「あー、どうしよっかなぁ……」
トリニティの大庭園にひっそりと設置されているベンチの上で、俺は思わずため息を付いた。
あの後、壁が豪快にぶち抜かれた音を聞きつけ、この学園の治安維持組織――正義実現委員会のメンバーが即座に駆けつけてきた。スケバンたちは芋づる式に連行され、被害者である俺はといえば、そこから延々と聞き込みに応じる羽目になったのだ。
壊れた壁の状況説明、不審な連中の特徴、そして実害はなかったか。結局、解放される頃には太陽がすっかり傾き始めていた。おまけに、駆けつけた委員会の面々にまで最初は中等部の生徒と間違われる始末で、精神的なダメージは計り知れない。
ただ、一応の義理は通したつもりだ。助けてくれたあの人への恩義とカツアゲしようとしたスケバンどもへの仕返しを兼ねて、壊れた壁の件はすべてスケバンたちのせいにしておいた。
あれから一日。流石に二日連続でカツアゲに遭うという不運はなかったが、俺は今、それとは別の切実な問題に直面していた。
「そっか……そりゃあるよな。部活勧誘」
そう、高校の春における不変の恒例行事――部活勧誘である。
いつもはおしとやかな雰囲気の大庭園だが、今日は色鮮やかな勧誘ポスターを抱えた上級生たちが新入生を見つけては獲物を狙う鷹のような鋭さで突撃している。
ここトリニティ総合学園は巨大だ。部活動や委員会といった部活への所属は、単なる放課後の楽しみではなく、学園生活における自分の居場所を確保するための重要な選択らしい。
だが、今の俺にとってそれはハードルが高すぎた。お嬢様言葉が飛び交うこの環境でどこかのコミュニティに混ざれなんて、自ら地雷原に飛び込めと言っているようなものだ。
「……とはいえ、帰宅部で通せるような雰囲気でもないしなぁ」
ここに来るまでさんざん渡されたパンフレットを抱えながら、俺は再び深くため息を付た。
既に心が折れそうだが、取り敢えず見てみるに越したことはない。一枚一枚じっくりとめくっていく。
まず目につくのは“シスターフッド”と書かれたパンフレット。教会で祈っている修道服の方々が存在感を放っている。これだけでも分かる通り、本格的な宗教系の部活らしい。
前の世界では公立校に通っていた俺からすれば、縁遠いどころか異世界の光景だ。流石はお嬢様学園、といったところだろうか。
少し悩んだが、すぐにページを閉じた。トリニティの一般常識にすら馴染めていない俺が、さらに戒律だの祈祷だのが重なる組織に飛び込めば、一週間と持たずに精神が霧散してしまう。
次にとったパンフには、救護騎士団と書かれている。なんとも中世的な雰囲気だが、役割的には前世の保健委員みたいな感じらしい。
だが、ここはとんでもない治安のキヴォトスである。考えるまでもなく仕事量はとんでもないであろう。そもそもそういうことは自分には向いていない。早々に却下した。
その後も次々にページを捲っていく、図書委員会、お茶菓子研究部、紅茶部、数学部、都市伝説同好会……いくつか変な名前が混じっている気もするが、私立のお嬢様校ならこんなものなのだろうか。
しかし、どれを見てもしっくり来ない。パンフレットが横に積み上がっていく中、残り少なくなった束から最後の一枚を手に取った。
「……正義実現委員会、かぁ」
流石にこの部活は覚えている。昨日の騒ぎの時に色々後始末をやってくれた部活だ。しかし、改めて見たらすごい名前である。新手のカルトと言われても信じてしまいそうだ。結構失礼な感想を抱きながら読み進めるが、活動自体はそんなにおかしなものではなかった。
学園内で起こるトラブルや前のようなガラの悪い生徒を鎮圧する部活だそうだ。しかし、隣の注意書きが、“銃撃戦や爆風での怪我を許容できる方”と中々に不穏。ここ一ヶ月で痛感したキヴォトス・クオリティの結晶のような文言である。
「……どうすっかなぁ」
いつもなら考える間もなく却下していただろう。しかし、昨日の今日だからだろうか。ほんの少しだけ、正義実現委員会に身を置く自分を想像してしまった。
黒い制服に身を包み、銃を片手に不良をなぎ倒す姿。だが、現実の俺はといえば、銃一丁に震え上がり、何一つできなかった非力な少女に過ぎない。自分が入ったところで、足手まといになるのが関の山だろう。
これ以上考えても虚しくなるだけだと判断し、パンフレットをポケットに滑り込ませる。そして、未だに重い腰をなんとか持ち上げ、ベンチを後にしようと——したときだった。
「きゃー!ひ、ひったくりよー!」
「はっはー!盗まれる方が悪いんだよ!」
辺り一帯に響き渡るような大声が耳に入る。振り返ると、ヘルメットを被った不良っぽいやつが犬のご婦人のものと思わしきカバンを持ち全力疾走していた。
昨日の今日でこうなるとは本当に自分はついていないらしい。昨日のトラウマが一瞬フラッシュバックする。早々に撤退しようとしたとき、急に昨日の光景が脳裏をよぎった。
何もできなかった自分、銃を持ったカツアゲ、そして——そいつらをなぎ倒した、あの人。
――逃げようとした足が、止まった。
「くっそ……!」
咄嗟にポケットに手を突っ込むも、相変わらず俺はろくな銃など持ってない。昨日、クッタクタになって銃の購入を後回しにしたことを猛烈に後悔した。それでも、指をくわえて見ているわけにはいかない。無理を承知で追いかけようとした――瞬間
「いひひひひひひひ……あぁぉ!!」
聞き覚えのある奇声とともに、不良が十数メートルふっ飛ばされる。アレだけ元気そうだった不良が、潰れた空き缶のようになって沈んでいた。
あんなデタラメな芸当ができるものなど他にいないだろう。
——あの人は、昨日の人だ。
カバンを取り戻したご婦人が歓喜し、喧騒が少しずつ収まっていくのを眺めながら。俺は
この機会を逃すわけにはいかない。お礼を気まずそうに受け取った彼女に、俺はおずおずと近づき、声をかけた。
「あ、あの!」
瞬間、彼女の顔が耳まで真っ赤に染まる。このままだとまた逃げられてしまう。焦る俺の脳内を、キヴォトスの、いやトリニティの常識が駆け巡る。こういう時、この学園の生徒ならなんて言う……!?
死に物狂いでひねり出した「お嬢様っぽい言葉」は、あまりの緊張のせいで、とんでもない方向へ暴発した。
「お、お茶しませんか!?」
「……え?」
言った瞬間、猛烈に後悔した。相手が自分のことを覚えているかもわからないのだ。今のところ俺はただ唐突に茶をしばきに誘ってきた不審な一年生である。
しかし、返ってきたのは予想外の言葉だった。
「わ、私で良ければ……」
「……えっ?」
予想だにしていなかった言葉に、今度はこっちが硬直する。
そうして、数奇なお茶会が幕を開けた。