転生モブ、ディストピア世界で指揮官になる 作:模範的アーク市民
口の中に広がる鉄の味。内臓が焼け付くように痛む。目が覚めた。
(……クソ。生きてるか?)
身体が悲鳴を上げている。
肋骨が何本かイカれているのだろう。呼吸のたび、肺に鋭利なナイフを突き立てられるような激痛が走る。
(……静かだ)
洞窟の中は、死んだように静まり返っていた。
外は猛吹雪だが、分厚い岩壁に守られた内部には風の音も届かない。
耳に届くのは、ポータブルヒーターの低い駆動音と、仲間たちの寝息だけ。
ヒーターの熱線コイルがぼんやりとオレンジ色に光り、凍てつく空気をわずかに温めている。
ヒーターの特等席には、イヴが丸くなっていた。
生身の人間である彼女は、疲労と寒さで気絶するように眠っている。過酷な戦場とは思えない、無防備な寝顔。
その周りで、アニスとネオンも泥のように眠る。
そして、入り口に一番近い場所で壁に背を預けるラピ。
彼女も目を閉じ、規則正しく寝息を立てている……ように見える。
だが、分かる。抱えたアサルトライフルのグリップを握る指。わずかに力が篭もっているのが見て取れた。
(……さすが優等生、警戒は解いてないってわけだ)
心の中で苦笑する。俺やイヴを休ませるための見張り番。その気遣いがありがたい。
だが、そんな静寂を破るように、動く影が一つ。
純白のマント。身の丈ほどもある巨大な対艦ライフル。
スノーホワイトだ。
音もなく立ち上がり、装備を点検している。
その背中には、他者を寄せ付けない孤高の空気が漂っていた。
(……単独行動に戻る気かよ)
痛む腹を押さえ、音を殺して身を起こす。
脂汗が滲んだ。
だが、ここで彼女に離脱されたら終わりだ。
最強の火力を失うだけじゃない。
もっと重要な理由がある。
(アンチェインドだ)
脳裏に、原作の重要アイテムが浮かぶ。
ラプチャーの浸食を無効化し、ニケを縛る
モダニアを救うため、そしてこの世界の理不尽なルールを覆すための切り札。
ただし——その代償として、彼女は目覚めた時にはもう何も知らない赤ん坊になっている。なぜそうなるのか、詳細は霧の中だ。だが、その結末だけは、記憶にくっきりと刻まれていた。
原作通りなら、この雪山エリアで共闘し、信頼を勝ち取った末にその欠片を託されるはず。
それが
スノーホワイトが、出口へ向かって一歩踏み出す。
ラピがピクリと反応しかける。だが、こちらの動く気配を察してか、そのまま沈黙を保った。
「……黙って行く気か。英雄サマともあろう人が」
掠れた声を絞り出す。
スノーホワイトの肩が震えた。
ゆっくりと振り返る彼女。暗がりで光る瞳は獲物を狙う獣のように鋭いが、どこか焦燥感を含んでいる。
「……起きていたか」
「痛みで目が冴えてね。……どこへ行く?」
「関係ない。……これ以上、私に関わるな」
吐き捨てるように言い、視線をイヴの寝顔へ向ける。
瞬間、その表情が苦悶に歪んだ。
「……あの顔が、私の思考を狂わせる。……これ以上ここにいれば、私の論理回路に修復不可能なエラーが生じる」
「……イヴの顔が、エラーの原因だって?」
眉をひそめる。
確かに先ほど、彼女はイヴの顔を見て錯乱した。
理由は不明だが、一つだけ確かなことがある。
彼女は今、こちらを完全に拒絶している。
「だから、ひとりでヘレティックを殺しに行くって?」
「そうだ。奴らを始末し、私もこの地域から離脱する。それが最も合理的だ」
踵を返すスノーホワイト。
自分の存在が不安定だから、距離を取る。
彼女なりの合理的な判断なのだろう。
だが、俺からすれば最悪の悪手だ。
今の彼女は不安定すぎる。
それに、このまま別れれば共闘イベントも、信頼構築も発生しない。
アンチェインドを入手するフラグもへし折れる。
そんなことになれば、モダニアを救う手段は永遠に失われる。
「……待てッ!」
這うようにして後を追う。
出口付近。猛吹雪が吹き荒れる結界のギリギリで、マントの裾を掴んだ。
「離せ。……貴様も死にたいのか?」
スノーホワイトが殺気を放つ。
喉元に、見えない刃を突きつけられるような圧迫感。
だが、手は離さない。
焦燥感が口を滑らせた。
「行かせるかよ……! お前がいなきゃ……誰が『アンチェインド』を見つけるんだッ!!」
ピタリ。
猛吹雪の音すら消えたような錯覚。
スノーホワイトの動きが完全に静止した。
ロボットのようなぎこちない動きで、ゆっくりとこちらを見下ろす。
その瞳から、先ほどの焦燥感は消え失せていた。
代わりにあるのは、底冷えするような殺意と、得体の知れないものを見る警戒。
ジャキッ。
対艦ライフルではない。腰のハンドガンが抜かれ、眉間に突きつけられた。
「……今、なんと言った?」
感情のない、氷点下の声。
「なぜ、その言葉を知っている? アークの人間が……いや、中央政府ですら知り得ない『禁忌』の名を、なぜ貴様ごときが知っている?」
(……しまっ、た……ッ!)
やらかした。
痛みと焦りで、絶対に言ってはいけないカードを切ってしまった。
アンチェインドは、この時点ではまだ誰も知らないはずの超極秘情報。それをただの指揮官が知っているなど、怪しすぎるにも程がある。
「答えろ。……貴様は、何だ?」
引き金に指がかかる。
弁解の余地はない。頭が吹き飛ぶまで、あとコンマ数秒――。
『ALERT: HOSTILE DETECTED』
『DIRECTION: FRONT / MULTIPLE』
視界のUIが、警告音と共に真っ赤に染まる。
「……ッ!? 敵襲!!」
叫ぶのと同時。
ドオォォォンッ!!!!
洞窟の入り口に着弾したミサイルが炸裂する。
爆風と雪煙が舞い上がり、轟音が鼓膜を叩いた。
「なっ……!?」
スノーホワイトが驚愕に目を見開く。
吹雪の向こう側。視界ゼロのホワイトアウトの中から、無数の赤い眼光が浮かび上がる。
「……チッ、話は後だ!」
スノーホワイトは舌打ちし、ハンドガンを収めると同時に対艦ライフルを構える。
疑念は晴れていない。だが、目の前の脅威を排除するのが先決だという戦士の本能が勝った。
「……命拾いしたな、人間。……だが、この戦闘が終わったら、すべて吐いてもらう」
背中がそう語っていた。
「総員、戦闘配置ッ!!」
爆煙を切り裂いて、鋭い声が響く。
ラピだ。
爆発の瞬間には既に跳ね起き、アサルトライフルを構えて前へ飛び出している。
「指揮官! 下がってください!」
その反応速度は、完全に覚醒状態のそれ。
やはり、最初から起きていたのだ。
「うわっ、何これ!?」「きゃああっ!?」
叩き起こされたアニスとイヴが悲鳴を上げる。
ネオンも寝ぼけ眼を擦りながらショットガンを掴んだ。
「数が多すぎます! ここで迎撃するのは……!」
「……邪魔だ! 下がっていろ!」
スノーホワイトが叫び、引き金を引く。
対艦ライフルの轟砲が雪原を切り裂く。
だが――弾丸は大型ラプチャーの重装甲を掠めただけ。決定打にはならない。
「くっ……!?」
焦り。
彼女の視界の端に、どうしてもイヴの姿が映り込む。
スノーホワイト自身の脳内でも、原因不明のエラーが多発している。
イヴの顔を認識した瞬間、重要処理領域に深刻な負荷がかかる。
照準補正が働かない。トリガーを引く指が重い。
(……駄目だ。このままじゃ押し切られる!)
敵のミサイルポッドが開くのが見える。
一斉発射されれば、洞窟の入り口ごと生き埋めだ。
激痛に耐え、泥だらけの顔を上げる。
UIが点滅。
敵の弱点が、赤いサークルで表示される。
攻撃の予兆が、赤いラインとなって可視化されている。
スノーホワイトには怪しまれている。戦闘が終われば尋問されるだろう。
だが、まずは生き残らなければ始まらない。
「スノーホワイト!!」
腹の底から叫ぶ。血反吐が雪を汚した。
「俺を見ろ! 余計なモノを見るな!」
「……ッ!?」
「俺が『目』になってやる! ……俺の言う通りに撃てェッ!!」
右手を突き出し、虚空にある赤いサークルを指し示す。
「2時方向! 距離800! 装甲の隙間、赤いコアだ!」
スノーホワイトが反射的に銃口を振る。
彼女の本能が、指示した座標に吸い寄せられる。
ズドンッ!!!!
一撃。
正確無比な弾丸が、吹雪の向こうにいる見えない敵のコアを貫く。
爆散するラプチャー。
「次は左だ! 3体来るぞ! ラピ、アニスは手前の雑魚を散らせ! スノーホワイトは奥の大型だけを狙え!」
「了解!」「もう、人使いが荒いんだから!」
ラピたちは即座に応答し、弾幕を張る。
その隙間を縫うように、スノーホワイトの対艦ライフルが火を噴く。
「そこだ! 次! 右へ修正2度!」
こちらの声に合わせ、スノーホワイトがトリガーを引く。
彼女の迷いが消えていく。
イヴの顔――謎のエラー要因を見る暇などない。俺の声だけが、彼女を現実に繋ぎ止めるアンカーとなる。
「はあぁぁぁぁぁッ!!」
スノーホワイトの咆哮と共に、最後の一撃が敵の指揮官機を粉砕する。
連鎖爆発が起こり、吹雪の中に巨大な火柱が上がった。
戦闘終了。
硝煙と、焦げたオイルの匂いが雪原に漂う。
「……はあ、はあ、はあ……」
熱を帯びた銃身を雪に突き刺し、荒い息を吐くスノーホワイト。
その瞳から、先ほどまでの混乱した色は消えている。
あるのは戦士の眼差しと、こちらへの……困惑と、深まった疑念だ。
「……貴様。……今の指揮は、なんだ?」
彼女が、こちらを見下ろす。
ハンドガンこそ向けていないが、その視線は銃口よりも冷たい。
アンチェインドを知り、的確すぎる未来予知のような指揮を執る男。
彼女にとって、今の俺は謎の不確定要素でしかない。
「……ただの、生存本能だ」
口元の血を拭い、強がりな笑みを浮かべる。
「……ふん」
スノーホワイトは鼻を鳴らし、少しだけ口角を上げたように見える。
だが、その瞳の奥にある警戒心は消えていない。
「……いいだろう。一時休戦だ。私の脳が冷えるまで……背中は預けてやる」
そう言い捨てると、少し距離を取って座り込む。
完全な和解ではない。むしろ、爆弾を抱え込んだ形だ。
だが、最悪の決裂は回避された。
安堵と共に、意識を手放す。
遠のく意識の中、イヴの悲鳴のような声が聞こえた。
「先輩! しっかりしてください先輩ッ!!」
◇
その頃。
戦場から数キロ離れた、雪原を見下ろす高い崖の上。
猛吹雪の中、ただひとつの人影が佇む。
ヘレティック――モダニアだ。
傍らに、トーカティブの姿はない。
先刻受けたスノーホワイトの一撃で半身を吹き飛ばされ、今はどこかで自己修復に専念しているのだろう。
『……モダニア……撤退だ……』
ノイズ交じりの通信が、彼女の聴覚センサーに届いた。
『……聞こえているか、戻れ……』
だが、彼女は動かない。
崖の縁に立ったまま、じっと一点を見つめている。
黒いバイザーの奥にある瞳。遠く離れた洞窟の入り口が映し出されていた。
雪に倒れ込む、制服の男。
……しかし、視線はその男を完全に無視している。
彼女にとって、男は風景の一部。あるいは認識する価値もないノイズに過ぎない。
モダニアの瞳が釘付けになっていたのは、男に駆け寄り、介抱している少女――イヴの姿だ。
「……あたたかい」
機械的な音声ではない。
少女のような、幼く、震える声が漏れる。
「……おかあ、さん? ……いいえ……」
ノイズ交じりの記憶。
包帯を巻いてくれた手。
頭を撫でてくれた感触。
自分に向けられた、あの優しい笑顔。
そのすべてが、あの少女と重なる。
「……しき、かん……さま……」
『モダニア!!』
トーカティブの苛立った命令が鼓膜を叩く。
しかし、彼女はまるで聞こえていないかのように、ゆっくりと手を伸ばす。
遠い、遠い場所にいる彼女に触れようとするように。
その頬を、一筋の雫が伝う。
それは涙だった。
極寒の猛吹雪が、その涙を冷たい氷の粒へと変えていく。
命令も、使命も、ラプチャーとしての本能すらも超えて。
ただ純粋な執着だけが、雪原に不気味に凍りついていた。