教室側から入る場合、教師陣に捕まる可能性があるからだ。
……特に無所属の生徒の出入りは厳重。
「うはぁー気持ちいいわねぇー空気が」
雲一つない青々とした空。日差しと冷たい風が混ざり、心地よく頬を撫でる。
(時代は異なれど、空の青さは変わらぬか)
伸びた背から生徒の掛け声が聞こえ、視線は自動的にフェンス越しの運動部たちへ向かう。
「屋上に仕掛けは見当たらなかったわ。全体に軽く目を通して……そうね、野球グラウンド辺りかしら」
遠目だから、詳細な場所を特定できないけれど。
(野球グランドの裏……あそこの林が匂うな、マスター)
「助かるわ、ありがとう。おじいちゃん」
懐からスマホの画面を出し、現在時刻を確認――午前六時半。
生徒がぞろぞろと朝練を始める時間帯だし、目立つ行動は控えろと神父に釘を刺されているし。
「今からアレコレと林で作業は出来ないわね……なら、ココで一つ罠を仕掛ける」
リュックからチョークと泥を出し、換気扇裏に居場所を移し、おじいちゃんに説明して見せる。
「今から造る簡易罠は、感知魔術と生成魔術の合わせ技と言ったところ。要するに屋上へおじいちゃんみたいな魔力を持つ人間が現れた瞬間、低級ゴーレムが自動的に稼働するシステムよ」
(低級という事は、倒すのが目的ではなく……)
そう。
「まさに、私達の後を付けている連中の有無を確認する為のダミー。今後、外部での戦闘を除き、基本的には私の敷地内でサーヴァントを倒す予定」
相手が野犬なら、匂いで釣り出すまで。
「一対一の状況も作りやすくなるだろうし」
(ほお……策士だな、マスター)
「当たり前じゃない。逆に。聖杯戦争に準備無しで挑む人間って……多分、居ないと思うわよ?」
話しつつ手に取るチョークの表面が擦り減っていく。やがて白線は繋がり、一つの円形に集約する。
「これで魔術の骨組みは完成したわ。二重丸の外側には感知魔術を……」
(内側には、僕……か)
姿は透明で見えないけれど、拍を置くような口調からは思案が伺えるわね。
チョークを懐に収納し、封をした泥入りジップロックを魔法陣――二重丸の中央部に置く。
「何か、質問でもあるのかしら?」
(問いが巡っただけだ……我の中で邪魔に値しないゆえ忘却しようと……)
……疑問?
もしかして、私とおじいちゃんの関係がバレたり。いやいや有り得ない、とは思うけれど、念のため。
「最初に約束した筈よ? 私とおじいちゃんの間には、なるべく隠し事はしない……って」
数秒の沈黙を経て――
(うむ……)
――鉛のように重たい言葉が耳奥を震わせる。
(生前、我は西洋の医学療法や人体解剖学、数学に精を入れていた時期があって、な。その時……錬金術とやらを学んでいた。そのせいか、マスターの生成魔術の魔法陣に見覚えがあり……)
「そ、そそっ、そうなの、ねぇー」
動揺しすぎた、粗相が過ぎたかもしれない。ジップロックから解き放たれた土がべったりと魔法陣を汚す。
空白が流れ――
ガチャリと無造作に開け放たれる扉、コンクリートを強く蹴る音、聞き馴染みある声。
「おーい杏、ここに居るのは分かっているわよ! 田中先生が屋上まで伸びた非常階段を登るアンタを見たって、もうカンカンだよ? まあ、私はソフトボールのキャッチ練サボれるから楽だけど」
東条リオは、しらじらしく、悠々と背伸びをしていた。
……本来なら、無視してもいい場面だけど。
換気扇裏には魔法陣と泥の塊が置かれたプチ儀式セットが。見られるのはマズいな、出るしかないだろう。
忍び足かつ腰を低く。
「とりゃあ! リオの脇ゲット!」
泥まみれの両手が真っ白なユニフォームをガッチリと掴む。
「ま、待って! 杏っ……ギャハハハハ……も、もう……ムリィィィィ!」
脇を攻撃するついでに両手の汚れも拭いてみたりして。
「もしかしてだけど……私の事、ハンカチ代わりにして、ないよね?」
「……」
「なぜ黙り込む」
「白い布を見ると、つい……汚れを落としたくなるのよねぇ―」
道化師のような誤魔化し笑いを披露し、ポップにその場から離脱。
「……」
睨まれ、歩みが止まる。
さながらライオンの威圧に固まる小鹿のようだった。怖い、ひたすらに沈黙が重い。
「すみません……でした」
(小心者なマスターなど見たくはなかった。我は今、夢現にでも居るのか?)
夢ならば、どれほど良かった事か。
リオの拳が頭上に直撃しながら、尚更そう思った。
「全く……杏はいつもそうだよね? いたずらっ子っていうか、度が過ぎたおふざけをする感じ……」
「反省、しています」
「でも、そんな杏に助けられている面もある訳だし」
ポンポンと痛めた頭を撫でられ、温かな風が頬を抜ける。
「懲りたわよ、流石に……」
木製ベンチの硬さが臀部を伝い、花々の甘さが鼻孔をふわりと香る。この現状は飴と鞭――リオに悪戯だ。
「なら、よし。許す!」
「そうしてくれると、ありがたいわ」
「あ、それと!」
思い出したように隣でセリフを繋ぎかけたリオの言葉――
「朝練の時間……大丈夫そう? もう七時半を回る時間帯よ? 田中先生って、サボりには怖くてうるさいのは有名だよねー」
「うわっ! 私……もう行かなくちゃ!」
――急所を撫でるように、優しく文字を添えてみる。
そそくさと、コチラには目も合わせず階段を降りる背中だけが残る。
……また後で言われそうだけど、割り切るしかないわね。
聖杯戦争に他者を巻き込む行為はルール違反なのだから、しょうがない。
(自分が犯した虚偽は巡り巡って己に帰って来る。正に、因果応報よ)
「友達が殺し合いに巻き込まれないだけ、上々よ。目の前で死なれるくらいなら、リオに怒られた方がマシよ」
私の判断は正しい、間違っていない。
(マスターの選択は正しい、しかし手段に粗さが目立つ)
きっと、おじいちゃんは聖杯戦争と絡めて話してくるはず。
「自分でも分かっているわよ、おじいちゃん。私という人間の弱点くらい……」
判断力はあるけれど、手段が大雑把。
背負ったリュックの重さを両肩で感じながら、命の重みを考える――今後、色々なモノを得ては失っていくのだろう。その重みを背負って歩まなければ。
(傷を付けてしまったか?)
身近な人間が手元から零れていくかもしれない――っと。
「ごめんなさい、別の事で考え込んでいたわ」
沸き立つ決意のせいか、自然と姿勢は正され視野がクリアに。
「これから幾度となく戦いに巻き込まれて……私の頭脳だけじゃ突破できない事象が発生する可能性は高いと思うの。私に……困難に打ち勝つ手段、知恵を貸して欲しい」
立ち上がり、私は何も無い空間――英霊に向けて頭を下げる。
ガヤガヤとした声音が耳奥を抜け、温かな風が頬骨を撫でる。まるでおじいちゃんが触れているようだった。
「お願いします」
更に深々と頭を下げる。
自分でもそこまでする理由が分からなくなってきた頃合い、ホームルームを知られるチャイムが鳴り響いた時。
(マスターが下げた頭だ、我も鬼ではない。力を、知恵を貸そう……)
「良かった……わ」
ただし――そう釘が刺され、再び緊張が背後を伝う。
(我もマスターを勝たせる。約束ではない、これは契約だ)
「ええ……聖杯を……絶対に獲りに行くわよ!」
ギュッと拳を握り締め、開け放たれたドアを跨ぐ。
薄暗い階段が日差しとの境界を曖昧にし、冷気が全身を震わせる。
……絶対に生き残ってやる。
桜の花びらが目尻を抜け、ふわりと足元へ落ちた。