転生モブ、ディストピア世界で指揮官になる   作:模範的アーク市民

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 深い泥の底から引きずり上げられるように、意識が浮上した。

 

「……っ、ぁ……」

 

 身じろぎした瞬間、全身の骨が軋むような痛みが走り、思わず呻き声が漏れる。

 だが、肺を突き刺すようなあの鋭い激痛は、幾分か和らいでいた。

 

(……ここは?)

 

 痛む首を僅かに巡らせ、周囲を見渡す。

 先ほどまで交戦していた、入り口の広い洞窟ではない。

 岩壁には古びた軍用の弾薬箱が無造作に積まれ、見慣れない機械のガラクタや、いつから あるか分からない巨大な獣の骨が転がっている。

 どうやら俺が気絶している間に、元の洞窟を放棄し、スノーホワイトが長年の地上探索で使っている無数のセーフハウスの一つへと移動してきたらしい。

 肋骨周りはガチガチに固定され、手荒だが的確な応急処置が施されている。

 

 パチ、パチ。

 焚き火の爆ぜる音が、鼓膜に大きく響く。

 向かいでは、純白のマントを羽織ったスノーホワイトが、無言で火の粉を見つめていた。

 

「……他の連中は?」

「外だ。吹雪でセンサーが使い物にならん。目視での周囲警戒に出ている。……あの女指揮官も、私の視界から遠ざけるために連れて行ってもらった」

「そうか」

 

 静寂。

 だが、空気はひどく張り詰めている。

 

「……さて。邪魔者もいないことだ」

 

 鋭い瞳が、焚き火越しに射抜いてくる。

 彼女の手には、抜身のサバイバルナイフ。

 

「吐け。なぜ、貴様が『アンチェインド』を知っている」

 

 小声だが、絶対零度の殺気が込められていた。

 冷たい切っ先が、喉元にピタリと押し当てられる。チクリと皮膚が裂け、熱い雫が首筋を伝った。

 痛む腹を押さえ、思考を巡らせる。

 ここで「前世のゲーム知識だ」などと言えば、狂人として喉笛を掻き切られるだけだ。だが、中央政府ですら極一部しか把握していないトップシークレットを知っている以上、半端な嘘は通じない。

 ならば、この『原作知識』そのものを武器にするしかない。

 

「……信じられないだろうが、俺の頭の中には、この世界がどう動くかという『筋書き(シナリオ)』がある」

「……筋書き、だと? 予言者の真似事か」

「どう解釈してくれてもいい。……俺が知っている『本来の歴史』では、これから俺たちはお前と同行して、あのヘレティックを追う」

 

 ナイフを突きつけられたまま、記憶の底にあるストーリーを淡々と告げる。

 

「追いついた先で、激しい戦闘になる。……お前は、奴の圧倒的な機動力の前に敗北し、窮地に陥る」

「……私が、負けるだと?」

 

 スノーホワイトの眉がピクリと動いた。プライドを傷つけられた戦士の反応。

 

「ああ。だが激戦の最中、奴の動きが止まる僅かな隙が生まれる。……その窮地を乗り越え、彼女を洗脳から救い出すために必要になるのが、お前が隠し持っている『アンチェインド』だ。……俺が知っているのは、そういう展開だ」

 

 狂人の戯言だ。

 最強のピルグリムが敗北し、人類の宿敵を倒すのではなく救うために切り札を使う。普通なら鼻で笑って切り捨てる妄想だろう。

 だが、スノーホワイトは空いた手で俺の顔面を鷲掴みにした。

 

「ぐっ……!?」

 

 頭蓋骨が軋むほどの万力。

 強引に顔を引き寄せられ、至近距離で氷のような瞳と対峙させられる。

 赤いセンサー光が網膜を焼く。言葉ではなく、生体データによる解剖だ。瞬き、視線の泳ぎ、心拍、呼吸、表情筋の微細な硬直。無意識の嘘の兆候を、高性能センサーが洗い出していく。

 命の瀬戸際。常人なら恐怖で心拍が跳ね上がり、嘘発見器に引っかかる。

 だが、息が詰まる重圧の中、俺はただ真っ直ぐに見返した。

 嘘はついていない。それが紛れもない本来の歴史(原作)である以上、生体反応にノイズなど混じるはずがない。

 数秒とも数時間とも思える沈黙。

 スノーホワイトは不意に手を離し、ゆっくりとナイフを収めた。

 

「……瞳孔の開き、心拍数、発汗。どれも平常だ。お前は今、自分の中に一切の嘘を交えずにあの妄想を語ったな」

 

 彼女は訝しげに、ボロボロになった俺の貧弱な身体を一瞥する。

 

「こんな取るに足らない、今にも死にそうな弱小指揮官が、アークの厳重な情報網を潜り抜けて自力で機密を盗み出したと考えるのも不自然か。……それに」

 

 スノーホワイトは、焚き火に視線を落とした。

 

「『私が負ける』という予測。腹立たしいが、先ほどの奴の不可解な出力を見れば、可能性はゼロではない」

 

 俺のような小心者にスパイ活動など不可能。ならば、その胡散臭いシナリオとやらを本気で信じ込んでいる異常者として扱った方が筋が通る。そう結論づけたらしい。

 

「……荒唐無稽な戯言だ。だが、お前がなぜか正解の断片を知っている不気味な特異点であることは理解した。……要監視対象(イレギュラー)として、今は生かしておいてやる」

 

 張り詰めた糸が切れ、安堵の息を吐いた瞬間だった。

 きゅるるるるるる……。

 間の抜けた、しかし盛大な音が洞窟に反響した。

 音源は、スノーホワイトの腹だ。

 

「……」

「……」

 

 気まずい沈黙。

 スノーホワイトは無表情のまま、ゴソゴソと背嚢を探り始めた。

 

「……エネルギーの消費が激しかった。補給を行う」

 

 取り出したのは、凍った巨大な蜘蛛。

 大人の拳大のグロテスクな物体を枝に刺し、火で炙り始める。

 ジリジリと硬い毛が焦げ、青緑の体液が沸騰して弾ける。腐臭と鉄錆の匂いが充満した。

 

「……食うのか? それ」

「背に腹は代えられん。地上では、カロリーとタンパク質が全てだ」

 

 焼き上がった胴体に、無表情のままかぶりつく。

 バリバリと硬い甲殻を噛み砕く音。伝説のピルグリムの威厳など欠片もない。

 

「……貴様も食うか? 負傷の回復には栄養が必要だ」

 

 差し出されたのは、無骨に千切られた脚。

 断面からは、ドロリとした謎の体液が滴っている。通常なら嘔吐する代物だ。

 だが、今は生存が全て。ここでカロリーを摂らなければ、次の戦闘で確実に死ぬ。

 

 ふと泥臭い執念が燃え上がる。

 借金をして装備を整え、地獄の訓練を経てここまで来た。こんな場所で虫を食って野垂れ死ぬわけにはいかない。

 絶対に生きてアークに帰り、借金を完済し、安全な揺り籠で老後を迎える。

 生存と金への執着が、こみ上げる吐き気をねじ伏せた。

 

「……もらう」

 

 震える手で受け取り、口に放り込む。

 

「……ッ!!」

 

 泥と錆、腐った油を煮詰めたような最悪の味。舌が痺れるほどの劇物を、奥歯で噛み砕き胃へ流し込む。

 

「……不味いな。塩くらい振れよ」

 

 涙目で悪態をつくと、スノーホワイトが微かに口端を緩めたように見えた。

 

「……覚えておこう」

 

 底辺の泥水を知る者同士の、奇妙な連帯。

 だが、穏やかな時間は唐突に引き裂かれる。

 

『ALERT: LETHAL FORCE DETECTED』

『CLASS: HERETIC』

 

 視界が警告色に染まった。

 

「……ッ! ヘレティック!?」

 

 スノーホワイトが弾かれたように立ち上がり、セブンスドワーフを掴む。

 同時に洞窟の外――猛吹雪の彼方から、激しい銃声と怒号が響いてきた。

 

「後退して! イヴを下がらせなさい!」

「無理です! 速すぎ――きゃあっ!?」

 

 ラピの鋭い指示と、ネオンの悲鳴。

 

「外だ……! 行くぞ!」

 

 痛む腹を押さえ、スノーホワイトと共に出口へ駆ける。

 猛吹雪を抜けた先。

 俺は、息を呑んで立ち尽くした。

 視界ゼロのはずの白銀の世界で、そこだけ吹雪が凪いでいた。

 いや、違う。圧倒的質量のエネルギーが空間を歪め、雪の結晶を静止させているのだ。肺が潰れそうな重圧。

 

「あ、アハハ……嘘でしょ、何なのこれ……」

 

 アニスがひしゃげたグレネードランチャーを抱え、雪に這いつくばりながら力無く笑う。

 その先ではネオンが雪だるまのように吹き飛ばされ、ピクリとも動かない。

 ラピでさえ、片膝をついてアサルトライフルを杖にし、荒い息を吐いている。

 その中心。

 吹雪を裂いて、ゆっくりとそれは舞い降りた。

 浮遊する異形。

 モダニアだ。

 

(……来たか!)

 

 原作知識が脳裏を過る。

 モダニアが執着する対象は『主人公(プレイヤー)』だ。

 墜落現場で包帯のイベントを経て、マリアンとの間に決定的なフラグを立ててしまった存在。

 それは俺ではない。

 

「イヴ! 逃げろ! 奴の狙いは……お前だッ!」

 

 痛む腹を抱え、よろめきながらもイヴを庇うように前に出る。

 少しでも囮になって注意を引きつけ、スノーホワイトの射線を開く。俺にできるのはそれくらいだ。

 モダニアが、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 俺は息を呑み、その赤い瞳を睨み据えた。

 ……だが。

 視線は、俺を完全に見ていなかった。

 アダムというただの人間など、認識する価値もないノイズ。

 背筋を冷たい汗が伝う。

 モダニアは決死の覚悟で前に出た俺の真横を、風のように素通りした。

 そして、後ろで震えている少女――イヴの前に、静かに跪く。

 

「……え?」

 

 イヴが戸惑いの声を漏らす。

 モダニアは、冷たい装甲の手で、イヴの頬をそっと包み込んだ。

 

「……あたたかい」

 

 幼子のような甘ったるい声。

 

「あの時の、包帯と……同じ匂い。迎えに来ました。……私の、指揮官さま」

 

「……マリアン、さん……?」

 

 イヴの瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。

 処分されたはず。異形に変わり果てていても、彼女は生きていた。

 

「生きて……生きてたんですね……ッ!」

 

 イヴは、相手が人類の敵(ヘレティック)であることすら忘れ、その首にすがりついた。

 

「イヴ! 離れなさい!!」

 

 ラピの悲痛な制止も届かない。

 

「バカ、死ぬ気!?」

 

 アニスが這いずりながら叫ぶ。だが、モダニアもまた嬉しそうにイヴの背中に腕を回し、優しく抱きしめ返した。

 

(……いけるか?)

 

 一縷の望みを抱く。

 イヴの純粋な想いが洗脳を解く鍵になるかもしれない。主人公の奇跡が起きるかもしれない。

 だが、現実は甘くない。

 

「……ふふ。……あたたかい」

 

 モダニアがイヴの肩に顎を乗せ、うっとりと目を閉じる。

 だが、その赤い瞳が再び開かれた時。

 宿っていた慈愛は、瞬時に無機質な殺意へと裏返っていた。

 

「……でも」

 

 声から、一切の感情が抜け落ちる。

 

「……悪い虫がいっぱい。うるさい音がいっぱい」

 

 視線が、イヴを抱きしめたまま、背後の俺たちへ向けられた。

 

「……指揮官さまの周り、お掃除しなきゃ」

 

「……ッ!! 総員、回避ィィィッ!!」

 

 俺の絶叫と同時だった。

 モダニアの艤装が、圧倒的なエネルギーを収束させる。

 

「させんッ!!」

 

 轟音。スノーホワイトの対艦ライフルが火を噴いた。

 猛吹雪の中、破滅的な閃光が視界を白く染め上げる。

 

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