朝起きたら猫耳の美少女になっていたが、肉球が邪魔でスマホのロック解除すらできない 作:灯火011
翌朝。
俺は、佐藤が持ってきた「いい感じの服」に袖を通し、鏡の前で絶句していた。
「……佐藤。これは何の嫌がらせだ」
鏡の中にいるのは、デニムのオーバーオール(サロペット)を着た、銀髪猫耳の美少女だった。
インナーは黒のTシャツ。
足元は、この猫の脚が入るようにと、大き目の安全長靴。
そして最大の特徴は、お尻の部分だ。
「嫌がらせじゃないですよ!尻尾、どうするんですか?普通のズボンじゃ入らないでしょう。だから、オーバーオールのお尻に穴を開けて、尻尾を出せるように加工したんです。これなら動きやすいし、挟まる心配もありません!」
佐藤が自信満々に力説する。確かに機能的だ。尻尾は穴から出て、自由に動く。
だが、ビジュアルが……どう見ても「牧場の看板娘」か「マリオの女体化」だ。
これで建設現場に行くのか?どーしたってなめられる未来しか見えない。
「……はぁ。もういい。行くぞ」
俺は諦めて、頭にタオルを巻き、その上から「安全第一」と書かれたヘルメットを被った。
猫耳が邪魔で深く被れないため、あご紐をきつめに締めて固定する。俺は覚悟を決めて、佐藤の運転する社用車に乗り込んだ。
■
30分後。
俺たちは、隣県にある大規模修繕工事の現場に到着した。坂本課長が指揮を執る、老朽化した商業ビルの改修現場だ。
車を降りた瞬間、懐かしい匂いが鼻を突いた。コンクリートの粉塵。切断された鉄の匂い。塗装のシンナー臭。そして、騒音。ドリルの音、金属がぶつかる音、職人たちの怒号。
「……悪くにゃい」
俺の尻尾が、自然とピンと立った。これだ。俺の居場所はここだ。マカロンをかじる生活も悪くなかったが、やはり俺の魂はここにある。
「行きますよ、先輩……じゃなくて、『派遣さん』」
佐藤に促され、俺は現場のゲートをくぐった。その瞬間。
シーン……
近くで休憩していた鳶(とび)職人たちの会話が止まった。搬入業者の手が止まった。
全員の視線が、俺(オーバーオール猫耳少女)に突き刺さる。
「……おい、なんだあれ」
「撮影か?アイドル?」
「いや、ヘルメット被ってるぞ……しかも安全靴だ」
「猫耳……だよな?すげぇクオリティだな」
ざわめきが広がる。好奇の目、値踏みする目、そして「現場を舐めてんのか」という冷ややかな目。佐藤が萎縮して小さくなっている。
だが、俺はポケット(オーバーオールの胸ポケット)に手を突っ込み、平然と歩を進めた。
こんな視線、新人の頃に散々浴びた「若造扱い」に比べればどうということはない。
現場事務所の前で、坂本課長がニヤニヤしながら待っていた。
「おう、来たか。じゃ、この後職人集めて紹介すっから……そうだ、犬飼。名前、どうする?」
そういえば決めてなかった。俺はとっさに答えた。
「……キャット・ワンで」
「ぶふっ……あー、はいはい。キャットさんな。くくくっ。キャットさん……ふ、はははは!」
「そこまで笑う事無いでしょう!?」
■
そして、それから十数分後。朝礼広場には、今日作業をしている業者たちが集う。
「紹介しよう。今日から入る『派遣検査員』の……ぶふっ!キャットさんだ!」
課長が吹き出しそうになるのを堪え、職人たちに向き直った。朝礼広場には、50人近い職人たちが集まっている。いかつい顔をした職長連中が、俺を睨みつけている。
「いいかお前ら!この子は派遣会社がよこした特殊な検査員だ!見ての通り、頭に猫耳をつけているが……これには深いワケがある!」
課長はもったいぶって一呼吸置いた。
「彼女は熱心な『猫耳教(ねこみみきょう)』の信者だ!戒律により、公の場では常に猫耳をつけていなければならない!たとえ風呂場でも、寝る時でも、そして現場でもだ!」
現場が凍りついた。
―――猫耳教。パワーワードすぎるだろう。
「え……宗教……?」
「どんな戒律だよ……」
ざわつく職人たちに対し、課長は手を掲げて制した。
「笑うな!これも多様性(ダイバーシティ)だ!信教の自由は憲法で保障されている!『猫耳だから』といって差別する奴は、俺がコンプライアンス違反で叩き出すからな!分かったな!」
職人たちは、
「はぁ……」
「まあ、宗教なら……?」
と困惑しながらも頷くしかない。無理やりすぎる。だが、この強引さが坂本流だ。
しかし、全員が納得するわけではない。一人の若い鳶職人が、鼻で笑いながら声をかけてきた。
「へぇ、猫耳教ねぇ。便利な宗教だな。お嬢ちゃん、ここは遊び場じゃねぇんだよ。そんなふざけた格好でウロウロされたら気が散るんだわ。神様に祈って帰んな」
典型的な「生意気な若手」だ。茶髪、ピアス、着崩したニッカポッカ。俺も若い頃はよく衝突したタイプだ。
俺はマスクの下でニヤリと笑った。洗礼か。上等だ。俺はその若手に近づいた。身長差は30センチ以上あるが、俺は見上げることはしなかった。ただ、彼の足元を見た。
そして、ハスキーな声で言った。
「……おい、兄ちゃん」
「あ?」
「お前、さっきまであそこの足場で作業してたにゃろ」
俺は3階部分の外部足場を指差した。
「安全帯(フルハーネス)のフック、掛けてにゃかったな?」
若手の顔色が少し変わる。
「は?見てたのかよ。掛けてたよ、適当なこと言うな」
「嘘つくにゃ。お前のハーネス、背中のベルトがねじれてるぞ。一度でも正しく装着してフックを掛けたら、そのねじれには気づくはずだ。つまりお前、朝から一度もフックを使ってにゃーだろ」
現場の空気が凍りついた。ただの注意ではない。「ベルトのねじれ」という、具体的かつ逃れようのない証拠を突きつけたのだ。
「な、なんだよ急に……細けぇこと言いやがって……」
若手がたじろぐ。俺はさらに畳み掛けた。彼の腰道具(工具袋)を指差す。
「それに、そのインパクトドライバー。ビット(先端)が欠けてるぞ。そんな状態でビス打ったら、頭舐めて(潰れて)やり直しににゃるだろ。二度手間かける気か?それとも、にゃめたビスをそのまま放置して誤魔化す気か?」
若手が慌てて自分の工具を確認する。ビットの先端が、確かに欠けていた。
「う、嘘だろ……いつの間に……」
「道具の手入れもできにゃー半人前が、いっちょ前に新人イビりしてんじゃねぇよ!」
俺は現場の中央に立ち、仁王立ち(オーバーオール)で叫んだ。
「全体的に気が緩んでんだよ!坂本課長が甘いからってナメてんじゃにゃーぞ!今日から俺……私が検査に入るからにゃは、手抜き工事も安全違反も一切見逃さねぇからな!覚悟してにゃかれ!」
シーン……。
再び静まり返る現場。
全員がポカーンとして俺を見ている。可憐な少女の口から放たれた、ドスの利いた現場用語の数々。そのギャップに、脳の処理が追いついていないようだった。
多分、俺も同じ反応をすると思う。だって、女ってだけで現場では舐めてかかることが多いからな。しかも時折勝手に挟まる「にゃ」が余計にあほっぽい雰囲気を出している。
やがて、誰かがボソッと言った。
「……なんだ、あの姉ちゃん」
「言ってること、めちゃくちゃまともだぞ……」
「つーか、あの怒鳴り方……どっかの鬼監督に似てねぇか?」
坂本課長が、満足そうにタバコを吹かした。
「言っただろ?『凄腕』だってな。さあ、仕事に戻れ!キャットさんの検査は厳しいぞ!」
「へ、へいっ!!」
「はい!」
「仕方ねぇ……!」
職人たちが弾かれたように動き出した。さっきまでの「冷ややかな目」は消えている。
あるのは、「ヤバいのが来た」という畏怖と、得体の知れないプロに対する敬意だった。
佐藤が駆け寄ってきて、小声で囁いた。
「せ、先輩!かっこよすぎです!でも一人称『俺』って言いかけましたよ!あと、尻尾めっちゃ振ってますよ!」
「うるせぇ。興奮すると動くんだよ」
俺はヘルメットのズレを直し、尻尾をブンブン揺らした。気分がいい。やはり、俺にはマカロンより埃っぽい空気が合っている。
こうして、俺の「キャット・ワン」としての現場デビューは、強烈なインパクトと共に完了した。
だが、これはまだ序の口。
現場には、もっと厄介な「職人オヤジ」たちが待ち構えているのだから。