嫌われることして生きていく 作:新芽
無駄に大きな乳房が視界の端に映ると同時、急速に迫ってくる。鬱陶しさを覚えつつも反射的に手で払えば──ジャストなパリィによって乳房が停止する。
「暑苦しい──あと普通に気持ちが悪い」
無駄に大きな乳房の持ち主である一番上の姉に向かって、そう口にする。
姉弟が手を繋いだり、抱き合ったりするのはお互いに小学生までが限度だろう。こちらはまだ小学生にあたる初等科の4年生とはいえ、姉はもう中学生にあたる中等科の3年生。成熟を間近にした異性の血縁者の肉体は無味無臭のウンコみたいなもので、なるべくなら触れたくないし触れたくもない。
だというのに彼女はこちらからの拒絶の言葉を受けても笑顔を浮かべていらっしゃっる。
「フフ、ごめんね
ついじゃあない。
「……で、なにか用? 用がないならどこか行ってよ」
気分を変えるべく足を向けた天井が怖いくらいに高くて、窓も縦に異様に長い空間。日当たりがよくて落ち着ける居間に足を向けたのが失敗だった。
比較的足の短い机の上には夏休みの宿題を片付けるべく開かれたままのドリル群。小学生向けのものにしては量が多く、質にしても高い気がする。長いことサボっていたというのもあってか、そろそろ尻に火がついてきた夏の終わりは懐かしくもあるけど、正直なところ面倒が勝る。
「宿題、手伝ってあげようかなって、ね?」
「ふーん……」
視線だけじゃなく体の向きも変え、姉と正対する。隣に座し、こちらの顔を覗き込んでくる姉の顔をマジマジと見て思う。父の特徴を受け継いだマイルドでいて端正な犬っぽい顔立ち。母とは違って他者に緊張を強いないだろうその顔面は、なにかと得をすることが多いだろう。
「どうかな? まだたくさん残ってるのよね?」
「そうだけど、量が多いだけでわからないわけじゃないよ」
が、このマイルドな犬面に騙されてはいけない。記憶を辿れば優しい姉であるという印象が大半を占めるものの、深くまで掘り進めていくとわかる。
彼女の言動はおかしい。
姉は弟に尽くし、弟は姉を頼り続けるべき。それは一生続くもので妻帯した後も変わらないもの。可能な限り寝食を共にし、風呂にも一緒に入るべきで一人寝もなるべく控えるべき。そんな歪な彼女らにとっての常識を物心ついた頃から聞かされ実践され続けたこの肉体の元の持ち主は当然のように重度のシスコンを装備していた。
だけど今の俺は度を越したシスコンは生理的に受けつけないのでシスコンは脱着済みである。
ちなみにこの肉体にはマザコンも当たり前のように初期装備に含まれている。まあ、これは男である時点で外せないので仕方がない。マザコンはセーフだアウトだという次元じゃない。基本的には呪いの装備だから外れないし外すなんてとんでもない。
「そう? でも量が多いのならそれはそれで大変じゃない?」
「そうだね、ならこの英文の──」
姉からの甘言に対し、重度にして高度に柔軟にシスコンを拗らせていたがゆえに意思に反して肉体及び言語野の一部が制御下を外れてしまう。反射でシスコンを拒絶できる場合もあれば、こうして自動的に反応してしまう場合もあるのが憎たらしい。
が、元の肉体の持ち主たるちんちくりんの精神に負ける俺じゃあないので、寸でのところで意思を捻じ曲げることも可能だったりする──2、3日前から。
「いや、うーん……そこまで言うなら、でも……うん?」
「え? なになに? 手伝ってもいいの?」
姉が浮かべていた笑顔。それが攻撃的なものに変わった気がする。同時に流れに乗っているつもりなのか、肩に手を伸ばしてきたのでその手を払いのける。
「別のことで手伝ってもらうよ。あ、先に言っておくけどお風呂じゃないからね。それと一緒にも寝ないから」
「チガウ……どうして、ヤッパリおかしい。原因はアルはず。変わりすぎ。ダメ。戻す。ドウする。方法。アレが不在。今のうち。外的な──」
唐突に呪詛めいた意味不明な言葉を吐き出す姉。
会話の流れを無視したその振る舞いには普通ならドン引きする場面なのだろうけど、連日に渡って連発されると慣れてしまう。原因はほぼほぼ俺の態度の急変にあるのだろうけど、知ったこっちゃあない。ヘラったところでまだ少女と言える年代の姉は成体にして呪いの装備たる母とは違うのだから。
「聞いてる?」
「ウん。手伝って欲しいことってナニかな?」
ナニを強調していることはあえて無視する。
「その話の前に次、入浴してるところを覗こうとしたり、部屋に忍び込もうとしたら……お母様に言いつけるから。
姉以上のガチの本物。成体のシャチを宿したような上位互換の母。彼女のその冷徹なシャチ性を向ける相手に俺は含まれていない。
なぜなら男が少ない世界にあって、我が家に一人きりの男児という立場に俺はある。
姉のみならず母も当然俺を、それこそ腹の中にいた頃から溺愛していたそうで、生後にしても求める必要すらないほどには、求める前に常に与えられてきた記憶がある。そんな環境にあったからか齢10にしてこんな憎たらしい面構えになっているんだろうけど、こちらの世界では男は甘やかされるのが当たり前である。
なぜなら近代以降、男児の出生率が目に見えて下がりはじめたから。現代に近づくにつれてその減少ペースは下げ止まらず、最近はもう種の存続に関わるほどに。きっかけは明確だけど、なぜ、どうしてそうなるのかという具体的な因果関係が未だに不明。最近は諦めムードが出始めていて、クローン技術や遺伝子研究による活路を見出す向きもあるそうな。
ともかく現在進行系で男の価値が上昇中ならば、マザコン御用達の「ママー! 助けてー!」は、ほぼ無敵となる。更に我が家だけなのかもしれないけど、同じ腹を痛めて産んだ子であっても男女によって接し方には明確な差がある。とくに母による子らへの接し方の差は激しく、4人いる姉らはここって昭和時空? と聞きたくなるほどの扱い方をされる。
直接的な暴力を振るわれるようなことはたまにしかないけど、数多くの習い事を強制されていて大変そうだ。剣技に体術、実弾を使用しての射撃訓練にヨガといった肉体を酷使するような習い事は本当に辛そう。姉らに母自ら教えを施すこともあって、わりと手加減なしで絞られている。
そんな訳で今まで咎められることがなかった行為でも俺が否と主張すればそれが通る。母にならとくに通る。必ず。
「気をつける。すごく。もうしないと誓う。ごめんなさい──次からは、うん」
だからこそだろう。笑みを浮かべていた姉は顔から一切の感情を消し去っている。母が俺を溺愛し、優遇し、黒いものでも白と主張すれば白にするということをこの姉はよく知っている。
ただ、別に俺は姉をイジメたいわけじゃあない。
「わかってくれたならもういいよ。で、手伝って欲しいのは──」
「はい! なんでも言って! あ、ください!」
「うん……雨姉さんって料理得意でしょ? 敬老の日になにか作ろうかと思ってて。だから手伝って」
俺の言葉を受けてか、すぐに笑顔を取り戻す姉。そもそも母に言いつけるだなんて嘘だ。
「空くんが、ですか? 本当に?」
「うん、簡単なものしかできないだろうけど」
過度な接触や自室へ無断で入ってくるのはまだしも、覗きはラインを超えている。家族間でなくば普通に犯罪行為だろうし、笑って許せる類のものじゃない。
なので母にはとっくに伝えてある。
不快であるし、止めさせてくれとの訴えをしっかりと。忙しい身である母だけど、そのうち時間を作ってくれることだろう。
□
この肉体の元の持ち主の最後の記憶は季節外れの海亀の産卵シーンを観察しているというもの。具体的には深夜、離島にある別荘の自室から海辺を眺めていたところ、海亀がノソノソと登場してポコポコしだした時のものだ。そんなレアな光景に深夜テンションなのも手伝って興奮したのが拙かった。
窓越しじゃなくて肉眼で海亀を見ようと思い立ち、窓を開けたところで防犯用の警報音が鳴り響いた。あまりの大音量の警報音に驚き、その拍子に足を滑らせ転倒。強かに頭を打ち、意識が混濁していくところまでは思い出せる。
目覚めたときには前世の記憶を思い出し、主人格まで塗り替えられてしまっていた。転生に近い形で人格が入れ替わったわけだけど、問題があった。まず、ここは前世で知る世界とは少しどころか歪に過ぎるのがマイナス要素だろう。即座に自身に影響があるかは不明なものの、今後は色々と齟齬が生じるに違いない。
でもそれだけでは明確に悪いとは言えない。
最大の問題は自身の頭上に浮かぶ血で書かれたような赤黒い数字──『9 340 12』。これらがなにを意味するのかを、どういうわけだか理解していた。経緯であるとか理由がわからないのにだ。機能だとか仕様なんかは完全に把握しているという不思議な感覚。
9は年数で、340は日数、12が時間。9年と340日と12時間が自分に残された『寿命』。
この肉体の年齢は夏のはじめに10歳の誕生日を迎え、今は夏の終わりが目前。ちょうど20歳で寿命が尽きてしまう計算で、これが自身の幻覚であれと何度となく祈った。でもそれが無駄だとはっきりとわかってしまう刻み込まれた記憶が憎たらしいったらない。
呪いとしか思えない残りの寿命が視えるという不思議な事象。なぜだかそれが『転生特典』であり、自身が望んだものっていうファックな事実。誰に怒りを向ければいいのかわからなくなるし、前世の自分がどうしてそう望んだのかも酷く朧気でそれがまた無性に腹が立つ。
「若死にを回避せんことには、なんにも始まらないのがなぁ」
回避する方法も知っている。それが一番のネックで、特典とは言えない一番の理由でもある。
「嫌われないと死ぬって──妖怪かな?」
厳密には嫌われることで寿命が伸びる、だけども。でもまあ、どちらにしろ嫌われないと20歳で死ぬことに違いはない。具体的に誰にどれだけ、何人に嫌われる必要があるかまで把握している。
まず嫌われ具合ってのは数値には表せないけど、感覚で理解している。対象となる人物と食事を共にすることや自動車などに同乗するのは積極的に避ける。学校や職場が同じであれば退学や退社まではしなくとも、会話することを積極的に避けるし、陰口をバンバン叩く。対象がテレビや映画、動画等に登場するような人物なら視聴を止めるし、そもそもはじめから観ない。
もしくはその対象が新聞や雑誌等で執筆もしくは特集記事などで掲載されているとわかれば読み飛ばすといった具合だ。
嫌いを超えて恨みを抱いたり、殺意を覚えるところまでではない。あとゆるーくアンチ的な活動をする人たちの大部分も嫌ってくれる数に入る。
で、俺のことを嫌ってくれる人がひとりにつき寿命がどれくらい伸びるか。これは各人でばらつきがあるけど、概ねひとりにつき10時間前後という非常にしょっぱいもの。どこかで変心し、嫌いから反転して無関心もしくは好意を抱かれてもダメ。
正しく嫌いという感情を抱き続けてもらっている間だけ、ひとりにつき10時間ほど寿命が伸びる。仮に70歳まで生きようと思えば約4万人に嫌われて
「一般人のままじゃあ無理ゲー」
最初に頭に浮かんだのは政治家だった。だけどこちらの世界でも10代は当然として、20歳でも被選挙権がないようで候補からすぐに外れた。
なら政治家に迫るような知名度という点で、大々的に報道されるような犯罪者になって嫌われまくるというのも浮かんだりしたものの、これは本末転倒。まず家族に迷惑が掛かる上に嫌われるよりも疎まれる割合が高いだろうし、他人事であることからすぐに無関心になってしまう。
あと大々的に報道されるようなレベルの犯罪者なんて不自由と死という巨大なリスクがセットでくっついてくる。そもそもそれを実行するには特殊な精神構造だとか、振り切ったゴミな性根であったり反吐が出るような鬼畜でないと無理だし、そんなモノにはなりたくもない。
政治家や犯罪者路線はなしとなると、どうすべきか。
「なら真逆の路線で人気者、とにかく有名人になんないと……ワンチャン政治家に転向も可能だし」
ぶつくさと独り言を口にしつつも、目の前には自室の学習用の机の上に山積みにされたままの終わりの見えない宿題の数々。今後どうすべきかと、最近はこうして悶々と考えていたからか中々に手がつかない。
──不意に小さな閃きを得た気がする。
すぐさま机の引き出しを開く。男も女同様に幼い頃から身だしなみを気にするこの世界。鏡のひとつやふたつは小学生男子であれば100%持っている。
当然この肉体の持ち主の机にも鏡が何枚か収められていて、適当な手鏡を掴み取る。
「顔だけはほんとイイんだよなぁ」
相変わらず頭上に浮かぶ寿命カウンター。それを無視して意識を顔に向ける。父のように各種パーツがきっちりと左右対称で、非常に整った顔立ち。さらには祖父から継いだ特性も加わって現実離れしたファイナルファンタジー感がすごい。
おそらく男女比が歪ではない前世でさえ楽勝ムードの人生に包まれているレベル。ただし、性根が顔に出てしまっているっぽいのが玉に瑕。整っているのに不思議といけ好かない印象を与え、酷い裏切りや仕打ちをやりそうな顔をしている。
性根に加えてナルシストなドラ息子成分も含有されているからか非常に憎たらしい。将来は間違いなく大学のヤリサーでポコチンを振り回しているだろう。
偏見に聞こえるかもしれないけど、今や自分自身の容姿だからこそ断言できる。
こいつがもし前世の世界に生きていれば、このまま歳を重ねて絶対に節操なしにやらかしていたはず。
地方出身の女子大学生だけじゃなく、他校の学生まで標的にして。当然高校生であっても手を出すタイプだろうし、合法な葉っぱなんかタバコ感覚で嗜む。不法に入手した危険な薬を平然と他者の飲食物に盛るだろうし、それを自慢さえする。
「とはいえ、結局この顔も武器っちゃ武器だし」
いっそのことアイドルやタレントでも目指そうか。顔のみならず、家は超がつく資産家というか、財閥だから支援はしてもらえるだろう。
いや、でもアイドルやらタレントになって知名度を得て、嫌われムーブも同時に熟すって現実的だろうか? 定期的にテレビや映画に出演できるまでになれたとして、嫌われムーブを都度やってしまう奴を使う側はいるのだろうか?
前世にて爆散し続けていた2世タレントを思い浮かべるに、家の支援を受けられたとしても限度というものがある。
それに我が家は芸能関係に強いわけではなく、生業は主に海運に人材派遣っていう芸能関係とは近そうで近くなさそうな業種が主体。
仮に使ってもらえるとして、もし自分が使う側であるなら編集の段階で不適当な部分をばっさりとカットする。編集されないよう常に嫌われるような言動を繰り返していたらコミュニケーションなんて取れないから、それをされたら対抗できない。
生放送だとかなら、あるいは……ダメだ。嫌われムーブを繰り返す奴なんて結局使ってもらえなくなる。
そもそもタレントとして成功し、継続して露出し続けること自体が難しすぎる。家のコネを駆使して芸能事務所に所属できたとしても、それだけで売れっ子になれるほど甘い世界でもないはず。
前世でも長年メディアにて活躍していた彼ら彼女らは一握りの選ばれた者たちだったと思うし、それを自分も、それも重しを背負った状態でやり遂げるなんて現実的じゃない。
「タレントやらは無理となると……あっ」
使ってもらう側ではなく、能動的に動けそうなネットを介した動画投稿だとか配信は?
タレントとしての成功より、こちらのほうが簡単だとは思わない。たぶんどちらも超えなきゃならないハードルは高い。実力は当然として運の要素だとかも必須で、常に競争に晒されるような世界。
ただしテレビ等のメディアと違ってほとんど他者を介さないでも活動できるという利点がある。プラスして相応に自由度は高そうという利点も。
嫌われムーブ程度であれば投稿や配信をする場であるサイトの規約に引っ掛かることもないだろう。
でも人の目に触れる機会でいえば、やっぱり弱い?
この世界は、国内外問わずネットよりもテレビをはじめとするマスメディアのほうがまだまだ断然強そうな気配がある。でもまあ前世と比べ、こちらの世界は近代以降がとくに違いが目立つし宿題はほっぱらかして、ちょっと調べてみよう。
まずはすぐに調べられそうなネット上に投稿されている動画を確認してみよう。
携帯端末を操作して最大手っぽいNicoTubeという動画共有サイトにアクセスして視聴回数の多い動画を順に並べてみる。
「えーっと、ああこれ歌ばっかだ。なら10分以上に絞って……マジか……いや、マジかぁ」
上位に並ぶ投稿された動画はゲーム実況や漫画やアニメの二次創作と思われるものが半数ほどで、違法アップロードされたであろうテレビ番組やアニメ、映画も少々。
あとは実写系で、規約に引っ掛からない範囲内のエロを押し出したものが目立つ。目を逸らしたくなるそれらは内容を見ずとも肌色率の高いサムネイルとタイトルで察しがつく。
一応、適当に選んだ動画を再生してみるも、やっぱり内容は想像していたとおりのもの。
「クソ……歪んだ部分はこんなところにも……」
男──主に男子アナやアイドル──が提供させられてしまったハプニング系の女向けのエロ。それがこの世界のトレンドで定番のコンテンツくさい。
男女比が1:10じゃあ、こんなことになってしまうのかもしれない。歪といえば他にもあって、動画を再生せずともサムネイルを見ただけでわかる。男が極端に少ないせいで競争による淘汰が温すぎてか、エロを提供させられてしまった男の顔面偏差値が極めて低い。
記憶が確かならお茶の間を賑わせるアイドルをはじめ、俳優や歌手の男の顔面も雰囲気イケメンのイモ率が高かった気がする。
となると……金も職も奴隷根性すら持ち合わせない、持たざる男ですらここでなら女友達くらいなら作れそう。
女にとっては地獄で、男にとっては優しい世界。
だったら俺にもなれるかもしれない。
良質なおかずってやつに。