報道機関も、あん時は扇動していたじゃないか。眉間に皴を作り、城室は貧乏ゆすりと共に残りのハムを口に放り込んだ。

 

 ■

 

 外は相変わらずの酸性雨だ。城室はすすけたトレンチコートの襟を立て、白濁したビニール傘を開け、マンションを出た。

 中心街郊外。黄ばんだ場所だ。「高額買取」「カラオケ」と書かれたネオン看板。高層コンドミニアムの足元に密集した屋台街からは、中華スパイスの匂いが暴力的に漂ってくる。喧騒に混じり、終末論をがなりたてる狂人の声。発砲音。

 いつもの光景だ。城室は眉一つ動かさず、湿った人ごみを掻き分けて歩き出した。

 

 狭い道に差し掛かったころ、道端でたむろしていた二人の男が、突然、城室の進路を塞ぐように立った。

 

「……通せ」

 

 城室は低く告げた。だが男どもは下卑た笑みを交わし、汚れた手を差し出すのみ。

 

「ここは俺たちの関所だ。通りたきゃ通行料を払いな!」

「……」

 

 城室は無表情のまま、男を見下ろした。

 ……数秒後。城室は何事もなかったかのように関所を通り過ぎていた。背後では、「門番」が顔を腫らし気絶していた。抗議に理解を示してくれたのだ。

 

 ■

 

 ……人気の絶えた路地。シャッター街の只中に、一軒だけ明かりの灯る店がある。看板には「郡司掛(グンジカケ)(タバコ)店」の掠れた文字。

 城室は傘を畳み、黒ずんだ木のドアを押し開けた。途端、紫煙が視界を埋め尽くし、肺の焼けるようなニコチンの臭気が襲いかかる。

 

「おや、あんたは……」

 

 中は狭い。煙草、煙草、そして煙草だ。城室のような巨漢なら、肩を窄めてやっと。カウンターの奥、男が城室に気付き、新聞から顔をあげた。店主の郡司掛だ。

 枯れ木のような老人だが、そのしわがれた口には紙巻が五本も挟まっており、煙を蒸気機関車のように吐いている。

 

「城室だ。ジジイ、仕事くれよ。カネがねえんだ」

 

 城室は単刀直入に切り出した。しかし店主は鼻を鳴らし、わざとらしく新聞を広げ直した。

 

「礼儀のなってない与太者に出す仕事はないねェ」

「……チッ」

 

 城室は露骨に舌打ちをした。そして陳列棚から最も安い銘柄を掴み取り、なけなしの小銭と共にカウンターへ叩きつけた。

 

「毎度あり! キッヒッヒ!」

 

 小銭を見た瞬間、店主がしわくちゃの顔を潰して笑う。

 その醜悪な笑顔と引き換えに、城室の本日の晩酌は幻と消えた。

 

 ■

 

「私の父は日本大戦で戦死しました。尊敬すべき偉大なる父でした。日本軍の行いは到底許せるものでは――」

 

 番組はまだ戦争の特集を続けていた。あのテレビを消すことできない。ショーウィンドウに並べられた売り物だからだ。城室は苛立ちと衝動を抑え、足早にその場を離れた。片手には閉じたビニール傘。雨はあがっている。

 

 今回の依頼は簡単なものだった。玄鶴組の賭場でイカサマ師を痛めつけ、その指を一本持ち帰るだけ。お誂え向きの仕事だ。実際、城室が一発殴っただけでそいつは泣いて詫び、小指を無事にけじめした。今や報酬の入った封筒が、懐で微かな重みを主張している。

 これなら一週間分の食費と、今月の両腕のメンテナンス代は賄えるだろう。生き延びられる。ただ、贅沢は出来そうにもない。

 

「……ハァ」

 

 白い呼気と共に、重い溜息が漏れた。最近、どうもヤキが回っている。

 かつて、俺は最前線で大立ち回りを演じ、何度も死にぞこない、やがて英雄と持て囃された。

 だが今はどうだ。あのジジイが持ってきた依頼を見て、俺はどんな顔をした?ロクに請けられなかったじゃないか。

 軍を逃げ、フリーの零細傭兵に身を窶してからというもの、その両腕は無敵の盾というより、ただの鈍重な錘になりつつある。幻肢痛もひどい。鎮痛剤が無ければ今ごろ生き地獄だ。

 この前の仕事だってそうだ、追いつけず、危うくターゲットを逃がすところだった。通りがかった車が跳ね飛ばしてくれなければ、俺の面子は丸潰れだっただろう。

 パワーはある。だがスピードが無くなった。これは早急に解決すべき課題だ。ソロでやっていくには限界がきているのかもしれない。だが、どうしろと? このオールド東京に、信頼できる仲間がいるとでも?

 

「……」

 

 ふと、首筋に冷たい視線を感じた。足を止め、城室は油の浮いた水たまり越しに背後を睨んだ。……誰も居ない。気のせいか。城室は不安と鬱憤で過敏になった神経をなだめた。

 ビルの隙間から朱い太陽が街中を橙色に照らす。もうすぐ暗くなる。帰らねば。城室は足早に帰路を辿った。夜行性のトラブルは数多い。巻き込まれるのは御免である。

 

 バイカーの騒音をやり過ごし、ラリッたスーツ姿の男から離れ、物乞いを無視し、城室は根城である『下北沢マンション』へと何事もなく到着した。

 ひび割れた外壁、剝き出しの配管が示唆する通り、老朽化の著しい廃墟寸前の物件だが、それを補って余りある格安の家賃は下級労働者にとって希望の星だ。シャワーとトイレまである。潔癖症でなければ天国にも等しいだろう。

 反応の悪い自動ドアをくぐり、管理人の老婆に会釈を返し、城室はエレベーターのボタンを押下した。そして上部のインジケーターを見た。「23」が点灯している。24。25。

 

「……」

 

 城室は肩を竦め、階段へと向かった。

 

 ……四階。階段を上りきってすぐ目の前に、城室の部屋がある。四〇五。「四」は不吉という習わしが無ければ四〇四となっていたであろう部屋番だ。他の部屋が軒並み埋まっていた中、ここだけがぽっかりと空いていた。城室は根拠のない迷信を信じない。

 いつものように鍵を回し、ノブに手を掛ける。

 

「……」

 

 城室の手が止まった。ドアノブ自体に変化はない。細工された痕跡も見えない。ただ……ドアに挟んでおいた髪の毛が、消失していた。

 熱反応センサーも、サーマル視界も、メンテナンス不足で死んでから久しい。ただ、死線で鍛えられた第六感が明確な警告を発した。中で誰かが潜んでいる。明確な殺意を持った誰かが。

 

「……フン」

 

 敢えて気付かなかったそぶりをし、城室は無防備にドアを開けることにした。自然な所作で靴を脱ぎ、玄関に上がる。

 だが、脳内クロックは極限まで高速稼働し、その一秒一秒は何十倍にも引き延ばされていた。泥化した時間間隔の中、視界から情報を最大限に分析し、刺客の痕跡を拾おうとする。……ない。見つからない。更に奥に潜んでいるか、もしくは跡を濁さぬ手練れか。全方位に気を配れ。何としてでも不意打ちを防ぐのだ。

 

『――次のニュースです。年々増加するアジア系移民、そして殺人等の重犯罪。この二つに相関性があるのか、専門家が意見を――』

 

 リビングからキャスターの声が漏れ聞こえる。またテレビを消し忘れたか。

 城室は慎重に足取りを進め、ワンルームのリビングへと足を踏み入れた。暗闇の中、テレビの光だけがぼうっと周囲を照らしている。スイッチに手を伸ばす。パッ。人工の光が闇を照らす。

 その瞬間、城室は弾かれたように天井を見上げた。部屋の隅から、影が、重力加速よりも早く飛んできていたのだ。

 それは砲弾めいて懐へと迫ってゆく。射貫く視線。振りかざされる二条の閃光!

 

「ッ!!」

 

 本能が警告を発するよりも早く、城室は両腕をクロスさせた。

 

 ガキィンッ!!

 

 鼓膜を劈く金属音。凄まじい衝撃がのしかかり、強化骨格が悲鳴を上げる。間一髪、防いだ。錘だの罵ってきたが、どうやらこの腕も捨てたものではないらしい。城室は火花の散る腕の隙間から、刺客の正体を捉える。そして目を見開いた。

 黒檀色のテックジャケット。乳白色の髪。ガーネットじみた赫い瞳。そして……華奢で、小柄な身体。

 

 恐るべき暗殺者の正体は、まだ十代半ばの少女だったのだ。

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