アシッドヒガンバナ   作:崖ノ下コースト

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第3話 中和する境界

「へい、おまち!」

 

 ドン。重い音が鳴り、淀んだ茶色の丼が置かれた。ジャケットのフードを深々と被り、ハリネズミのように全てに猜疑心と敵意を向ける少女の鼻腔を、ガソリンにも似た強烈な臭気が刺激する。

 

「……何、これ?」

 

 眉間に皴を寄せ、零は一つ隣の席で同じ丼を豪快に貪る城室を睨んだ。質問を受け、城室が口元を拭いながら答える。

 

「知らんのか? ネズミ肉のタレ丼だ。この辺じゃ御馳走だぞ、とっとと食え」

「……」

 

 解消されるどころか、かえって疑問が増えた感覚をよそに、零は箸で具材をつまみ、口に入れた。

 ……。

 甘ったるい。かと思えばしょっぱい。かと思えば酸っぱい。そして後味がひどく苦い。

 味が喧嘩どころではない。まるで、衝動的で支離滅裂な子供の落書きのような味だ。

 

「……もういい」

 

 零は箸を置いた。ちょうど丼を空にした城室が、面倒そうな視線を向ける。屋台の店主は他の客の対応に追われ、気付いていない。

 

「おい、食わないのか。腹が減ったらどうする」

「おいしくない。あと、お腹も空いていない。……元からそんな食べないし」

「……普段、なに食ってたんだ」

「栄養バーとか、あと、プロテインを水に溶かしたの」

 

 ミニマリストの食事かよ。城室は呆れたように肩を竦めた。好き好んで食っていたか、それとも「父様」による徹底的な管理か。いずれにせよ、彼女にとって食事は三大欲求から抜けているようだ。

 

「いいから、食えよ。もったいない」

「なによ、それ。保護者のつもり?」

「いや、人間のつもりだ。飯を残すな」

「……フン」

 

 零が鼻を鳴らした。そして、満杯の丼を手に持ち……シュッ。風が吹いた。城室が視線を下ろすと、空っぽの丼と、満杯の丼が入れ替わっていた。

 

「おい、何すんだ!」

 

 咎める城室。だが零は空の器を抱え、口角をつり上げて見返すばかり。

 

「あーあ。()()()()()()()のに、大人のアンタはまだ一口しか食べてないんだ? プッ、情けな……」

「……テメェ」

 

 城室はこめかみに血管が浮く感覚を自覚し、すぐ引っ込めた。ここでまた喧嘩をする理由もメリットもない。屋台を破壊して弁償させられるのがオチだ。

 満杯の丼を口に近づけ、城室は再びネズミ肉をかき込んだ。すでに胃袋は満杯に近く、消化器系への負担は計り知れない。それでも城室は、最後の一口を胃袋に押し込むまで、零の人を食ったような目つきから目を離すことはなかった。

 

 

 郡司掛(タバコ)店。紫煙が視界を埋め尽くす、いかにも体に悪そうな店だ。天井はヤニがへばりつき、狭苦しい陳列棚からは商品が雪崩を起こしている。

 

「……で、この娘の戸籍を偽造しろって?」

 

 郡司掛店主は、新聞を広げたまま、城室の巨体に隠れる少女に視線を向けた。

 

「そうだ」

 

 頷く城室。その陰から、怪訝な幼顔が覗く。白髪に、朱い瞳。身長は城室の腰あたりまでしかない。

 

「……群烏(ムレガラス)組から養子でも引き取ったのかい? キヒッ!」

 

 郡司掛は冗談交じりに肩を揺らした。零は眉間を寄せ、城室はうんざりと肩を竦める。

 

「ふざけるな……仕事仲間だ」

「仕事仲間? まさか! こんなガキが?」

「……ガキかどうかは、戦えば分かるよ」

「やめろ」

 

 城室が低い声で制した。零の瞳が敵意に発光し、脚部のブースターが甲高い駆動音を漏らしていたからだ。

 

「とにかく……料金なら昨日の報酬分で賄えるだろ。戸籍偽造。やってくれ」

「ハン! 敬語使わない、商品買わない。無礼者に貸してやる手は――」

 

 ズバンッ!! 城室は煙草を手に取り、そのまま壊しかねない勢いで小銭と共にカウンターに叩きつけた。店主にずいと顔を寄せる。

 

「お・ね・が・い・し・ま・す」

「あんた、ネズミ肉臭いね」

「テメェもドブカスみてェな口臭だぜ、ジジイ」

「……分かったよ。郡司掛にあい任せな! キッヒヒ!」

 

 新聞を放り投げ、咥えていた五本の煙草を同時にもみ消し、店主は城室と零を店の奥へと促した。

「極」「秘」と書かれた臙脂色の暖簾をくぐる。すると、空気ががらりと変わった。

 煙たくない。代わりに、絶縁体やオゾンの独特な匂いが充満している。デスクにも、吸殻の代わりに何台もの無骨なコンピューターが所狭しと並んでいる。

 照明の類はなく、照明はモニターの亡霊のように弱々しい光のみ。穴あきテープがデスク脇の出力機から延々と吐き出され、床で白蛇じみたとぐろを巻いている。

 

「……」

 

 零はその異様な部屋の様子をつぶさに見まわした。物珍しそうに、あるいは警戒するように。

 破れた革のチェアに腰かけた郡司掛が、ディスプレイの映像を操作する。

 

「必要な情報は――氏名、住所、年齢、誕生日。あと他にも色々あるけど……面倒なのはこっちで勝手にやっとく。さあ嬢ちゃん、名前は?」

「零」

「……苗字から言いな」

「ない。苗字は」

「ない?」

 

 老人がキーボードを叩く手を止めて振り返り、仏頂面の少女を見た。

 

「……ああ、皇族の方で?」

「んなわけあるか。訳アリなんだ、こいつ」

「そう、じゃあ今作りな。必須項目だからね。空欄だと弾かれる」

 

 零は腕を組み、困ったように俯く。

 郡司掛も短く思案する様子を見せたが、すぐに意地汚く口角を上げた。

 

「思いつかないなら城室でいいね? 城室零」

「えっ」

「……」

 

 顔を上げ、目を剥く零。城室も額に手を当て、呻く。

 

「からかったわけじゃない。あんたら顔は似てないが、雰囲気そっくりだ。苗字が同じなら検問とかでも融通が利くだろ? それに――」

 

 郡司掛は、不自然に言葉を切り、ごまかすように笑みを作った。だが彼らが気付くことはない。

 

「……まあ、俺は構わないが――」

「ふざけないで。こんなオッサンと同じ苗字なんて、願い下げも良いとこ」

 

 最も拒絶の意志を見せたのは、当の零本人だった。

 

「オッサン……」

「なにさ、偽装親子だよ? 合理的じゃない?」

「嫌なものは嫌!」

 

 頑なな態度に、店主は城室へ視線を投げた。

 

「この子、イヤイヤ期なのかい?」

「茶化すな。……まあ、アレだ」

 

 城室は言葉を選んだ。

 

「初対面が……かなり最悪だったからな。今もそれを引き摺ってるんだ」

「へぇー」

 

 ……殺し合っていたら彼女の家が爆発し、行き場がなくなったので拾った。赤裸々に伝えるならこうなる。だが、そんな荒唐無稽な事情を伝えるのは……面倒臭い。

 

「じゃあ何だい、適当なありふれた苗字にでもするかい? 伊藤(イトウ)とか、古田(フルタ)とか……」

「……なんでもいい。オッサンの以外なら」

「オッサン……」

「決まりね。じゃあ『古田 零』。これで登録するよ」

 

 カチャカチャ、とキーボードを叩く音。ディスプレイの入力ボックスに「古田」の二文字が宿る。

 その後も作業は進んだ。住所は城室と同様。年齢は15歳。誕生日も不明だったので、仮の日付として「今日」になった。……よりによって、迷子になった翌日が誕生日とは。城室はなんとも言えないバツの悪さを覚えた。

 

「ほい、出力っと」

 

 郡司掛がエンターキーを叩くと、出力機が唸りを上げた。ガガガガピー。駆動音と同時に、エメラルドグリーンのICカードが吐き出される。

 

「出来た出来た。データベースにも……あるね。キヒッ、仕事完了!」

 

 まだ熱を持つカードを、郡司掛が投げる。零はそれを受け取ると、確認もせずに無造作にポケットへ押し込んだ。

 

「ふん。別にいらないのに」

「本当にイヤイヤ期なのか? お前……」

「ねえ、あなたフィクサー(仕事仲介人)なんでしょ? 何か寄越しなさいよ、仕事」

 

 少女は憮然と言い放った。昨夜のしおらしかった面影はどこへやら。吹っ切れたのか、ヤケクソなのか。あるいは、この図太さこそが彼女の本性か。

 

「キヒヒ! 意欲的だねェ。でも依頼はひとつしかないよ。それも、群烏組からの」

「群烏組?」

 

 零が首を傾げた。

 

「……スラムのガキどもが寄って集って作ったコミュニティだ。手に余る案件が出た時だけ、依頼が来る」

 

 城室が解説する間に、郡司掛はモニターに情報を映した。

 行方不明になった構成員の捜索。依頼主は群烏組のボス、高梨(タカナシ)カンタ。期限は一週間。

 

「……まあ、初仕事に悪くないか」

「もっと割の良いのはないの?」

 

 食い違う二人の意見。郡司掛は肩を揺らし、意地汚い笑い声を漏らす。

 

「あいにく、あたしの顧客は君達だけじゃない。もうこういうのしかないよ。嫌なら他を当たるか、環境保全活動でもしてな!」

「……わかったわよ。チッ」

 

 零は渋々と頷いた。

 

「決まりだね! 詳細は追って端末に送るよ。……というわけで今日はもう店仕舞いだ。出ていきな!」

「あ? 店仕舞い?」

 

 城室は暖簾を捲った。まだ日は高い。

 

「おい、俺の記憶ではあと半日はやってたぞ、この店」

「キヒヒヒ。おかしなことを言う客だ。()()が無くなったというに、なんで店を開ける必要がある?」

「……」

 

 店主は立ち上がり、二人を身振り手振りで追いやっていく。

 

「ほら、去った去った!」

「煙草を買いに来る客はいないのか?」

「いるよぉ? 常連さんが一人、アタシの目の前にいる」

「……ああそう」

 

 城室はこれ以上の無益な問答をやめた。

 やがて二人は、半ば追い出されるように店の外まで案内された。バタン。背後で「CLOSED」の札が揺れる。

 

「とりあえず……今日の予定は終わったな。思ったより早く済んだ。……帰るか、零」

 

 城室が破れた袖を捲る。ひび割れた腕時計は「15:34」を示している。

 

「名前で呼ぶな、馴れ馴れしい」

 

 零が冷たく言い放った。城室は眉を顰める。

 

「は?」

「いい? 私は『古田 零』というれっきとした身分を手に入れたの。だからこれからは古田と呼びなさい」

「いや、アレは偽名で――」

「身分は身分よ! ほら城室! このカードに刻まれた名前を読み上げなさい?」

 

 零は勝ち誇った顔で懐からカードを取り出し、城室の鼻先に突きつけた。

 

「チッ……どれどれ」

 

 コイツ、素は割と面倒臭えタイプかもしれん。変なものを拾っちまったな。城室は腰を屈ませ、掲げられたカードに目を凝らす。

 

「ええと、氏名は……ん?」

  

 そして、動きを止めた。

 

「……おい。『城室 零』って、書いてあるぞ?」

「え……」

 

 少女もまた、数秒、硬直した。時が止まる。

 

「……ハァ!?」

 

 素っ頓狂な声を上げ、零は改めてカードを確認した。

 ……改めて? 否。受け取った時、彼女は特に見もせず、すぐに懐にしまい込んだ。確認などしていない。

 

「……!」

 

 カードを持つ白い手が震える。見間違いではなく、そこには確かに「城室 零」と印字されていた。

 なぜだ。確かに奴は「古田」で入力したはずだ。この目で見た。確認も取っていた。その後に、わざわざ私らの目を盗み……こっそり、改竄したというのか?

 

(――それに、苗字が同じだと親近感が湧いて、仲良くなりやすいでしょ?)

 

 二人の脳裏に、店主の言葉の続きが幻聴めいて響いた。

 

「ハハハ、愉快なことしやがる」

 

 城室は乾いた笑みを漏らした。

 

「……あのクソジジイーーーッ!」

 

 零が怒りの形相とともに店へ取って返すのと、その首根っこを城室が掴むタイミングは、ほぼ同時だった。

 

「帰るぞ、城室零」

 

 そして、暴れる猫のような少女を引きずり、城室は歩き出した。

 

「やだ、離してよオッサンッ!」

「オッサンはやめろ。まあ、どうせもう店は仕舞った。諦めろよ、城室零?」

「うわあーーーーッ!!」

 

 彼女の慟哭は、寂れたシャッター街の風に乗り、乾いた太陽へと吸い込まれていった。

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