絨毯に作られた魔法の扉を潜る。
室内から屋外の何処か荒れた道に世界が切り替わった。
「ここは。」
「クローテ村に繋がる道だ。直ぐに領境の川まで行くことができる。」
「そうか。」
クローテ村まで、手早く行けるように準備していたらしい。騎士団は流石の動きをするな。
騎士殿の先導で俺達は歩き始めた。
メスリーヌが突然足を止めた。
俺達3人に緊張が走り、剣の柄に手をかける。
「肉が激しく焼け焦げたような匂い…。おそらく、この匂いは…。」
一気に青ざめるメスリーヌ。
俺は空を見上げる。こちら側は風下になっている。だが、あの時とは違い煙がこちらに流れて
くる様子は見えなかった。
「落ち着けメスリーヌ。その肉は…、今現在、焼かれているわけではないだろう。」
「…おそらく…現状で燃やされているわけではないようです。」
「これから行く村で、数日前に盗賊団同士の争いがあった。負けた方の盗賊の死体を処分した
時の匂いが残っているのだろう。勝った方の盗賊団も壊滅したから、今も村に大人数の盗賊が巣
食っているわけじゃぁない。今誰かが殺さている真っ最中というということは無いだろう。村に
盗賊がいたとしてもシモン1人が隠れているだけだ。それを確認しに行くのが仕事だ。」
「…。」
その言葉だけではメスリーヌの警戒は解けない。
俺があの村にいた盗賊であることを隠したい意図があって、彼女には村の事や仕事の詳細を話
してこなかった。それが仇になってしまったようだ。
「相手がシモンだけなら、戦うのは無理でも、逃げるのは十分に可能だ。相手の姿を確認する
だけでも任務としては成功だしな。」
「…。」
騎士2人が張り詰めていた肩の力を抜いて、何事もなかったかのように歩きだした。俺もそれ
に続く。メスリーヌは少し逡巡していたが俺達に付いてきた。
流石に年配に騎士だけあって、連れてきた人間が迷っている時の対応も堂に入ったものだった。
歩き始めてすぐに、ハルツ公領とセルマー伯領を隔てる小川に行きついた。見慣れたものにな
った倒木を束ねた橋も変わらずにそこにある。
「俺達はここまでしか、一緒に行くことができない。ここから先はお前達2人での行動になる
。」
「シモンを見つけたら恥も外聞も捨てて、ここに逃げ帰ってきて構わない。フィールドウォー
クで一緒に逃げることができるからな。」
「無時に帰って来いよ。」
騎士団員の激励を受けて橋を渡った。この場所からは川の向こうにある迷宮の入り口を見ること
ができるのだが、彼らの意識をシモンのこと以外に向けるべきではないので、黙っておくことに
した。
川を越えるて、村を目指す。すぐに森に身を隠せるように道の端を進む。ほどなくしてクローテ
村の正門が見えてきた。そこは、死体が焼かれて処理された場所だ。メスリーヌを怯ませた匂いの
元凶。すでに燃え尽きたであろう格子状に組まれていた薪は、乱雑に片付けられていた。彼方此方
に炭化した薪木が転がっている。それが黒焦げの物体が本当に薪木なのかどうかは考えないように
した。
俺でも分かるくらいくらいに、この場所には死臭が立ち込めている。ここには留まるべきではな
いので素早く移動する。正門は閉ざされていて、見張りがいる様子もない。人気を全く感じられな
いなかで、俺が村を脱出する時に使った土塀が崩れている所まで動く。
こちらにも見張りをしているような人影は無い。土塀の壁に背を付けて、崩れた部分から村の中
の様子を窺う。動く人の姿は確認できず、たまに風が吹いて建物の扉がガタガタと鳴る音だけが聞
こえる。人がいる気配を微塵も感じることができなかった。
「メスリーヌ、誰か人がいるのを感じることができるか。」
メスリーヌが鼻を鳴らす。
「いえ、匂いはありますが、薄くなっています。おそらく数日前から無人だったと思います。で
すが、この場所から分かるだけの匂いです。どこかの家に潜んでいるなら、その建物に入るか近づ
くかしないと感知できません。」
「分かった。中に入って、村長の家を目指す。」
崩落した所を攀じ登り、壁を超える。目立つ大通りは避けて裏道を進む。
狂犬のシモンが潜伏していると目星をつけたこの村で1番大きい建物である、村長宅。だが、そ
の前に確認するべき場所がある。この村のほぼ真ん中、目抜き通りの中央に鎮座している、俗に釣
べ式と呼ばれる井戸がある。この村の水源は、この井戸と領境の小川しか無い。誰かがこの村にい
るのなら、この井戸から水を汲んで使用する必要がある。もし井戸に使われていた形跡があるのな
ら、誰かが村に潜んでいる証左になる。
まずは水汲み場の周辺を回ってみる。水が撥ねた跡が無い、辺りが濡れている様子も無かった。
さらに井戸そのものを観察する。水を汲み上げる為の縄の付いた木桶は引き上げられ、地面に置
かれている。桶は乾いていて、最後に使われてから時間が経過しているようだが、それがどの程度
かは判らない。
狂犬と恐れられた盗賊であるシモンが,朝からちまちまと水を汲んで、煮沸の為の火をおこして
飲み水を作っていたのだろうか。部下がいなければ、シモン自身が水を確保しないと生活できない
のだが、正直そんなことをしている姿が想像できない。そうなると、シモンはこの村にいない公算
が高いと思えてくる。
「どこも濡れたりしていないが…メスリーヌ、このあたりの匂いはどうだ。」
「ここも匂いは希薄です。ですが、水汲みのことで言えば、家の中の大きな甕に汲み置きしてあ
る場合があるので、ここに匂が無いからといって、村に人がいないことにはなりません。」
「水を溜めておく…そんなことをするのか。」
俺の育った寒村ではそんなことをしていた村人はいなかった。
「昔の城では、籠城したり不測の事態に備える為に、常に水を備蓄していたそうです。その名残
で、 今でも非常時に使うための水を溜めておく家があります。」
メスリーヌが申し訳なさそうに言った。その言外に、彼女がいたような大きな家では、そうした
伝統が今も残っていると含められているような気がする。
であるならば、やはり村長宅を捜索しなければならないだろう。
メスリーヌに告げて、村長の家に向かう。
村長の家の玄関前に立つ。
「メスリーヌ、匂いはどうだ。」
「…薄まってはいますが、血の匂いと大勢の人が匂いが混じりあっています。狼人族の香りは微
かです。」
「ここで闘いがあったのだろうな。」
俺は自分自身では判っていることを言いながら、玄関扉に手をかける。
片手にジェードの形見の短剣を持ちながら、鍵のかかっていない扉を開ける。
扉が開くにつれて、微かにドアが軋む音が鳴る。音に反応して誰かが動く気配が…ない。息を殺
して、そのままの体制でしばらくの間いたが、やはり誰かが動く人影も音も感じられなかった。
「中に入るぞ。」
小声でメスリーヌに告げて、家の中に入り込む。足を踏み入れて数歩目ですぐに、俺の生家と違
って、歩くたびに床がギシギシと音を立てたりしないことに気が付いた。小さい村でも流石に村長
の邸宅だけのことはある。侵入者である俺には好都合の状況だった。
部屋を調べ回る。一応片付けられていたが、まだ戦闘の後が残っている。相手は盗賊とはいえ、
こんな惨劇のあった家に住みたいと思うだろうか。それとも,この状況こそ盗賊団の切り込み頭に
相応しいと感じて、喜んでこの家で暮らしたのだろうか。そんな感性をしている人間がいるとは思
いたくないのだが。
部屋を横切り壁に設置された暖炉を調べる。冷たい煉瓦の感触が手に触れた。薪木の燃えカスも
冷たくなっている。暖炉は火が消えてから、時間が経っているようだ。
台所へ移動して、竈を同じ様に調べる。こちらも熱が去って久しいようだ。
「水を溜めておく用の甕は、この家には無いようです。」
メスリーヌが辺りを調べながら言った。火を使わず、水の汲み溜めもしていない、となると、や
はりシモンが、この家にいる公算は低いと思えてくる。生活臭というものを感じることができなか
った。
そう思いながら奥の部屋に入る。入室してすぐに違和感を感じた。
だが、何故自分が違和感を感じたのかを理解できない。
「メスリー…。」
背後のメスリーヌに話しかけようと振り返った時、足元から聞こえた音で違和感の正体に気が付
いた。この屋敷に入って、全く聞こえてこなかった床板が軋む音が鳴っていた。
俺が足を踏み出し体重が移動すると床が僅かにへこんでギシギシと音がする。
何故この部屋だけ、軋み音が聞こえるのか。
「メスリーヌ、この部屋でなにか他と違う異変があるか。」
緊張を隠せない声で、メスリーヌに尋ねる。
「匂いが…。今まで嗅いだことがないほどの大量の金属の匂いがします。」
室内を見渡してみるが、金属など置かれてはいない。
部屋の隅には絨毯が敷かれて、その上に一脚のテーブルが置かれている。改めて観察してみると
不自然な配置だ。机を退けて、絨毯を剥ぐ。そこには当然のように床板が敷き詰められていたが、
よくよく見てみると、打たれたはずの釘が無かったり、床木がずれたり、浮いたりしていた。
爪を掛けると床板は簡単に外すことができた。取り外すことのできる板を全て退ける。床下には
勝手な収納庫が作られていた。どうやら盗賊の誰かが手仕事で床を改造したようだ。その為に本来
なら軋むことのない床が音を響かせるようになってしまったのだろう。
収納庫には、何かがギッシリと詰まった袋と白くて四角いボックス、片手剣が1本とインテリジ
ェンスカードが何枚か、そして多数の丸薬が小さな袋に包まれていた。
大きく膨らんだ袋を取り出す。人間族の俺でも判るくらいに袋から金属の匂いが漂っている。
袋の口を開けると、中にはこれでもかと金貨が詰め込まれているのが見えた。