コインランドリー観測記   作:アンカラ

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初投稿です。よろしくお願いします。


第一話 「遭遇」

 

 洗濯機が壊れたのは、何の変哲もない夜だった。

 

 大学から帰ったのは二十時をすこし回ったころで、帰宅後すぐに駅前のコンビニで買った割引シール付きの弁当を温めてそのまま食べた。テレビをつけていたが、画面の内容はほとんど頭に入ってこない。

 芸能人が笑って、誰かが驚いて、拍手が起きる。その一連の流れが、どこか遠い世界の出来事のように感じられた。

 

 大学三年生になってから、時間の感覚がおかしくなった

 一日は相変わらず二十四時間あるはずなのに、終わるのが速い。だが、そのわりには何も進んでいない。講義を受け、レポートを書き、バイトに行き、帰ってくる。それを繰り返しているだけで、「先に進んでいる」という実感はない。台車を回すハムスターみたいだ、とぼんやり思う。

 

 風呂に入る前に洗濯機を回そうと思った。洗濯かごの中には、数日分の衣類が無秩序に溜まっている。どれも微妙に湿っていてどんよりとした空気を持っていた。こいつらもいい加減洗った方がいいだろう。

 

 アパートに備え付きの洗濯機は、入居した時から古かった。外装は少し黄ばんで、ボタンの文字もかすれている。それでも、これまで文句一つ言わずに動いてきた。

 

 洗剤を入れて、洗濯物を押し込み、スタートボタンを押す。

 

 ごとん。

 

 その音が、やけに鈍く聞こえた。

 

 水が溜まり、ドラムが回り始める――はずだった。

 だが回転は一瞬で止まり、代わりに低く不快な唸り音が続いた。表示パネルには、見たことのないアルファベットと数字が点滅している。

 

 「……マジか」

 

 電源を切り、入れなおす。もう一度スタートボタンを押す。

 

 結果は同じだった。

 

 洗濯機の中に手を入れると、水は生ぬるく、洗剤のぬめりが指に残った。洗濯物は中途半端に水を吸って、ずっしりと重い。このまま放置すれば、確実に生乾きの匂いがしみつく。

 

 時計を見ると、二十三時を少し過ぎていた。

 管理会社に電話するには遅い時間、かといって明日の朝まで待つ余裕もない。

 

 仕方なく、僕は洗濯物を取り出した。シャツ、タオル、下着。水を含んだ布は想像以上に重く、腕に負担がかかる。床に水滴がぽたりとたれて、フローリングに小さな水たまりができた。

 

 ビニール袋に詰めながら思う。

 実家にいた頃は、洗濯機が壊れるという事態を考えたことすらなかった。何かが壊れれば、母なり父なり誰かが対応してくれた。今は違う。壊れた事実も、その後どうするかも、自分で引き受けなければならない。

 

 ずっしりと重いビニール袋を片手に、夜の外へ出る。

 湿った空気が肌にまとわりつき、街灯の光がアスファルトを鈍く照らしている。どうやら雨が降っていたらしい。道は少し湿っていた。

 

 徒歩十分程度の場所に、二十四時間営業のコインランドリーがある。

 昼間から夕方にかけては、作業着を洗う人や学生たちで多少混むが、深夜はほとんど利用者がいない。薄暗い街の中で、白い看板だけがやけに浮いて見えた。

 

 自動ドアが開くと、洗剤と乾きたての布の混ざった匂いが鼻を突いた。

 蛍光灯の白い光が床に反射して輝いている。大きな洗濯機や乾燥機がずらりと並んでいる姿はまるで宇宙船のようで、空間全体が少しだけ現実から切り離されているようにも感じられる。

 

 そこには先客がいた。

 

 奥の大型洗濯機の前に、一人の男が立っていた。

 白と銀色の間のような色をした服。上着はゆったりとしているが、ズボンは妙に体に密着したデザインで、素材が光を不自然に反射している。年齢はいまいち分からない。若くも老いても見えるような不思議な印象を受ける。

 

 男は回転するドラムをほとんど瞬きもせずに見つめていたが、やがてこちらをゆっくりと振り向いた。

 

「こんばんは」

 

 ゆったりとした深い声だった。発音は正確だが、抑揚がどこか不自然だ。

 こちらを見つめる目は大きく、何かを見ているというより、観測しているような目だった。

 

 黙っているのもおかしいかと思い、「こんばんは」と返した。

 僕は中型の洗濯機に洗濯物を入れ、硬貨を入れながら男の様子を盗み見た。男は、洗濯機の回転を観察するように、首をわずかに傾けている。

 

「それ、面白いですか」

 

 気づけば、そんなことを聞いていた。

 

「非常に」

 

 男は即答した。

 

「物質が水と混ざり、回転によって配置を変え、不要な要素を取り除く。効率的で、かつ美しい」

 

「ただの洗濯ですよ?」

 

「はい。ただの洗濯です」

 

 言い切り方が妙に強い、何だか変わった人だ。

 

「……研究か何かですか?」

 

「観察です。私は、地球の生活様式を観察しています」

 

 男がそういった。その瞬間、違和感がはっきりと形を持った。

 

「もしかして、あなた…」

 

「はい」

 

 男は、少し誇らしげに胸を張った。

 

「私は地球の外から来た生命体。いわゆる、宇宙人というやつです」

 

 あまりにも自然な言い方だったので、僕は笑うべきか迷った。

 だが、彼の目はとても冗談を言っているような目ではなかった。

 

 「なぜここに?」

 

 彼は僕に聞いてきた。

 

 「私は、最近毎日のようにここに来ていたが、あなたに会うのは初めてです」

 

 「家の洗濯機が壊れてしまって…」

 

 「洗濯機は、よく壊れますね」

 

 彼はそう言った。

 

 「あなた方の文明は、壊れることを前提に作られている。それが興味深い」

 

 「それ、悪口ですか」

 

 「いいえ。特徴です。壊れるから、修理する。修理できないから、代替する。あなたがここに来たように」

 

 なるほど、と僕は思った。洗濯機が壊れたから、コインランドリーで代替している。その通りだ。その結果宇宙人に出会ったのだから不思議だ。

 

 洗濯機が周り、一定のリズムが空間を満たす。

 

 「壊れないものなんてないですよ」

 

 「それが、あなた方の強さです」

 

 ドラムの中で、洗濯物が絡まり、ほどけ、また絡まる。

 僕はベンチに腰を下ろした。彼は座らず、立ったまま話始める。

 

 「我々の文明では、壊れないことが前提でした」

 

 「…それで、どうなったんですか?」

 

 彼は少し考える素振りを見せた。

 

 「変化が起きませんでした」

 

 洗濯機の回転音が、言葉の間に流れ込む。

 

 「変化がない文明は安定します。しかし、意味を失います。人間は、壊れるから悩みます。でも、その分考え続けます」

 

 「考えるの、結構しんどいですよ」

 

 「それでも、あなたは考えています」

 

 言い返せなかった。

 大学に入ってから、ずっとそんな感じだった。何者かにならなければいけないのに、何者になりたいのか分からない。進路、将来、どれも対処法が分からない。

 

 「あなたは、今どこへ向かっていますか?」

 

 彼が聞いた。

 

 「分かりません」

 

 「それは、問題ですか」

 

 「……分からないことが、問題なのかどうかも分かりません」

 

 彼は、しばらくドラムの回転を見つめてから言った。

 

 「洗濯も同じです」

 

 意味が分からなかった。何を言いたいのだろう。

 

 「汚れがどこまで落ちるか、完全には分かりません。それでも、回します」

 

 洗濯機の中で、服がひっくり返り続けている。

 

 「人間は、結果を知らないまま行為を続ける。それを、我々は理解できませんでした」

 

 「じゃあ、今は?」

 

 「今は、羨ましい」

 

 それからしばらくすると、洗濯と乾燥が終わったことを示す終了音が鳴った。

 

 「あなたは、またここに来ますか」

 

 「洗濯機が直らなければ」

 

 「直っても来てください」

 

 彼はそう言って微笑んだ。

 

 これが、僕と宇宙人が出会った、記念すべき夜だ。

 

 

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