Fateセカンドクラス   作:佐藤夜空

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第10話

「疲れたわ……」

 窓ガラス越しに注がれた夕暮れが摩耗しきる視界を赤く染めた。

 ……ほぼ寝ていない。

「頭が、回らない」

 開け放たれたドアの向こう――廊下からクラスメイトの歓喜、驚愕、落胆の声色が鼓膜に響いてくる。

 声音が不協和音、学校が動物園に見えてきた。

「早く……帰ろう」

 時計も午後五時――学校終わりを示す。

 放課後の一幕といったところだが、今の私には下校ストーリーを刻む余裕も、意味も無かった。

 ……まずは寝たい。

 睡眠時間の確保こそ聖杯戦争の勝利に繋がる。

(体調は、常に万全を期して望まなければならない。特に俯瞰する立場が多いマスターならば、尚更だろう)

 リュックサックの紐に手を通し、大きなあくびを交え、閉ざされた扉に手を掛け――

「あぶっ!」

「えっ⁉」

「ないっ!」

 ――丸い輪郭が後ろ髪を抜けていった。

「杏さん。だ、大丈夫だった? 怪我はない?」

「え、えぇ……」

「すみませんでした。新品のボールを試し投げしていたら、つい……手元を離れてしまって」

「ま、まあ……」

 腰が砕けて一時的に動けない以外は、正常。

「立てますか? 手を貸します」

 差し出された手を握り締め立ち上がる――小鹿のようにプルプルと両脚は震えているけれど。

……完全に油断だった、マスターとしての威厳がボロボロと崩れていく音が聞こえる。

 嘲笑する者は誰一人として居らず、中には学年主任を連れてくる生徒も。

 悲劇的な現場だったが、もし仮にこの事故が体育の授業中、或いは自分が原因で発生した事故ならば――まさに喜劇的な現場と化していたと思う。

 ……マスターよ。

 おじいちゃんからの続きは無い、それが一番悲惨だった。

 円を描くようにクラスメイト達が私を囲み、心配の声を掛けてくる――被害者なのに、恥ずかしいのはどうしてだろう。

「おーい、大丈夫か?」

 野太い声が群衆を割り、上下ジャージ姿の学年主任が手を振りながら走り寄って来るのが見えた。正直、放っておいて欲しい気持ちが大きい。

「生徒から事情は聴いているが、一応……保健室で診断を受けて来い。ソフトボール部……そうだな、東条! 付き添いで見てあげなさい」

「わ、分かり、ましたっ! 喜んで」

 白羽の矢が立ったリオは何だか楽しそうに――笑顔で鼻歌を奏でながら、私の横をピタリとくっ付き保健室へ歩みを始める。ぎこちない演技だった。

「部活の練習サボりたいだけよね? リオ……」

「ふふっ……この、ビビり」

「はい、すみません……でした」

廊下は謝罪が横行し、隣には精神攻撃を仕掛けてくる友人が。

階段を降りながら思う。

……なぜこうなった。

とんだギャグアニメ展開、マイナー漫才が広がる世界で。聖杯戦争自体が薄れかけた時。

 思考の間を縫うように――

「相談しても、いい? 今日の部活でさ、変って言うか……違和感みたいなモノがあってね。少しだけ付き合ってくれない?」

 ――不穏さが染み込んでいく。

薄暗い空間に差し込む熱が汗臭さと混じり鼻孔を押し潰し、浮き立つ埃が視界をぼやけさせる。

 ……保健室じゃない、というか最初から連れて来る気概が無いのかもしれない。

「また、厄介に首を突っ込まそうとしているの?」

「せいかい!」

 部室だから当然か、分かっていたけれど。

「サボり魔かつ部活の厄介ごとは友達にポイって……」

「まあまあ、良いじゃありませんか」

「これが副部長の実態とは……世も末だわ」

 ブーブーと唇を立てながら置かれた脚立に足を掛け、ヒョイと頭上から四角い影を持って――リオの両手が段ボールで埋まっていた。

そして新品そうなソレを長机の上にドカンと置き。

「コレの中身、なんだけど、ね」

 渦のように舞う埃が飛び。

 中身が姿を現す。

「それって……ソフトボールよね?」

「しかも新品の、ね?」

 確かめさせるように、リオの語尾が深い咀嚼を要求しているように思え。顎に人差し指を宛がい思考してみる。

さながら気分は名探偵。

 ……ソフトボール、新品。

 パズルのように思考が合わさり、複合され、鳥肌が立つ。

「さっき、私が当たりかけたボールだわ!」

「そう!」

 右隣でビシッと指を指される。

「でもさ、リオ。一見、それだと問題が無いように思えてくるのだけど……」

「注文履歴がない、未使用のソフトボールが十二箱置かれていたら?」

「正しく……事件だわ」

 それは怖いくらいだった。

「誰が、どんな目的で送り付けてきたのかさえも、分からないのに。呑気に試し投げをする場合じゃないのよねぇー」

 ガサゴソと段ボールからソフトボールを取り出し「それに」と付け加え、リオは未開封のソレを差し出てきた。

「このソフトボール……バーコードも貼られていないのよね」

「確かに……どうしてだろう」

 クルクルと回しつつバーコードを探してみたが――それらしきモノや痕跡も見当たらない。

 粘着痕は無さそうだし、剥したって卓は消滅か。

(マスターよ、手数をかけるが。このソフトボールとやらが確認された時間を聞いてはくれないか? 我の勘が、そう訴えかけている)

 背後から時代錯誤的な言い回しで訴えてくるおじいちゃん。

 ……今から話しますよ、とか一言付け加えて喋ってくれないかな。

 お陰で――

「プハー! 杏ってさ、この程度でビクッってしちゃうタイプなの? マジおもろー」

「は? 違うって。これは……そうだな……」

「まあ、ソフトボールって硬いし、速いし。怖がるのもわかるわー」

 ――相当リオから煽られてしまった。

「ねぇ、リオ? ソフトボールってさ、ほんのちょっと軽く頭に当てても、後遺症って残らないわよ、ね?」

 あらあら。両手には新品のソフトボールが。

「待って、杏。冗談よ、冗談」

 あらあら。右隣には動く的が。

「そうねぇー私って、運動音痴な面があるから、上手に投げられるか……」

 あらあら。密室で試し投げが出来るではありませんか。

両手と顔を同時にブンブンと横に振り、必死の抵抗を見せ――

「わたし、オイシクナイ、ヨ」

 ――カタコト外国人になるリオ。

……私はライオンか!

 思わず心の中でツッコミを入れてしまった、なんか、熱が冷めてきたかも。

 構える両手を下げ、一呼吸し、伝える。

「冗談よ、あまりにもリオの反応が面白かったから、つい」

「もう、杏を怒らせるのは……今後一切、やめる! 私、死にたくないから!」

 平謝りされてしまった。

 ……うぅ、気まずい。

(友人とはいえ、いくら何でもやり過ぎだろう)

 はい、ごもっともです。

「す、すみませんでした」

 両方謝罪する展開になってしまった、バツが悪い相打ちだった。

 ……なんだ、これ。

 頭を上げ、ホロホロと崩れかけた話の筋を戻す。とりあえず――おじいちゃんが抱える疑問をぶつけてみるか。

「ソフトボールの件だけどね。ソレを最初に見た人物と時間帯が知りたいかも。今のところ情報が少なすぎるし、デメリットも想像しにくい事件だし……」

 天を見上げリオは思い出しているようだった、浮かれ過ぎて分からないとか言い出しそうで怖い。

 ……本人達はラッキーに近い感覚だったかもね。

 ソフトボール部が気にも留めない理由は共感できるけれど。だがしかし、おじいちゃんが口出しする一件。

「見つけたのは、確か部長で。部室を開けた時間――朝六時にはあったらしい。最初は顧問の粋な計らいだと思って気にしなかったらしいよ。発覚したのは朝練の前、お礼を言った際ね」

「そう。朝練を始める際、部室の鍵開けは常に部長が?」

「基本的には、ねぇー」

 純白新品のソフトボールを壁打ちしながらリオの空返事が、ボンっと耳奥を叩いてくる。キャッチボールは構わないが、言葉の方のコントロールが疎かなのは如何なモノだろう。

 ……現実のボール捌きは見事だけど、さ。

 窓下に付けられたフックの、更に下を通り――ボールの軌道は針のように、凄まじい速度で壁に当たり、リオの手元に戻る。

「私の話、聞いているよね?」

「うーん。聴いているよー。運動していると頭の回転が速くなるって……昔さーテレビでやっていたからさー実践だよー実践ねー」

 随分と楽しそうな実践だった。

「あーそうそう。今更で悪いけど、さ。このソフトボール事件の犯人……特定して欲しいのよねー杏には……」

 サラッと、ダブルプレーを成立された時みたいに。ソレは突然で、さも当然かのように文言が聞こえた。

「ん?」

 聞き間違い――

「私、サボり魔だけど一応副部長で忙しいのよねー、案外。だから頼まれてくれないかなって……」

 物理的なキャッチボールが止まり、幻聴ではないと証明された。

「それって……つまり。私がソフトボール事件の犯人を突き止めろと?」

「せいか、いっ!」

 ――真実らしい。

「どうして私なの?」

「適当に」

「なによ、ソレ」

 理由になっていない。

 呆れ返って、学習椅子の背もたれに体重を預ける。日差しに蒸された椅子が背骨を温かく包むが、ソレも今は気持ち悪さが勝っていた。

「以前の文化祭剣道部横領事件の犯人だって捕まえてくれたじゃない? 推理力ってやつを借りたくて、ね?」

 リオは斜めに首を構えながら可愛く――ぶりっ子のように頼み込んでくる。きっと語尾は伸ばし棒、仕草はボディータッチ多めだろうな。

 ……想像するだけでも吐き気が。

 自然と全身は後退り。

「冗談だって……てか、本気で引くの……やめてよね?」

「ごめん。生理現象かも」

「謝罪になってないし! てか、引き受ける気は……ある? 現状、顧問もソフトボールの一件は何とも思わないようだし。進展しないまま終わりを迎えそうかもねー」

 言いながら舐め回すように視線を絡め、口元を緩ませるリオ――彼女は変態なのだろうか。

 上面なセリフが胸のざわめきを優しく刺激し、柔軟剤のフローラルな香りが鼻孔を抜けたと同時に、立ち上がったリオの手にはスマホの画面。

「今度、新しくできた喫茶店の『ジャンボ・ゴールデン・パフェ』を奢る! それでいい?」

「取引って事ね?」

「え、ええ……そうよ!」

 リオの重なる震えが取引の重要性を再認識させる。

 ……パフェは食べたいけれど、ソフトボールの件は明らかに面倒事に該当するわけだし。

 二千五百円の代物――ソフトボールの一件。

果たして釣り合いは取れるのだろうか。

「ぐぬぬ……」

「ほらーパフェは逃げちゃうよー?」

 目の前でスマホの画面が左右に踊り、口内は飢えた獣のように唾液が溢れて。

 ……やりたい、絶対においしそうだから。

 でも――ソフトボール事件は引き受けたくはないし。

「分かったわーそれじゃあ、好きなだけカスタムしてよろしい! どう?」

 天高く指を突き上げ、リオは宣言。

「勿論でございます、お嬢様! 是非とも私に解決させてください」

「よし! ならば早速、調査をするべし!」

(何と言えば良いのやら……失望を越え、もはやマスターの行動……虚すら覚えるぞ)

「パフェは人間の限界を突破させてくれる食べ物よ……」

 見えない背後の視線が静電気のように痛かった。

「そうは言ったものの、どう解決に導けば……」

 鋭く注いだ夕立が視界を茜に染め、両手で抱えたソフトボールの表面のざらつきが不安を掠め、静寂に沈む部室内へ響いた。

 少し整理したいかも、座ろう。

「おじいちゃん。ソフトボール部の……この一件、どう思っているの? 指摘したって事は、何かしら考えがあるのよね?」

 学習椅子へ腰を下しながら発酵しかけた疑問をぶつけてみる、フワッとした冷たい空気がこめかみを縫い付け、緊張を走らせた。

……どうしてだろう、胸騒ぎがするわ。

(聖杯戦争は形が変わった戦……気付かぬ事象が死に直結するモノ。全てに気を張り、疑心を持つことだ。全てには理由が生じるのだから)

 戦と理由か――おじいちゃんの言葉を深く噛み、一度目線は綺麗に箱詰めされたソフトボール群へ向かい。

「未開封の段ボールを隅々まで調査したいわね……」

 マトリョーシカのように疑問が増える。

 ……仮にソフトボールが聖杯戦争と関連があって、手段の為に学校を利用するなら。

 今は令和だ、スマホもあればパソコンも存在する――魔術など。

「そうか! いや、でも……」

 素通りする草食動物に掴みかかるライオンの如く段ボール郡へ手を伸ばしかけ、理性という名の常識が待ったをかけた。

 機械仕掛けの人形が突然動かなくなるように、指先に掛かっていた力と思い込みが抜けていく。

「これはあくまで私の推測に過ぎない話だけどね……」

 ポケットに携えたスマホを耳に宛がい確かめるように言ってみる、認識が出来ないぶん言葉は鉛のような重みを有して、唇の結びを硬くさせる。

 ……私の一挙手一投足が、誰かの生死を握っているのね。

 おじいちゃんの言葉は返ってこない――氷のように冷たく胸を刺すような反応だけど、ココで頼らない強さを磨いてみせるわ。

「……新品のソフトボールの中に盗聴器、あるいは監視カメラ等が仕掛けられていると踏んでいるわ。理由は別として、ココで得た位置情報や個人情報は手荒で邪道だけど、強力な武器になると思うのよ」

 脅し、恐喝、クラスと真名の露見――そして死。正に何でもありの地獄バーゲンセール。

(真か偽か、不明でも可能性は摘むべき、と我は判断した。その上でマスターは我と同じく素晴らしい判断を下したようで……満足だ)

「お褒めに預かり光栄だわ。ありがとう、おじいちゃん」

 褒められた事で感情が良い方向で高揚――頬がおもちのように緩んだまま。

「杏……私今、部活中。帰宅部の天国自慢と冷やかしは止めてもらえます?」

「ふぁーい。ちょ、ちょっとー気になるぅ事で電話したけどぉーいいですかねぇー?」

 プツリと電話は途切れた、ガヤガヤとした掛け声の残響が耳に残っていた。

 数秒漂う静寂の中で理性が芽吹き、常識を携えながら再びリオへ電話を掛ける。

 まるで進化論を追体験しているみたいで、自然と手に力が入る。

……緊張のせいかもしれないけれど。

「またーかー。いくら何でもしつこいし、私も冗談で部活に席を置いている訳じゃ……」

 言葉に針を入れるように一瞬で。

「例のソフトボールについてよ。これ全部……中身を割って調べてもいいかってお願い。確証も無い予測だけどね……」

 電話越しに響くバットの金属音が耳奥を震わせ、恐怖に近い緊張が走った。結末が近いようで遠い、ガラス玉の中に入ったように意識が駆け回っている。

「ボールの中に盗聴器が仕掛けられている可能性が……ある、と思う。断定はできないけれど」

 訪れた無言の時間を飲み込むように喉を鳴らすが、その無意識の行動自体が『断れる可能性』を考えたくない心の表れのようで――正直、気が気では無い。

「……分かった……好きにしたらいいわ」

「え? 本当……に?」

 電話越しに答えたリオの口調は溜めるように、吐き捨てるように、スマホに宛がった耳奥を震わせる。正直、期待値が薄い提案だと思ったが。

「本当だって。何度も言わせないで……」

 どうやら聞き間違いではなかったらしい。

「いいの?」

「まあね、私の独断と偏見だけど……」

 苦笑いを浮かべるリオの表情が想像できる。

「その代わり、巨大パフェの件は無くなるけどな!」

「え、ちょっ! ま、待っ……」

 プツリと閉まった音が耳奥に残る――

「今までの、努力が。私の、パフェが」

――乾いた笑みが密室にポツリと漏れた。

自業自得だった。

 

「ああ、くそう! こうなれば、意地でもソフトボール犯を探し出してやるわ! ついでに巨大パフェの損失も償ってもらうわよ!」

 こんなにもブツブツと独り言を喋りながらパソコンと向き合った事があっただろうか。

「その熱量が、メインの聖杯戦争へ向けられる事を願う」

 右隣から聞こえる感嘆と布の擦れが耳奥を抜けると、夕立の茜がパソコン画面を覆い、一人の世界を崩壊させていく。

 懐に閉まったスマホの画面を一瞥。

「午後六時二十分……夕方。意外と時間って経つのが早いモノなのね」

「かれこれ約一時間。パソコンに葛藤していたが……」

 潮の満ち引きのように夕日の残滓は影を流し、薄暗い空間を冷たい空気が抜け、頬骨をなぞる。

「寒いわ……薄暗いし。一旦、カーテンを閉めて電気を付けるわ、試してみたい事があるのだけど、付き合ってくれない?」

 ……おじいちゃんが抱く興味の回答が、そこにはあると思う。

 話を折られ蓄積する怒りを「ごめんね」の一言で、いなしつつ。

 カーテンを閉め、電気を付け、ドアをロック――軽い密室が完成する。

「パソコンの画面を見て欲しいの。さっきまで調べていた内容はソフトボールを製造するメーカーで……」

 ベッドに体重をかけ、調べた結論をスライドする。訝し気におじいちゃんが画面を覗いている、犬や猫のような小動物に動画を見せているようで、食いつき方が可愛い。

「勿論、海外製品も調べてみたわ。共通項目として、ソフトボール本体には製造場所の英数字が刻まれているの。だけど、ね」

 ベッド下に隠した例の段ボールを開け、中身を触り、説明してみせる。

「先の画像と異なって、コレには製造元番号の記載が一切ないの……段ボールにも……」

 窄めた口元に栓を入れるような感覚で、おじいちゃんの歪んだ眉根にメスを差し込み、続けて言葉を紡ぐ。

「分かっているわ。ソフトボールと段ボール箱は、全部確認済……予想通りすべて記載なしだったけど」

「ふむ、そうか……ならば裂いて中身を確認するべき、か」

 目の前で黒い着物が揺れ、鋭く長い金属音が耳奥を掠めたと思えば、おじいちゃんの手には短刀が握られ――

「失礼するぞ、マスター」

――掴んでいたソフトボールから湿った木の匂いが立ち込める。

「え?」

 一刀両断、完全に一つから二つに。

 中身が飛び出ていた。半円の外側にはツルツルとしたゴムが、内側には砕かれた気のチップが四散している。

「切ったわよね?」

 確かめるように言葉を無駄に吐いてしまった。

手に抱えたソフトボールの重みが消えかけ――汗が指先を伝う。身近な恐怖が心に浸透する。

「うむ……サーヴァントとは、理を歪ませるモノ。聖杯の機能が全知全能であるように」

 おじいちゃんのトーンがいつもより柔らかい。きっと、私の負の感情を察して行動した結果だと思う。

「正論ね……」

 サーヴァントは人間を簡単に殺せるモノ――核兵器に近い、抑止力でもある。

……サーヴァントが英雄である事を忘れてしまう時がある。

まるでホラー映画視聴後にトレイに行けなくなる現象と近しい気がした。なら常に、心に留めておけば。

……ぬるま湯程度には物事を俯瞰できそうかもしれない。

 沈黙を埋めるように改めておじいちゃんを一瞥し、息を吐き出し、続きを刻む。

「ごめんなさい、正直ね……私、聖杯戦争って物事を知らずの内に甘く見ていた節があったと思う。でも今、おじいちゃんの一振りで気付けたわ」

 背筋を伸ばして――

「常に気を張る事は難しいかもしれないわ、でも……努力はするつもりよ。自分の身はなるべく己自身で守りたいから」

 ――腰を折り、感謝を伝える。

「……夕方は。正しく光と影の移り変わり。故に、油断が生まれる。我も鬼じゃない、マスターを強制ではなく気付きを与えていきたいと思っている。共に研鑽を重ねたい。一英霊、重ねての要望……許せ、マスター」

 礼を終えたおじいちゃんの口角が少し緩まるのが見える。

密室にも関わらず、呟くように流れた桜の香りが鼻孔をふわりと抜け、恐怖の苗床を耕すように私の理性に働きかけた。

「ありがとう、おじいちゃん。頑張りましょう、今夜も!」

「うむ」

 二言で締め――

「マスター。ハンドボールの木くずに挟まるコレは」

 ――た、かに思えた会話は形式を変え、示される。

 指された箇所、木のチップで埋め尽くされた場所の更に裏側。

「コレは……」

 薄黒く角張った何かが尻尾を見せ、ソレは予測の上澄みを通り過ぎて。直感的に両手が動く。

「隠しカメラかもしれない!」

 ダイヤモンドを採掘するような気分で。

私の心は恐怖よりも興奮を感じていた。

「解決は出来そうか、マスター? 手が止まっているが……」

 おじいちゃんに言われて腕の動きが止まっている事に気が付く。

 影のように濃い漆黒――片手に収まる四角い箱のざらつきは、無機質な冷たさを伝える。

「やっぱり……監視カメラは」

 丸く切り取られた先から、レンズの拡張音が静かに耳奥を掠めた。

「光るソレが、カメラ……マスターよ、どうする予定だ?」

 壊すかと言わんばかりにおじいちゃんの懐が揺ら揺らとなびくけれど、それ以上に私の心は動揺を隠しきれない。

 ……会話だけじゃない、おじいちゃんの姿形や私の素性。

 何より聖杯戦争の存在が、明るみに出ようとしている事実が、問題だった。

 場の空気が斜めに歪むのを感じ、手に汗握るソレが地雷原のように危険なモノに思えて、全身の硬直を覚える。

 ……隠しカメラを壊せば相手の証拠ごと失う事になる。

 否、保管しようモノなら私の立場、聖堂教会――時計塔の存在すら危うくなるだろうし。

 完全に行き場を失った選択、立場だった。

 ……誰だよ、持ち帰ろうって考えた奴は。

 私でした。

 沈黙が寒く吹き付け素肌を撫で、戸惑う思考を急速に凍てつかせる。パニックや呼吸、あらゆる動きが止まりかけ。

(理由はともかく、了解したマスター。我がソレを隣の部屋に置いて行こう)

 手に加わる黒い重みと緊張が彼方に飛び、目の前には清々しい微笑みを湛えたおじいちゃんの全身が現れる。

「ありがとう。助かったわ、あいにく聖杯戦争自体が止まりかけたかも……いや、私の首さえ飛んでいたかもしれなかった」

「ほう……それほどの事だとは」

 腕を組みながらおじいちゃんは言葉を加える。

「丸いアレは、一応……黒布に包んで置いてきたぞ、マスター」

「黒布?」

 自慢げに伝える言葉の段差に躓き、思わず目線を白天井に向け、記憶を手繰り寄せ思考してしまう、主に悪い方向だけどね。

「ああ。薄く、耐久面に乏しく……脱ぎ捨てられていたが、致し方の無い事よ」

「は? え、ちょっ⁉ 脱ぎ捨て、って!」

 ベッドから身を起こし、足早に自室のドアノブへ右手を回し――

「待て、マスター。何処へ行く?」

「何処へ行くって……? 決まっているでしょう? 隣の部屋よ!」

 ――手首を掴む背後に、私は強い言葉を浴びせる。

「マスター。顔が、ゆで蟹のように赤いが……熱か?」

 睨みを利かせながら。

「そんな訳……」

 マグマのように沸き立つ怒りを右拳に乗せて。

「あるか!」

振り向き様に、無神経おじいちゃんの腹部を殴る。

 ……ジェネレーションギャップを起こしても、現代の知識は聖杯のシステムで補完されているはず。

 なのに。

「対人戦の練習か……いい腕だ、マスター。その重み、しっかりと重心を乗せて打てば、真っ当な武器へ昇華するだろう」

 気付くどころか表情は爽やかに微笑んでいる。岩のように動じないおじいちゃんの筋肉が恨めしい。

……ダイレクトに下着を戻しに行く、なんて言いにくいし。

「ああーもう、なんでこう! 戦闘以外では緩いのよ! 鈍感? わざと?」

「うむ……すまないマスター。抽象的な表現ゆえ、答えに困るぞ」

 再び腕を組みながら眉間にしわを寄せ、考えてはいるらしい。

……今の私は油で、おじいちゃんは水だ。

等しく波及する水面とは違い、私の心は飛び散る油。いつ四散し、着火するかも知らない。

「ふん、これでも……私は、女。乙女、なんだっ……から!」

 手だけでは飽き足らず、脚も出ていた。

「ほう……足技も、中々のモノを。センスを感じる。足腰を鍛えれば、対人は申し分なくなる」

 澄まし顔は続く。噛み締めるように私の暴力――格闘術を受けていた。そろそろ腕の内側に熱を、二の腕が鉛のような重みを感じ。

「もう……いいわ、諦める。おじいちゃんがこんなにも鈍感だなんて」

「生前、所作は俊敏だと周りの者に褒められてはいたが。我も、まだまだ鍛錬が必要であったか」

 パンパンと裾の汚れを手で掃うおじいちゃん。

「マスターとして。いいえ、一人の女として忠告しておくわ。レディーには優しく接する事!」

「泣くほどの忠告……了解した、マスター。最大限尽力しよう……正室にも、同じことを遠い昔に言われた……記憶が」

「そう……」

 声は彼方に、目線は遠くを見据えているようで、浸るおじいちゃんの語りを止める事はできなかった。

「そのせいか、今、マスターに妻の面影を重ねてしまった。無礼を許してくれ、マスター」

「……」

 薄青が夕立を沈め、暗い空気を呼び込み――この話題に封を閉じろと言わんばかりに冷たい夜風が耳奥を震わせた。

 ……本当は、今ここで声を大にして言いたい。

 私がおじいちゃんの子孫だって。でも、伝えることはできない――言葉として表せば、きっと先にある聖杯戦争の障害になると思うから。

 だから。

「どうかしたか、マスター?」

「何でも……無いわよ……そろそろ、夜が始まるだろうし、夕食後に今夜の流れと作戦を共有したいわ。大丈夫……かしら?」

 詰まりかけた言葉、震えを。必死に誤魔化して、取り繕った。

 

「サーヴァントは食事を必要としない。事前に神父から教えられていたけれど、どうやら本当なのね」

 扉の前で直立不動の姿勢を維持するおじいちゃんへ、声と歩みを向ける。

「食は終えたようだな、マスター。サーヴァントは幽霊に近い立ち位置……人間本来の造りとは異なる。存在意義も、だがな……」

「存在意義、か」

 薄く開かれた扉の隙間から流れた冷気が頬骨を掠め、意味を咀嚼しろと言わんばかりに思考が、拡張されていく。

「あるべきモノに価値を見出す、それ即ち軸を立てる事……物の最適化こそ、勝利への道筋であり……揺るがない存在意義となり得るわけだ」

「そうよね……確かに」

 おじいちゃんの黒目が右から左へ動き、おじいちゃんから橋渡しされた問いと抱いた疑問の渦が、ミキサーのように混ざり合い。

 ……そうか。私は屋敷全体を、まだ活かしきれていないのかも。

 一つの料理、答えが導き出された。

「おじいちゃんは、この屋敷の防衛力について。意見や改善点はある? 私目線だと物理的な防御力は脆いけれど、魔術面の防御は充分なくらいだと思っているけれど」

 発生した沈黙が胸を締め付ける。

 ……致命的な弱点が屋敷に存在するのだろうか。

 考えただけでも胃がキリキリするし、俯き思案にふけるおじいちゃんの姿勢が、何よりも不安を煽っている。

 深海のような暗い沈黙を経て――

「先ずは籠城戦を主として戦闘するか、否か。現時点で屋敷の防御はマスター同士で殺し合う前提で組まれている。地下に逃げ場はあるものの、サーヴァントに殺されるのは時間の問題。実に頼りない、無駄の極みだ……マスター」

 ――ダメ出しをされた、しかも強めに。

「うう……何も言えないわよ、おじいちゃん」

 項垂れる。ご飯を貰えなかった犬の如く。

 直後、頭上をゴツゴツしたモノ――見上げれば手が置かれ、同時に柔らかい声質が鼓膜を抜けた。

「約束したはずだ。マスターの弱点は我が補うと。籠城戦は生前、何度か経験を重ねている。屋敷を一瞥したが、どうも造りに難解な部分があるな」

「難解なのは、雇っていたメイドさんを住ませた際に、増築した部屋がいくつかあるのよ。安心して。今は私しか住んでいないわ。聖杯戦争に巻き込めば、後味が悪くなると思ったから」

 部屋の配置が歪なのは、生前おじいちゃんが住んでいた屋敷をリフォームしたからで、使用人が暮らしていた訳じゃない。

 ……屋敷の見取り図を見られることは避けたいわね。

「なるほど。では……」

 風船のように膨らみかけた言葉を針で割るように、言葉を差し込む。

「わ、た、し、が! あくまで指示を出すのはマスターである私がしたいの! いいでしょ? 良いわよね?」

 あまりの幼稚さに若干顔を引きつらせ、おじいちゃんは戸惑いを含んで喋り始める。

「あ、ああ……マスターがどうしても、と言うのであれば。構わない」

「ええ、そうさせてもらうわ! おじいちゃん、付いて来て。私が各部屋を案内してあげる!」

 必死に手招きしつつ、軋む廊下を速足で駆け、隣室の灯りを付ける。

「ココは書斎ね、地下室にあった蔵書は魔術書の類で。一階は人類学、日本文学、世界史に至るまで。ほぼ全ての学術書が保管されているわ」

「目を通す限りでは、マスターの言った通りだな。物が多い空間、か。なるほど……」

 遅れて入室したおじいちゃんの視線が散らばりを見せる。

何か考えているかもしれない、含みのある間の取り方だったし。

「おじいちゃん、どうかした?」

 声に出した疑問が書物を閉じる音と同時に響く。

「盗人は荒れた家を好む……汚した痕跡が見つけにくいからだ。籠城戦とは、本来援軍を呼んだ際の時間稼ぎとして機能する戦い方。ならば、援軍など無い我々はどう戦うか……」

 一瞬の沈黙が夜風のように冷たく胸の鼓動を誘い、熱い視線が私に注がれる。

「敵陣を誘い、追い詰めるまでよ。守っていては、力尽きるだけ。そうだろうマスター?」

「まさか! 主戦場を……ココにするつもりなの?」

 急速に鎮まる感情に――冷静さが乗り、全身に震えを覚える。本格的に聖杯戦争が始まる、巻き込まれる形ではなく、巻き込む形で、だ。

「うむ。見ず知らずの土地よりかはマシだろう。更に言えば罠誘導や弱体化等の小細工も活かしやすい。それにマスター、この建物は何故か哀愁、懐かしさも感じる……」

 そう言って、おじいちゃんの視線は窓越しに漏れ出す月光へ向かっている。声を掛けたくても掛けられなかった、私には懐かしさの理由が分かっていたからだ。

 ……この屋敷が生前、おじいちゃんが住んでいた豪邸の上に立っているから。

「月光も……昔と変わらないの?」

 振り絞った回答、踏みとどまった真実の裏側をなぞった言葉――

「ああ、そうだ……と言いたいが流石に人工物の灯りのせいか、輝きは劣るが、な」

「無神経な質問で、悪かったわ。生前の事を思い出させるなんて、私ったらマスター失格ね」

 ――おじいちゃんの尊厳に傷を付けてしまったかもしれない。

 着物がしっとりと揺れ、首を横に振るおじいちゃんの顔は穏やかなまま。

「違う。いつまでも過去に縛られている私に責がある事。生前と今は違う、マスターが己を罰する必要は筋違いというヤツだ……」

 芯のある言葉が冷え切った私の心を温かく溶かす。

「うん、ありがとう……おじいちゃん」

「さて。マスター、この屋敷全体に罠を設置しようと思っている。全て同じトラップだと引っ掛かりにくい。一階、二階、三階――そして地下、という風に階数で罠の種類を分けて作る必要がありそうだ。力を貸してくれるか?」

「それは、分かったわ……」

 指先を顎に宛がい、フワフワとした脳内の霧を整理する。浮かび上がる影を掴み、引っ張り出し――私は口にする。

「侵入されることは前提で構わないわ。でも屋敷の外側はどうするつもりかしら?」

「今のところ、外側は感知魔術のみで構わない。あくまで『楽に侵入させる』事、招き入れるのが重要だ」

 私の疑問を咀嚼するように一呼吸置いて、更におじいちゃんは言葉を並べていく。

「一方の可能性が無くなれば、人間は本能的に選択肢を保とうとするはず。そこに迷いが生じ――僅かな隙が発生する」

 飲み込んだ唾の余韻が胸を震わせ、余分な疑問が落とされ、炎のように燃え滾る興奮が心に残っていた。

 表面だけで対処しようとした私と、心理面でも罠を張っていたおじいちゃん――

「三機のサーヴァントの争いを見ていたから、おじいちゃんの言う『隙』がどれくらい重要な要素か理解できるわ」

「屋敷とはいえ、我の身体能力なら……刹那に敵陣の首を取れる範囲だな」

 ――差は歴然だった。

 常識がオセロのようにクルクルと円を描き、脳内をグチャリと掻き回す音が聞こえてくる。いくら魔術に長けていようが、経験のない知識は、現実の前でラムネのように脆く儚い。

 ……急に自身が無くなってきたかも。

 両拳を握り萎縮しかけた姿勢、詰まりかけた喉元が心臓をキュッと締め付け――一回り大きな掌が震えを抑えていた。

「気にするな、マスター。何事も経験を積めば、ある程度の定型文……流れは理解できるように成長できる。それに我も魔術面は、からっきし……お互い様とやら、だな!」

 腕を組みながら大胆不敵に笑ってみせるおじいちゃん。リアクション芸のような、わざとらしさが、今は嬉しくたまらない。

「似た者同士……」

「何故だか否定の感情は浮かんでこない。誇るべき事ではなかろうに……」

「は?」

 怒りとは別の感情が喉元まで上がりかけ、言葉を飲み込む。

 きっとおじいちゃんの抱いた感覚は偶然じゃない、当人が実感しなかったとしても――霊体と縁は互いに引き寄せ合う。

 ……運命なのかもしれない。

「マスター大丈夫か? 我の提案は聞いていたか?」

「え、提案? ごめんなさいね、ボーッとしていたわ」

 軽く頭を下げ、眠気覚ましに頬をパンパンと手で叩き、意識と顔を真っ直ぐに戻す。

「結論から先に申し上げた方が良さそうだな。マスター、屋敷の見取り図は持っているか?」

 条件反射の如く足元に散らばる書物を避けては避け、目前に置かれた机の引き出しへ手を掛け――黄ばんだ図面を机上に広げる。

「これが、一応ココの間取り図。手間をかけて悪いわね、生憎と見取り図は無いのよ」

「無いならそれで構わない……地下を含むそれぞれの階層にゴールとなる部屋を定め、罠の種類を決める。周囲の部屋はゴールに引っ掛かるよう魔術等で攪乱、自然誘導させる」

「ゴールが設定されれば、敵の行動が制限され、予測しやすくなるのね……」

 となれば、ゴール先の罠よりも周辺誘導の罠が重要になってくるかも。

「ああ。成功で終わるか否か……マスターの協力が不可欠だろう」

 広がった間取り図が青白い月光下に浮かび、際立つ金木犀の香りが鼻孔を掠め、緊張をほぐしていく。

 私なら出来る、今度こそ失敗しない。

「ええ、完璧に作って見せるわ。私もおじいちゃんに負けていられないから……マスターとしての意地を見せてやるわ!」

「期待しているぞ、マスター。で、どうするつもりだ? 罠の内容、ゴールの一室……」

 するりと膝を立てずにコチラへ向かうおじいちゃん。波風立てない表情からは、落ち着きと見極めに近い感情が見え隠れするようで、舌に重みを感じる。

「……ゴールから決めた方が良さそうかも。地形によっては、設置可能な魔術の有無も変わってくる。私の地属性魔術が正に、そうだから」

「英断だ、マスター」

「……一階は私達が居る場所を。二階は私の寝室ね。三階は大浴場……ゴールに設定するわ」

「我は魔術に詳しくないのだ……説明を要求する」

 沸騰したお湯のように優越感が全身を震わせ、素肌がピリピリと立ち、勢いよく言葉が溢れ――

「ふふっ、良いでしょう。教えましょう!」

「マスターの青さには若々しさと力強さを感じる。だが一方、高慢で傲慢な人間は油断、慢心、と言った心の乱れで最期を迎えるのが常よ」

 ――温度が下がった。

「是非とも。見出し方、受け取り方には細心の注意を払ってもらいたい」

 目の前で自慢げに、ドヤ顔で太い単語を並べるおじいちゃん。

 まさに。

「そうね、私も気を付けるわね。負けず嫌いな人の前では、ね!」

 負けず嫌い同士のマウント合戦、ライオン同士の威嚇し合いだった。

 ……私の負けず嫌いな性格は、たぶんというか、ほぼおじいちゃんの遺伝から来ていると思うわ。

 タイミングを見計らったように冷たい風がこめかみを抜け、不安の波が秒針のように心を刻んでいた。

 血の味が口内を満たす前に、自らの闘争に蓋をし、ゴールの説明を始めてみる。

「夜も深まりそうだし、早急に説明するわね。一階のココは足の踏み場が無いほど学術書で溢れているわ、魔法陣――小細工を仕込みやすいと思うの。六畳サイズの書斎部屋中央に魔法陣を描き、踏み込んだ相手の身体を下から上に……砂柱で刺すわ」

 物騒なワードが無意識のうちに喉元から飛び出していた、自分でも末恐ろしいほどスラスラと、大胆に。

「……う、うむ」

 目袋がピクピクと上下し、無機質な反応が左耳奥で反響した。

「引かないでよ、おじいちゃん」

「理由はよくわからんが、何故だか胸の奥に痛みを感じるぞ、マスター」

「分かったわよ、マイルドに表現するわよ」

乱れた脳内に大きく酸素を送り、理由を並べる。

「私の魔術属性は地だけど、魔法陣を主とした類。魔法陣は設置型が比較的多くてね、私の魔術も地面に書くのがメインよ」

「となれば、マスターの魔術は遠距離向き……それも緻密な作戦に埋め込む事で機能を果たす。王道、補助魔術か……」

 釣り竿に食い付いた魚のようにおじいちゃんの言葉は跳ね、裏に溜まっていた苦労を流してくれる。

嬉しくて頬が緩みかけたが、同時に理性の蓋が解け――マスターとして、使命感に近しい熱が語気を強めていた。

「おじいちゃんの足を引っ張らないよう、最善を尽くすつもりよ。それに一階は大地と最も接近する場所よ、私の魔術は大地と接していればいる程、その恩恵も大きくなるの」

「つまり、一番強力な魔術が放てるわけだな?」

「それ、私が一番言いたかったセリフ……なん、だけど……」

 出鼻を挫かれた気分だわ。

「睨むのは止めて欲しい、マスター。続きを……頼む」

「分かったわよ……。一階は砂の迷宮、迷路にしたいと考えているわ。シンプルに誘導しつつ敵陣の様子を見たいからよ」

 敵の癖や動きを測る役割を持たせることで、続く二階や三階における流れが、よりスムーズに進むと思う。

「良かろう、我はマスターを信じる……続く二階はどう作戦を立てる?」

「その事なん、だけど……」

 織り交ざり重なった、不安、恐怖、信頼――心拍の唸り、喉元の震え、ぼやける視界が心を引き裂いていく。

「実際の現場を見て、説明するわね……付いて、来てもらえる?」

「了解した。マスター」

 踏み抜く階段の冷たさが足裏を巡るたびに、平穏の溶ける音が耳奥を抜けていった。

 こんなこと、考えたくは無かったのに。

 

 温もりが消えた自室は、無機質な時計音に包まれ、氷に付けられたように動きをやめていた。

「ココはマスターの自室……だな?」

「ええ、そうね」

 沈黙が走る。肩の震えが唇に伝わるせいか、上手く喋れない。

「マスター、街灯……」

 鋭く熱された細長い棒が、心臓を貫く前に。

「死ぬ時は、この部屋で……おじいちゃんと一緒、に……死にたい!」

 絶叫にも近い叫びだった、喉から鉄臭さが滲み、呼吸をするたびに意識を叩く。

 拳がやけに痛い、強く握り締めたからだ――

「それは約束できない。我はマスターを勝たせる、それは義務や名誉、英霊だからではない。私情ゆえ、だ」

 ――胸が痛い。

 おじいちゃんが強く私を抱きしめていたからだ。

「ありがとう、おじいちゃん」

 そして。

 ……孫失格でごめんなさい、おじいちゃん。

 おじいちゃんに負けないくらい、私も強く抱き締め返していた。

 スポットライトが当たるように、頬に月光が差し込み、恥ずかしさを覚えた頃合い。

「勘違いするな! マスター。我は既婚者……マスターの華奢な身体では満足できぬ故……諦める事だ」

「は?」

 熱が脳天を真っ直ぐ抜ける、怒りで両手が震え

拳に力が入り――

 剥されたというより突き飛ばされた、という表現の方が適切だった。

 ――グーにして振り上げた苛立ちがおじいちゃんの頭上を捉える。

「ふりゃあ! 私、だって……立派な色気のある、女なん、だからぁぁぁぁ!」

 どうしてだろう、涙が込み上げてきた。

 ジャンプして着地に失敗したのが原因じゃない、つまらないモノを切ってしまった事が悪いと思う。

 妙に生々しい鐘の音が耳奥で響き、青白い月明りは注ぐモノ全てに影を落としていく――足元のカーペットに生み出された影を、ふと見つめる。

「うぅ……わ、私だって、まだっ、まだぁ……諦めない、からぁ!」

 エンジンを失った車のように、自分の身体を哀れ、見る事しか出来なかった。

 壁掛け時計の羊の鳴き声が午後十時を知らせる。

「マスター、どうした? ……突然の事で……一瞬、何をしていたか。忘れて――」

「ふふふふっ」

 記憶喪失、完了。

「――なんだ、その笑いは。室内が暗い影響で、余計に不気味だぞ」

「なんでも無いわ、おじいちゃん。それより二階のゴールを説明したいわ」

おじいちゃんは頭頂部をさすり、眉をひそめ苦言を呈している。

生温かい風が鼻筋をひらりと抜け、恨めしさが艶かしさに変わり、闇夜に溶けだしていくようだった。

「邪な考えは捨てる事だ。我はマスターに忠誠を誓ってはいるが、あくまで対等。関係性において上は存在しない……マスター」

 水っぽい支配感は終わりを告げ、おじいちゃんの真剣な眼差しが、取れかかった理性の端を叩く。

「なんで、分かるのよ」

「感……というヤツだ。マスターの変化は、特に分かり易い。幼少期の己自身みたいで」

 心に明かりが灯される、相変わらず単純明快、純粋だった。

 ……子孫として嬉しい、さっきの行動も許しちゃうわ。

「ありがとう……おじいちゃん」

「礼は構わない。二階の、ゴールとやらの説明を拝聴したいのだが……」

「勿論、いいわ! 実際に作戦の中心地となる隣の部屋へ……行きましょう!」

 フェス参加者のようなテンションで。

 ビシッと人差し指を掲げ、扉を開け、廊下へ身を出し。

「ココが……隣の部屋ね。まあ、おじいちゃんは……既に単独で入室した筈だけど」

「監視カメラ付きのソフトボール置き場か」

「置き場とか言わないで! というか、ああ……私の!」

 下着に包まる監視カメラ――語呂でも分かる、黴臭い犯罪の匂いが廊下まで伝わってくる。

……本当は、誰にも見られたくないし恥ずかしいから!

 思い出し、躊躇なく扉を開く――乙女の貞操を守る為に。

「頭上! 下がれ、マスター!」

「え? 痛い、何するの?」

 床に打ち付けられて全身が軋み、右頬が熱くて、痒くて――痛む。

 進行方向に居るのは私、ではなくておじいちゃんだった。

 

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