前半と後半の温度差に注意
作戦は失敗した。
その要因は……挙げ始めればキリがないが、一番はターゲットに──マキマに情を持ったことだろう。
つまり任務開始前から敗色濃厚だったわけだ。
不利なフィールドにまんまと誘い出され、逃げ出すこともできずに捕まった。
チェーンで縛られた後も、死に物狂いで抵抗すれば逃げ切れたかもしれないのに、そうしなかった。
スパイがターゲットに絆されるなんて言語道断、しかしそれほどまでに彼女は魅力的だった。
ハニートラップをすればどんな堅物も間違いなくオトせるだろうが、彼女が男に抱かれる想像などしたくないので思考を打ち切る。
……現状を改めて把握しよう。
私はなぜか生きていて、おそらく医療施設のベッドに寝かされている。
目は閉じたままだから周囲の状況は分からないけど、そばに彼女がいるのは気配で分かる。
加えて、同じ室内の少し離れた場所にも何者かの気配を感じた。
部屋の外にも、建物の外にも人員は配置されているのだろう。
詰んでいる。
未だに自我を保てているのは不思議だが、だからといって暴れる気力はもう無い。
……仕方ないので目を開く。
狸寝入りはバレているかもしれないが、一応“今起きましたよ”という態度を装った。
「……信じられない。どうして私を蘇らせたの?」
低く、少し掠れた声が出た。
視線を横に動かすと、そばに置かれた椅子に彼女が腰掛け、じっとこちらを見つめていた。
背後は壁。残りの三面は白いカーテンで仕切られていて、外の様子は窺い知れない。
けれどカーテンの向こう側には、やはり誰かがいる。
私の問いかけに、彼女は少し誇らしげに答えた。
「私は今、素晴らしき日々を送っている。美味しいご飯を食べて、温かいシャワーを浴びて……大切な人もできた。でもね」
彼女はそこで言葉を区切り、ミラによく似た金色の瞳で私を見つめる。
「レゼがいなくなったら、きっとつまらないよ」
私はソ連の
胸の奥から湧き上がる割り切れない感情を隠すように、私はわざと冷ややかな声を絞り出す。
「……今、私に殺されても同じこと言える?」
「うん」
彼女は迷いなく頷いた。
「もし私がレゼに負けて死んじゃっても、他の人たちがまた連れ戻してくれるから。……だからレゼも、公安においでよ」
冗談を言っている風には見えなかった。
彼女の態度はどこまでも真剣で、瞳は濁りなく澄んでいる。
……一度殺されたことへの恐怖や警戒はあるけど、その真っ直ぐすぎる視線に、胸の奥が痛いくらいに締め付けられた。
「無理だよ」
彼女の言葉は本気なのだろう。
しかし、ソ連所属の諜報員にして武器人間という私の立場が邪魔をする。
日本は既に
特に、戦力を取り込まれたらソ連上層部は間違いなく激怒する。
最悪の場合、他国と組んで日本を脅かす可能性すらある。
私という個人と国際関係……マトモな為政者なら後者を選ぶ。
第二の世界大戦は誰も望まない。
「───何が無理だって?」
シャッと鋭い音を立てて、カーテンが勢いよく開け放たれる。
カーテンの向こうにいたのは支配の悪魔──デンジだった。
支配の悪魔はマキマの逆──私から見て右側に立ち、淡々と私の逃げ道を塞ぎにかかった。
私が頭の中で並べ立てていた“ソ連へ帰還せざるを得ない理由”を、彼はまるで最初から見透かしていたかのように、対話によって徹底的に、一つ残らず潰していく。
頭を下げるのは
いくら日本に正当性があろうとも、各国から敵対視されてしまうぞと言えば、
「……マスターは? あの人はどうしたの?」
実力は未知数だが上官に推薦されるほどの人物であり、いざ戦えば相応の被害が出るはず。
しかし支配の悪魔は、事も無げに言い放った。
「殺した」
背筋が凍った。
こちらを見下ろす双眸から、あらゆる感情が抜け落ちてしまったようで───
(……いや、違う)
この表情は見せかけだ。
強く握りしめた拳が微かに震えている。
落ち着いて観察すれば、他にもあらゆる箇所から感情の揺らぎが見て取れる。
任務の一環として、人間の心理を推測する訓練は行ってきたけど……彼の感情は拍子抜けするほどに分かりやすかった。
(悪魔のくせに)
教本通りすぎて可笑しいくらいだ。
冷徹に振る舞おうと必死になっているその姿は、あまりにも人間臭い。
いや、流石に演技なのかな?………思考を巡らせていると、不意に私のお腹に指先が触れた。
患者衣の上から、お腹のあたりを、マキマが人差し指でそっと横になぞった。
「チェンソーでお腹割かれて……痛かったよね? ごめんね?」
こちらを覗き込む彼女の顔は、息が止まるほどに蠱惑的だった。
ゾクリとするような甘い温度を孕んだ声。
支配の悪魔とは大違いだ。
この少女の心理をいくら探ろうとしても、まるで深い霧に包まれたかのように、本心がどこにあるのか掴めない。
「でも、レゼは大切な友達だから。あんな酷い場所に行かせられない」
───友達。
その言葉が頭の中で反響する。
考えれば考えるほど、公安に降るのが一番良いように思えてくる。
ああ、私の完敗だ。
だけど一つだけ、どうしても納得がいかない。
「マキマちゃんのことは……友達だと思ってないから」
彼女は意外そうに、首を小さく傾げた。
「友達じゃなくて、もっと大切な人」
心臓が激しく脈を打つ。
「私はね───マキマちゃんのことが好き」
言った。
言ってしまった。
もう、あとには引けない。
それならいっそ、ハジケてしまおう。
◆◆
「えっ」「は?」
2人の声が重なった。
レゼの爆弾発言を受け、マキマとデンジは完全に思考を停止させていた。
Q.不利な展開に持ち込まれた。どうすればいい?
A.全部吹き飛ばせ。
実にボムガールらしい一手であった。
数秒の気まずい沈黙の後、デンジより先にフリーズから復帰したマキマが問いかける。
「友達として……じゃ、ないよね」
「うん」
レゼは食い気味に肯定した。
白い頬を林檎のように赤く染めながら、レゼは力強く肯定した*3。
マキマは困ったように眉を下げ、視線を泳がせながら、直球すぎるその想いに真正面から応えた。
「……ごめん、女の子のことを恋愛的な目では見れない」
あまりにも真っ当で、残酷な拒絶。
しかしレゼの心は折れなかった。
会話の主導権は今やレゼの手中にある。
最初からその答えを予期していたかのように、悪戯っぽくおどけてみせた。
「知ってるよ。友達でいられるなら十分」
レゼはおもむろに上体を起こし、パッと勢いよく両手を左右に広げた。
「友達の証、ぎゅ〜ってして」
「ええ……?」
失恋した直後とは思えないその切り替えの早さに、マキマはまたしても面食らった。
あれ、私フったんだよね?
とはいえ「友達」として受け入れられたなら、マキマに断る理由はない。
「それでいいなら……」と、戸惑いながらもレゼの広げた腕の中へと、素直にその身を委ねた。
(や、やわらかい……ふわふわ……)
マキマの首筋に顔を埋めるレゼの呼吸は、なぜか妙に荒い。
かすかに震える肩と、耳元で繰り返される熱い吐息に、マキマは不思議そうに声をかけた。
「どうしたの?」
「大丈夫、大丈夫だから……」
レゼはそれだけ呟き、さらに力を込めてマキマを抱きすくめる。
失恋の寂しさを埋めているのか、それとも別の感情が高ぶっているのか……
そして、少し離れた場所に立つデンジは。
目の前で繰り広げられる百合を、ただ無言で、苦虫を噛み潰したような、これ以上ないほど複雑な表情で見ていた。
次回は久しぶりに掲示板回。
花火大会もその後にやります。