同級生一色いろは、留年生比企谷八幡   作:10気筒VTEC

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フラッシュバック

教室の空気は、昨日までとは明らかに異質だった。  俺が登校し、自分の席に座っても、周囲の囁き声は止まない。一色いろはを連れ出した「狂犬」としての悪名と、放課後に彼女と二人で街を歩いていたという目撃情報。それらが渾然一体となって、俺の周囲には不可視のバリケードが築かれていた。

 

「……おはよーございます、比企谷くん。今日も目が死んでて安心しました」

 

 隣の席の主である一色いろはが、カバンを置いて俺を振り返る。  彼女の表情は、昨夜の親密さを微塵も感じさせない、完璧なクラスメイトとしてのものだった。だが、俺に向ける視線の温度だけは、昨日よりも数度高いように思える。

 

「……ああ。お前も、相変わらずあざとくて何よりだ」

 

 俺が短く返すと、いろはは少しだけ満足そうに口角を上げた。  俺は、この「二人だけの秘密」を共有しているという優越感の中にいた。

 

放課後、彼女が来るまでは。

 

「比企谷君。そこにいるのかしら」

 

 教室の前門が静かに開いた。  その瞬間、1年F組の喧騒が、まるで真空に包まれたかのように消失した。  そこに立っていたのは、一色のあざとさも、佐藤の虚勢も、クラスのヒエラルキーすらも無効化するほどの、圧倒的な美しさを纏った少女。

 

 二年生、雪ノ下雪乃。

 

「……ゆ、雪ノ下先輩?」  

 

いろはの声が、わずかに強張った。  女王として君臨していたいろはですら、目の前の「鉄の処女」が放つ凛とした威圧感には、本能的な警戒心を隠せない。

 

 雪ノ下は、周囲の視線を一切無視し、真っ直ぐに俺の席の前まで歩いてきた。

 

「……何の用だ、雪ノ下。ここは一年生の棟だぞ。二年生の王族が迷い込むような場所じゃない」

 

「迷い込んだのではないわ。不法投棄されたゴミを回収しに来たのよ」

 

 雪ノ下は、俺の顔を冷徹な瞳で見下ろした。  由比ヶ浜との一件。彼女がそれをどう思っているのか、その瞳からは読み取れない。ただ、彼女はいつもの、刺すような毒舌を再開した。

 

「平塚先生から、再度念を押されたわ。『比企谷の更生という依頼はまだ完了していない』とね。……あなたは昨日、奉仕部に来なかった。自分勝手な理屈で、与えられた課題から逃げ出すことは、私が許さないわ」

 

「……課題だの更生だの、俺には必要ないって言っただろ。俺は俺のやり方で……」

 

「あなたのやり方は、ただの逃避よ。……比企谷君。今すぐ立ちなさい。奉仕部はまだ、解散した覚えはないわ」

 

 雪ノ下の手が、俺の腕を掴んだ。  その感触は、一色のそれとは違う、硬く、冷たく、けれど確かな「使命感」に満ちていた。

 

 俺がしぶしぶ立ち上がると、隣でその様子をずっと見ていた一色いろはが、椅子をガタリと鳴らした。

 

「……あの、雪ノ下先輩? 比企谷くん、これから私のお手伝いをしてもらう予定なんですけど。……勝手に連れて行かれちゃうと、困るっていうか」

 

 いろはが、いつもの「お願い」の表情ではなく、どこか険のある、挑戦的な笑みを雪ノ下に向けた。俺は、その間に流れる火花に背筋が凍る思いがした。いろはの瞳に宿っているのは、今まで見たことのない、昏い「なにか」の色だった。  

 

彼女にとって、俺は「自分だけ」の便利なお隣さんだったはず。それを、上位存在である雪ノ下が、平然と奪おうとしている。その事実が、無自覚ながら彼女のプライドを、あるいはそれ以上の感情を激しく逆なでしているようだった。

 

「……一色さん。彼を甘やかして、自分の欲望のために浪費させるのは、彼の更生の妨げでしかないわ。……悪いけれど、彼の時間は、当面の間私が管理することになっているの」

 

 雪ノ下は、いろはの言葉を一蹴した。  彼女にとって、比企谷八幡を正しく導くことは、事故への罪悪感も含めた、絶対に譲れない「責任」なのだ。

 

「……あはは、そうですか。……比企谷くん、行っちゃうんだ」

 

 いろはの声が、一瞬だけ低くなった。  彼女は俺を見ず、机の上の資料を強く握りしめている。  俺は、そんな彼女に何と言えばいいか分からず、雪ノ下に引かれるまま教室を後にした。

 

 

 

 特別棟、奉仕部部室。  由比ヶ浜のいない室内は、驚くほど静かだった。    雪ノ下は自分の席に座ると、相変わらず本を開いた。だが、そのページは一枚も捲られない。

 

「……雪ノ下。お前、由比ヶ浜のことは……」

 

「……その名前を出す必要はないわ。彼女は彼女の意思で、今は距離を置いている。……けれど、あなたがここにいる限り、奉仕部は終わらない。……違うかしら?」

 

 雪ノ下の言葉には、やりづらさと同時に、奇妙な安堵があった。  彼女は、俺が何をしても、どんなに捻くれても、この場所で毒を吐く権利だけは奪わないでいてくれる。

 

 その時だった。

 

 ドンドンドン! と、これまでの誰とも違う、激しく、どこか芝居がかったノックの音が鳴り響いた。

 

「……どうぞ」

 

 雪ノ下が許可を出すと同時に、扉が勢いよく開かれた。  そこに立っていたのは、腰まで届きそうな長い髪をなびかせ、時代錯誤なコートを羽織った、異様な雰囲気の男だった。

 

「――フハハハハ! ここが、呪われし宿命の乙女が支配するという、『奉仕部』か!」

 

 男は、中二病全開のポーズを決め、俺と雪ノ下を指差した。

 

「俺の名は、『剣豪将軍』……! 我が右腕に宿りし魔力を封じる術を、貴様らに授けてもらおうか!」

 

「…………」  

 

雪ノ下の手が、静かにプルプルと震え始めた。

 

「……比企谷君。……知り合い?」

 

「……いや。…しらない。」

 

 俺の記憶の隅に眠っていた、中学時代の「黒歴史」の残滓。  事故によって分断された俺の過去が、最悪のタイミングで、最悪の形で扉を叩いた。

 

俺たちの戦いは、まだ始まったばかりだ。

 




これで1巻は終わりです。原作とはだいぶ乖離してますが。

毎日書いてるわけではないですが、毎日投稿はなかなか維持が難しいですね。

執筆が順調に進めば、一週間以内には続きを出せると思います(戒め)。

もし楽しみにしてくださる方がいれば、応援よろしくお願いいたします。
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