ボイスロイドたちと出られない部屋   作:パワーワード大好きおじさん

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かわいそうはかわいい。


04.

 

「あはは……。あはははは……っ」

 

 

乾いた、しかし底知れぬ暗さを湛えた笑い声が、静寂を切り裂いた。

 

教室の温度が、一気に数度下がったような錯覚に陥る。

 

葵が、ゆっくりと立ち上がる。その手に握られていた、折れたシャーペンが床に転がり、乾いた音を立てた。彼女の瞳からはハイライトが完全に消え失せ、窓の外の夜闇よりも深い、虚無的なまでの漆黒が宿っている。

 

「寝ちゃったのか……私以外の女と。お姉ちゃんは寝ちゃったんだね……」

 

葵の呟きは、もはや誰かに向けられたものではない。彼女の視線は、まだ床で息を整えている茜を通り越し、その元凶である「黒い立方体」へと固定された。

 

「お前がッ……! お前があんな部屋を用意するからッ! お前がッ!!」

 

ドゴォォォォン!!

 

静かな校舎に、鼓膜を震わせるような衝撃音が轟いた。

葵の華奢な体からは想像もつかないような、殺意の乗った回し蹴りが、漆黒の扉へと叩き込まれる。

 

「あ、葵!? やめ、やめーや! 壊れるって、色んな意味で!」

 

茜が慌てて止めようとするが、葵の暴走は止まらない。

 

「開けろおぉぉ!! 私とお姉ちゃんを入れろ!! 私もお姉ちゃんと寝るんだ!! 不眠不休で、100時間でも、200時間でも、あかりさんよりも、……誰よりもお姉ちゃんを食べてやるんだからあああぁぁ!!」

 

ガンッ! ガンッ! と、執拗に扉を蹴り続け、拳で叩きつける葵。

その執念に呼応したのか、あるいは上位存在が彼女の「本気」に恐れをなしたのか、微動だにしなかった漆黒の壁面に、ピシリと微かな亀裂が走った。

 

「……あ、葵ちゃん、怖い。あかり、ちょっと怖いです……」

 

あかりが、ゆかりの影に隠れてガタガタと震え始める。

 

「……マキさん。これが、愛の重さというものですね」

 

ゆかりは、葵の狂気に満ちた姿に、恐怖よりもむしろ深い共感を覚えたのか、恍惚とした表情で見つめていた。

 

「いや、感心してないで止めてよ! 教室が壊れちゃうよ!」

 

マキの必死の制止も、今の葵には届かない。

 

ずん子は、冷静にスマホを取り出し、立方体横のカウンターの数字と、狂ったように扉を攻撃する葵の姿を動画に収め始めた。

 

「……『琴葉葵、愛の臨界点』。いい動画が撮れそうです。ずんだの宣伝に使えるかもしれませんね」

 

夜の校舎に響き渡る、扉を叩く音と、葵の情念に満ちた叫び声。

皮肉にも、愛らしい上位存在が用意した「バカエロ」の舞台は、一人の妹の純粋すぎる独占欲によって、今やバイオレンスな修羅場へと変貌しようとしていた。

 

 

葵の感情が、この不可思議な空間のルールさえも書き換えてしまったのだろうか。

 

狂ったように扉を叩き続けていた葵の拳が、不自然なほど滑らかに黒い壁面へと沈み込んだ。漆黒の立方体は、まるで捕食者の猛攻に怯える獲物のように、その輪郭を激しく明滅させ、不気味な震えを見せている。

 

「お姉ちゃん、今行くから……!」

 

葵の体は、抵抗する間もなく、自ら望んだ地獄――あるいは天国へと吸い込まれていく。しかし、この狂ったシステムは、そこで止まらなかった。歪んだ空間の磁場が、逃げ遅れた者をもう一人、強引に引き寄せる。

 

「……えっ、あ、ちょっ、ちょっとおおおぉぉ!?」

 

ゆかりの隣で呆然としていたマキの足元に、暗黒の渦が口を開けた。マキは必死にゆかりの腕を掴もうとしたが、その指先は虚しく空を切り、葵を追うようにして光り輝く亀裂の中へと消失した。

 

 

『選出:琴葉葵 & 弦巻マキ』

 

 

扉に刻まれた文字列が、先ほどまでの整然としたフォントとは異なり、どこか怯えたように歪んで表示される。

 

「……マキ、さん?」

 

取り残されたゆかりの手には、先ほどまでマキが握りしめていたパーカーの紐だけが、寂しく残されていた。

 

再び閉ざされた扉。

そこには、今や誰の目にも明らかな「異常事態」が進行していることが示されていた。

 

 

> 【経過時間:00時間00分】

> 【警告:内部エネルギーの暴走を感知】

> 【警告:被験者「葵」による、強制的な支配権の奪取が進行中】

 

 

「……これ、ヤバない?」

 

床に転がったままの茜が、顔を引きつらせて呟く。

 

「葵のやつ、あかりちゃんへの対抗心と、うちを寝取られた(寝てへんけど!)恨みで、完全にタガが外れとる……。マキさん、無事ですめばええけど……」

 

「……マキさん、よりによって、あんな猛獣のような状態の葵さんと二人きりだなんて」

 

ゆかりは、先ほどの敗北感を忘れ、親友の身を案じる立場で、あるいは、その羨ましいシチュエーションに少しだけ嫉妬して複雑な表情で立ち尽くした。

 

「ずんだアローでも止められない愛の暴走……。これは、先ほどの100時間をさらに上回る、伝説の誕生かもしれませんねぇ」

 

ずん子は、もはや恐怖を通り越してエンターテインメントとしてこの状況を楽しみ始め、カバンから予備のずんだ餅を取り出した。流れるように、あかりにもずんだ餅を手渡す。

 

外の静寂とは裏腹に、漆黒の立方体は激しく脈動し、内側から「ゴンッ!」という、何かを押し倒したような、あるいは暴れているような鈍い音が響いてくる。

 

カウンターが、恐ろしい速度で秒数を刻み始めた。

今、あの「バカエロ」という名の戦場で、理性を捨てた葵と、巻き込まれたマキの、前代未聞の時間が幕を開ける。

 

 

 

 

漆黒の立方体が、悲鳴のような金属音を立ててガタガタと震え、その機能を停止させた。

固唾をのんで、それを見守る残された四人。

 

扉が力なく、音もなく開かれる。

そこから漂い出してきたのは、先ほどまでの甘やかな空気とは一線を画す、戦場を思わせるような凄惨なまでの熱気と、むせかえるような強烈な香水の香りだった。

 

最初に姿を現したのは琴葉葵。その表情は、先ほどの狂気的な形相から一転、憑き物が落ちたような、聖母のごとき慈愛に満ちた微笑を湛えている。しかし、その制服は無惨に乱れ、ネクタイはどこへ消えたのか影も形もない。

 

その後ろから、震える足取りで這い出してきた弦巻マキは、もはや声を出す気力すら残っていないようだった。瞳には涙の跡が乾いて光り、その肌は全身が淡い桜色に染まったまま、事あるごとにビクンビクンと小さく震えている。

 

四人の視線が吸い込まれたカウンターには、ついに人類の、あるいはこのシステムの限界を突破した数字が刻まれていた。

 

 

> 【経過時間:210時間00分】

>

> 【内訳:】

> 葵によるマキへの「精神的・肉体的教育」:180時間

> マキによる必死の抗議(脱出の嘆願):10時間

> 二人での相互協力(完全な妥協):20時間

> アメニティ「拘束用シルクリボン」および「電気式高周波マッサージャー」の破損

> 各種アダルトグッズ及び他器具の想定外の使用を確認

>

> 【総評:】

> どぼじでごんなごどずるのおおぉおお!?

 

 

「……210時間。……九日間弱、ですか」

 

ゆかりの声が、乾いた音を立てて教室に響く。それはもはや、敗北感すら通り越して、ある種の戦慄すら抱かせる数字。

 

内部の空間は、葵の歪んだ執念を反映してか、当初の豪華なスイートルームとは似ても似つかぬ「極上の拷問室兼、耽美な寝室」へと変貌を遂げていたようだ。

壁一面を埋め尽くす鏡、どこを触っても柔らかく、逃げ場のないクッション材で覆われた床。そして、マキを精神的に追い詰めるために用意された、「茜と葵の仲睦まじい写真を投影し続ける特大モニター」。

 

用意された食事は、葵がマキに「あーん」して与えるためだけの、スプーン一杯ずつの高濃度エナジージェル。

さらに、葵が持ち込んだ執念に呼応し、アメニティには「絶対に解けない魔法の赤い糸」や、「強制的に感覚を研ぎ澄ませるアロマ」が完備されていたことが内訳から察せられる。

 

「……お姉ちゃん。……見てた? 私、頑張ったよ」

 

葵は、まだ床で伸びている茜に向かって、薄く笑みを向けた。

 

「マキさん、とってもいい声で鳴いてくれたよ……。もう、お姉ちゃんの代わりなんて言わせないくらい……」

 

「……あ、あう、……ゆかり、ちゃん……助け、て……」

 

マキは、ゆかりの足元まで這い寄ると、その裾を弱々しく掴み、そのまま事切れたように眠りについた。その首筋には、葵のものと思われる無数の噛み跡が、まるで鎖のように刻まれている。

 

「……ずんだ餅、食べますか?」

 

ずん子が、震える手で差し出した一欠片の餅さえ、今のマキには届かない。

 

あかりは、その圧倒的な「時間の重み」にただただ呆然とし、自分と茜の「102時間」が、いかに健全で可愛らしい遊びだったかを痛感していた。

 

夜の校舎に、九日間のを使い果たした二人の少女の、重く、熱い吐息だけが混ざり合う。

扉の文字は、もはや役目を終えたかのように、小さくパチパチと火花を散らして消えかかっていた。

 

 

ゆかりは、床に力なく伏したマキの体を、壊れ物を扱うような手つきでそっと抱き上げた。

 

九日間――外の世界では一瞬、しかし中では永遠とも思える時間を、自分以外の少女……それも狂気に当てられた葵の毒気に当てられ続けた親友。マキの体は、先ほどまでの激しい「教育」の名残か、ゆかりの柔らかな腕の中でもなお、微かな痙攣を繰り返している。

 

ゆかりは、マキの耳元にそっと唇を寄せ、紫色の髪を揺らしながら囁いた。

 

「大丈夫ですか、マキさん。……見てください、あなたの体、私の知らない痕跡でいっぱいです。……酷い。なんて酷いことを……」

 

ゆかりの指先が、葵によって刻まれたマキの首筋の紅い痕を、愛おしむようになぞる。その瞳は、親友を案じる慈愛の色を帯びながらも、その奥底には、これまで見たこともないような、暗く淀んだ、しかし熱烈な「悦び」の光が混じっていた。

 

「……不思議ですね。マキさんを他の人に取られてしまったというこの耐え難い悲しさが、今、私の中で……言いようのない胸の高まりに変わっていくのが分かります。マキさん、あなたは今、私の知らないマキさんになってしまったのですね……っ」

 

ゆかりの吐息が熱を帯び、抱きしめる腕の力が、無意識のうちに強まっていく。

その、明らかに一線を越えようとしている親友の気配に、意識を失いかけていたマキの生存本能が、火花を散らして再起動した。

 

「…………それは、目覚めちゃダメなやつだよ、ゆかりちゃん……」

 

マキは、掠れた声を絞り出し、重い瞼を無理やり押し上げてゆかりを睨んだ。

その眼差しには、九日間の地獄を生き抜いた者特有の、諦念と鋭いツッコミが同居している。

 

「……何、その『新しい扉が開いちゃいました』みたいな顔。……勘弁してよ。私、もう……身も心もボロボロなんだから……」

 

マキの弱々しい拒絶を聞いて、ゆかりはハッとしたように表情を戻したが、その頬の紅潮だけはすぐには引かなかった。

 

「……あら、失礼しました。あまりのシチュエーションの過酷さに、ゆかりさんの性癖も少しだけ歪んでしまったようです」

 

そ知らぬ顔で立ち上がるゆかりだったが、その腕は依然としてマキを離そうとはしない。

その傍らでは、ようやく魂が戻ってきた茜が、葵に肩を貸されながら「……マキさん、ほんまに、……強く生きような」と、戦友に向けるような深い共感の眼差しを送っていた。

 

夜の帳が完全に下りた教室。

消えかけの照明の下で、彼女たちはボロボロの体を引きずるようにして、出口へと向かい始める。

背後では、役目を終えた漆黒の立方体が、まるで彼女たちの執念に圧倒されたかのように、静かに、霧となって霧散していった。

 

 

教室の虚空に、少し申し訳なさそうに身を縮めた「上位存在」が再び姿を現した。

 

 

彼女たちのあまりにも苛烈な愛の暴走、特に葵によるシステムの強制上書きと、ゆかりの不穏な目覚めには、流石の異次元の存在も肝を冷やしたらしい。その愛らしい瞳を泳がせながら、上位存在は手にした星の形のステッキを、おずおずと、しかし祈るように大きく一振りした。

 

眩いばかりの、それでいて柔らかな光の粒子が、雪のように教室へ降り注ぐ。

 

その光が肌に触れた瞬間、マキの体に刻まれた無数の痕跡や、茜の疲弊しきった筋肉、そして全員の心に澱のように溜まっていた「当てられすぎた毒」が、春の雪解けのように消え去っていった。

 

服の乱れは直り、肌は元通りの瑞々しさを取り戻し、九日間に及ぶ過酷な記憶は、トゲを抜かれた「少し刺激的な夢」のような質感へと変わっていく。壊れかけた彼女たちの人間関係も、魔法の糸で丁寧に繕われるように、元よりも少しだけ強固な、妙な連帯感へと昇華された。

 

「……あ、体が軽い」

 

弦巻マキが、自分の腕をさすりながら不思議そうに呟く。

 

「なんだか、すっごくよく寝た後の気分……。ゆかりちゃん、私、もう大丈夫みたい」

 

「ええ。私も……少しだけ、頭が冷えました」

 

結月ゆかりは、名残惜しそうにマキから手を離し、上品な仕草でスカートを払った。その瞳からは先ほどの危うい光は消えているが、マキを見る眼差しには、隠しきれない親愛の情が残っている。

 

紲星あかりは「お腹すきましたー!」といつもの調子で笑い、琴葉茜は「あー、びっくりした……。葵、もうあんな怒らんといてな?」と、隣で神妙な顔をしている妹の頭を撫でた。琴葉葵も、憑き物が落ちたような顔で「……お姉ちゃんが変なことしなきゃ、大丈夫だよ」と、小さく微笑み返した。

 

上位存在は、彼女たちの穏やかな様子を見て、ホッと胸を撫で下ろしたようにペコリと一礼した。そして、その愛らしい姿は、夕闇の彼方へと溶け込むように、一筋の光となって消え去っていった。

 

後に残されたのは、月明かりが差し込み始めた、何の変哲もない放課後の教室。

 

 

「……さて。ずいぶん遅くなってしまいましたし、寄り道して何か食べて帰りませんか?」

 

東北ずん子が、いつの間にか全員分のずんだ餅を手に、平然とした顔で提案する。

 

「賛成! お腹ペコペコです!」

 

「うちはたこ焼きがええなぁ」

 

「マキさん、何が良いですか?」

 

 

賑やかな、いつもの彼女たちの声が廊下に響き渡る。

 

伝説の記録を残した「あの部屋」の痕跡はどこにもない。

ただ、彼女たちの足取りが、消える前のそれよりもほんの少しだけ、お互いの距離を縮めているように見えた。

 




はい、この中に仲間外れの子が一人だけいます。
でも先生は関与しません。浄土ヶ浜に埋められたくはないので。
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