朝起きたら猫耳の美少女になっていたが、肉球が邪魔でスマホのロック解除すらできない   作:灯火011

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深夜の呼び出しと、部長の「超解釈」

 アパートの一室での「緊急対策会議」は、完全に行き詰まっていた。

 

「……詰んだな」

 

 坂本課長が、ぬるくなったビールを置いて天井を仰いだ。

 

「明日の朝イチで松田が来る。そこで『身分証』を出せなければ、即アウトだ。もちろん、偽造は犯罪(NG)。親族、親戚も頼れない。……となると、残る手は一つしかねぇ」

 

 俺(キャット)と佐藤が課長を見る。

 

「『正面突破』だ」

 

「は? 正面突破って……身分証なしでですか?」

 

「そうだ。『ないものはない』と開き直る。ただし、ただ開き直るんじゃねぇ。『あの元請けの部長が、それでもいいと言った』という既成事実を作るんだ」

 

 課長はスマホを取り出し、時計を見た。現在時刻は、深夜23時。

 

「……イチかバチかだ。部長に電話する」

 

「えっ! こんな時間に!?」

 

「非常事態だからな。いいか、俺がこれから部長に『ある嘘』をつく。部長の『推し活脳』を利用して、松田を封じ込めるための最強の盾を用意するんだ」

 

 課長は深呼吸をし、意を決して発信ボタンを押した。

 

―――プルルルル……プルルルル……

 

 流石に出ないか……?俺たちが息を呑みながら迎えた、5コール目。

 

『……はい。高田です』

 

 眠そうな、しかしどこか機嫌の良さそうな声が響いた。

 

「夜分遅くに申し訳ありません! 下請けの坂本です!」

 

『おお、坂本くんか! どうしたんだ、こんな時間に。まさかキャットさんに何か……?』

 

 食いついた。課長は声のトーンを落とし、深刻さを演出した。

 

「実は……部長のご提案いただいた『正社員登用』の件で、彼女が泣いておりまして」

 

『な、なんだって!? 嬉し泣きかね!?』

 

「いえ……『悔し泣き』です。彼女、実は……戸籍がないんです」

 

 『戸籍がない』。

 

 その言葉に、電話の向こうで息を飲む気配がした。

 

「詳しい事情は言えませんが、複雑な生い立ちでして……。出生届が出されないまま、社会の陰でひっそりと生きてきたそうで。

 だから、『私のような存在しない人間が、元請けさんのような立派な会社の社員になれるわけがない』と……身を引こうとしています。それと、部長、うちの総務に連絡しましたよね。明日、彼女の身分を確認するそうですよ」

 

 俺と佐藤は顔を見合わせた。

 

 (なるほど……「無戸籍(未登録児)」という設定か!)

 

 これなら身分証がない理由になる。だが、部長はどう出る?

 

 長い沈黙が流れた。そして。

 

『……坂本くん』

 

「はい」

 

『彼女は今、どこにいる?』

 

「えっ? あ、今は私のアパートで保護していますが……」

 

『これから、会えるかな』

 

 課長が目を見開いた。

 

「い、今からですか? もう深夜ですが……」

 

『構わん。電話で済ませていい話じゃない。彼女の目を見て、直接話がしたいんだ。それに、詫びも入れたい。……30分で行く。現場事務所を開けておいてくれ』

 

 プツッ。電話が切れた。

 

「……マジかよ」

 

 課長が頭を抱えた。

 

「来るってよ、部長。今から」

 

「ええええ!?」

 

 俺は悲鳴を上げた。この深夜に?すっぴん(猫耳だけど)で?しかも「無戸籍の薄幸少女」という重い設定を背負って?

 

「やるしかねぇぞ、キャット。ここを乗り切れなきゃ、明日の朝には松田に殺される。『悲劇のヒロイン』を演じきれ!」

 

 

 午前0時。深夜の現場事務所。静まり返った室内に、タクシーの止まる音が響いた。

 

 ドアが開き、私服にジャケットを羽織った高田部長が入ってきた。その表情は、いつもの笑顔ではなく、真剣そのものだった。

 

「……待たせたね」

 

 部長は真っ直ぐに俺(キャット)の方へ歩み寄ってきた。俺はパイプ椅子に座り、俯いて震える演技をした。

 

(頼む、嘘よ、バレないでくれ……!)

 

「キャットさん」

 

 部長が、俺の前に片膝をつき、目線を合わせた。

 

「坂本くんから聞いたよ。……戸籍が、ないというのは本当かい?」

 

 俺はおずおずと顔を上げ、潤んだ瞳(目薬済み)で部長を見た。

 

「……はい。すみません、騙すようなことをして……。私、自分が何者なのか、公的に証明できるものが何もないんです。だから、正社員の話は……」

 

 俺は言葉を詰まらせ、視線を逸らした。部長はしばらく、俺の顔をじっと見つめていた。その沈黙が永遠のように感じられた。

 

 やがて、部長は静かに口を開いた。

 

「……辛かったろうね」

 

「え?」

 

「自分が存在しないかのように扱われる世界で、一人で生きてきたんだね。それなのに、君はあんなに明るく、懸命に現場で働いていた……。なんて強い人なんだ」

 

 部長の手が、そっと俺の肩に置かれた。その手は温かく、そして微かに震えていた。

 

「謝る必要なんてない。君が悪いんじゃない。社会の仕組みが、君に追いついていないだけだ」

 

 部長は立ち上がり、力強く断言した。

 

「キャットさん。改めて言おう。ウチに来なさい」

 

「で、でも……身分証が……」

 

「紙切れ一枚で、君の価値が決まるもんか! 私が保証する。私が君の存在証明になる! 総務には私から話を通す。文句は言わせない!」

 

 部長の目は本気だった。そこには、単なる「推し活」を超えた、一人の人間としての義憤と、覚悟があった。

 

「もちろん、今のままでは法的な壁があるのも事実だ。だが、逃げる必要はない。一緒に戦おう。戸籍を作る手続きも、私が全力でサポートする。弁護士も手配する。だから……諦めないでほしい」

 

 俺は呆然とした。

 

 嘘をついているのは俺の方だ。中身はおっさんで、戸籍がないのは「猫になったから」だ。そんな俺に対して、この人はここまで真剣に向き合ってくれるのか。

 

 罪悪感が胸を締め付ける。だが同時に、熱いものが込み上げてきた。

 

「……部長」

 

 俺は涙を拭い、深く頭を下げた。

 

「……ありがとうございます。ご迷惑をおかけするかもしれませんが……よろしくお願いします」

 

「うむ! 任せておきたまえ!」

 

 部長はニカッと笑い、サムズアップした。

 

「よし、これで決まりだ! それと、すまなかったね。私の連絡のせいで、明日の朝、そちらの松田くんがここに来るんだろう? 私が先手を打っておくから、君は堂々としていればいい」

 

 部長は「じゃあ、夜更かしはお肌に悪いからね!」と言って、嵐のように去っていった。事務所には、俺と坂本課長と佐藤が取り残された。

 

「……すげぇな」

 

 坂本課長が呟いた。

 

「全部、信じ込んだぞ。しかも、『一緒に戦おう』ときたか」

 

「……課長」

 

 俺は天井を見上げた。

 

「俺、地獄に落ちますかね」

「安心しろ。地獄に行くときは俺たちも一緒だ。それに、ま、悪い話じゃねぇよ」

「確かに……。もし、これで戸籍が出来れば、ひとまず、安心できます。ありがとうございます、坂本さん」

「いいってことよ。それに、安心するのはまだ早い。明日から、忙しくなるぞ」

 

 こうして、最強の(そして最悪の)身元保証人が誕生した。だが、問題は解決したわけではない。

 

 まずは明日の朝、論理の化身・松田がやってくる。部長の「感情論」だけで、あの冷徹な魔女を退けられるのか。

 

 そして、部長と約束してしまった「戸籍を作る戦い」が、これから始まるのだ。

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