迷宮に盗賊を手放して   作:沙羅屋敷

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ボディ洗いへの道程②

 「…。あの…ご主人様。」

 「ご主人様はよしてくれ、こそばゆい。ルハトでいい、仲間にはそう呼ばれていたから

な。」

 「…では、ルハト。聞いてもいいですか。」

 「なんだ。」

 

 「…迷宮と違って反抗されにくい農作業では…殴って人にいう事を聞かせたりするものだ

と、言われましたが。」

 「そういう地主もいる。という話だな。」

 「…その、殴られて、歯が抜けてしまうことも、よくあることなのですか。」

 「強い力で顔面を殴られると、歯が抜けるのは、よく聞く話だ。治癒魔法や傷薬で、顔に

付いた傷は治せるが、抜けた歯は戻らないらしい。修練を積んだ僧侶の魔法や高価な傷薬なら、

歯も戻せるのかもしれないが…。」

 メスリーヌはアラン殿の商館でも、歯の無くなる話題を気に掛けていたな。

 「…。」

 「…迷宮では、奴隷が武器を所持しているだけでも暴力の抑止になっているだろうから

な。だが農夫相手だと、そういった歯止めがかからず、顔が変わるまでぶん殴る奴もいるら

しい。」

 

 メスリーヌが唇を噛む。

 「誰かに殴られたことがあるのか。」

 「私では無く…私の婚約者が、そうだったと思います。」

 メスリーヌがようやく口を開いた。

 

 「私の婚約者の家は厳しい家風で、結婚は彼が一人前とみなされてからということになりま

した。でも彼はなかなか周囲から新たな家長としてと認めてもらえず、結婚は何度も延期にな

りました。私は彼を待ち続けたのですが、ある日、彼は誰にもなにも言わずに失踪してしまい、

婚約は破談になりました。最後に彼に会った時には、笑顔も無く、私が話しかけてもほとんど

会話もしてくれませんでした。…彼は何かを言いたそうでしたが、すこし口を開いては止める

ことを繰り返していました。そこで私は彼の歯が何本か欠けて無くなっているのに気が付きま

したが、それを心配して声をかけると彼は立ち去ってしまいました。父にもそのことを話しま

したが、それには触れるなと怒鳴られました。」

 メスリーヌが聞きたかったのは元婚約者のことらしい。

 「…彼の歯は、殴られて抜けてしまったのでしょうか。」 

 

 「まぁ、話を聞く限りでは、そう推察するのが妥当だな。次期当主候補の御曹司を殴ること

ができるとなると、現当主である父親がしつけとして殴打したんだろう。それで嫌になったか

周りに殴られるのを見られて恥ずかしくなったのかで家を出て行った。他家の教育の方針だか

ら、メスリーヌの父親もなにも言えなかったのではないのか。」

 状況からして迷宮の魔物に歯を抜かれたとは思えんからな。 

 

 「…どうして…当主になるはずだった彼を殴るなんて…。彼は奴隷などではなかったのに…

教育にしてもやりすぎではないですか。」

 「一族の頭となる人だったから、あえて厳しくしたのか、そもそも現当主からして、拳での

教育をされてきたのかもしれないし…奴隷相手になら鉄拳でのしつけが効果があったから息子

にも同じことをした可能性もある…あるいは…その婚約者殿が実はとんでもないぼんくら才能

無し後継者で、もはや拳骨体罰での育成もやむなしと判断されたのかもな。」

 

 『歯無しのグロム』を思い出す。彼奴も似たような過去をもっていたな。要領が悪く、まと

もに段取りが組めず、全ての行動が鈍重だった。その為に元いたパーティメンバーに『お前と

一緒だと命がいくつあっても足りない』と罵られボコボコに殴られ歯を折られ、迷宮パーティ

ーを放逐された。その後、ジェードに拾われて、俺達とパーティーを組むことになった。正直、

彼奴の鈍臭さにはイラつくことも多かったが、ジェードに最初にそういう奴であることを説明

されていたのと、盗賊団に入って経験を共有してくれる探索者は希少なので、俺達は多少の我

慢で行動を共に続けることができた。

 

 婚約者もグロムのような鈍間で嫌気が差されて殴られていたのだろうか。 

 とはいえ、グロムと違い婚約者殿の失踪の真相も、暴力の理由も俺の推察でしかない。 

 もっともらしい説明を並べ立ててみただけだが、メスリーヌには、そんな話でも、心に刺さ

っているようだ。

 

 俺の言葉に、打ちのめされたらしいメスリーヌの体が傾いでいった。

 「辛いなら、ベッドに横になっていていいぞ。」

 奴隷落ちしても、メスリーヌの中で婚約者の存在は未だに大きいのだろう。今日の会話でよ

うやく婚約者の失踪の理由が理解できて、落ち込んでいるようだ。

 

 メスリーヌがベッドに腰を掛けたまま、上半身だけを横たえて、シーツに顔を埋めた。

 「よくご存じなのですね。私よりも若いのに…そして、私は今日まで何も知らなかったので

すね。」

 「俺の元パーティーメンバーには訳アリが何人もいたからな。メスリーヌの婚約者と同じで

故郷も家族も全部捨てて、迷宮探索で日銭を稼いでいる奴らだった。…拠り所を捨てた者、居

るべき場所に捨てられた者、そのどちらも探索者や迷宮戦闘者には多くいた。そこでは、自分

の居場所を確保する為に、優劣や序列をやたらと決めたがった。強くて実力があれば、パーテ

ィーの中心に近づくことができるシンプルな方法だからだ。だがこのやり方だと、新人や経験

の浅い者は参入が難しくなる。これはまずい話だ。ベテランでも命を落とす危険な働き口なの

に、新入りが入ってこないと先細りになっていくだけだからな。そこでだ…。」

 「…。」

 「実績が無いものには、武勇伝とい言う名前の不幸自慢大会が開催される。そこで色んな話

を聞かされたよ。婚約者殿のような親がろくでもなかった過去もいくつも聞いた。」

 不幸自慢と聞いて、自分の婚約者の話もそれに該当すると感じて恥ずかしくなったのか、メ

スリーヌがさらに深くシーツに顔を埋める。

 「まぁ、そこでの話なんか、大半は嘘か与太話で、素直に親に殴られたから逃げ出したなん

て話を馬鹿正直にする奴はいないがな。大抵は自身が追い出された話が、自分が捨ててやった

逸話に置き換わっていた。」

 「…その、ほとんど嘘の話を聞く意味があるのですか…。」

 「嘘の武勇伝にも、本音が滲み出てくるものだからな、自分を殴った親への恨み言とかが、

発言の端々に乗ってくる。そして、そんな言葉を、言ったり聞いたりしていると、不思議なこ

とに『こいつは俺と同じようなことを経験しているんだな』とか『こういう想いをしてきたの

は俺だけじゃなかったのか。』みたいな妙な親近感が湧くんだよ。それが後々パーティーの結

束に繋がったから、意味はあると思うぞ。」

 ジェードはこれを共感と呼んでいた。本当に、様々なことを知っている男だった。

 「…ルハトは凄い知識があるのですね…あなたなら彼の様に出奔したりせずにすんだのでし

ょうか。」

 凄いのはジェードの方で、あいつなら家出どころか家の乗っ取りくらいはやりかねないな。

 「流石にそれは無理だろう…。」

 俺も父親の言うことに逆らえずに、盗みをはたらいてしまった過去がある。それで村を追わ

れることになった。

 

 ふと、婚約者殿も父親を憎んだりしていないのだろうか、と疑問が湧いた。普通なら歯が抜

けるほどの暴力を受ければ、恨みつらみも相当に募ることになるだろう。

 

 「なぁ、メスリーヌ。婚約者が家を出たのはいつだ。」

 「…この冬になります。」

 「…。だとすると、なるべく迷惑が掛からないように考えて家出したのか…。ぶん殴られて

も、親に怨みをぶつけたりはしなかったのか…。」

 意外なことに俺は、メスリーヌに婚約者の身に起きた不幸話を聞いて、彼に共感を持ち始め

ているのかもしれなかった。

 貧困家庭の俺と婚約者のいる御曹司、立場はまったく違うのだが、父親の行動の結果、村を

去ることになった。にも拘わらず、俺達が父親を恨んでいるかといえば、そうでもない気がし

た。俺は、あの時肉やら野菜やらを盗まなければ弟や妹は飢えに苦しんだことは容易に想像で

きたからな。

 

 「…そうなのですか…。彼は殴られても…そこまで考えていた…。」

  偶々、冬に限界がきて、突発的に飛び出したということも考えられるが。

 

 「自分に暴力を振るった相手から逃げるんだ。仕返しの一つくらいしても不思議じゃぁな

い。例えば春の種蒔きの時期に姿を消せば、家主にとっては大痛手だ。畑作業の一番大事な時

期に家人を使って、婚約者を探させるわけにもいかない。さらにメスリーヌに手をつけて、純

潔を奪ってから雲隠れすれば、両家の間に深刻な対立を煽ることができる。村を二分するよう

な抗争に突入してしまうのか、それを堪えて農作業を優先させるのか…もしもその状況にイラ

ついて、家人に暴力を振るえば、どうなってしまうんだろうな…優秀な奴隷でも流石に反抗し

てもおかしくないな。」

 

 「…随分と悪辣なことを言うのですね。」

 「考えるだけなら、いくらでもな…実行に移すには、多くの障害を乗り越えないといけない

から、簡単にはできないだろう。…婚約者殿も復讐はともかく、メスリーヌを連れて逃げるか

に関しては困難が多くても思い悩んで、考えたかもしれないがな…。」

 

 盗賊団で嘘武勇伝は沢山聞いたが、こんな綺麗処の婚約者を捨てた話は聞いたことが無い。

 メスリーヌ相手なら駆け落ちしても不思議ではないが、彼女の家族に迷惑が掛かることを

懸念して断念したのだろうか。そう考えたのが、名家の跡取りらしいな。

 

 そう考えていると、床を踏む音が聞こえてくるのに気が付いた。足音が俺達がいる部屋の

前で止まる。

 腰に挟んである、短剣を確かめる。

 

 「頼まれていた、お湯をお持ちしました。」

 ドアの外から声が掛かる。俺は近づくと、鍵を外し、扉を少しだけ開ける。

 若い男が桶を二つ抱えて立っていた。

 「ご苦労様。桶は床に置いてくれないか。」

 扉を半分ほど開けて促すと男は、桶を置いて出て行った。

 ドアを施錠して、湯の張った桶を部屋の真ん中に移動する。

 

 「メスリーヌ、落ち込んでいる所に悪いが、洗濯と…。体を拭くのを始めるぞ。湯が

冷めない内にやらないと、匂いがとれないからな。」

 

 俺の言葉に、メスリーヌはベッドから立ち上がると、一度息を吐いてから、ゆっくり服を

脱ぎ始めた。

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