朝起きたら猫耳の美少女になっていたが、肉球が邪魔でスマホのロック解除すらできない   作:灯火011

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本能の小銭拾い

 大都建設・現場事務所の休憩所。

 

 そこに漂っていた平和な空気は、電気屋のあんちゃんが再生した一つの動画と、ハンガーラックの「シミ付きパーカー」によって完全に消え去っていた。

 

 

 職人たちの視線が、スマホ、パーカー、そして俺(キャット・ワン)の顔を交互に射抜く。

 

「……あのさ、キャットさん」

 

 若手の鳶職が、ゴクリと唾を飲み込んで口を開いた。

 

「この動画の『コンビニの妖精』……あんた、だよな?」

 

「い、いやぁ〜。世の中には似たシミの服を着てる人がいるもんですねぇ。あははは……」

 

 俺は引きつった笑いを浮かべながら、後ずさった。だが、俺の猫耳はピーンと立ち上がり、尻尾は動揺でバッタンバッタンと床を叩いている。猫の生理現象は嘘をつけない。

 

「量産品ならともかく、そのシミの位置まで同じパーカーが二つあるかよ!」

「それに、あの人間離れした足場の動き……絶対にあんただ!」

「すげぇ! 俺たち、あの『バズり妖精』と一緒に仕事してたのか!」

 

 若手職人たちが一斉に立ち上がった。男たちの目が、獰猛な肉食獣、あるいは熱狂的なアイドルオタクのように輝いている。

 

「ちょ、待っ……!」

「キャットさん! 俺の安全帯にサインしてくれ!」

「一緒に写真撮って! ダチに自慢するから!」

「俺、わざと小銭落とすから、あの神速で拾ってみてくれよ!」

 

――ジャラジャラッ!

 

 誰かが本当に、床に100円玉や10円玉をぶちまけた。

 

「拾わねぇよ! 犬か俺は……っ!?」

 

 俺は叫ぼうとした。だが、その瞬間。床に転がる硬貨のキラメキと、甲高い金属音に、俺の中の「猫の本能」が爆発的に反応してしまった。

 

(あ、やっべ、これ勝手に―――)

 

 脳が制止するより早く、体が勝手に弾けた。

 

―――シュババババッ!

 

 俺の視界がブレる。残像を残すほどの前傾姿勢で床を滑り、肉球のクッションを活かして無音で硬貨を次々と捕獲していく。

 

 そして気づいた時、俺は元の位置にしゃがみ込み、両手一杯の小銭を抱えていた。所要時間、わずか2秒。我ながら見事なアクロバット小銭拾いである。――じゃなくて。

 

「……あ」

 

 俺はやってしまったと悟り、冷や汗を流した。

 

 プレハブ内は、一瞬の静寂の後。

 

「「「おおおおおおお!! すげぇぇぇぇ!! 本物だぁぁぁ!!」」」

 

 アイドルのドーム公演のような大歓声が爆発した。職人たちが俺を囲んで跳ね回り、口笛を吹き鳴らす。

 

「生で見れた! 動画より速えぇ!」

「やべぇ、感動して涙出てきた! キャットちゃぁぁん!!」

 

 俺は、迫り来るおっさんや若者たちの熱気に圧倒され、壁際まで追い詰められていた。数日前まで「犬飼監督」として一緒にタバコを吸っていたような、そんな職人連中に、熱狂的な眼差しを向けられているのだ。なんという地獄か。

 

「先輩! 逃げてください!」

 

 佐藤が俺を庇おうと前に出たが、あっさりと人波に飲まれた。もう駄目だ、もみくちゃにされる――!

 

「……いい加減にしろ、お前ら!!」

 

 その時、プレハブの空気をビリッと震わせる、地鳴りのような怒声が響いた。

 

 鉄筋班の親方、権田さんだ。パイプ椅子から立ち上がった権田さんの威圧感に、業者関係なく男共は一瞬で動きを止めた。

 

「昼休みにギャーギャー騒ぎやがって。遊びに来てんのかテメェら!」

 

「ご、権田さん……」

「いや、その、キャットさんが有名人だったもんで、つい……」

 

「有名人だろうが何だろうが、こいつはウチの現場の『監督』だ! ちょっかい出して仕事の邪魔すんじゃねぇ! さっさと自分の席に戻って、午後の段取りでも確認しとけ!」

 

 親方の絶対的な一喝。職人たちは「すんません……」とシュンとなり、小銭を受け取って蜘蛛の子を散らすように自分の席へ戻っていった。

 

 さすがは現場の重鎮。一言でこの騒ぎを鎮圧するとは。

 

「……権田さん。ありがとうございます、助かりました」

 

 俺が胸を撫で下ろして礼を言うと、権田さんは「ふん」と鼻を鳴らし、ドカッとパイプ椅子に座り直した。

 

「気にするな。ガキ共が騒ぎすぎただけだ。……キャットさん。ちょっと、こっち来な」

 

 権田さんに手招きされ、俺は恐縮しながら近づいた。何か、監督としての振る舞いについてお説教をされるのだろうか。

 

「あの、先ほどははしたない真似を……」

「いや、動画のことはどうでもいいんだがよ」

 

 権田さんは周囲をキョロキョロと見回し、若手たちが聞いていないことを確認すると、作業着の懐から「油性マジック」と、自分の「安全ヘルメット」をスッと差し出してきた。

 

「……え?」

「……うちの孫娘がよ。あの動画の大ファンでさ。毎日『妖精さん、妖精さん』ってうるせぇんだわ。だから……その。内緒で、ここに一筆頼めねぇか?」

 

 権田さんの日焼けした強面が、心なしか赤くなっている。マジかよ。親方、アンタもか。あのクソデカい一喝は、他の業者を退かせて自分が独占するためだったのか。でもまぁ、助かったし、な。

 

「……名前、なんて書けばいいですか」

「『みくちゃんへ』で頼む。あと、できれば猫のマークも添えてくれ。あ、あとついでに……写真も良いか?」

 

 俺は脱力しながらも、マジックを受け取り、いかついヘルメットの側面に『みくちゃんへ♡ キャットより』と書き、下手くそな猫のイラストを添えた。権田さんはそれを見ると、えびす顔になって

 

「おう、恩に着るぜ……!」

 

 とヘルメットを大事そうに抱えた。……なんだこの現場。

 

 でも、身元不明の不安や、DNA検査の恐怖を抱える俺にとって、この騒がしくて、どこか間抜けで温かい連中がいる場所は、間違いなく「俺の居場所」になりつつあった。

 

 

 だが、その温かい日常は、無情にも断ち切られる。

 

 午後15時。現場の巡回を終え、事務所に戻った俺と佐藤を待っていたのは、顔面蒼白になった坂本課長だった。

 

「……戻ったか、キャット」

「課長? どうしたんですか、そんな顔して。便秘ですか?」

「ふざけてる場合じゃねぇんだわ」

 

 課長は声を潜め、俺の肩をガシッと掴んだ。

 

「たった今、総務の松田から連絡があった」

 

 松田。……その名を聞いた瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。

 

「松田が……? なんだって言うんですか」

 

「『DNA検査の解析が終わった』そうだ」

 

 息が止まった。一週間かかると言われていた検査結果が、予定より早く出たのだ。

 

「明日、朝一番で『検査機関のラボ』に直接来てほしいとよ。松田と、高田部長、俺、そしてお前の4人だ」

 

「ラボに……直接?」

 

「ああ。書面で送れるような、単純な結果じゃなかったらしい。検査技師が、直接我々に説明したいとよ……。『彼女の細胞は、人間のものとは判定し難い』って話だそうだ」

 

 俺の頭の中が真っ白になった。ついに、恐れていた「科学の審判」が下る。ほぼ間違いなく、俺は人間ではないと証明されてしまったのだ。




※ちょいと疲れからか、筆が全く進まなくなりまして。今後数話はプロットを残してあるので更新は出来そうですが、もしかしたら数日間投稿が止まるかもしれません。申し訳ありません。
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