「───────────────は?」
鮮血が舞い、コンクリートに赤い斑点が広がる。
死柄木の掲げた右手は、手首の少し上から綺麗に断たれ、力なく宙を舞った。それは重力に従って地面に落ちると、乾いた音を立てて転がる。
死柄木の声は、驚きよりも先に困惑に支配されていた。
視界の端で自分の手首が落ちるのを見た。
しかし、脳がその「欠損」という事実を処理しきれていない。
あまりに速く、あまりに鋭い一撃。痛みさえも、その速度に置き去りにされていた。
千鉱は【涅】の力を刀身に極限まで凝縮し、本来は広範囲を薙ぎ払うその力を数センチの層にまで圧縮していた。
発動するまで時間はかかるが、極限まで高められた密度は一点突破の鋭利な牙となり、死柄木の腕を容易く断ち切ったのだ。
「が⋯⋯ああああああああッ!!!」
数秒の空白の後、ようやく神経が悲鳴を上げ、死柄木の絶叫がUSJのドーム内に響き渡った。
彼は切断された右腕を左手で強く押さえ、のたうち回る。
「!!!大丈夫ですか死柄木とむ───」
「これが大丈夫に見えるか黒霧ぃ!!!!
くそ、くそくそくそくそ⋯⋯⋯さっきまで上手くいってたのにぃぃぃ⋯⋯⋯!!!」
その時、生徒の一人に脱出を許されてしまったことを報告しようとした黒霧が死柄木のところへ戻る。
しかし死柄木は今、それどころではない。
「死⋯⋯死ね!死ね死ね死ね死ね!!何だお前、何なんだよお前は!!」
顔を覆っていた「手」が剥がれ落ち、露わになった死柄木の瞳は、激痛と屈辱で真っ赤に充血していた。
「脳無!!殺せ!!そいつの四肢をバラバラに引き千切れ!!今すぐだ!!!」
死柄木の狂気に満ちた咆哮に、巨躯の怪人が反応した。相澤を組み伏せていた脳無が、その漆黒の巨体を跳ね上げ、千鉱へと狙いを定める。
音を置き去りにするほどの踏み込み。巨躯からは想像もつかない速度で、脳無の黒い拳が千鉱の視界を埋め尽くす。
(速い⋯⋯!)
千鉱は咄嗟に「淵天」を盾にするように構えたが、相澤の骨を容易く砕いたあの怪力をまともに受ければ、刀ごと肉体が消し飛びかねない。
防御が間に合わないと悟った、その瞬間。
「ケロっ!!」
鋭い破裂音と共に、桃色の筋が空を切り裂いて伸びてきた。
それは、凄まじい粘着力と筋力を備えた───蛙吹梅雨の舌だった。
「!!」
舌は千鉱の腰を瞬時に巻き取ると、脳無の拳が振り下ろされる直前に、彼を力強く後方へと引き寄せた。
ドォォォォンッ!!
千鉱が数瞬前までいた地面が、爆撃を受けたかのように陥没する。
土煙が舞う中、千鉱は水難エリア付近の岩場へと着地した。
「大丈夫!? 六平ちゃん」
そこには、同じく黒霧のワープによって飛ばされていたはずの蛙吹が身を潜めていた。
「⋯⋯蛙吹か。助かった」
「梅雨ちゃんと呼んで。それより、あのヴィランの強さは異常だわ。まともにやり合っちゃダメよ」
蛙吹は冷静に戦況を分析しながらも、その大きな瞳には相澤への深い懸念が滲んでいた。千鉱は立ち上がり、『淵天』を握り直す。
「分かってる。だが、あいつを止めないと相澤先生が⋯⋯⋯」
「大丈夫よ。今、緑谷ちゃんと峰田ちゃんが相澤先生を避難させてる。また狙われる可能性は低いと思うわ」
蛙水がそう言ったので、千鉱は先ほどまで相澤がいたところを見たが確かに緑谷と峰田が相澤先生を担いで移動していた。
すると、死柄木は斬られた右手を抑えながらゆっくりと起きあがった。
執念深く、どろりとした殺意を千鉱に向ける。
「くそくそくそ⋯⋯ガキが邪魔しやがてぇ⋯⋯⋯!!!
いいさ!!!全員脳無に──────」
すると、
「卵が爆発しないイメージ………イメージ⋯⋯⋯⋯⋯」
「ッ、また⋯⋯⋯」
死柄木の近くにまた別の者が現れた。
「
「ぐぅ⋯⋯⋯!!」
「死柄木 弔!!」
緑谷が不屈の意志で拳を握りしめながら、死柄木の目前に割り込んだ。
相澤先生がたった一発でダウンしたあのヴィラン脳無の一撃。
それを食らえば千鉱と蛙水もただでは済まないと判断した故の、決死の行動。
初めて人に個性を使ったからか、幸いにも両手足が健在のまま緑谷の一撃が終わった。
攻撃の余波で、死柄木は5メートルほど後方へ吹っ飛んだ。
そして、勝機だと思った千鉱は即座に死柄木に接近。
もう片方の手を確実に斬り落とすために死柄木に向けて【涅】を放つ。
「させませんよ!!!」
しかし、主を守るべく黒霧が間にはいり、個性『ワープゲート』を発動。
【涅】の衝撃波が、そのまま千鉱自身に直撃するよう、背後にワープさせる。
させる、はずだったが⋯⋯
《vid:1》「あぐ⋯⋯⋯ッ!!!」《/vid》
なんとそのまま【涅】が直撃。
おかしいと思った黒霧が周りを見渡すと少し離れた場所に相澤先生が個性『抹消』を使っていたのだ。
自力では起き上がれない体を峰田が支えることで目線を黒霧に合わせている。
「!! 相澤先生⋯⋯!」
相澤先生のおかげだと察した千鉱は心の中で感謝を伝え、止まることなく死柄木のほうへ走り出す。
そして、その距離があと数メートルとなった時、
「何ぼぅっとしてる!!! 殺れ!脳無!! 殺れぇぇぇぇ!!!!!」
その死柄木の絶叫を聞いてまずいと思った千鉱は、先ほどの脳無がいた方向に刀を構えながら反射的に振り返る。
しかし、遅かった。
音さえ置き去りにする脳無の突進。
千鉱は防ぐ間もなく、脳無の巨大な拳に殴り飛ばされた。
衝撃で内臓がせり上がるような感覚。周囲の景色が猛スピードで流れ、
気が付けばそこははるか上空、ドームの天井近くまで打ち上げられていた。
「───────────────あ゙⋯⋯⋯!」
千鉱はまだかろうじて意識はあるが、全身を襲う激痛と衝撃に、体を動かす気力はもう残っていない。
このまま徐々に落下していき、硬い地面に衝突し肉体が砕け散る⋯⋯。
そう思われた矢先、強靭で温かい腕が、落ちていく彼を優しく受け止めた。
その者は────────────
「六平少年⋯⋯⋯そして、他の皆もよく耐えた。もう大丈夫⋯⋯
NO.1ヒーロー『オールマイト』だった。
そして、千鉱は意識を手放した。
◇◇◇
「!」
千鉱が次に目を開けた瞬間、視界に飛び込んできたのは、真っ白な天井だった。
意識がはっきりしてくるにつれ、全身を重苦しい倦怠感が支配していることに気づく。
自分がどこにいるのかを確認しようと、千鉱は重い体を起こして周囲を見渡そうとした。だが、その動きに伴って腹部に走った鋭い激痛に、思わず顔を顰める。
「ッ⋯⋯⋯!」
「六平、起きたか」
どうやら自分は気を失い、
混濁していた意識の断片を繋ぎ合わせていると、隣のベッドにいる人物から声をかけられた。
「⋯⋯⋯⋯相澤⋯⋯先生?」
「そうだ」
そこにいたのは、担任の相澤だった。
しかし、その姿は千鉱の知るものとは程遠い。顔全体から右腕に至るまで、隙間なく厚い包帯が巻かれており、まるで白い塊のように見える。痛々しい姿ではあったが、その双眸だけは包帯の隙間から、変わらぬ鋭さで教え子を見つめていた。
「体は大丈夫か?」
「⋯⋯はい、なんとか」
千鉱は痛みを堪えながら、短く応えた。そのあと相澤先生から詳しい説明がされた。
今はUSJの事件から1日が経過していること。
雄英は今日、臨時休校になっていること。
あの脳無の攻撃によって右手、左手の骨が折れ、肋骨の数本がにヒビが入っていることだ。
思っていたよりも軽症だなと千鉱は思ったが、相澤の考察によれば、致命傷を免れた理由は二つ。
一つは、衝突の瞬間に「淵天」を盾にし、刀越しに衝撃を受けたこと。
そしてもう一つは、攻撃を受けた地点のすぐ近くに死柄木がいたため、彼への巻き添えを懸念した脳無が、無意識に力をセーブしたのではないかということだった。
「今日の夕方、リカバリーガールが見に来てくれる。
その前に、一つ説教だ。お前はあの場において、判断を誤った」
相澤の言葉は、教え子を突き放すような冷徹な響きを持っていた。千鉱は黙ってその言葉を受け止める。
「敵の主犯に単身で接近し、あまつさえその腕を斬り落とす⋯⋯結果だけ見ればあそこで戦況が動いたのは事実だ。だが、一歩間違えればお前はあの場で確実に死んでいた。
⋯⋯生徒に、命を賭けてまで戦えとは言わん。無茶と無謀を履き違えるな」
「⋯⋯⋯⋯はい」
「あの絶望的な戦力差の中、独断で突っ込んだことはプロとして、教師として看過できん。
退院したら、たっぷりと反省文を書いてもらうぞ」
厳しい口調。だが、その声の裏側には、教え子を失わずに済んだという安堵と、危うい橋を渡らせてしまった自分への苛立ちが混ざっていることを、千鉱は感じ取っていた。
相澤は一度言葉を切ると、天井を仰ぐようにして溜息を漏らした。包帯の擦れるカサリという音が、静かな病室に小さく響く。
「⋯⋯だがここからは教師としてではなく、俺個人での意見だ。六平、すまなかった」
唐突な謝罪に、千鉱は目を見開いた。
「教師でありながら⋯⋯俺の力不足で、お前たちをあんな地獄に立たせた。
俺が真っ先に敵を無力化できていれば、お前があのヴィランに殴り飛ばされることも、緑谷たちが命を懸ける必要もなかった。⋯⋯守るべき生徒に守られたこと、一人の大人として情けなく思う」
「先生、それは⋯⋯」
「言い訳はいい。これは俺の責任だ」
相澤は千鉱の言葉を遮るように言い切った。自らの傷よりも、教え子の負った傷を数えているような、そんな痛切な響きだった。
そして、相澤は僅かに顔を千鉱の方へと向けた。包帯越しでも分かるほど、その眼差しには確かな熱が宿っている。
「⋯⋯六平。お前のあの独断がなけば、俺は最悪、死んでいたかもしれない。
お前が時間を稼ぎ、敵の注意を引いたからこそ、オールマイトの到着まで全員の命が繋がった」
相澤はゆっくりと、深い実感を込めて言葉を紡ぐ。
「助かった。ありがとう」
「⋯⋯⋯⋯」
千鉱は、疼く身体の痛みを感じながら、小さく息を吐いた。
「⋯⋯⋯俺は、自分のやるべきことをしただけです」
千鉱は視線を落とし、包帯の巻かれた自分の手を見つめた。
人の腕を断ち切った感触は、まだ掌に残っている。それが正しいことだったのか、ヒーローを目指す者として許される行為だったのか、今の彼には答えが出せない。
だが、隣で教え子を案じる教師の姿が、その迷いをわずかに溶かした。
「⋯⋯それに、助けてもらったのは俺の方です。梅雨ちゃんや、緑谷⋯それに先生がいなければ、俺は今ここにいませんから」
少しだけ口角を上げた千鉱の言葉に、相澤は包帯の奥で「フン」と鼻を鳴らした。
「それなら⋯⋯今は寝てろ。リカバリーガールが来るまでに体力を回復させとけ」
「⋯はい。おやすみなさい、先生」
「はい。おやすみ」
千鉱は再び目を閉じ、心地よい眠りの淵へと沈んでいった。
◇◇◇
その日の夕方、リカバリーガールの個性『治癒』によって脳無に負われた怪我は完治したことで、退院となった。
そして翌日───
USJでの惨劇から一夜明けた雄英高校は、表面上は普段通りの静けさを取り戻していたが、校内に漂う空気にはどこか落ち着かない緊張感が混じっていた。
1年A組の教室。
朝のホームルームの時間が近づき、生徒たちがそれぞれの席で期待と不安の混じった談笑を交わしていると、クラス委員長の飯田が勢いよく立ち上がった。
「皆ーー!!朝のホームルームが始まる、席につけー!!」
「ついてるよ。ついてねーのお前だけだ」
飯田はいつものように角ばった動きで、声を張り上げる。
しかし、すでにクラスの面々は席に腰を下ろしており、教卓の前で一人鼻息を荒くしているのは飯田だけだった。
瀬呂の呆れたようなツッコミが飛び、教室には少しだけ柔らかな笑いが漏れる。
「六平さん、ケガはもう大丈夫なのですか?」
「リカバリーガールに直してもらったからもう平気だ」
「そうですか⋯⋯⋯よかった」
千鉱は、前の席の八百万と少し話をしていた。
すると⋯⋯⋯
「おはよう」
「「「相澤先生復帰早ええええ!?」」」
相澤先生は額に包帯を巻き、骨折した右腕を包帯で固定している状態で入ってきた。
先日見た時よりかは治ってはいるが、それでも痛々しい。
「先生!!無事だったのですね!?」
「無事言うんかなぁアレ⋯⋯⋯⋯」
「俺の安否はどうでもいい。何よりまだ戦いは終わってない」
「「「!!?」」」
自分の怪我など些末な問題だと切り捨てるような、相澤の突き放すような物言い。
その言葉に、生徒たちの間に再び緊張が走った。
「戦い?」
「まさか⋯⋯」
「またヴィランが─────────」
「雄英体育祭が迫っている!」
「「「クソ学校っぽいの来たああああ!!!!!」」」
次回から不定期更新です。
これからもこの作品をよろしくお願いします。