アシッドヒガンバナ   作:崖ノ下コースト

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第4話 煤けた烏

 ギーゴン、ガゴン。ギーゴン、ガゴン。金属音が一糸乱れぬ独特なリズムを奏でる。やかましいが、慣れなければならない。工場が稼働している間は、絶え間なく鳴り続けるのだから。この程度で参っている者にカラスは務まらない。群烏組のサークルに加わるための、無言の洗礼なのだ。

 

「……」

 

 野球帽を目深に被った少年が、俯いていた顔を上げた。鈍色の世界。等間隔に並ぶ工場がネバついた廃液を流し続け、煙突から立ち上る黒煙が陰鬱に上空を覆っている。未舗装の地面に、玉虫色の水たまりがまだら。錆びついたパイプラインが上空で編み物じみて入り混じり、遮られた太陽光はなんとも弱々しい。

 ギーゴン、ガゴン。ギーゴン、ガゴン。耳を塞いでも、重低音は骨を伝って脳髄を揺らしてくる。

 

「ううッ」

 

 少年は眉間を揉み、頭痛を堪えた。だが、一刻も早く適応しなければ。高梨からも、念を押されたはずだ。男に二言はあってはならないのだ。それにここはスラムの最深部。金目のものなど何もない、ゴミと廃棄工場の墓場だ。わざわざこんな場所に来る物好きはいない。

 いたとしても、無人の工場を点検する無害なおじさんと、弱々しいホームレスとぐらいのものだ。

 ……少なくとも、今まではそうだった。

 

「ねえ城室。ここ、汚くて臭いしヤなんだけど」

「文句言うなら帰ってろ。報酬は分けてやらねェけどな」

 

 曲がり角の向こうから、場違いな声が聞こえた。男女二人組。明らかにここの住人ではない。

 

「……!」

 

 少年の役割はシマのパトロールだ。自分が担当したエリアの安全を精査する必要がある。闖入者を発見し次第、追跡されないように撤退、頭に報告せねばならない。

 トタン壁に背を密着させ、顔半分だけを覗かせ、少年は声の主を盗み見た。

 

「零、誰か見つけたか?」

「いや、誰も」

「……見つかるまでひたすら歩くしかねぇか」

「携帯は?」

「圏外だっつったろ」

 

 ……片や、両腕の威圧的な大男……「城室」と呼ばれていた。片や、ハイテックに身を包んだ白髪の少女……「零」。異様で、何もかもあべこべだ。なんでわざわざこんな場所に? まさか、噂の「カラス攫い」の犯人? 十分あり得る。

 

(……じゃあ、これは手柄?)

 

 ……然り。本当に犯人だとすれば、ただの報告でも大手柄だ。残忍かつ、神出鬼没な誘拐犯グループの尻尾を掴んだのだから。

 きっとリーダー直々に認められ、好待遇を受けるだろう。「手柄チケット」だって大量に貰える。まだ組織に入って2週間の新人にとって、それは目が眩むような栄光だった。

 ……思考が皮算用に逸れた。警戒が緩む。

 

「……あ」

 

 零と呼ばれた少女が突如、吸い込まれるように振り向き、無造作に指をさした。

 

「あそこ。誰かいる」

 

 少年は凍り付いた。見られた。泡を食って体を引っ込めたが、遅かった。

 ……ボンッ……ボンッ!……ボォンッ! ……角の向こう。爆裂するような音が、急速に近づいてきていたのだ。

 

「うわああぁッ―――!」

 

 本能的な命の危機の前に、少年は遮二無二逃げ出した。心臓が警鐘を激しく鳴らす。毒々しい色の水たまりを蹴り上げ、ズボンが汚れるのも構わず走る。

 少年は走り続けた。一刻も早く伝えなければ。侵入者が来たと知らせなければ。捕まる前に。

 だが――相手は元双燕組だ。人間の足で振り切れるはずもなかった。

 

「止まれ、そこ」

 

 耳元で死神が囁いた。ガッ! 肩から強烈な衝撃。少年はタックルを受け、トタン壁に背中から叩きつけられた。

 

「あぐッ……!」

 

 痛みに呻く間もない。ガンッ! そして頭の一寸横に突き刺さる音。恐る恐る目を開けると、視界いっぱいに赤色が広がった。彼女の瞳だ。虫を観察するような無機質な目が、至近距離で彼を射抜いている。

 

「ひいっ……!」

 

 悲鳴を、寸前で何とか押し殺す。シュウウウウン……耳元で音。焦げた匂い。

 

「……やめて! 殺さないでッ……!」

 

 少年は裏返った悲鳴を絞り出した。

 

「オマエ、群烏組だな?」

 

 少女は取り合わず、ただ冷酷に問う。少年は恐怖に支配され、首が千切れるほど頷いた。

 

「オイ……クソッ、ゼェ……ゼェ……お前、あんま一人で突っ走んなよ……」

 

 遅れて、零の二倍ほどはある巨躯の男が、現れた。前傾姿勢で膝に手を突き、激しい呼吸を繰り返している。

 

「おい、零……そいつは丸腰だ。離してやれ」

「……チッ」

 

 大男に言われるがまま、零は不満げに舌打ちしてブレードを引き抜いた。カシャン、と手首の機構に収納される。

 少年は身動きが取れるようになったが、腰が抜け、その場にへたり込むことしかできなかった。

 それでも朱い眼をギラつかせながら、少女は追及の手を緩めない。

 

「何で私たちを見ていた?」

「へっ?そ、それは……」

 

 少年は言い淀むと、零のブレードが舌打ちと共に再び展開しかかった。

 

「零!」

「……」

 

 大男が咎めると、その抜身の刀のような視線がそちらに向いた。

 

「何様よ、アンタ。私にケチをつけてるつもり?」

「無論だ。俺はケチをつけている」

「ムカつく。殺すよ、オッサン?」

「ああ殺してみろ。俺が居なきゃお前も野垂れ死ぬぞ」

 

 男は腕を大きく広げ、無抵抗を装った。対して零は両のブレードを展開、挑発に応えるように、ゆっくりと腰を落とす。四肢の駆動音がくぐもった光と共に甲高い唸り声を上げる。

 少年は当惑した。仲間割れだ。今なら逃走も出来よう。だが、爆弾が爆ぜる一秒前が永遠に繰り返されているようなプレッシャーの前に、彼は金縛りにあったかのように動けない。

 

「……」

「……ハァ」

 

 ――火傷すら伴いそうな緊張の中、やがて二人は、何の合図もなく同時に臨戦態勢を解いた。

 

「もういいよ。じゃあアンタが勝手にやっててよ、城室。飽きた」

 

 ブレードを格納した零は、手をぶらぶらと振りながら、興味を失ったように路地の奥へ歩き出した。城室と呼ばれた大男は重い溜息を吐き、改めて野球帽の少年を見る。

 大男がしゃがみ込み、視線の高さを合わせた。

 

「怖がらせて悪かったな。お前、名前は?」

「……」

 

 無骨だが、理知的な口調だった。少なくとも、あの制御不能な少女よりは話が通じる。少年はそう思った。

 

「と……洞田(トウダ)

「そうか、じゃあ洞田。お前は群烏組の一員か?」

 

 僅かな逡巡の後、少年は頷いた。城室は「よし」とだけ呟き、膝を叩いて立ち上がった。

 

「丁度いい。なら、俺たちをアジトまで案内してくれ」

「え? ど、どうして?」

「俺たちは依頼を受けたんだ。アンタのボスから、直々にな」

 

 

 シン……。周囲の喧騒が、潮が引くように静まり返った。トン、トントン……誰かが蹴り損ねたサッカーボールが、タンブルウィードめいて空しく転がっている。頭上でカラスの鳴き声。

 

 城室はみずぼらしい身なりの子供――つまり群烏組構成員の集団の怪訝な視線を一手に受けながら、堂々と横切って進んでいた。その身長差たるや、まさに都市の只中に聳え立つ一本の煙突のよう。

 

 ここは烏野公園。かつて「スラム浄化作戦」の目玉として、多額の税金を投じて作られた憩いの場だ。だが今は、錆びついた遊具と不法投棄ゴミに占領され、社会からはみ出した子供たちの巣と化している。いつしか彼らは己を「カラス」に例え、「群烏組」としてテリトリーを主張していた。

 

「……」

 

 城室に比べ、零への猜疑の視線はほとんど浴びせられていない。ほとんど年齢の変わらない子供で、女だからだ。群烏組は大人に理由なき敵意を向ける。逆に、零には値踏みをするような視線が向けられていた。ここは男所帯。整った顔立ちの少女というだけで、よく目立つ。

 当然、彼女の虫の居所は最悪だった。群れなければ何もできない、羽の折れたヒナ鳥共が。長らく極地に身を置いてきた彼女の直感は、全員かかってこようとも、三秒でひき肉に出来る予感を思い描いている。群れた程度で増長している。

 

「ぼ、ボスはアッチにいます」

 

 先導していた洞田が立ち止まり、緊張に震える指をさした。公園の中央に鎮座する、巨大ジャングルジム。その頂上で、古びた王のように頬杖を突いて座る人影。

 

「やあ!来たのかい?」

 

 よく通る、芝居がかった声。その人影はジャングルジムの頂点から飛び降り、猫のように音もなく着地した。汚れたウシャンカ帽、色褪せた青のジャケット。そして、スラムには似つかわしくない、長い金髪の男だ。その体格は少年というより、青年に近い。

 

「よお。来てやったぞ。城室だ」

 

 城室が呼びかけると、ボス――高梨カンタは莞爾とした笑みを浮かべ、城室に握手を求めてきた。

 

「待っていたよ! 僕は依頼主の高梨カンタだ。今日もよろしく!」

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