転生モブ、ディストピア世界で指揮官になる 作:模範的アーク市民
ズズズ……ンッ。
地下へと降下する巨大エレベーターの振動が止まった。
プシューッ、と減圧音が響き、重厚な扉が開く。
「……それでは、私たちは報告と機体のメンテナンスに向かいます」
ラピが、少し疲れた声で言った。
彼女の隣では、アニスが大きく伸びをしている。
「あーあ、最悪。泥だらけだし、硝煙臭いし。早くシャワー浴びて寝たいわ」
「お疲れ様。……二人とも、ありがとう」
イヴが深々と頭を下げる。
その手には、泥と油で汚れたマリアンのドッグタグが、白くなるほど強く握りしめられていた。
「また後でな。……とりあえず、解散だ」
手を振ると、二人は整備ドックの方へと去っていった。
残されたのは、イヴと二人だけ。
周囲の喧騒――出撃していく他の部隊や、整備員たちの怒号――が、やけに遠くに聞こえる。
隣で俯いている主人公を見やる。
(……さて。ここからどうなる?)
脳内の引き出しを開けようとした。
だが――そこから先が、プツリと途切れている。
記憶にある原作は、マリアンの死を境にページが白紙になっているのだ。
本来なら、この後どうなる? どんな任務が待っている? 重要なイベントは?
必死に思い出そうとしても、まるでデータがインストールされていないかのように、何も浮かんでこない。
(……おかしい。俺は確かに、このゲームを知っていたはずだ)
肝心な中身が思い出せない。
知識が、意図的にロックされているかのように。
この世界の根幹に関わる設定や、主人公が特別扱いされる理由。
そういった物語の核心が、ごっそりと抜け落ちている。
これでは、先の展開を知らない一般人と同じだ。
この過酷な世界で、
背筋に、薄ら寒い不安が走るのを感じた。
ピロリンッ♪
不意に、気の抜けた電子音が思考を遮った。
音の出処は、イヴの胸元のデバイス……ではなく、こちらのポケットの中だ。
「……あ?」
取り出したタブレットの画面に、禍々しいほどの赤字で至急の文字が点滅している。
同時に、イヴのデバイスも震えたようだ。彼女も慌てて画面を確認し、息を呑んでいる。
『アダム指揮官、およびイヴ指揮官。至急、中央司令室へ出頭されたし。アンダーソン副司令がお待ちです』
「……は?」
思わず天を仰いだ。
アンダーソン。アークの副司令官。
もちろん、雲の上の存在だ。式典の演壇の豆粒のような姿か、モニター越しの映像でしか見たことがない。
(……なんで副司令が直々に? 現場レベルの話じゃないのか?)
マリアンの件なら法務官か査問委員会で済むはずだ。
わざわざ副司令官から直接の呼び出しなんて、絶対面倒な案件に決まっている。
「アダム先輩……行きましょう」
イヴが不安げに袖を引く。
拒否権はない。重い溜息をつきながら、中央行きのエレベーターへと足を向けた。
◇
中央司令室。
分厚い防音扉の向こうは、耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。
空調の低い駆動音だけが、広すぎる部屋に響いている。
部屋の奥、巨大な窓の前に、その男は立っていた。
窓の外には、アークの人工的な夜景が広がっている。男はそれに背を向け、書類に目を落としていた。
「入りたまえ」
低く、落ち着いた声。
敬礼して入室すると、彼は手元の書類をデスクに置いた。
「報告は聞いている。……マリアンの件は残念だった。彼女はシルバーガン部隊の中でも、特に優秀なニケだったが」
淡々とした口調。
そこには感情の色はなく、ただ事実を確認するだけの冷徹さがあった。
イヴが唇を噛み締め、俯く。
「……はい。私の、力不足です」
「……」
アンダーソン副司令は何も言わず、ゆっくりと振り返った。
その動作は洗練されており、アークの重鎮としての威厳に満ちていた。
初めて見る、生の副司令官。画面越しで見るより威圧感がある。
だが。
彼がイヴの顔を正面から捉えた、その瞬間。
カタンッ。
乾いた音が響いた。
アンダーソンが、デスクに置こうとした手を滑らせ、高価そうな万年筆を取り落としたのだ。
見ると、彼の表情が凍りついていた。
常に崩れることのない鉄仮面が、ガラス細工のようにヒビ割れ、その瞳が見開かれている。
彼は、まるで亡霊でも見るかのような目で、イヴを凝視していた。
「……
震える声が、静寂な部屋に漏れ落ちた。
(……リリス?)
誰だ、そりゃ。
アンダーソン副司令の元カノか? それとも隠し子か?
原作知識にはない名前だ。いや、あるのかもしれないが、今は思い出せない。
イヴの顔を見て漏らしたということは、彼女に似ている誰か、ということだろうか。
「あの……副司令? リリスとは……?」
イヴがきょとんとして尋ねる。
彼女もまた、その名前に心当たりがないようだ。
だが、空気は最悪だった。
雲の上の存在である副司令官が、新人の小娘を見て、明らかに公務とは関係のない動揺を見せている。
これに関わってはいけない。本能が、警報を鳴らしている。
(……マズい。これは聞いてはいけない話だ)
直立不動のまま、石像のように気配を消す。
「……あ、いや。すまない」
数秒の沈黙の後、アンダーソンはハッとして、強引に表情を取り繕った。
だが、デスクについた指先は、まだ微かに震えている。
「……昔の、知人に似ていてな。少し驚いただけだ」
「は、はあ……」
「……君の名は?」
「イヴ指揮官です! 本日着任しました!」
「イヴ……そうか。……そうか」
アンダーソンは、何かを噛み締めるようにその名を繰り返した。
その視線は、穴が開くほどイヴを観察している。
懐かしさ、悲しみ、そして困惑。
複雑な感情が入り混じったその目は、直視するのを恐れているようにも見えた。
「……ふぅ」
不意に、アンダーソンが大きく息を吐いた。
これ以上、彼女の顔を見ているのは限界だとでも言うように、視線をこちらへと逸らす。
「……マリアンの処分については、規定通りの処理とする。君たちにペナルティはない」
早口だった。
本来なら、ここから長い事情聴取、あるいは次の厄介な任務の通達があるはずだ。
それをすっ飛ばして、彼は言った。
「下がっていい。……今日はもう、休め」
「えっ? もういいんですか? まだ入室して1分も……」
イヴが驚いて声を上げる。これ幸いとばかりに、彼女の背中をグイと押した。
「了解しました! 失礼します!」
「あ、ちょっとアダム先輩!? まだ話が……」
「ほら行くぞ、新人」
強引にイヴを回れ右させ、足早に出口へと向かった。
アンダーソン副司令が背後で何を考えているのか。
そんなことは知ったことではない。
(藪蛇をつつく必要はない。定時退社バンザイだ)
逃げるようにして、司令室を後にした。
◇
重厚な扉が閉まり、再び廊下の静寂が戻ってきた。
「……変な方ですね、副司令官って」
イヴが首を傾げながら呟く。
「私、誰かに似てるんでしょうか? リリスって……先輩、知ってます?」
「さあな。知らん」
素っ気なく答える。
「世界には自分に似た人間が3人いるって言うだろ。よくある話だ」
「そうですか……。でも、すごく悲しそうな顔をしていました」
イヴは扉の方を振り返り、心配そうに眉を下げた。
彼女の肩を軽く叩く。
「上の人間の事情に首を突っ込むな。それより、今日はもう休め。……色々あったからな」
「……はい。ありがとうございます、先輩」
イヴは小さく微笑み、宿舎の方へと歩き出した。
その背中を見送りながら、小さく溜息をつく。
(……リリス、か)
思い出せない名前。
だが、あのアンダーソン副司令を動揺させるほどの何か。
知らないところで、物語の歯車が軋んでいる気がした。
◇
一人残された司令室。
アンダーソンは、閉ざされた扉を睨みつけたまま、動けずにいた。
「……リリス」
彼は震える手でデスクの引き出しを開け、一枚の古い写真を取り出した。
色褪せた写真の中央で、不敵に微笑む
その顔は、先ほど退室したイヴと、あまりにも似すぎていた。
「死んだはずだ。……彼女は、もういない」
自分に言い聞かせるように呟く。
だが、あの容姿。あの声。そして漂う雰囲気。
単なる他人の空似で済ませるには、あまりにも出来すぎていた。
「だとしたら、あの子は……何者だ?」
アンダーソンの脳裏に、アーク上層部――中央政府やエニック――が行っている、数々の極秘実験の噂がよぎる。
リリスのデータ、あるいは遺伝子情報。それらにアクセスできるのは、アークでもごく一部の人間だけだ。
「まさか……中央政府め」
彼は写真を握りしめた。クシャリ、と紙が歪む音が響く。
「かつての英雄を……死者を冒涜してまで、何をしようとしている?」
もし誰かが、リリスの遺産を勝手に利用し、何らかの意図を持ってイヴを送り込んできたのだとしたら。
それは、アークにとって、そして私にとって、看過できない重大な脅威だ。
「……許さんぞ。中央政府……ッ!!」
アンダーソンは低い声で唸った。
その怒りは、かつての戦友を汚された悲しみと、何も知らずに無垢な瞳を向けてきたイヴへの哀れみがない交ぜになったものだった。
彼は深呼吸をし、感情を無理やり押し殺すと、通信機のスイッチを入れた。
相手は、エリシオン社CEO、イングリッド。
長年の戦友であり、信頼できる数少ない人物だ。
アンダーソンは迷いを断ち切るように、通信を開始した。
……リリスの件は伏せる。まだ確証はない。
「……私だ。イングリッド」
『珍しいな。定例会議の時間ではないはずだが』
「頼みがある。……少し、調べてもらいたい指揮官たちがいる」
アンダーソンは、窓の外のアークを見下ろした。
その瞳には、冷たい光が宿っていた。
「二名だ。……一人は、イヴ少尉」
『あのマリアンを喪失した部隊の? メンタルケアが必要か?』
「それもある。だが、単純に興味がある。……優秀な資質を感じた」
建前だ。
内心では、彼女の出生について、徹底的に洗わねばならないという焦燥に駆られている。だが、それを悟らせるわけにはいかない。
「それと……もう一人は、アダムという男だ」
『アダム? 報告書にあった、同行した指揮官か』
「ああ」
アンダーソンは、先ほどの光景を脳裏で反芻した。
自分がリリスの名を漏らし、動揺を見せたあの一瞬。
あの男は眉一つ動かさず、イヴの口を塞ぐようにして即座に退室した。
普通の人間なら、上官の異変に戸惑い、足を止める。あるいは好奇心を持つ。
だが、彼は違った。
(……あの判断の速さは、単なる臆病者のそれではない)
アンダーソンは内心で呟く。
私の失言が聞いてはいけない機密であると瞬時に理解し、最も安全な無関心を演じて撤退した。
それは、戦場で地雷原を避けて歩くベテランの足取りに似ていた。
『彼に何か問題でも?』
イングリッドの問いかけに、アンダーソンは思考を戻す。
この懸念を、まだ彼女に伝える必要はない。
「……いや。ただの直感だ。……だが、私の直感はよく当たる」
もし彼が、私の動揺の意味を察する
彼は平凡な指揮官の皮を被った、とんでもない食わせ物だ。
イヴを守るためにも、その傍らにいる得体の知れない男を野放しにはできない。
「彼らを監視下に置きたい。……表向きは、有望な新人への特別支援という名目でな」
『……分かった。手配しよう』
通話が切れる。
アンダーソンは、手の中にあるリリーバイスの写真を、引き出しの奥深くへとしまった。
「イヴ……。君は私が守る。……かつての過ちを、繰り返さないために」
そして、そのための番犬として、あのアダムという男が使えるかどうか。
運命の歯車は、アダムのあずかり知らぬところで、静かに、しかし確実に回り始めていた。
誤字報告をくださった皆様、本当にありがとうございます。修正作業の助けになり、大変恐縮です。
いただいた感想もすべて大切に読ませていただいています。皆様の反応が執筆のモチベーションになっています!
改めまして、この場を借りて感謝申し上げます。