朝起きたら猫耳の美少女になっていたが、肉球が邪魔でスマホのロック解除すらできない 作:灯火011
佐藤と和解してから数日後。
ついに、その日はやってきた。
俺は朝からソワソワと落ち着かず、無意味に部屋の中をウロウロしたり、爪とぎ(ダンボール)をバリバリやったりしていた。
今日は、佐藤が根回しをして「例の人物」を連れてくる日だ。
坂本(さかもと)課長。
俺の直属の上司ではないが、かつて俺を鍛えてくれた先輩であり、この会社では数少ない「現場至上主義」の豪快な男。
あの堅物な鬼瓦部長とは犬猿の仲で、現在は隣県の現場に飛ばされているが、その影響力は健在だ。
ピンポーン
チャイムが鳴った。ついに、来た。
俺は深呼吸をし、尻尾を太もものベルトで軽く固定してから(緊張で暴れるのを防ぐため)、玄関へ向かった。
鍵を開ける。そして、ギイイと音を立てながら、ドアが開く。
そこには、緊張した面持ちの佐藤と、ニッカポッカに作業ベスト姿の、強面(こわもて)の男が立っていた。白髪交じりの短髪、日焼けした肌、鋭い眼光。
まごうことなき、坂本課長だ。
「……お邪魔するぜ」
坂本課長はドカドカと土足で上がり込みそうになり、「あ、靴脱ぐのか」と行儀良く安全靴を脱いで揃えた。そして、部屋の奥で直立不動(萌え袖)で待つ俺を見た。
沈黙。
重苦しい沈黙が流れる。
坂本課長の目が、俺の頭のてっぺん(猫耳)から、ダボダボのパーカー、足元のクロックス(偽)、そして尻尾までを舐めるようにスキャンする。
やがて、課長は眉をひそめ、低い声で佐藤を睨んだ。
「おい佐藤。お前、俺を担いでんのか?」
「えっ?」
「犬飼が病気だって言うから来てみれば……なんだこの姉ちゃんは。コンカフェのキャストか?それとも家出少女か?悪いが俺はロリコン趣味はねぇぞ」
至極まっとうな反応だ。佐藤が慌てて説明しようとする。
「ち、違います課長!この人が犬飼先輩なんです!朝起きたらこうなってたって……!」
「アホか!そんな漫画みたいな話があるか!おい姉ちゃん、犬飼はどこだ。あいつに借金でもあるのか?」
課長が俺に詰め寄る。鋭い眼光。現場で職人を震え上がらせる「鬼の坂本」の顔だ。普通の女子なら泣き出すレベルの威圧感。
だが、俺は逃げなかった。俺はハスキーな声で、淡々と言い放った。
「……相変わらず声がデカいですね、課長。近所迷惑ですよ」
「あ?」
「それと、借金があるのはそっちでしょう。5年前、駅前の再開発現場。仮設トイレにガラケー落として、俺に拾わせましたよね?」
課長の動きがピタリと止まった。
「……は?」
「俺がゴム手袋して拾い上げて、アルコール消毒して返したら、アンタ『臭いが取れねぇから新しいの買うわ』ってその場で捨てやがった。あの時のゴム手袋代と精神的慰謝料、まだ払ってもらってませんよ」
課長の目が点になる。口元のタバコがぽろりと落ちた。
「そ、その話を知ってるのは……現場でも俺と犬飼だけだ……」
課長は俺の顔をまじまじと見つめた。だが、まだ疑っている。過去の話なら、誰かから聞いた可能性もゼロではないからだ。
「……なるほどな。昔話は合ってる。だが、見た目がこれじゃあ、脳味噌まで『ファンシーな乙女』に入れ替わってるかもしれん」
課長はニヤリと笑い、懐からタブレット端末を取り出した。テーブルに乱暴に置く。画面には、複雑な配管図面が表示されていた。
「犬飼だと言うなら、これを見てみろ。俺が今やってる大規模修繕の現場だ。2階の天井裏なんだが、空調ダクトと既存の梁(はり)が干渉して、どうしても収まらねぇ。設計屋は『天井を下げろ』の一点張りだが、施主は『絶対下げるな』と言う。
……お前ならどうする?」
現場の「抜き打ちテスト」だ。俺はタブレットを覗き込んだ。画面をスワイプし、断面図を確認する。……なるほど。典型的なリノベーションの落とし穴だ。
俺はタッチペンを取り、画面の一点を指した。
「天井を下げる必要はありませんよ。ここ、ダクトのルートを曲げようとしてますけど、そもそも使う部材が間違ってます」
「ほう?」
「この現場、空調業者は『鈴木設備』ですよね?図面の記号で分かります。あそこの職長は、古いタイプの『ごっつい吊り金具』を使うのが癖なんです。その金具の厚みのせいで、梁下(はりした)に収まらないだけです」
俺は図面に赤ペンを入れた。
「『最新のスリム金具を使え』と指示して、その分浮いたコストで、職長に缶コーヒーの1ケースでも差し入れて機嫌取ってください。あと、ここの断熱材を『薄型』に変えれば、計算上はあと15ミリ余裕が出ます。これで天井はそのままで通せますよ」
一息で言い切った。沈黙。佐藤が「へぇぇ……」と間抜けな声を出す。
坂本課長は、しばらく図面と俺の顔を交互に見ていたが、やがて肩を震わせ始めた。
「……くっ……ぶわーっはっはっは!!こいつは驚いた!本物だ!!」
課長はテーブルをバンバン叩いて笑い転げた。
「鈴木設備の職長の癖まで覚えてんのかよ!まさにその通りだ、あいつら無駄にデカい金具使いやがるんだ!いやー、参った!中身は完全にあの脂っこい中年太りの犬飼だわ!」
課長は涙を拭いながら、俺の肩をバシッと叩いた。
「痛っ。相変わらず力が強いんだよ坂本課長!」
「あ?気にすんな!それに、認めるぜ。お前は犬飼だ。そのナリで、その現場勘……最高にイカれてやがる!」
俺はため息をつき、ずり落ちたパーカーの肩を直した。
「……で、どうするんですか。笑いに来ただけなら、塩撒いて帰ってください」
「いやいや、待て」
課長は真顔に戻り、身を乗り出した。
「今の回答で確信した。お前、この部屋で腐らせとくには惜しい人材だ」
「は?」
「鬼瓦のハゲが『無断欠勤だ』と騒いでる件は、俺がねじ伏せてやる。その代わり、お前……俺の現場に来い」
「……この姿でですか?無理ですよ。通報されます」
「いーや、行ける。ただし、『犬飼剛』としてじゃねぇ。『派遣会社から来た、凄腕の検査員』としてだ」
派遣?俺は首をかしげた。
「俺の今の現場、人手が足りなくてな。そこにお前をねじ込む。派遣なら、素性が多少怪しくても『派遣元の事情』で通るし、現場が終わればサヨナラだ。この姿も、『多様性(ダイバーシティ)』の一言で押し通す!」
出た。おじさんが覚えたての横文字。
「最近の派遣業界は人手不足だからな。『彼女は優秀だが、ファッションに強いこだわりがある』とか、『宗教上の理由で猫耳をつけなければならない』とか言えば、現場の連中は深く突っ込まねぇよ」
「宗教上の理由で猫耳!?どんな宗教ですか!」
「大丈夫だ。現場の連中はな、見た目なんて二の次だ。『仕事ができるかどうか』。それだけしか見てねぇ。お前も良く知ってんだろ?犬飼よ」
課長の目が、ギラリと光った。
「さっきの図面の指摘、見事だったぜ。あの一言を現場で言ってみろ。猫耳だろうが尻尾が生えてようが、職人たちは『へい、姉さんについていきます!』って頭を下げるもんさ。しかも、かわいいネーチャンなら一発よ」
……悔しいが、血が騒いだ。「鈴木設備の癖」を思い出した瞬間、俺の中で眠っていた現場魂に火がついてしまったのだ。
コンクリートの匂い。重機の音。職人との駆け引き。
それが恋しくてたまらない。
「……給料は、出ますか?」
「おう。派遣会社を通さず、俺のポケットマネーから『特別手当』として出してやる。ピンハネなしの満額支給だ。マカロンより高いもん食わせてやるよ。一時しのぎとしちゃ、十分じゃねえか?」
俺は立ち上がった。尻尾が、ブルンと力強く揺れた。もう、迷いはなかった。
「やります。行かせてください、現場へ」
「ようし、決まりだ!」
課長はバンと膝を叩いた。そして、横に控えていた佐藤に向かって指を鳴らした。
「おい佐藤!準備だ!明日からこの『新人派遣スタッフ』を現場に連れて行くぞ。作業着だと尻尾が邪魔だろうから、お前、いい感じの服を見繕ってやれ!」
「はいっ!任せてください!」
佐藤が目を輝かせた。なぜお前が嬉しそうなんだ。そして「いい感じの服」って何だ。嫌な予感がするぞ。
こうして、俺の「引きこもり生活」は唐突に終わりを告げた。
明日からは、「謎のコスプレ猫耳派遣員」としての、新たな現場生活が始まる。