朝起きたら猫耳の美少女になっていたが、肉球が邪魔でスマホのロック解除すらできない   作:灯火011

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現場のアイドル

 総務の魔女・松田の襲来から数日後。俺ことキャット・ワンは、久しぶりに平穏な現場の朝を迎えていた。

 

 一週間後、結果が出るであろう「DNA検査」という時限爆弾はある。

 

 高田部長が「戸籍作成マニュアル」という分厚い本を熟読し始め、連日メッセージを送ってきているという、不安というか、頼もしさというか。お節介さをも感じている。

 

 だが、ひとたび現場に立てば、そんな悩みは吹き飛んでいた。

 

 

 午前10時。雲ひとつない快晴。俺は地上15メートルの鉄骨足場の上にいた。

 

「おーいキャットちゃん! そっちの梁(はり)、どうなってる?」

 

 下から鉄骨鳶(とび)の親方が怒鳴る。俺は軽やかにH鋼の上を走り、

 

「安全帯よし!」

 

 そう指差呼称しながら、接合部を覗き込んだ。

 

「トルク値オッケー! マーキング確認! あ、でも親方! 3番のハイテンションボルト、ワッシャーの向きが逆かも! 今、締め直すから作業ストップー!!」

「おう! 一旦止めろー! 動かすなよー!!」

 

 俺は腰袋からシノ付きラチェットを取り出し、不安定な足場で片手ぶら下がりになりながら、瞬時に修正作業を行った。

 

 猫の平衡感覚と、ベテラン監督の知識。この二つが合わされば、現場でできないことはない。いやはや、慣れてしまえばヘタすりゃあ前より現場向きだぜ、この体。

 

「よーし! 修正完了! 次、行けます!」

 

 俺がサムズアップすると、下で見ていた職人たちがドッと沸いた。

 

「すげぇな、あのアクロバット……」

「サーカス団かよ」

「しかも指摘が的確すぎる。あの子、本当に派遣か?」

 

 俺は鼻歌交じりに次の工区へ移動した。実に気持ちいい。

 書類上の「犬飼剛」はほぼ死んだようなもんだが、現場監督としての「俺」はここで生きている。

 

 

 そして迎えた現場のオアシス昼休み。現場の休憩所(プレハブ)は、男たちの熱気と弁当の匂いで充満していた。

 

 俺はいつものように、部屋の隅で佐藤と食事を摂っていた。今日のメニューはコンビニの「サラダチキン(プレーン)」と「ブロッコリー」。

 

 最近、猫の本能なのか、やたらと高タンパクなものを欲するようになっている。

 

「先輩、完全に現場のアイドルですね」

 

 佐藤が唐揚げ弁当をつつきながら笑った。

 

「アイドルじゃねぇよ。俺はただ、当たり前の施工管理をしてるだけだ」

「いやいや。先輩。見てくださいよ、あっち」

 

 佐藤が顎で指した先では、強面の職人たちが、俺の方をチラチラ見ながらヒソヒソ話をしている。

 

「……今日、キャットちゃんに『ご安全に』って言われたんだ」

「マジかよ、いいなー」

「俺なんか、安全帯のフックかけ忘れて怒られたぞ。最高のご褒美だった」

 

 ……なんだその会話。M属性の職人が増えている気がする。すると、鉄筋班の権田さんが、缶コーヒー(微糖)を持って近づいてきた。

 

「よう、キャットさん。これ、差し入れだ」

「あ、ありがとうございます。権田さん」

 

「いやー、昨日の配筋検査、助かったよ。あんたが事前にミスを見つけてくれなきゃ、コンクリ流した後に大惨事になるところだった」

 

 権田さんは照れ臭そうに頭をかいた。

 

「正直、最初は『なんだこのコスプレ女は』と思ったがよ……。今じゃ、あんたがいねぇと現場が締まらねぇよ。これからも頼むぜ、『現場の守り神』!」

 

 ―――守り神。

 

 その言葉が、俺の胸にじんわりと染みた。身元不明の不審者でも、猫耳が生えていても、仕事で結果を出せば認めてもらえる。

 

 現場ってのは、いい場所だ。俺は尻尾をピンと立て、満面の笑みで答えた。

 

「任せてください権田さん!! 竣工まで、無事故無災害でいきましょう!」

「おう! キャットちゃんも怪我すんなよ? 女の子なんだから」

「舐めてもらっちゃ困ります!」

 

 休憩所が和やかな笑いに包まれる。平和だ。このまま、この穏やかな日々が続けばいい。

 

 そう思っていたのだが……。

 

 

 「……ん? あれ?」

 

 休憩所の奥で、スマホを見ていた若い職人(電気屋のあんちゃん)が、不意に声を上げた。

 

「どうした?」

「いや、今さ。SNSで回ってきた『ほっこり動画』を見てたんだけどよ……」

 

 彼はスマホの画面を、隣の職人に見せた。

 

「この動画に出てる『コンビニの妖精』……。なんか、キャットさんに似てねぇか?」

 

 ――ビクッ。

 

 俺の猫耳が反応した。心臓がドクリと跳ねる。

 

(そういやぁ、忘れてた)

 

 あれはまだ、俺が猫人間になったばかりで、状況を飲み込めていなかったあの夜のことだ。

 

 深夜のコンビニへ夜食を買いに行き、そこで小銭をばら撒いてしまった高田部長を、猫の反射神経とスピードで助けた(高速小銭拾い)。それが動画になり、なんかえらいバズりを見せていたことを。

 

「えー? あの動画の子がキャットさん? どれどれ」

「ああ、これか! 『神速の小銭拾い』ってやつな」

「動きが速すぎて残像が見えるんだよなー。プロのアスリートとかいろいろ話あったよな。ちょっと耳も見えてんだっけ? 猫の」

 

 職人たちが集まり始める。俺は冷や汗をかきながら、佐藤の背後に隠れようとした。

 

「ま、まさか……。あれは都内のコンビニだろ? ここは地方都市だぜ?」

「だよなぁ。それにキャットさんは現場監督だし……」

 

 どうだ?セーフか?似てるけど別人、で通るか?

 

 だが、電気屋のあんちゃんは、画面を拡大して呟いた。

 

「でもよ……見てくれよ、このパーカー」

 

 画面の中の「コンビニの妖精」は、着古した、厚手のグレーのパーカーを着ていた。フードの紐が片方だけ結ばれている、何年も着込んだ愛用品だ。

 

「このグレーのパーカーさ……」

 

 あんちゃんがゆっくりと顔を上げ、部屋の隅にあるハンガーラックを指差した。

 

「……あそこに掛かってる、キャットさんの私服と完全に一致しねぇか?」

 

 ――え?

 

 俺は凍りついた。ハンガーラックには、今朝俺が着てきて、作業着に着替える際に脱いだ「グレーの厚手のパーカー」がぶら下がっていた。

 

「で、見てみろって。右袖。多分これ汚れだよな? キャットさんのやつと凄い似てない?」

 

 そしてご丁寧なことに、右袖には、以前コーヒーをこぼした茶色いシミが、うっすらと残っている。

 

「んなわけ……」

 

 あんちゃんが画面をさらに拡大したようだ。

 

 職人たちが、スマホの画面を見た。

 

 そして、ハンガーラックのパーカーを見た。

 

 そして、俺の顔を見た。気持ち視線が猫耳に固定されている気がする。

 

 ―――沈黙。休憩所の空気が止まった。

 

「…………」

 

 あ。やっべ。

 

 これ、言い逃れできないやつだ。

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