同級生一色いろは、留年生比企谷八幡   作:10気筒VTEC

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女神降臨

特別棟の部室に、一筋の清らかな風が吹き込んだ。  

扉の向こうに立っていたのは、短く切り揃えられた銀髪に近い髪と、潤んだ大きな瞳。その仕草一つひとつが、俺の荒んだ心を浄化していく。

 

「二年生の戸塚彩加です。あ、あの……。奉仕部、だよね? 相談に乗ってほしいことがあって」

 

ああ、これが女神か。

 

戸塚の声は、鈴を転がしたような透明感に満ちていた。二年生のテニス部に所属する彼女は、部の活動を活性化させるための練習メニューや、部員同士の親睦を深める方法について悩んでいた。

 

「……可愛い。……じゃなくて、ああ、相談なら任せろ、戸塚……先輩」

 

 俺は思わず、自分でも驚くほど素直に返事をしていた。一瞬、同い年のように呼びそうになったが、今の俺は一年生。一歳上の彼を先輩と呼ばなければならない現実に、胸の奥が微かに疼く。材木座?知らん

 

 戸塚彩加。彼女と話していると、自分が「留年生」であるという劣等感や、世界に対する呪詛がスッと消えていくのがわかる。

 

「ありがとう、比企谷くん。君、一年生なのにすごく頼りになりそうだし……なんだか、話しやすいね。敬語じゃなくてもいいよ?」

 

俺が先輩と呼ぶ違和感を感じ取ったのか、救いのような一言をかけられた。

 

「……そうか? なら…まあ、俺は暇だからな」

 

 テニスコートへ移動し、彼女の練習を眺めながらアドバイスを送る。 それも素人意見だが。

 

「それで、テニス部の問題は技術的なものじゃないんだろ」

 

奉仕部での打ち合わせでの彼女は、練習メニューやチームワークの醸成について相談していた。しかし、問題が本当にそうであるならば奉仕部などには来ないだろう。顧問が頼りなくともテニス関係者に相談できる。つまり、問題は別のところにある。

 

「うーん、技術的じゃないというか、精神的なものもあるような。勝ちを諦めてるような気がするんだよね」

 

そうやって視線を下に落とす彼女を見ると、なぜか心がざわめく。この儚さは何だ。この胸の高なりはどうやって抑えればいい。

 

「…その気持ちはわかる。勝ちを狙うのはしんどいからな。俺は誰かに迷惑かけたくないし、気楽だから壁打ちをずっとやっときたい」

 

「なにそれ」

 

戸塚は、呆れたような笑顔を浮かべて見せる。俺の自虐を受け止め、笑ってくれる。

 

「でも、わからなくもないかな。人に行動を促すって、とても大変だし」

 

その笑みに雲がかかる。率いる立場の重責を思い出しているのか。動かない部員に機能しない組織。高校生である俺達には、荷が重すぎる。

 

「だろ、だから人に期待するのはやめた方がいい。餌をまいて、思った通り動いてくれたらラッキー。猫だな」

 

「猫はそこがいいところだよ」

 

「好きなのか、猫」

 

「普通、かな」

 

 もし。もし一年前のあの日、俺が事故に遭わずに普通に入学していたら。俺たちは先輩と後輩ではなく、同じ学年の友人として、こうして放課後に笑い合い、テニスを教え合うような「青春」を送れていたのだろうか。

 

(……一年前の事故がなければ、普通に友達になれたかもな)

 

 そんな、柄にもない感傷が胸を掠めた。雪ノ下や由比ヶ浜のような「重い過去」を共有する関係でもなく、いろはのような「歪な同志」でもない。ただの、純粋な友人。そんな可能性を、俺は目の前でラケットを振る戸塚の中に見ていた。

 

 

「……へぇ。比企谷くんってば、あんな顔もできるんですねぇ」

 

 テニスコートを囲むフェンスの影。サッカー部のマネージャー仕事の合間に、いろはは戸塚と談笑する八幡を凝視していた。

 

 八幡が時折見せる、毒気のない穏やかな表情。自分といる時の、あの皮肉に満ちた、けれどどこか攻撃性を孕んだ「共犯者の顔」とは全く違う、無防備な笑顔。

 

 別に、彼に思うことはない。ただ利用しあうだけの関係。だが、その事実はプライドに響き、いろはの心にチリリとした小さな火を灯した。

 

「一色さん、どうかした?」  

 

通りかかったサッカー部のエース、二年生の葉山隼人が声をかける。

 

葉山隼人、サッカー部のみならず2年生の人間的中心。整った容姿に文武両道。まさに完璧な存在である。彼は一色いろはにはできない天性の才能を持つことに、憧れを抱いてはいる。友好的な関係を築きたいとも考えている。

 

しかし、今は、それどころではない気がした。

いろはは、反射的にいつもの可愛い後輩の仮面を貼り付けた。

 

「あ、葉山先輩。なんでもないですよぉ。ただちょっと疲れちゃっただけでぇ」

 

「大丈夫?キツかったら無理しないで休んで」

 

葉山先輩の気づかいは素直にうれしいが、今の状態であまり会話を続けると仮面さえも見透かされそうな気がした。

 

「葉山先輩やさしい。ありがとうございます。でも、大丈夫です」

 

「そうか、何かあったら何時でも言ってね」

 

 葉山が去った後、いろはは再び八幡に視線を戻す。その瞳は、好物の獲物を狙う小悪魔のような冷たさと熱の両方を帯びていた。

 

 

 俺が休憩のためにフェンス際へ歩いていくと、いろはは、わざとらしく彼の進路を塞ぐように現れた。

 

「……あ、一色。まだ部活中だろ。こんなところで油売ってていいのか?」

 

「いいんです、これが私の休憩なんです。……それにしても比企谷くん、さっきから随分と楽しそうじゃないですかぁ。……あの二年生の戸塚先輩? でしたっけ。女の子みたいに可愛いからって、鼻の下伸ばしちゃって。不潔ですよ?」

 

一色いろはは毒を吐く。からかいのフォーマットに乗せて、釘を刺す。

 

「……伸ばしてない。ただの、健康的な交流だ」

 

言外の意味を測り兼ね、俺は適当に煙に巻こうとした。

 

「ふーん、健康的。……比企谷くんには、もっと不健康でドロドロした環境がお似合いなのに」

 

 いろはは、フェンスを背にして上目遣いで睨みつける。その言葉は皮肉に満ちていたが、声音には、言いようのない熱が滲んでいた。

 

「……戸塚先輩ですか。…彼女じゃなくて、彼ですよ。」

 

 彼女はそう言い捨てると、パタパタとグラウンドへ戻っていった。二年生の天使と、一年生の小悪魔。俺の毎日は、学年の壁を跨ぎながら、ますます平穏とは程遠い場所へ向かっている気がした。

 

「ん?女の子みたい?彼?」

 

 

 

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