朝起きたら猫耳の美少女になっていたが、肉球が邪魔でスマホのロック解除すらできない 作:灯火011
カワイイ猫娘とおっさんのバトルです。
「猫耳教」の派遣検査員、キャット・ワン。
そのふざけた設定とは裏腹に、俺の評判は現場で急上昇(あるいは急落?)していた。ま、つまりは良く判らんという評価付けをされているってことだ。
午前中の巡回だけで、安全帯の不備を3件、ビスのピッチ不足を2件指摘し、サボっていた電気屋を怒鳴りつけた。
そのせいだろうか。午後の現場の空気はピリついている。職人たちのひそひそ声に耳を傾けてみれば。
「あの姉ちゃん、マジでヤバい」
「背中に目がついてるみたいだ」
「猫の聴覚でサボってる音を聞き分けてるらしい」
と、もはや妖怪扱いだ。だが、俺にはまだ、越えなければならない壁があった。
■
午後1時。俺と佐藤は、3階の躯体(くたい)工事エリアへと向かった。
そこでは、鉄筋工たちが梁(はり)の配筋作業を行っていた。カンカン、という鉄と鉄がぶつかり合う乾いた音が響いている。方らでは、モーター音が一定間隔で鳴り響く。鉄の棒を結束線で結びつけている。
その中心に、一人の男がいた。
鉄筋班長・権田(ごんだ)。60歳。
うちの専属の下請けの職長だ。この道40年の大ベテランで、その腕は確かだが、とにかく頑固で口が悪いことで有名。俺も昔、何度も喧嘩した相手だ。
「……おい、そこ! 結束が甘ぇぞ!チンタラやってんじゃねぇ!」
権田の怒号が飛ぶ。俺は少し離れた場所から、組み上がった鉄筋をチェックした。そして、思わず眉をひそめた。
「……佐藤。図面貸せ」
「はい。……どうかしましたか?」
「あそこだ。大梁(おおばり)と小梁(こばり)の接合部。鉄筋が密集しすぎてる」
俺は図面と実物を見比べた。
図面通りだ。確かに図面通りに組んである。だが、これでは「コンクリートが入らない」。
鉄筋がギチギチに詰まりすぎていて、コンクリートを流し込んだ時に、骨材(砂利)が引っかかって隙間だらけになってしまう。いわゆる「ジャンカ(豆板)」と呼ばれる欠陥ができるパターンだ。
俺は権田に近づいた。おそらく、この姿だと舐められるが、そんなことはどうでもいい。
「……職長さん。ちょっといいにゃすか」
権田が振り返る。俺の猫耳とオーバーオールを見て、あからさまに不愉快そうな顔をした。
「ああん? なんだそのふざけた格好は。お前が噂の『猫耳教』か? 俺は忙しいんだ、お祈りなら他所でやってくれ」
あー、権田らしい先制パンチだ。だが、この程度じゃあ俺は怯まない。
「祈りに来たんじゃありません。そこの接合部、鉄筋のあき(間隔)が確保できてませんよ。このままだとコンクリが回りません。組み直してください」
現場の作業音が止まった。若手職人たちが「言っちゃったよ……」という顔でこちらを見ている。権田の額に青筋が浮いた。
「……はぁ?おい姉ちゃん。俺はこの道40年だぞ。図面を見てみろ。設計屋が描いた通りに、一本の狂いもなく組んでんだよ! 文句があるなら図面描いた奴に言え!」
うわ出た。
『図面通りだから俺は悪くない』理論。確かに『職人』の言い分としては正しい。だが、現場を統括する人間としては落第だ。40年もやってて判ってんだろうに。おそらく、途中で気が付いて、引っ込みがつかなくなったんだろうな。
「図面通りなら、欠陥住宅を作ってもいいんですか?」
俺は静かに返した。
「てめぇ……! ポッと出の派遣が、職人に説教垂れる気か! じゃあどうすんだよ! この本数の鉄筋を、この狭い梁の中に収めるには、こうするしかねぇだろうが!」
権田がハッカー(結束工具)を地面に叩きつけた。物理的に無理なのだ。設計図が現場の実情を無視している。よくあることだが、これを解決するのが現場の腕の見せ所だろう。
俺はため息をつき、落ちていたチョークを拾った。そして、コンクリートの床にサラサラと略図を描き始めた。
「……貸して。私がやる」
「あ?」
俺は鉄筋の上にするりと登った。オーバーオールの尻尾穴から出た尻尾が、バランスを取るように揺れる。俺は結束線を解き、鉄筋の位置をずらし始めた。
「おい! 何勝手に触ってんだ!」
「黙って見てにゃさい。教えてあげる」
俺はハスキーな声で制した。俺の頭の中では、3Dのパズルが組み上がっていた。
「いい? 今の並びだと、主筋(しゅきん)が上下に重なって隙間がない。だから、ここの2段目の筋を、『千鳥(ちどり)』にずらすんだ」
俺は鉄筋を強引に曲げ、交互に配置を変えた。さらに。
「で、このスターラップ(あばら筋)の形状を変える。四角形じゃなくて、ここを一度ねじって『ダイヤモンド型』にする」
俺は手近な細い鉄筋を、力任せに(といっても体重をかけてテコの原理で)曲げた。
「なっ……!?」
権田が目を見開いた。
鉄筋の本数は変わらない。だが、配置をわずかにずらし、フープの形状を工夫しただけで、ギチギチだった鉄筋の間に、拳一つ分の綺麗な「通り道」が生まれたのだ。これならコンクリートはスムーズに流れる。強度も問題ない。
建築基準法の範囲内での、現場ならではの裏技。「神の一手」だ。
俺は額の汗を拭い、勝手に動いた猫耳を一度抑えてから、鉄筋から飛び降りた。
「……どうよ。これなら図面の強度を保ったまま、コンクリも回る。文句ある?」
沈黙。
権田は、俺が組み直した鉄筋を、食い入るように見つめていた。そして、太い指で鉄筋をなぞり、呻いた。
「……千鳥に組んで、フープを捻る……か。机上の計算じゃ出てこねぇ、現場の知恵だ……犬飼みてぇだな」
権田がゆっくりと振り返り、俺を見た。その目から、敵意は消えていた。あるのは、同じ職人としての驚愕と、敬意が感じられる。こうなりゃ、こっちのもんだ。
「……姉ちゃん。あんた、何者だ?ただの検査員じゃねぇな。ハッカーの使い方も、鉄筋の踏み方も、素人のそれじゃねぇ」
「……ただの派遣ですよ。猫耳教の」
俺はそっけなく答えた。権田は「フン」と鼻を鳴らし、ポケットから缶コーヒーを取り出した。微糖だ。こいつの好物の。
「……飲みな。喉、乾いてんだろ」
放り投げられた缶コーヒーを、俺は片手でキャッチした。
「……どうも」
「おい野郎ども! 今の見たか! 全部バラして、今のやり方で組み直せ! 日が暮れるまでに終わらせねぇと、姉ちゃんに笑われるぞ!」
「へ、へいっ!!」
鉄筋工たちが一斉に動き出した。その動きは、先ほどまでより明らかに活き活きとしていた。「いい仕事」ができると分かった時の、職人の顔だ。
俺はプルタブを開け、コーヒーを流し込んだ。苦い。でも、マカロンよりずっと美味い。佐藤が横で、涙目で拍手している。
「先輩……すごいです。あの権田さんがデレました……」
「デレてねぇよ。仕事の話をしただけにゃ」
俺は照れ隠しに、尻尾をパタンと足に巻きつけた。これで鉄筋屋は落ちた。躯体はここが抑えられればまず問題はない。それに今回の現場では型枠大工はそこまで大きな担当では無いし、特殊な業者もいない。
だが、現場はこれで終わりじゃない。むしろ、ここからが本番だ。
■
躯体(骨組み)が終われば、次は「内装・仕上げ」の工程に入る。
クロス屋、床屋、建具屋。ミリ単位の精度が求められる、神経質な職人たちの世界だ。
特に、この現場に入っている内装業者の親方は、権田以上に理屈っぽい「職人気質」だと聞いている。
そう思っていた矢先。現場事務所の方から、坂本課長がニヤニヤしながら歩いてきた。
「おうキャット! 見事な手際だったな! 権田が『あの姉ちゃん、ただもんじゃねぇ』って舌巻いてたぞ」
「……どうも。で、課長。次は内装の打ち合わせですよね?」
「ああ、そうだ。だが覚悟しとけよ。明日から入る内装の『匠(たくみ)』は、権田より厄介だぞ。『猫耳? ふざけんな、毛が落ちるだろ』って門前払いされるかもしれん」
課長は楽しそうに脅してくる。俺は残ったコーヒーを飲み干し、空き缶を握りつぶした。
「上等ですよ。毛の一本も落とさずに、完璧な検査をしてやりますよ」
俺の尻尾が、武者震いするように大きく揺れた。構造(躯体)を制した次は、仕上げ(美装)を制する。
現場監督・犬飼剛の、あくなき挑戦は続く。