朝起きたら猫耳の美少女になっていたが、肉球が邪魔でスマホのロック解除すらできない   作:灯火011

8 / 24
佐藤の疑惑と、沈黙のドア

 佐藤との「テレワーク共犯関係」が板についてきたある日の午後。

 

 俺は、新たな平和的解決策を見出していた。何のって?

 

 高級マカロンの扱いについて、だ。

 

 元請けの高田部長から貰ったあのマカロン。甘すぎて俺の舌には合わなかったが、捨てるのは忍びない。

 

 そこで俺は、ブラックコーヒーを濃いめに淹れ、チビチビとかじりながら食べるスタイルを確立した。

 

 苦味と甘味のハーモニー。なるほど、これが「ヌン活(アフタヌーンティー)」というやつか。悪くない。

 

 

 

 ……………このぐらいの現実逃避は許されるだろ?

 

 

 俺は優雅にマカロン(ピスタチオ味)を齧りながら、タブレットで図面をチェックしていた。現場は順調だ。佐藤からの報告も完璧。俺が現場にいなくても、現場は回っている。少し寂しいが、これはこれで「隠居した会長」のような趣がある。

 

 ――ピンポーン。

 

 不意にチャイムが鳴った。俺はマカロンを喉に詰まらせかけた。時刻は15時。モニターを覗く。

 

 佐藤だ。なんだ、また来たのか。現場はどうした。

 

 俺は口元のマカロン屑を拭い、不機嫌な妹モードで通話ボタンを押した(今回は肉球で優しく)。

 

「……何よ。また来たの?」

 

『すみません、妹さん。佐藤です』

 

 画面の中の佐藤は、少し強張った顔をしていた。手には、有名洋菓子店の紙袋を持っている。

 

『先日、部長を追い返してくれたお礼に……プリンを買ってきました。妹さんと、もし犬飼先輩が食べられそうならと思って』

 

 プリン。

 

 また甘いものか。俺を糖尿病にする気か。だがまぁ、佐藤の気遣いだ。無下にはできないな。

 

「……そこに置いといて」

 

『あ、はい。……あの、妹さん』

 

 佐藤が食い下がった。いつもなら「失礼します」と帰るはずなのに、今日は足が動かない。

 

『犬飼先輩は、起きてますか?』

 

「寝てる。昨晩も咳がひどくて、やっと寝ついたところ」

 

 俺はいつもの嘘をついた。完璧な言い訳だ。だが、なぜか今日の佐藤は引き下がらなかった。

 

『……そうですか。あの、妹さん。変なことを聞きますが……先輩、本当にそこにいますか?』

 

 ドキリとした。心臓が早鐘を打つ。俺は努めて冷静な声を装った。

 

「は?……何言ってんの。いるに決まってるでしょ」

 

『……ですよね。すみません』

 

 佐藤は俯いた。だが、その表情は納得していない。彼は顔を上げ、モニター越しに俺(のいるドア)をじっと見つめた。

 

『実は、アパートの管理人に聞いたんです。「205号室の犬飼さん、最近全く見かけない」って。ゴミ出しも、買い物も、若い女性(妹さん)がしているようだと』

 

 げ。見られてた。……管理人のババアか!朝のゴミ出し、フードを目深に被ってコソコソやっていたが……余計な事言いやがって。

 

『それに、僕、ここに来るたびに思うんです。静かすぎるんです。犬飼先輩は、いびきがうるさいし、寝返りも激しい。起きている時はテレビをつけて野球中継を流しているし、タバコも吸う。……でも、この部屋からは……生活音が全く聞こえない』

 

 佐藤の声が震えている。

 

『妹さん。本当に、先輩はご無事なんですか?メールの指示は的確です。でも、あれは本当に先輩の言葉なんですか?もしかして……先輩はもう、亡くなっているんじゃ……』

 

「…………ッ!」

 

 いやいやいやいや、佐藤め、現場ではそんなことないくせに、こっち方面の想像力が豊かすぎるだろ!普段からそのぐらい目配せしとけって!―――じゃねえ!

 いや、確かにそうだ。状況証拠だけ見れば、「妹が兄の死を隠蔽し、年金か何かを不正受給しながら、兄になりすましてメールを送っている」というサスペンス劇場そのものだ。佐藤の目には、俺が「兄を殺して埋めたサイコパスな妹」に見えているのかもしれない。

 

 こーれはマズいよ。ここで「生きてるわよ!」と口で言うだけでは、疑惑は晴れない。だって女の子だもん!中年のおっさんじゃねーもん!俺だって佐藤が美少女になったら絶対信じないもん。鬼瓦部長が美少女になっても意味わからんっていうもん!

 

 ……なにか、なにか証拠を見せなければ。だが、姿は見せられない。声も出せない(女声だから)。

 

 いーやこれどうする?犬飼剛がそこにいるという証明。俺は部屋を見渡した。何か、親父くさいアイテムは……ない。断捨離しすぎた。

 

 そんなことをしていると、佐藤が、意を決したように言った。

 

『……確認させてください。ドア越しでいいんです。先輩の声を、一言でも聞かせてください。もしそれが出来ないなら……僕、警察に相談することも考えてます』

 

 警察!?やめろ、大事(おおごと)にするな!警察が来たら、身分証の提示を求められる。「犬飼剛です」と言って、猫耳美少女が出て行ったら、そのまま研究所送りか、精神病院送りだ。

 

 ああくそっ!こうなりゃあ音だ。音を出せ。「犬飼剛らしい音」を!

 

 俺は部屋の隅にあった、通販健康器具(腹筋ローラー)を蹴り飛ばそうとした。いーやまてまて、それではただの物音が鳴っただけにすぎん。とても犬飼が居るとは言えねぇ!

 

 もっと、人間らしい、おっさんらしい音……。

 

 俺は、テーブルの上のコーラの空き缶(500ml)を掴んだ。そして、思い切りゲップを出そうと……いやいやいや、美少女の体だから可愛い音しか出ない。

 

 焦る俺の目に、テレビのリモコンが入った。そうだ、テレビだ!俺はリモコンを掴み、電源ボタンを押した。大音量で時代劇か何かを流せば、「ああ、テレビ見てるんだな」となるはずだ。

 

ポチッ。……シーン。

 

 つかない。電池切れか!?ああー!くそっ、そういえば先週からテレビの調子が悪かったんだ!

 

『妹さん?どうしました?』

 

 佐藤が不審そうにドアに耳を近づける気配がする。そして、鍵を取り出す音すらもした。

 

 ―――万事休す。俺はパニックになり、とっさに自分の身体能力(猫)に頼ってしまった。

 

 俺は壁に向かって、全力で爪を立てた。

 

ガリガリガリガリッ!!!バリバリバリッ!!

 

 壁紙が剥がれる音。石膏ボードが削れる音。凄まじい騒音が響き渡る。

 

『ひっ!?』

 

 外で佐藤が悲鳴を上げた。

 

 俺はハッとした。違う。これは「おっさんの生活音」じゃない。「巨大な獣が暴れる音」だ。

 

 静寂。

 

 ドアの向こうで、佐藤が息を飲む音が聞こえる。

 

『……い、妹さん。今のは……?』

 

 俺は冷や汗をダラダラ流しながら、必死に言い訳を考えた。苦しい。あまりに苦しいが、言うしかない。

 

「……あー、兄貴が、痒(かゆ)いって。背中かいてやったのよ。孫の手で」

 

『孫の手で!?壁が削れるような音がしましたけど!?』

 

「兄貴、背中の皮が厚いのよ。じゃあね、薬塗るから!」

 

 ブチッ。俺は一方的に通話を切った。心臓が破裂しそうだ。

 

 そうして、外の気配を探る。佐藤はしばらくドアの前に立ち尽くしていたようだが、やがて重い足取りで階段を降りていった。

 

 帰った。なんとか今は逃げ切った。だが、根本的な解決はしていない。今の音で、疑惑は「死亡説」から、もっと別の「何かヤバいことが起きている説(監禁?拷問?)」にシフトしただけなのが容易に想像がつく。いやこれどうすんべ。

 

 俺は壁に残った無惨な爪痕を見つめた。敷金が……いや、そんなことより、ほんとにどうすんべ??

 

 と、その時。スマホが震えた。佐藤からのメールだ。

 

『先ほどは失礼しました。プリン、置いておきます。……妹さん。もし、何か事情があるなら、僕に話してください。借金取りに追われているとか、言えないトラブルがあるなら、力になります。僕は、犬飼先輩と、妹さんの味方ですから』

 

 文面から滲み出る、深い懸念と優しさ。佐藤は、俺たちが「犯罪かトラブルに巻き込まれている」と確信している。

 

「……追い詰められたな」

 

 俺はマカロンの残骸を見つめながら呟いた。このまま「妹」の設定で逃げ切るのは、もう限界かもしれない。次に佐藤が来るとき、あいつは「お見舞い」ではなく、「救出」に来るだろう。

 

 その時、このドアは開かれる。

 

 俺は覚悟を決めなければならなかった。佐藤に、この姿を見せる覚悟を。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。