同級生一色いろは、留年生比企谷八幡   作:10気筒VTEC

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思考の外注

山あいの夜は、驚くほど唐突に訪れる。小学生たちの底なしの体力を燃えつくすような喧騒が遠くで鳴り響く中、俺は管理棟の裏手で、自販機の明かりだけが頼りの薄暗いベンチに身を潜めていた。

 

 奉仕部、そして葉山隼人を交えた鶴見留美の救済計画は、完全に暗礁に乗り上げていた。雪ノ下の提案する構造改革も、葉山のカーストの無効化も、あの少女を囲む冷徹で容赦もない現実の前では、無力な綺麗事に過ぎない。

 

あの子を無視している連中の瞳には、悪意すらないのだ。あるのはただ、自分たちがターゲットにならないための、徹底した無関心という自己防衛だ。

 

「……まともな倫理観じゃ、あの地獄は解けねーよ」

 

 俺はポケットからスマートフォンを取り出した。こんな時、雪ノ下や葉山のような、理想を持つ人間に相談しても無駄だ。必要なのは、正しさの対極にあるもの――打算と、欺瞞と、そして人心を掌握するための狡知だ。

 

 SNSアプリの一番上の欄。こんな俺に連絡を寄越す奇特な存在。つまりはそこにある、上司の名前をタップする。報連相は大事っていうだろ。数回のコール音の後、スピーカーから「はぁい」という、緊張感の欠片もない声が響いた。

 

『もしもし? 比企谷くーん? こんな時間に電話してくるなんて、さては寂しすぎて枕を濡らしてたんですかぁ? あ、これ、一応「夜這い」ってカウントしていいやつですかね。先輩たちがいない隙に、後輩の私に手を出そうなんて……あざとーい』

 

「……相変わらずの機関銃トーク、助かるよ。脳が溶けそうだ」

 

 電話の向こうでは、エアコンの稼働音と、テレビの音が微かに聞こえる。この湿った森とは別世界の快適さなのだろう。一色いろは。一年F組の隣の席で、俺を「便利な道具」として扱う少女。

 

『で、何ですか? 相談なら有料ですよ。今、私、自分磨きのフェイスパック中なんですから』

 

「……女子のグループについてだ。一人をハブにして、残りの連中が『自分だけは安全』だと確認し合ってる、村社会みたいなコミュニティを壊す方法を聞きたい」

 

 俺が鶴見留美の置かれた状況を簡潔に伝えると、電話越しの彼女の気配が、一瞬で「雑談モード」から「営業モード」へと切り替わったのが分かった。

 

『……ふーん。それ、解決したいんじゃなくて、「ぶっ壊したい」んですよね?』

 

 前提の確認。解決とは何だろうか、いじめの解消?和解?……そこで初めて気づいた。俺は、いじめの解決を知らない。そもそも何がどうなれば解決なのかについて、誰も答えを提供できないのではないか。

 

 であるならば、俺は方法を一つしか知らない。つまりところ、壊すといったのはそういうことだった。

 

「ああ。絆だの何だの甘っちょろいもんじゃなく、その構造自体を機能不全に追い込みたい」

 

『いいですよ、教えてあげます。……女子の友情なんて、共通の「敵」がいるから成立してるんです。ターゲットを一人に絞ってる間は、彼女たちは最強のチームですけど、その敵が自分たち全員を飲み込むような圧倒的な恐怖に変わったら……一瞬で裏切り合いが始まりますよ?』

 

 一色いろはの声は、冷ややかに、けれど愉しげに弾んでいた。彼女は自分自身がそのカーストの頂点で立ち回っているからこそ、その足元がいかに脆い砂上の楼閣であるかを熟知している。

 

『ならスクラップ&ビルドですよ、比企谷くん。彼女たちが持ってる「誰かを攻撃してれば自分だけは安全」っていうフラグを、全部折っちゃえばいいんです』

 

「そう、だよな」

 

『パニックを起こさせて、誰が誰を売るか、その醜い本性を曝け出させてあげれば……ほら、翌日にはもう「仲良しごっこ」なんて出来なくなりますから』

 

「……共通の敵、か」

 

『ええ。比企谷くん、得意でしょ? 嫌われ役。……あ、でも、あんまり一人で全部背負わないでくださいね。せっかく私が道具としてキープしてるんですから、ボロボロに壊れられると、私の資産価値が下がっちゃいますし』

 

 彼女の言葉は、相変わらず棘だらけで打算に満ちていた。けれど、雪ノ下が向けてくる過保護な憐れみよりも、そのドライさの方が、今の俺には救いのように感じられた。

 

「……分かった。相談料は?」

 

『あ、覚えてました? さすが比企谷くん、聞き分けがいいですねぇ。……そうですね、夏休みの間に一日、私をエスコートしてください。もちろん、私のわがままを全部叶えるって約束で。……返事は?』

 

 電話の向こうで、不敵に微笑む気配がした。これは伏線だ。この森での戦いが終わった後に待っている、もう一つの不条理への招待状。

 

「……善処するよ」

 

『あは、期待してまーす。じゃ、パック剥がすんで切りまーす。……頑張ってくださいね、悪役さん』

 

 通話が切れた後、静寂が戻ってきた。自販機の光が、俺の足元に長く歪な影を落としている。

 

「……壊す、か」

 

 俺は彼女から授かった策を反芻しながら、賑やかなキャンプファイヤーの方へと歩き出した。雪ノ下が決して許さない、最悪の解決策。けれど、それが唯一、一撃を与える方法になり得るのだと、そして破綻をもたらすのだと理解していた。

 

 

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