アシッドヒガンバナ   作:崖ノ下コースト

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(城室は火花の散る腕の隙間から、刺客の正体を捉える。そして目を見開いた。
 黒檀色のテックジャケット。乳白色の髪。ガーネットじみた赫い瞳。そして……華奢で、小柄な身体。

 恐るべき暗殺者の正体は、まだ十代半ばの少女だったのだ。)


第2話 劈く足音

「こいつッ……!」

 

 義腕を断ち切れないと悟ったか、少女は斬撃の反動を利用してバックステップを踏んだ。空中で一回転し、テーブルを挟んだ向こう側に軽やかに着地。ガードを解いた城室は、油断なき眼で少女を見据えた。

 影色のフードの下から覗く白髪と、殺意に光る瞳。身に纏う装束は、否応にも忍者を連想させる。何より異質なのが、その武器だ。手の甲から突き出すように、二本のブレードが展開されているのだ。

 

「……そうか」

 

 城室には、その特徴的な見てくれに心当たりがあった。裏稼業をしていると、どうしても耳に入る都市伝説。

 オールド東京は複数の闇組織に分割統治されている。玄鶴(ゲンカク)組、百舌(モズ)組、孔雀(クジャク)組、その他。だが、その影に潜み、どの勢力にも傾ぐことなく闇から闇へ命を狩る、幻の組織があるのだという。

 

「お前、双燕(ソウエン)組か?」

 

 城室が問うと、眼前の暗殺者の殺気が僅かに揺れた。

 

「……それを知ってどうする?」

「オイオイ、実在したとはな……都市伝説じゃなかったのか」

 

 感心半分、呆れ半分。他人事のような城室の態度が、却って彼女の神経を逆撫でしたか。彼女は剥き出しの殺意と共に再びブレードを構え、深く沈み込んだ。四肢が俄かに青白く発光し始める。城室は眉間を寄せる。手足に何か仕掛けがあるか。

「おい、恨みを買った覚えはないぞ。何で殺されなきゃならん?」

 

 迎撃体制を取りながら、城室は再び問うた。だが、少女は取り合わなかった。

 

「死人と会話する趣味はない。天誅を受けろ」

 

 ……問答無用か。ならば、まずはこの嵐を凌がねばならない。女子供を殺す趣味はないが、手加減できる相手でもなさそうだ。

 全身をエンドルフィンが満たし、古びたサーボモーターが唸りを上げる。スローモーな視界の中、城室は構えた。少女もまた、クラウチング姿勢のまま彫刻めいて静止した。

 

 ……バチッ。老朽化した蛍光灯が、火花を散らして明滅した。

 

 ――ドォンッ! 一瞬の闇が晴れるや否や、彼女の殺気はダイナマイトじみた噴射音と共に眼前にあった。人間離れした瞬発力! 死が肉薄する中、城室は彼女の四肢から噴出する火を捉えた。手足にブースターだ!

 室内照明を逆光に、凶刃が降り注ぐ! だが、城室の強化改造された反射神経は捉えている。鋼鉄の義腕を、ハンマーのように打ち振った!

 ガギャン!

 

「!」

 

 ブレードが弾かれた! 無視しきれない反動を全身に受け、空中で大きく体勢を崩す少女。城室は左腕を引き絞り、追撃の崩拳を間髪入れず叩きこまんとする!

 

「ドラァッ!!」

 

 裂帛の咆哮! パイルバンカーめいた突きが、少女の内臓を破裂させんと直進する! 宙に浮く少女は体勢を整えることすらままならず、敢無く直撃――

 

 ドォンッ!

 

 ――否。熱と爆裂音。彼女の身体は、何もないはずの空中で二段跳躍した。

 

「……!?」

 

 拳が空を切る。確信していた手応えを得られず、今度は彼がバランスを崩す番だった。迫り来る拳を直前まで引き付け、ブースターで回避した。彼はそう憶測した。

 彼女の残像が未だ網膜に焼き付く中、城室は必死に暗殺者の気配を追う。ドン! ドン! ドォン! ただ爆音だけが響く。右、上、そして背後。ブースターを噴かしての乱反射めいた三次元駆動。なんたる曲芸。城室は半ば苦笑した。

 

「死ねェッ!」

 

 ドオォン! 背後で空気が裂ける音。無防備な背中を狙った特攻か! 城室の反応は間に合う。だが体幹は未だ崩れたまま。満足のいくカウンターが打てない!

 

「くッ!」

 

 衰えた膂力を限界まで振り絞り、城室は振り向きざまに左腕を掲げた。ギィ、ガガガガガッ!! 激突! 片腕にキャパオーバー寸前の負荷が襲う! 頑強なる鋼鉄の腕に、冷たい金属が火花を散らしながら徐々にめり込み……そして、ダメ押しと言わんばかりに、両手のブースターが出力を増加!

 

「うおおおおッ!?」

 

 想像以上の推進力に、城室が吠える。力が滾り、全身に注連縄じみた筋肉が浮かびあがる。限界が近い。だが彼女も同様だ。ブースターは赤熱し、か細い腕には血管がくっきりと走り、今に破裂してもおかしくはない。

 何という死に物狂い。何というパワー。押し返すことすら出来ない。これではジリ貧だ! 城室は軋む腕を必死に抑えつけ、歯噛みしながら怒鳴った。

 

「なあ……あんた! ここらで手打ちにしねえか? 限界なんだろ!? 俺の片腕を首級に持っていけよ! そうすりゃ手出しは――」

「笑わせるな……! 我らが父は貴様の首をご所望だ! 潔く死ね! 苦しまず介錯してやる!」

「話が通じねえな!? このクソガキッ!」

 

 城室は毒づき、反撃の手立てを死に物狂いで模索した。

 だが――こうしている間にも、一対の刃はミシミシと装甲を削り、沈んでいく。このまま埒の明かない鍔迫り合いを続ければ、喉笛ごと腕を両断されるのは時間の問題だ。

 確実に殺される。こんな子供相手になどと侮っていられない。もはや手段を選べる状況ではなかった。

 

(クソ……止むを得ねえ)

 

 奥の手だ。現役軍人時代は使い放題だったが、薬の副作用は確実に肉体を蝕んだ。今や、効果が切れれば満足に動けなくなる有様。

 故にここから先は、短期決戦だ。

 

「テメェ、後悔すンなよ……!」

 

 決死の唸りと共に、城室は奥歯の――奥歯に仕込まれたスイッチを、噛み、押した。途端に、心臓の鼓動が二倍になった。

 

「……ッ!?」

 

 少女の赤い眼が見開かれる。押し込んでいるはずのブレードが、動かない。……いや、それどころか、ブースターを限界まで噴かしているというのに……押し返されている!?

 

「ぐおおおおおああアアアッ!!」

 

 猛獣のような咆哮と共に、城室はなおもブレードを抑えつけた。口からは白い蒸気が呼吸と共に漏れ、強まる膂力は留まるところを知らない。巨大要塞にナイフを突き立てるが如き手応えの無さ。

 こいつにまだこんな馬鹿力が。幼き暗殺者は、この一刀のもとに勝負を決める未熟な考えを捨てた。

 

「くッ!」

 

 一瞬の隙を利用し、体を丸めて足のブースターを噴射。発砲された弾丸のように後方跳躍し、距離を取った。

 

「らあッ!!」

 

 直後、鋼鉄の腕を振り抜く城室。風圧でカーテンが揺れる。その思考はなかば暴走、眼は暴力の予感に渇望し、全身に漲る力が陽炎を立ち昇らせている。狂乱。

 だが彼女はなおもブレードを構え、ブースターで突進した。全速力の蒸気機関車に挑むが如き蛮勇にも思えるが、その実、彼女も城室の戦法に適応しつつあった。力比べは自殺行為。だが、俊敏性には分がある。そこに進むべき道がある!

 

「天誅ッ!!」

「ゴルアァッ!!」

 

 ガキィン! ガキィン! ガキィィン! 衝突、衝突、再び衝突!

 少女が突進する度、城室が腕を振ってパリング! しかし少女も弾き飛ばされる度にスーパーボールのように跳ね返り、別角度からの突進を繰り返す! 切り結ぶ! 切り結ぶ! なんたる互いに一歩も譲らずの丁々発止! ……だが、そのフードの奥で、少女の心の余裕は着実に失われつつあった。

 

(……私のスピードに、なぜ対応できている?)

 

 正面きっての切り結びに期待はしていない。だが、何度も軌道を屈折させ、文字通り全方位から斬撃を繰り出そうが、それでも奴は問題なく対応してくる。常軌を逸した反射神経だ。

 最初の切り結びでは、もう少し優位に立てていた筈。自己の強化――奥の手ということか? ……ならば、私も全力で喰らいつこう。これが最後のチャンスだ。

 

『……速報。緊急速報です――』

 

 室内の死闘なぞには全く気もくれず、テレビが無機質な声を響かせる。少女は再びブースターを吹かし、空中バックフリップ。そしておもむろにブレードを広げ、四肢のブースターを一斉噴射――回転を始めた。

 そのスピードは徐々に増し、やがて刃の竜巻と化す! 力で劣るなら、手数で削り殺すべし!

 

『――およそ30分前、中心街の雑居ビルにて爆発火災が発生、現場からの情報によりますと、今も建物は燃え続けており、消火活動も継続中――』

 

 殺意の応酬。互いの距離がゼロになる寸前。高速回転し、目まぐるしく流れる視界の中、テレビが映す中継映像が彼女の瞳に映り込んだ。

 

(え……?)

 

 少女の赤い瞳は――鍛え抜かれた動体視力は――捉えた。炎を上げて崩れ落ちる、見覚えのある灰色のビルを。

 一歩(タガ)えればすぐさま死神の鎌が迫る極限状況。だが、彼女の時間は凍りついた。思考が白く飛び、戦場から心が乖離する。

 家が。

 双燕組が。

 私の帰る場所が、燃えている。

 

「……?」

 

 城室は、相対する少女の異変を訝しんだ。緩む回転。逸れる視線。手練れの暗殺者にあるまじき、致命的な隙。

 だが、この勢いづいた拳は今さら止められない。ならばいっそ、一度頭を冷やしてもらうか。ドスッ。城室のストレートが、少女の無防備な腹部にめり込んだ。

 

「か……はッ!」

 

 肺の空気が強制排出される。身体がくの字に曲がり、残ったブースターの慣性できりもみ回転したまま、壁に激突。蜘蛛の巣状の亀裂を作り、床に沈んだ。

 なんとか手加減した。死んではいない。城室は過熱する思考をクールダウンさせ、拳を下ろした。そして残心したまま、彼女を見下ろす。

 

「ゲ……ゲホッ……! うう……」

 

 項垂れ、喀血する暗殺者。白い口元に真紅の筋が伝う。全身はぐったりと動かず、満足に戦える状態には見えない。ただ……それでもその目は、揺らぐことなく一点を見つめたまま、動かなかった。

 城室もまた首を巡らせ、視線の先を追う。テレビの現場映像。中心街でビルがごうごうと燃え、消防車が群がっている。物騒だが、オールド東京では日常茶飯事だ。特段、感傷をもたらす光景ではない。だが。

 

「え……そんな……何が起きて……」

 

 少女の震える口からは、か細い声が漏れるばかり。驚愕と絶望を綯交ぜにした、消え入るような声。その顔にもはや、冷徹な暗殺者の面影はない。ただの迷子の少女だ。

 

「……おい」

 

 城室は構えを解かずに呼びかけた。戦意喪失と見て取れるが、油断はできない。

 少女は、彼が呼びかけるや否や、ハッと息を呑んだ。得物を杖に、呻きながらも立ち上がる。そして、焦点の合っていない目でブレードを構えた。

 

「お前は……殺す! 父上の為に……」

「……」

「うあああッ!!」

 

 少女が駆けた。ブースターによる素早い袈裟切り。喰らえば致命傷。……だが、浅い。あまりに直線的で、容易く見切ることのできる、破れかぶれの攻撃だ。

 城室は冷静に刃を受け流し、そのままがら空きの腕を……掴んだ。

 

「うっ……放して! 放してよおッ!」

 

 右半身を拘束され、もがく少女。自由なもう片方の腕を振り回すも、その素人同然の動きを制圧するのはあまりに容易い。それも掴み、拘束し、固定する。いくらブースターを噴かそうと、万力の如き城室の腕の前はまるで地中に根を張る大木。

 

「無理をするなよ。そんなボロボロで」

「うるさいッ!」

「……あれは、お前の"家"だな?」

「ッ……」

 

 少女の歯がギリギリと音を鳴らす。必死に殺意を研ごうとするも、視線がテレビから離れない様子だ。

 

『――ああっ……何ということでしょう。倒壊です!ビルが崩れ落ちていきます!』

「……!?」

 

 悲鳴のようなアナウンスと共に、灰色の巨塔が瓦礫の山へと変わっていく。

 その俯瞰映像を背景に、キャスターが無慈悲な事実を読み上げた。

 

『生存者は……ゼロ。現場からの報告によりますと、生存可能性は絶望的とのことです――』

「あ……あ……そんな……!」

 

 やがて少女の中で飽和した感情は、涙となって溢れ出した。張り詰めていた糸がプツンと切れる。ブレードがひとりでに畳まれ、格納される。ブースターが黒煙を上げ、燻り、沈黙する。

 城室は手を離した。ようやく自由になった彼女の両腕は、しかし城室に傷一つ負わすことなく、だらんと垂れた。糸の切れた人形のように。

 そしてテレビの映像を――燃え崩れる双燕組の本拠地を――我が家を前に、膝をついた。

 

「ち、父上! 父上ッ!」

 

 彼女は震える手で懐から端末を取り出し、画面を叩いた。涙を滂沱と流し、子供のように喚きながら、何度も、何度も発信する。

 

「返事して! 置いていかないでよ! お願い……お願いだから……!」

 

 ――だが、応答はない。ノイズすら返ってこない。

 彼女は、失ったのだ。家族を。双燕組を。自己を形作っていた、何もかもを。

 

「…………」

 

 ゴトッ。手から端末が滑り落ちる。少女は力なく項垂れた。床にポツリ、ポツリと涙の染みができる。小さく漏れる嗚咽。

 城室は黙ってその様を眺めた。……既視感があった。

 遠い昔。人付き合いが苦手だった城室は、よく村はずれの川沿いで一人、釣りをしていた。ある日、帰ってきた城室を出迎えたのは、変わり果てた故郷だった。

 誰もいない。地面にあちこち黒く焼けた痕を遺しながら、人が消えていた。両親も居なかった。夕餉のハンバーグの匂いの代わりに、焼け焦げた肉の異臭が漂っていた。

 あの日の俺も……こんな顔をしていたのだろうか。

 

「……何、見てる」

 

 やがて少女が顔をあげ、涙でくしゃくしゃとなった顔を潰して睨んだ。だがそこに殺意はなく、懇願があった。

 

「殺してよ。全部失った。家も、父上も、使命も。生きる理由がない」

「……」

「だからほら、早く。ねえ――」

 

 プツン。テレビが消える音。城室が電源ボタンを押したのだ。そして……何も言葉を発さないまま、彼はキッチンへと向かう。冷蔵庫から合成ハムを取り出し、コンロを点火し、フライパンの上に放り込んだ。ジュウウ……と、脂の跳ねる音が静寂を埋める。

 

「……え?」

 

 少女は呆然と、男の背中を見つめた。理解が追いつかない。

 

「座って待ってろ」

 

 フライパンを揺らしながら、城室が古ぼけたソファを顎でしゃくる。憔悴しきった少女は困惑したが、拒絶する気力もなく、ふらふらと指示に従った。

 

「ほら」

 

 ドン、と無骨な音がして、目の前に皿が置かれた。焼き目のついた合成ハム。肉らしからぬ化学的な匂いが漂うが、そこには確かな「熱」があった。

 

「合成ハムだ。腹は満たせる」

「……え」

 

 少女は目を瞬かせ、床に胡坐をかいた男の顔と、皿を交互に見る。

 

「どうした。食えよ。冷めるぞ」

「……」

 

 困惑が未だ拭いきれないまま――少女は、箸を手に取り、ハムを口に運んだ。

 齧る。咀嚼する。そして、嚥下する。

 

「どうだ?」

「……まずい」

 

 少女はすげなく答えた。

 城室はフンと鼻を鳴らした。

 

「お前さん、俺と一緒に働く気はないか?」

「え?」

 

 青天の霹靂だった。箸が止まる。

 

「自分で言ってたろ。家も使命も存在価値もねえって」

「……」

「だったら、俺と一緒にフリーの傭兵として働け。丁度こっちも、スピードのある人材が欲しかったところだ」

「……なにを――」

「嫌なら出ていけ。この先、独りで生きていけるならな」

 

 突き放すような物言い。だが、今の彼女に選択の余地はあるのだろうか? ここを追い出されれば、本当に何もない。家も父上もいない。一人の生き方も分からない。だが目の前にあるのは、まずいハムと、ぶっきらぼうな大男だけ。

 ……それでも、雨に凍えるよりはマシだと思えた。

 

「……わかったよ」

 

 長い沈黙の後、少女は小さな声で答えた。選択の余地などない、消極的な同意。

 だが城室は、それで十分だと言わんばかりにニヤリと口角を上げた。

 

「交渉成立だな。俺は城室(ジョウムロ) (カブラ)ってんだ。お前は」

「……(レイ)。名前は、零」

「分かった。食い終わったら寝ろ。仕事の準備は明日からだ、零」

 

 少女は頷き、再びハムを齧った。先ほどより、少しだけマシな味になった気がした。

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