朝起きたら猫耳の美少女になっていたが、肉球が邪魔でスマホのロック解除すらできない 作:灯火011
翌朝。
都内にある民間最大の遺伝子検査機関、その無機質なVIP用カンファレンスルームに、俺たちは集められていた。
■
元請けからは高田部長、そして弊社からは総務の松田、坂本課長、そして俺(キャット・ワン)。
対面の席には、白衣を着た初老の検査責任者(ラボの所長)が、深刻な顔をして座っている。
「……単刀直入に申し上げます」
所長は、分厚い検査レポートをテーブルの中央に置いた。
「キャット・ワン氏の口腔粘膜から採取した細胞を解析しました。結論から言いますと……彼女のDNAの約30%は、ヒト(Homo sapiens)のものではありません。完全に『イエネコ(Felis cats)』の塩基配列と一致しています」
室内の空気が、完全に凍結した。
所長はメガネの奥の目を細め、俺を……いや、俺の頭でピクピク動く猫耳と、椅子の隙間から垂れ下がる尻尾を見た。
「つまり、そのお耳も、尻尾も、コスプレの作り物などではない。あなたは生物学上、人間と猫の遺伝子が融合した『キメラ(異質倍数体)』です。……信じられませんが、科学的な事実です」
「なっ……!?」
松田が絶句し、立ち上がった。常に冷静な彼女が、初めて見せる狼狽だった。
「バカな……! 人間ではない? では、彼女は『動物と人間のハイブリッド』だとでも言うのですか!?」
松田の鋭い視線が、俺を貫く。
――終わった。
やっぱり、現代科学の目は誤魔化せなかった。俺は「人間(犬飼剛)」としての居場所を、完全に失ってしまったのだ。
「松田さん、お待ちください」
絶望に沈む俺の前に、スッと立ち塞がった背中があった。坂本課長だ。課長は額にべっとりと汗をかきながらも、その表情には奇妙な「覚悟」が宿っていた。
「……やはり、隠し通せませんでしたか」
「坂本課長?」
松田がいぶかしげに眉をひそめる。課長はゆっくりと振り返り、俺に対して悲痛な、とはいえ、長年付き合っている俺には演技と判る目を向けた。
「キャット。もういい。もう、隠さなくていいんだ」
「えっ……?」
課長は深くため息をつき、松田と部長、そして所長に向き直った。
「実は彼女が、戸籍を持てない本当の理由がこれなんです。……彼女は、生まれつきの『特異体質(突然変異)なんです」
――なるほど。そうきたか。
つまり、課長のハッタリ劇場が幕を開けた。乗るしかねぇ。
「物心ついた時から、この耳と尻尾があった。世間は彼女をどう見たか、想像できますか?化け物、キメラ、見世物……。好奇の目と差別に晒され、両親すら彼女を隠すように育てた。だから出生届も出されず、彼女は社会の陰で、人間としての尊厳を奪われて生きてきたんです!」
俺はわざとらしく目を見開いた。それはまるで、知られたくなかったことを初めて他人にしられたような、驚きの顔―――なんてものをイメージして。
(いやー、にしてもすげぇな坂本さん……!俺が昨日まで38歳のおっさんだった事実を完全に隠蔽しつつ、今の状況に完璧な『悲劇の裏設定』を乗せやがった!痺れるぜ)
俺と目が合った課長は、軽く頷くと、さらに声を震わせ、熱演を続ける。
「あんまり大っぴらに言える話じゃないでしょう?だから俺は、個人的に彼女を保護し、現場で面倒を見ていた。この耳も尻尾も……彼女が背負ってきた、深い悲しみと傷跡なんですよ……っ!」
静まり返る会議室。
松田は完全に言葉を失っていた。コンプライアンスの鬼である彼女にとって、「個人の究極的なコンプレックス・先天的特異体質による差別」というテーマは、踏み込めば特大の『人権侵害』になりかねない地雷だ。
「さ、坂本くん……君は一人で、そんな重い十字架を背負って……」
高田部長が、ハンカチでボロボロと涙を拭っていた。部長の「推し活脳」が、見事に「悲劇のヒロイン保護活動」へとシフトチェンジした瞬間だった。
いや、あんたも大概お人好しすぎるよ?ちょっと罪悪感湧いてくるから。もうちょっと疑ってもいいんだわ?という俺の気持ちは露知らず。
高田部長は更に、勝手に、大盛り上がり。
「なんという悲劇だ……! ええい、DNAが人間じゃない? それがなんだ!!」
部長がバンッ!とテーブルを叩いて立ち上がった。
「我々、大都建設の企業理念を知っているか! 『多様性(ダイバーシティ)の尊重』だ! 猫の遺伝子が混ざっていようが、彼女の心は立派な人間だ! いや、むしろSDGsの観点から見ても、我々は彼女のような社会的マイノリティこそを率先して守り、雇用すべきなんだ!」
(多分それ違います部長。元請けさんの会社のソレは多分、人種とか性別とか、環境問題とかそういうやつ! 都合良いけど! なんか心痛むなぁ!)
完全に理屈が飛躍しているが、部長の勢いは止まらない。
「―――松田くん! 彼女のDNAデータを理由に採用を取り消すなら、それは明白な『遺伝子差別』だ! 我が社のコンプライアンスに関わる重大なインシデントになるぞ!」
「うっ……!」
松田が怯んだ。論理のすり替えだが、大企業の総務として「差別」という単語は絶対に避けたいワードだ。
「……分かりました。生物学的な分類はともかく、彼女が『人間として生活している』という坂本課長の証言と、部長の強い意向を受け入れます。このDNA検査の結果は、彼女の『極めてセンシティブな個人情報(特異体質)』として、最高レベルの機密扱いで封印します」
松田がバインダーを閉じた。
――勝った。
坂本課長の機転と、部長の「暴走する善意(SDGs)」が、論理の壁と科学の壁を粉砕したのだ!俺と課長は、視線だけで固い握手を交わした。
これで晴れて、会社側の問題はクリアだ。あとは戸籍を作るだけ――。
「――お待ちください。企業としてのアプローチは、それで結構ですが」
不意に、黙っていた検査機関の所長が、重々しい口を開いた。
「科学者としては、この事実を『プライバシー』という言葉で闇に葬るわけにはいきません」
「ん? ……どういう意味ですか?」
課長が警戒を強める。
「彼女の存在は、人類の生物学の歴史を覆す大発見です。なぜ拒絶反応が起きず、人間と猫の細胞が共存しているのか。私はこの結果を、国の研究機関――厚生労働省の特別遺伝子研究所に『報告』したいと考えています」
ピシリ、と。俺の全身の毛が逆立った。
「く、国に報告……?」
「はい。これは国家レベル、いや、世界レベルで研究・保護されるべき存在です。今後の彼女の安全、それは例えば、医学的なフォローのためにも、国庫の予算をつけて、徹底的な解剖学的・細胞学的な精密検査を行うべきです」
所長の目が、科学者特有の狂気を帯びて光っていた。
精密検査。国家機関。つまりそれは、モルモットということか?
思わず俺はガタガタと震え上がり、隣の坂本課長にすがりつこうとした。
「か、課長! 冗談じゃにゃい! 俺は解剖にゃんて……!」
「……待て、キャット」
だが、俺を制した課長の目は、なぜかギラギラと妖しく光っていた。修羅場をくぐり抜けてきた、現場監督特有の「悪知恵」が働く時の目だ。
「……所長さん。一つ、確認させてください」
課長は身を乗り出し、声を潜めた。
「国が彼女を『保護』し、『研究対象』として予算をつける。……ということは、国は彼女の存在を『公的に認める』可能性が高い、ということですね?」
「え? ええ、まあ。未確認生物の保護という名目になるかもしれませんが……」
「ならば」
課長はニヤリと、極悪人のような笑みを浮かべた。
「国家の権限で、彼女に『戸籍』と『身分証』を用意できるんじゃないですか?」
「……は?」
所長がポカンと口を開けた。松田も高田部長も、俺も、全員の思考が停止した。
「研究対象なら、管理番号なりIDなりが必要でしょう。彼女は今、身分証がないせいで大都建設の正社員になれず困っている。……取引しませんか、所長さん。彼女のデータを国に提供し、定期的な検査(モルモット)にも協力する。その代わり、国から彼女に『人間としての戸籍』を発行させ、社会で生活させる。超法規的措置でね」
――ッ!!
俺の頭の中で、落雷のような閃きが走った。
そうだ!真正面から裁判所で戸籍を作ろうとすれば、何年もかかる。だが、相手が「国」なら? 国家権力という最強のチートを使えば、マイナンバーカードだろうがパスポートだろうが、一発で発行できるんじゃないか!?
「ちょ、ちょっと待ってください! 戸籍の発行など、そう簡単に……! それに、社会に出すにはいろいろと懸念事項が……!」
「国の大発見なんでしょう? それに、既に我が現場では上手くやってくれています。それくらいの便宜は図ってもらわないと、きっと、彼女は保護を拒否して失踪しますよ。私の手を離れてね? そうだろう? キャット」
課長がヤクザ顔負けの交渉術で畳み掛ける。
俺は震えを止め、姿勢を正した。怯えている場合じゃない。血液でも唾液でもくれてやる。それで「犬飼剛」に代わる、新しい「俺」の身分証明書が手に入るなら、安いもんだ!
俺はテーブルに両手を突き、所長に向かって猫耳をピンと立てて宣言した。
「そういうことにゃら、話に乗りますよ! 定期検診でも体力測定でも、なんでもやってやります! だから、俺に『仕事』と『戸籍』を寄越せにゃ!!」
企業、科学、そして国家。
圧倒的な力を持つ壁に対し、猫娘(中身おっさん)の現場監督と、ポンコツ課長は、己の生存本能と図太さだけで「裏取引」を持ちかけたのだった。