澄んだ青、淀んだ黒 作:紺色冬華
俺だよ。やっと折り返し地点です。
湊友希那って大学生になれる学力あるのかな……?
三十話「忘れてきた、群青色。」
あの決別から二年が経った。
移りゆく季節とは裏腹に、私自身はあの日あの場所に置き去りになってしまったように感じている。正真正銘、空っぽだ。
わたしが離れてから少ししてから、Roseliaはある企業に拾われて成功者の道へ足を踏み入れていった。その事実は、わたしに納得感とほんの少しの寂しさを覚えさせるにはじゅうぶんだった。
彼女らを、友希那を鳥籠に閉じ込めていたのはぼく自身なのだから。
「幕張メッセか……」
そういえば、いつの日だったか湊と話をした。もし、武道館に行ける日が来たなら、直前のライブは海の見える場所に来たいと。まるで結婚式を夢見る乙女のような言葉を思い出す。
終始仏頂面、たまに見せる笑顔が精々の彼女にそのような発想があったか疑問だが、Roseliaの一員として渡された黒い薔薇の意匠が入った指輪を未だ指に嵌めているわたしが言えたことじゃない。
ぼーっと吐き出した息が、立ち上って空気中に消えていくのを何度か眺められる程度の時間立ち止まっていたからか、怪訝な顔をした同行者に小突かれる。
「ほれ、なにボサッとしてんだアキ」
「……なんでもない」
時間は経過していたこともあって、わたしは進学することになった。
同行者が体調を崩したからと選んでくれる友人も出来た。
いつまでも子どもでは居られないことを否応なく自覚させられるのに、足が向かう先が過去の後悔なのはなんの因果なのか。
ひゅう、と口笛のような海風が暗い気持ちをさらっていく。
太陽が眩しいくらいに照りつけ、周囲には日陰がほとんどない。
待機列で疲れ切った身体に鞭打って、スタッフの手荷物検査を受ける。
周囲の人間は楽しみにしていたライブを間近に楽しげな表情を浮かべている。
会場に導く通路の窓際には有志のフラワースタンドが置かれている。
「フラワースタンドとか興味あるか?」
「んにゃぁ? 本人たちのビジュアルにしか興味ねぇからいいよぉ」
「会場に来てまでそういうこと言うな」
氷川みたいな自分の演奏に神経質な演者だったらどうするんだ。
だいたい今井みたいな潤滑剤が場を収めるハメになる。
「演奏もすげぇけど、俺は雰囲気で聞いてるだけだからなぁ」
「……SNSで発信しないようにだけしておくといい」
そういうの以外と見られてるからな、と心内で呟く。
宇田川とか、そういうの触れてそうだ。
「ヘーキヘーキ」
彼の言う通り、少なくとも周囲を見る限りは彼の言葉を気にした様子はない。
もしくは、あまりに楽しみだから些細な言葉は耳に入らなくなっているのだろう。
それだけの熱量を向けられるバンドがあって羨ましいと、うっすら思う。
事情を知らない友人の前で嫌な顔をしていては、進まない気持ちで無理に来たと察せられてしまう。気を紛らわすため、ステージを見渡す。
四方を囲われたステージでは楽器たちが並んで演奏開始を今か今かと待ちわびているように見えた。巷では武道館を控えたRoseliaがその前哨戦に選んだのが有明アリーナだと噂されている。
郊外から海浜幕張駅に運ばれてきた身体はすっかり固まっていた。会場へ歩いて少しはマシになったが、席に着いても変わらず息苦しく感じるのは背けた未来が過去になった証拠なのだろう。
どうにも息苦しく感じたわたしは友人に一言断りを入れて、自販機を探しに会場内を歩き回る。
本番開始十分前だというのに、人の出入りが妙に少ないことを疑問に思う。関係者席のほうにでも来てしまったのだろうか。
一面に張られた白い床、ガラス越しの黄金色の光、かつかつとなるブーツ。
壁まで伸びる影は、それだけ日が傾く時間であることを主張していた。
進む方向には日が入らず、歩いてきた方向には日の光が入っている。
本来の身長を少しばかり盛るようなブーツを履いているからか、影だけ見たら誰だか分からないかもしれないな、と苦笑する。
そういえば、彼女たちは衣装にいつもブーツを選んでいた。
衣装制作を担当していた白金のこだわりだったのが、微妙に移ったのだろう。
割り切れていない自分に苦笑する。やりきった失敗より、手放したものほど後悔するというのは本当のことらしい。
そんなことを考えているうちに、見覚えのない場所を歩いていた。館内地図を見る限り、反対側に来てしまったようだ。幸い、目的の自販機はすぐそこにあった。今から戻れば開演に間に合うだろう。
ようやく見つけた自販機から飲み物を買って、釣り銭のレバーを下ろそうとしたそのとき。
誰かの足音がこちらに近付いてきた。
西日が早い冬の太陽に隠されたシルエットは少し背が高い。気になって足元を見てみると、不自然に浮いたくるぶしとヒールが目に入る。それを差し引けば、平均的な女性のように思える。立ち姿は遠目から見ても芯があるように思えた。
「……あなたは」
声を聞いただけで、相手が誰だか分かる。透き通った声。何百、何千回と聞いた声の主は逃げ出したあの日の姿そのままに、俺の目の前に立っていた。
自分の知人がここまで大きなハコを抑えられるほどのバンドになったことを、大抵の人間は誇らしげに思うのだろう。あるいは、その威光を借りて自分を大きく見せようとするのだろう。
今の自分には、そのどちらも出来そうにない。
横目でガラスに移った自分を見る。微妙な違いはあるが、ほとんど喪服のような黒尽くめ。以前まではしていなかった伊達メガネは日陰者の印象を与えるかもしれない。
ただ、先ほど見えていた景色に紛れることを祈って、少しだけ声を低くする。
「なにか?」
怪訝な表情を浮かべた彼女――湊友希那は少し首を傾げたあと、口を開いた。
「ごめんなさい……大切なひとに似ていたから間違えたみたいね」
「いえ、お気になさらず。よくある顔ですから」
まだ自販機には少しの金額が残っている。湊がもし、このライブの演者なのだとしたら喉は大切にしたほうがいいだろう。
赤いランプを押して排出された温かいはちみつレモンのボトルが垂直になるように投げ渡し、少し頼りない様子でキャッチした彼女はきょとんとボトルを眺めている。
じっとボトルを見つめる視線がなにを思っているのか分からない。
確かめることもせず、彼女の横を通り抜ける。
「それでは。ライブ、頑張ってください」
「……ありがとう」
あの観客たちのなかからわたしを見つけ出すことは出来ないだろう。
いつの間にかなくなった時間に間に合うように、少しだけ足を早める。
横目に見える空は、群青色が覆い始めていた。
今回の企画を主催されたイソギンチャク様に、この場を借りて謝辞を。
めちゃくちゃ気持ちよかった。さようなら、ぼくの睡眠時間。