「正門は避けて。あそこ、盗聴器があるわ。」と、後ろから例によって声がする。「じゃ、夜間通行路か?俺はあっこの鍵を持っていないんだかね。こじ開けるつもりかい?」皮肉っぽく問いかけてみる。
「統一戦争前の地下通路があるわ。瓦礫に埋まっているけれど。貴方の棟に通じているから、ただ歩けばいいのよ」
これには驚いた。
昔の建造物には敵兵から守るべく、隠し通路や防空壕などギミックがあちらこちらに仕込まれていると聞いたことはあるが、まだ埋められていなかったのか?
幼少の頃の記憶を手繰ってみる。確か……
「ケイ!こっちだこっち!このマンホールの下に秘密基地を見つけた!」
ホズミがそう叫ぶ。俺は走って彼に追いついた。
マンホールがバールで開かれている。誰がやったか?勿論、この辺り一体の悪ガキ大将の代名詞である、ホズミだ。
下に、梯子が何やら伸びている。下は暗く、光が届かない。
ざっと見ても、10m以上はありそうだ。
辺りからは卵を腐らせたような、そんな匂いが辺りに漂っている。
「……これを降りる自信は俺には無いぞ?辺りを見守ってやるくらいならいいが」溜息を吐きながら、下を見る。俺は高所恐怖症だった。一度悪ガキらと電波塔……名前はなんだったか。通天閣。それに登った事があったが、その際取り残され、散々な目に遭ったのだ。下には永遠と梯子が続いている。小さな身体で掴み、一歩一歩下る。強い風が俺を襲う……。
「いいや、お前も一緒だ!なにせ俺の秘密の地図を知ってしまったからな!」と、彼は憤慨した。
「君が見せてきたんじゃないか!この足の震えが見えるだろう?君のせいだ、君が放っていかなきゃ、こうはならなかったんだ!」と、俺は抗議したが。彼はそんなものは知るかとばかりに降りて行ってしまった。
知ったものか!と、思って、そっぽを向いた。しかし、結局決めかねて辺りをおどおど見回していると暫くして、ギャァ!っという甲高い声が響く。「大丈夫か!?」……声が聞こえてこない。
冷や汗が頬を伝う。
大人たちから聞いた事があった。あの辺りで、戦前に放射能で肥大化したネズミやらモグラやらの連中が、時折子を攫う事件があるのだと。
「い、今待っていろよ!助けてやるから!」
図にも合わず、声を荒げ、マンホールを降りようと心に決める。
冷たい、腐りかけた手摺りを持ち、ゆっくりと下降する。次第に強まる腐卵臭。それに、びゅうびゅうと何処からか吹く冷たい風。
下は見ないと心に決めていたが、横穴がある事に気づいて、彼は果たしてここに降り立ったのだろうか?と思い、横穴を除いてみた。
ネズミ、ネズミ、ネズミ。
それに、よく分からない、毛がはげた哺乳類と思わしきもの。
頭蓋から流れ落ちた瞳が、鼠に喰われている。
体液という体液が、彼らに啜られている。
俺は本能的に、あれが何なのか理解した。
人間、、、?
あれは人間なのか!?
「あぁぁぁぁぁぁ!?」
登る、登る。
ただ一心不乱に手摺りを摑み、身体を上へ、上へ、重力に逆らって上がっていく。手が痛み、血が滲む。けれども、早く、より早く爪を土に当て、身体を引き摺り出した。そうやってマンホールを登った頃には、ホズミの声は、もう聞こえなくなっていた……。
「堪忍願いたいね!」俺は記憶を引っ張り出して、彼女?へ抗議した。
あの場所には化け物が居る、それもプロールとは別の類のもっと厄介な奴らが!現に友人が行方不明だ!
……どうして、この事を今日まで忘れていたのだろう?
友人が死んだ。俺が止めなかったせいで?
幼少の子には余りにもショックで、記憶を奥底まで沈めたのか。そもそも秘密の地図とは何だったのか。
今の事態に関連しているとしたら、まだ幾らか思い出さねばならぬ事がありそうだ。
いや、そんな事はどうだっていい。今は目の前の不快の対処が先だ。
「あの辺りの地図は頭に入っていますし、ナビゲートも完璧にこなしてくれる”良き隣人”がいるので、問題ありません……」
「理屈じゃ無い!俺は閉所恐怖症なんだ!それならいっそ死んだ方が——」
首に冷たい刃が当たる、いや、これは爪だ。静脈を狙って、その位置を何度か撫でられる。痛みは少ない。注射器で、少し刺された程度の刺激だ。
毛細血管から、血が幾らか滴り落ちた。
「わかった、行く、行くから!……ほら、地下通路に案内してくれよ」
「……次はないと思ってください、さ、行きましょう」
腕が解け、彼女が前へ案内する形で進んだ。
始めて、彼女の全身を見た。
ブロンドの髪。耳は本来ある位置になく、ぴょんと、頭頂部に犬のような耳が突き出している。手から、恐怖で気付かなかったが、ふさふさとした体毛がはみ出していて、それが脚元や首、更に顔まで続いている。此方は幾許か茶色い。また人体と違う点として、マズルのようなものが、人間の鼻先の位置から高く伸びていた。
「あ、あぁ……解放してくれて、ありがとう」
「ネズミが嫌いなのね?わかるわ。だって……身体が汚れるもの。私がなんとかしてあげるわ。ほら、これで体臭を変えなさい」
パッと放り投げられたものを、ふらふらとした足取りで摑む。
——香水か。
Made in America。製造年代が2052。そう書かれていたが、これが何を意味するか、俺には分からない。
ただ年号をみて、どうやら革命以前のものと考えた。
「どれくらい付ければいい?」と、小声で聞いてみる。今大声を出せば、きっと誰かが通報するだろう。
けれどこれを誰かに知られては、返って俺ね命が危ういのではなかろうか?と何処となく感じたので、どうしても声が小さくなったのだ。
今死ぬか後で死ぬか、それだけの違いかもしれないが。
「2振りで充分。さぁ、地下へ潜りましょう」
何となく不服だってので、香水をでたらめに投げ返した。が、直後にその鋭い爪が生えた手で、器用にもピョンと飛び跳ねキャッチした。
彼女が人間だったら、きっと野球選手だったに違いない。