同級生一色いろは、留年生比企谷八幡   作:10気筒VTEC

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第3巻
仕切り直し


奉仕部室の古びた扉。その向こう側から漂う、嵐の予感。  

 

平塚先生が放った「劇薬」という言葉は、俺の鼓動を不必要に加速させていた。雪ノ下雪乃との間に生じた、解決法を巡る抜き差しならない断絶。そこへ投入される新たな部員という存在は、この澱んだ奉仕部の空気を、一体どう変えてしまうのか。

 

 雪ノ下もまた、背筋を伸ばし、扉の一点を見つめていた。その瞳には、新部員への警戒と、それ以上に「今の私たちには他者の介入など必要ない」という拒絶の意志が、氷の刃となって宿っている。

 

 そして、扉が乱暴に開け放たれた。

 

「ふははは! 闇の眷属に導かれ、禁断の知恵の裁定を仰ぎに参ったぞ、八幡よ!」

 

 瞬間、部室の時が止まった。現れたのは、制服からはみ出さんばかりの巨躯を揺らし、季節外れのコートを翻す男。中二病という不治の病に侵された、我が数少ない知己、材木座義輝だった。

 

「……え?」

 

 俺の口から漏れたのは、あまりに情けない困惑の声だった。雪ノ下は、見開いた瞳のまま固まっている。彼女の頭脳をもってしても、この「劇薬」という言葉から材木座という毒にも薬にもならない何かを導き出すことは不可能だったに違いない。

 

「なんだ、比企谷。随分と呆けたツラをしているな。……おい材木座、突っ立ってないで入れ。ここの部長はお前に負けず劣らず性格が悪いから、遠慮はいらんぞ」

 

 平塚先生が、覇気を纏いながら材木座の背中を叩く。

 

「平塚先生……。確認したいのだけれど、これが、あなたが仰っていた『部員補充の劇薬』なのでしょうか? どちらかと言えば、精神衛生上の問題を感じさせる何かでは?」

 

 雪ノ下の復帰は早かった。彼女は一瞬でいつもの冷徹さを取り戻すと、材木座を見据えた。

 

「ふはは……! さすがは雪の女王。その眼光、我の魔眼を以てしても防ぎきれぬとは。……だが、平塚女史よ。我は部員になるつもりはないぞ。我の道は修羅の道。組織に縛られるなど、魂の汚辱に等しい!」

 

「……安心しろ。俺もお前のような紙資源浪費マシーンを部室に常駐させるつもりはない。平塚先生、説明をお願いします。なぜこれがここに?」

 

 俺が疲弊しきった声を出すと、平塚先生はケラケラと笑いながら椅子にドカンと座る。

 

「いやなに、廊下を不審な動きで歩いていたからな。部員補充のノルマさえ達成できれば誰でもいいと思ったんだが…。仕方ない、今日は依頼人として扱ってやる」

 

「ノルマのために人を不審者扱いして拉致してくるなんて……。相変わらず、教育者としてのモラルが崩壊してますね、平塚先生」

 

「うるさい。とにかく、こいつの依頼を解決してみせろ。それと、比企谷、雪ノ下。お前たち二人だけの閉鎖環境は、見ていて危うすぎる。まともな新部員の目星をつけておけ。……補充ノルマを達成できなければ、奉仕部は解散。……いいな?」

 

 平塚先生はそれだけ言い残すと、颯爽と部室を去っていった。後に残されたのは、凍りついた雪ノ下と、呆然とする俺。そして、盛大に鼻を鳴らしながら、鞄から数冊の大学ノートを取り出す材木座だった。

 

「……それで? その、紙資源の無駄遣いが、今回の依頼かしら?」

 

 雪ノ下の毒舌は、対象が材木座になったことでリミッターを完全に解除していた。

 

「ぬかせ! これは我の魂の咆哮、『剣神のレクイエム 〜黄昏の騎士は二度死ぬ〜』の最新稿だ! 八幡よ、この聖典を批評する名誉を授けてやろう!」

 

「……いや、名誉とかいいから。つーかお前、また書いたのか。前回ボロクソに言われて寝込んでただろ」

 

 材木座の「ラノベ作家になりたい」という迷走は、高校生以前から続いていたらしい。彼は時折こうして現れては、独善的な設定と、読むに耐えない文体で書かれたノートを押し付けてくる。

 

「……比企谷君。これ、本当に読む必要があるのかしら? 表紙に描かれたこの不吉な陣のようなものは何? ……呪いの類なら、専門の業者を呼ぶべきだと思うのだけれど」

 

 雪ノ下が、指先だけでノートを摘み上げ、心底嫌そうに顔を顰める。

 

「ふははは! それは『混沌の魔印』! 読者の精神を強制的に我が世界観へ――」

 

「五月蝿いわね。座りなさい。……そして、その耳障りな口上をやめなさい。読み終わるまで一言でも発したら、その原稿ごとあなたをシュレッダーにかけてあげるわ」

 

 雪ノ下の放つ殺気に、材木座が「ヒィッ」と短い悲鳴を上げて沈黙した。部室に、パラパラとノートをめくる音だけが響く。

 

 俺は材木座の隣で、窓の外を眺めていた。新部員の補充。平塚先生が言ったノルマに、雪ノ下との口論から意識を背ける。雪ノ下も同様に、ノートに目を通す。

 

 部員。奉仕部。俺たちの、三人目の居場所。 脳裏に、ふと、ある少女の顔が浮かんだ。 一色いろは。 俺の隣の席でいつもあざとく笑い、俺を利用してくる同級生。彼女ならこの奉仕部の重苦しい空気を、その天性の適応力で容易く塗り替えてしまうだろう。    

 

だが、その考えを俺は即座に切り捨てた。一色といれば、確かに気は楽だ。お互いに腹の底を見せ合い、打算と利益だけで繋がっている。そこには、雪ノ下との間にあるような「正義」も「責任」も「罪悪感」も存在しない。  

 

だからこそ、彼女をここに入れるわけにはいかないのだ。この奉仕部は、一年前の事故から始まった、雪ノ下雪乃による俺への「更生」という名の介入の場だ。そして俺にとっては、失った時間を取り戻すための、痛みを伴うリハビリテーションの場でもある。たとえ方針が合わなくとも、雪ノ下は俺を見ていてくれる。

 

一色いろはは、俺にとっての「日常」だ。彼女と交わす言葉は、俺を過去の檻から一瞬だけ外に連れ出してくれる。そんな、彼女とのドライで都合のいい関係を汚したくはなかった。    

 

彼女は俺を利用し、俺も彼女を利用する。それで完結している。 それでいい。

 

「……比企谷君? 何をそんなに難しい顔をしているのかしら。あなたの友人のこの、文字化けしたような文章を解読する手伝いをしてくれる気になった?」

 

 雪ノ下の手元を見ると、ノートには彼女の容赦ない赤字が、まるで血痕のように書き込まれていた。八つ当たりだろ。俺のせいだけど。

 

「……いや、新部員のことを考えてただけだ。……材木座を入れるくらいなら、そこらの案山子を立たせておいた方がマシだろうしな」

 

「そうね。その意見には、今日初めて同意するわ。……部員については、私に考えがあるの」

 

 雪ノ下は、書き込みを終えたノートを材木座に突き返した。材木座は、赤字の量に絶望して「グフッ」と悶絶している。

 

「……由比ヶ浜さんよ」

 

 その名前に、俺は息を呑んだ。  

 

「彼女はかつて、この部にいた。……そして、あなたのあの独りよがりの解決法のせいで、傷つき、ここを去ったわ。もし、この奉仕部を、そしてあなたを『更生』させるという私の目的を果たすのであれば、彼女を呼び戻すことは避けては通れない関門だわ」

 

 雪ノ下の瞳に、強い意志が宿る。それは、彼女自身の罪悪感への決着でもあるのだろう。果たして俺はどのように意思を表明し、どの方向で立ち回るべきか。測りかねていた。

 

「……向こうが戻ってくるとは限らないぞ。俺は、アイツの優しさを否定したんだ」

 

「ええ、そうね。……だから、正攻法ではダメ。……彼女の心を動かす、何か決定的なアプローチが必要だわ」

 

 雪ノ下は、カレンダーを見つめた。そして、誰にも聞こえないような小さな声で、けれど確信を持って呟いた。

 

「由比ヶ浜さん……。彼女の時間を、再び動かすために」

 

 その背後で、材木座が「我のレクイエムが……我の魂が全否定された……」と床に伏して泣いていたが、今の俺たちには、その叫びに応える余裕はなかった。

 

 

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