孤高のリヴァイアサン   作:大和ユキ

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檻に差す光

 いつになったら「役目」を終えられるんだろう。

 

 鉄と錆、そして埃っぽい自分の血の匂い。

 あの匂いが鼻腔にこびりついて離れない。

 

「んん……」

 

 鼻をくすぐられるような感覚で目を覚ます。

 うっすらと目を開けると、眩い朝日と風に揺れるカーテンが視界に差し込む。

 カーテンは揺れる度に鼻を掠め、むず痒さを与えてくる。

 

 けれど、それよりも右頬がひりつく感覚が先に立つ。

 夢で殴られた痛みが現実まで引っ張られているのか――そう思ったけど、制服の袖ボタンの痕がくっきりと付いていただけだった。

 ――また、あの夢だ。

 十歳のあの日、私が「自由」と引き換えに罪を背負った日の夢。

 

「――大和(やまと)さん。大和めぐみさん。聞こえてますか?」

 

 まだ意識が朦朧としつつも、誰かに呼ばれて廊下の方へ振り返る。

 うちの高校の男子制服に身を包んだクラスメイトが、何かありげに側に立っていた。

 

「……なんか用?」

 

「え、ええとですね、今日の総合の授業で使う――」

 

「ああ、地域の伝統行事の資料ね。どうぞ」

 

 最低限返事をし、ファイルから資料の束を一つ取り出し、それを押し付ける。

 男子は少し戸惑った様子を見せつつも、それを渋々受け取った。

 

「どう? それで満足?」

 

「うーんと……」

 

 手渡した資料を流すように目を通す男子。

 途中ふと目をこちらに向けたと思うと、ハッとしたような表情を浮かべた。

 

「なに? まだなにかある?」

 

「それ青恋(アオコイ)、ですよね。ぼくもこないだ観たんですけど……大和さんも好きなんです?」

 

 そう言われて手に持ってたファイルに目を向ける。

 アオコイの主人公とヒロインが、今にもキスしそうなほどの距離で顔を向け合う姿が描かれている。

 ……そういえば先行上映のとき入場特典で一緒に貰ったっけ、とぼんやり思い出しながら彼の方へ視線を戻す。

 

「……君もこの映画、好きな――」

 

 ――ダメだ。

 上がってしまった口の端を元に戻し、何事もなかったかのように窓の外へ視線を逸らす。

 

「え? なんて言いました?」

 

 あんまりしつこいから「本屋の特典で貰っただけ」ってぶっきらぼうに返して視線を外へ戻す。

 視界の端でしばらくあたふたしていた男子も「やっと」諦めたのか、私の近くから去っていった。

 やっと、なはずなのに。

 

「……そんな顔しないでよ」

 

 ふとそんなことを呟いてしまった。

 ――さっきの会話は無かった。

 「今日も相変わらずね……」とか「あれが孤高の大和か」とかってヒソヒソ話も全部聞こえなかった。

 

 無かった、聞かなかった。

 

「……それで良いって言ってるでしょ」

 

 ……ダメだ、このままぼっとしているとずっと気が沈んでいってしまう。

 単語帳でも見て別のことを考えようとカバンを漁っていると、老朽化した教室の扉がキュルキュルと軋む音を立てながらゆっくり開いた。

 この時間、そして開く速度。

 間違いない、やっと来た……!

 

「めぐちゃん、おはよ!」

 

 その扉を開けた主。

 親友、鈴原香蓮がカバンを持った両手を前で組みながらこちらへ笑いかけていた。

 

 日の当たり具合によってはブロンドと見間違えるほど明るい茶髪をしていて、小顔に垂れ目がマッチしている可愛らしいフォルム。

 

「香蓮!」

 

 そんな彼女の元へ駆け寄り、すかさず抱きつく。

 あまりに勢いよく飛び出したため、彼女の身体の軸が僅かに揺れた。

 

「あっ、ごめ――その!脚、大丈夫……?」

 

「え? 脚のこと? 大丈夫だよ。めぐちゃんが支えてくれてたし」

 

 一瞬跳ねた心臓を、香蓮が宥めてくれた。

 ……だめだ、絶対に、絶対にわすれちゃいけないのに。

 気をつけないと……。

 

「でね……めぐちゃん。ちょっとお願いがあるんだけど」

 

「……お願い?」

 

 香蓮はそう言い出したはいいものの、目線をふよふよと泳がせながら言葉を綴り始めた。

 

「その……実はね。めぐちゃんに会いたいって人がいるの」

 

「会ってほしい、人?」

 

 思わずそうこぼす。

 腕を解いて一歩距離を置く。

 

「えっとね、私が一年の頃のクラスメイトなんだけど――」

 

「会わないよ」

 

「……ほんとにだめなの?」

 

「だって香蓮は知ってるでしょ? 私が何かしようとしたところでロクなことに――」

 

 そうやって切り捨てようとふと香蓮の顔を覗き込む。

 香蓮は眉を寄せ、口をつぐみ、こちらの唇に人差し指を立ててきた。

 

「もう、そればっか。聞き飽きたよ、そろそろ」

 

 香蓮は珍しく不満を口にした。

 怒るっていうよりも呆れに近いような不満。

 

「ご、ごめん! 私が言いたかったのは――」

 

「ううん、大丈夫だよ。私のためなのは知ってる。そうじゃなくってね」

 

 香蓮は小さく息を吸い込むと、決意を固めたかのような表情で語りかけてくる。

 

「……めぐちゃんが私を守るためにいろんなことを我慢してくれてるのは知ってるの。……だからあたし、そろそろめぐちゃんも前に進むべきだと思うんだ。これは()()()()を一緒に体験したあたしだから言えることだと思うの。だからその……ね?」

 

 上目遣いで私のことを見てくる香蓮の表情は、少しばかり寂しがっているような、それとも憂うような表情をしていた。

 香蓮なりの心配だってのは、さすがの私でも理解できた。

 

 でも――。

 やっぱりまだ、心残りはある。

 

「……こっそりついてきたりしない?」

 

「うん、しないよ」

 

「私がその人と会ってる間、知らないとこ行ったりしない?」

 

「分かった、気をつけるね」

 

「だ、だけど――」

 

「――それ以上は、ダメ」

 

 香蓮はまた口元に人差し指をやって私の口を縫い留めた。

 

「大丈夫、私の一年の時のクラスメイトだから。私、その子に悪いことされたこと一回も無いんだよ?」

 

 ……でも。

 そうやって口にしようとした瞬間「次は無い」っていうのを、香蓮の表情から感じ取る。

 これ以上は……ダメだ。

 

「……分かった。約束するよ、その人と会うって。けど会ったあとにどうするかはこっちで決めるから」

 

 すると香蓮は一転、パァァと明るい表情を浮かべると満面の笑みで「そうこなくっちゃ!」と笑いかけてくれた。

 それを目にするだけで、不思議と胸元からじんわりとしたものが湧き出てくる。

 

「あとほらこれ、その子が渡してきた待ち合わせ場所とか書いてる紙。今日の夕方には会いたいんだって」

「え、今日? まあ行けなくはないけど……っていうか、その会ってほしい人ってなんて人なの?」

 

 相手の名前ぐらい先に知っておきたいし、まあこれぐらいは聞いていいでしょ。

 

「えっとね――本田ルイ、って人なんだけど」

「……えっ?」

 

 香蓮が勿体ぶらずにサラッとそう口にした言葉に、思わず気の抜けた声が飛び出る。

 なんせその名は学年で知らぬ者はいない、有名なボンボンの男子の名前だったんだから。

 

 ******

 

 放課後十六時半ごろ。

 街はすっかり夕焼け空に包まれていた。

 みんなが駅や団地へ進む路からは逸れ、林沿いの住宅街の中をカバンを背負いながら一人でとぼとぼと歩いていると、アパートの前に他校の女子高生数人がたむろしてるのを目にする。

 何か動画でも見ているのか。

 一人のスマホを他の数人で囲んで覗き込んでいた。

 

「――速報です。本日午後、千葉県内にて自らを”天草四郎”と名乗る異能者が、商店街にて演説を行い警察官と衝突を――」

 

 耳が良いだけに、スマホから流れた音を耳が勝手に拾ってしまう。

 ほんとに、テレビ点けたらこの話ばっかりしか流れない。

 

「えーまたあ? こっわ」

 

「今度は天草四郎だって」

 

「誰だっけ天草四郎って」

 

「うわウケる、何のコスプレ? 笑」

 

 キャピキャピとしたイラッとくる笑い声が耳に入ってくる。

 

「……はぁ」

 

 私は大きく溜め息をつき、その場を離れるように歩調を早めた。

 このままここに留まり続けたら「それで大迷惑被ってる当事者の苦悩も知らずに何様だ」って反射的に言い返しそうになってしまう。

 こんなことでトラブルになるのは御免だ。

 

「……そういえば」

 

 そう思ってスマホを一瞬覗き込むと、言われた時間よりもかなり早めにつきそうなことに気がついた。

 まあいいや。

 どうせ学校に居てもやることなかったし、単語帳でも見て過ごそう。

 

「それにしても……男子かぁ……」

 

 ぼそっと独り言を言う。

 会ってほしいだなんていうもんだから女子だと勝手に思ってたけど、よりによって男子かぁ。

 

 自分で言うのも何だけど私は顔が良いらしい。

 別に自惚れてるわけじゃないけど、香蓮からもしつこいぐらいそう言われる。

 だからか告られた回数だけは無駄に多い。

 こうやって放課後に男子から一人で来いって言われるときは今まで例外なく告白だった。

 

 それに、本田ルイの名前は私も知っているのも辛いところ。

 会ったことがあるわけじゃないけど、噂だと本田ルイはヨーロッパ系のボンボンらしい。

 はてさて、一体どんなヤツなのか……。

 

 せめて清潔感のある子だったらいいな、けどどうせ振るのは変わらないなんて思いつつ、歩みを進めて小さな公園のある角に入る。

 来るように言われたのは、この公園のはず。

 

 風にゆられて僅かに軋むブランコ、錆びついた鉄棒と小ぶりのジャングルジム。

 角にある一際目立つ真っ赤な自販機に、何かのアニメで見た気がするような積まれた三つの土管。

 

 けれど、何よりも目を引いたのは公園の最奥。

 三人掛けのベンチのど真ん中へ座っていたそろりと長い手足に細身の色白な男。

 ボロボロなグレーのスーツに山高帽を身に着け、破れた箇所からは茶色の裏地が剥き出しになっている。

 一瞬戸惑うけれど「ああ多分そういうデザインのスーツなんだろうな」とギリギリ呑み込めるぐらいの塩梅。

 

 普通なら「変な人」で済むだろうけど……世間から浮いた外見に、いやに堂々とした佇まい。

 ほぼ勘だけどこいつは「私と同じ」だ。

 ってなると厄介だ、変なことになる前にさてさて退散を――

 

「少女よ、待ち給え」

「……はあ」

 

 ってわけにはいかなかった。

 まあ大方予想通りだろうなと思いながら振り返る。

 男はどこからか出した真っ白な杖を突き、左手でズボンを払うと、紳士的な立ち姿で私の方へ向き直った。

 

「呼び止めてすまないね、私はロベールという者だ」

 

「ロベール……香蓮の言っていたルイって奴じゃなさそうね」

 

「フフ、あの稚児(ちご)よりも先回りして来てますので」

 

 その男……いや、老人は左手で筆のように太い口ヒゲを撫でながら、しわくちゃな肌に浮かぶ垂れ目の端を歪ませた。

 ……見た所、明らかにアジア人じゃない。ヨーロッパか、アメリカかどこかの白人。

 こいつも「異能者」だ。

 

「で……あんたはそのルイってやつと関係あるってことでいい? ここが分かったのもそいつ絡み?」

 

「いいえ、特に。ただちょっと……あの子の秘密を『聴いた』だけですよ」

 

「……聴いた?」

 

 その言葉に、思わず重心を低く据える。

 ロベールが被っていた山高帽を軽く持ち上げると、帽子の中からボトリと何かがこぼれ落ちた。

 

「――ッ!」

 

 何かしてくる。

 私は反射的に鞄を放り投げ、右手を突き出す。

 掌に集まった砂金のような光の粒子が、瞬時に一本の剣を形作る。

 金の柄に切っ先が割れるように欠けた細身の剣――無鋒剣(カーテナ)

 私が剣を握りしめると同時に、こぼれ落ちた「それ」は地面に落ちる寸前でピタリと空中に静止した。

 

「に、人形……?」

 

 幼児ほどの頭蓋の大きさの、頭だけの人形。

 ローポリな3Dモデルのようなカクついた質感、栗色の毛に目はバッテン、大げさなほどにぶ厚いタラコ唇。

 あまりに悪趣味なデザインに、背筋へ震えが走り、それが手先にすら(つた)わる。

 

「おや……この時代の子は知らないのでしたね。蝋人形と云うんですよ?」

 

 ロベールはさも愛おしそうに、宙に浮く蝋の生首を撫でる。

 

「バクロ!バクロ!ジツハ本田ルイハ、ロボコン三年連続準決勝デ連敗チュウ!」

 

 唐突に、人形のタラコ唇がパラパラと開閉し、耳障りな甲高い声を上げた。

 ……は? ロボコン? 連敗? なんて?

 

「おやおや、ダメじゃないですか。いきなりそんな恥ずかしいことを暴露してしまっては」

「……なるほど、あんたの悪趣味な能力ってわけね」

 

 コイツ、ただの変質者じゃない。

 人の秘密を暴く――「いっちばん関わりたくないタイプ」だ。

 

「……ねえ、いっつも真っ先に斬っちゃうから先に聞いとくんだけどさ。あんたの目的、なに?」

 

 ラフに構え、あらゆる角度からの攻撃に備えながら問う。

 

「目的ですか……私自身は欲しくはありませんが――」

 

 ロベールの垂れた目が猫のように細められた瞬間、彼は力強く指を鳴らした。

 それと共にさっきまであんなに愛でていた蝋人形が燃え上がり、瞬く間に白濁色でドロっとした液体に変わる。

 

「契約先があなたを交渉材料として望んでおられまして。つまるところ……あなたの生け捕りです!」

 

 ……珍しい目的だこと。

 そう感想を述べる暇もなく、ロベールが両の腕を振るうと同時に二枚の三日月状の蝋が宙を舞う。

 先手は取られた。

 けれど、軌道は予測しやすい。

 片方は無鋒剣(カーテナ)で真っ二つに斬り、もう片方は避ける。

 蝋に掠った毛髪が宙を舞う。

 当たれば致命傷、直感からそう理解して前を向く。

 だけど無鋒剣(カーテナ)での迎撃は出来る。

 距離を詰めて問題なし。

 ロベールが次の行動を取る前に、ぐっと前へ踏み込む。

 

「やはり!噂に聞いていた通り一筋縄ではいかなさそうだ!」

 

 彼は残りの蝋を手で捏ねると、背丈ほどの柄の鋭利なピックの付いた小さな戦鎚を形作った。

 蝋の強度からして接近戦はこっちが有利。

 瞬時にそう判断、詰め寄る脚を止めない。

 

 ロベールは右手で大きく振りかぶり、リーチを活かして先手を打ってきた。

 それを斬る、弾く。

 重りをぼとりと落とし、バランスを失ったただの棒切は私が居たところを虚しく斬った。

 

 ――もらった。

 そう確信した刹那。

 ロベールのスーツの懐から、三本の蝋のナイフが顔を覗かせた。

 しまった、暗器か――!

 すんでのところで大きく後ろへ飛ぶ。

 放たれた蝋のナイフは此方へ一直線に飛んでくる。

 さっきの脆さなら問題ない。

 切り落とせば――

 そう油断した直後、確かに無鋒剣(カーテナ)の刃で触れた蝋のナイフは、バターのように「斬れる」ことはなく、鋼鉄のように「弾いて」しまった。

 

「っ!?」

 

 ――斬れない。

 手首に確かな手応えを感じつつも、瞬時に三本中二本を力任せに弾く。

 残る一本。

 しかし、太刀筋は届かない。

 その一本が、私の左肩に深々と突き刺さった瞬間、焼けるような激痛が走る。

 

「ぐッ……!」

  

 思わず更に後ろへ飛び、大きく距離を取る。

 左肩のナイフを抜いて脚を止め、肩へ意識を集中し、呼吸を整える。

 肩から脈打ちながら溢れていた血は、ものの数秒で微かに滲む程度にまで止血された。

 

「ほう……その若さにして心得があるとは。お見事」

 

 ロベールはそう口にすると乾いた拍手をかました。

 ……生け捕りを目標にしているからか、この間に追撃が来ることはなかった。

 けれど、私がこの速度で止血できることが分かったからには、次はない。

 

「それにしてもさっきの反応……もしや、私の異能を知った気になっていましたか?」

 

 ――いつの間に暗器を作れるだけの蝋を補充していたのか。

 その問いは大して意味がない。

 それよりも〝蝋に強度の差がある〟という可能性を失念していた。

 

 ロベールの方へ向き直ると、彼の回りにはさっきはなかった三体の蝋人形が浮いていた。

 それも、うち一体は男の、一体は老女の、一体は艷やかな髪を模した蝋人形。

 それぞれが呪詛のように暴露を口にしている。

 

 そしてあのうちどれか、もしくはその全てが高硬度の蝋人形……!

 厄介極まりない。

 けれど、問題なし。

 ここまであいつに組み立てられた戦闘。

 つまるところ勝ち筋は――。

 

 こっちが闘いを組み立て返す!

 

「制服代、高く付くわよ……!」

「……人に物を言う時は、先に行動を示してからですよ、お嬢さん!」

 

 直後、またもや先手はあちらに渡る。

 ロベールはナイフを投げ、牽制。

 堅実な攻め手だ。

 けれど、もう飛び道具は「斬れる」ものとして扱わない。

 剣の腹で硬度に関わらず「弾く」。

 ()()()を端から無くすことに専念する。

 

 そして手を伸ばすは重たい座板のブランコ。

 二本の鎖を左手で鷲掴みにすると、根本へ剣を振るう。

 鉄の擦れる甲高く嫌な音と共に鎖がバターのように容易く斬れた。

 ――つまり、さっき弾かれたあの蝋のナイフは、鋼鉄以上の硬度だったということか。

 ゾッとするような事実だけど、今は好都合。

 切れた鎖を左手で握り込めば、これで即席の鎖鉄球(モーニングスター)の完成だ。

 

 唐突に伸びたこちらの射程。

 その事実に、ロベールはこの戦いで初めて眉を寄せた。

 左手にブランコを担ぎつつ、飛び道具を弾く、避ける。

 そして、あと一歩踏み込めばモーニングスターの射程となるまで踏み込んだ時。

 ロベールは二体の蝋人形を捏ね、短剣を形作る。

 ついに、彼が守りへと回った。

 

 斬られると分かっていて、敢えてモーニングスターを叩き込む。

 案の定短剣に迎撃されてブランコは真っ二つになるも、大きく振りかぶったため隙は大きい。

 いける。

 そう判断し、モーニングスターを捨て去る。

 ぐっと距離を縮めると、ロベールは堪らず距離を取った。

 にも関わらず、立ち姿は無防備なまま。

 

 距離を詰め直せばいける……!

 暗器もまた避けて、弾いて見せる……!

 そう決意し、踏み込んだ次の瞬間だった。

 

「フッ……!プレゼントをあげましょう!」

 

 彼は口角を上げ粘着質な笑みを浮かべると、自らのスーツを脱ぎ、それを此方へ覆い被せてきた。

 油や枯れ草のような微かな加齢臭が鼻へ充満し、視界が塞がれる。

 だが、それは問題じゃない。

 スーツが顔へ被さるのに遅れて、身体の至るところが突き刺すような激痛に襲われる。

 

 スーツを一瞬で掴み取ると、周囲にはサイコロ大の、しかし無数の蝋製まきびしが撒き散らされていた。

 手にしたスーツの内側に、無数の小さなポケットを目にする。

 私の身体にも、無数に小さなまきびしが纏わりついていた。

 突き刺さったまきびしで動きが鈍ると思ったのか。

 ロベールは両手で短剣を携え、向こうから踏み込んで来ている。

 けれど、僥倖(ぎょうこう)……!

 

 ――元より、勝ち筋はロベールの意表を突くこと。

 スーツの襟首を左手で掴み、全身の激痛に耐えながら力任せに振るう。

 左腕へ熱が籠もると共に、団扇のような役割を果たしたスーツが地面の砂と共にまきびしを打ち上げる。

 

「しまっ――!」

 

 そう口にする暇もなく、瞬時に視界は砂に包まれる。

 粗く、重い砂。

 砂煙を巻くこともなく、せいぜい反射で強制的に瞬きが入る程度。

 けど、その一瞬がこの戦いでは命取りだ。

 

 ロベールが目を瞑っている刹那の()に、大きく距離を詰める。

 舞い上がったまきびしが背後に落ちている。ロベールは後ろへ跳べない。

 予想外の攻守逆転――。

 ロベールは短剣で守りへ回ろうとするも、反応が遅れる。

 そして最後のダメ押し。

 左肩から抜き、胸ポケットへ隠していた返礼品(ナイフ)を――ロベールの顔面向けて放つ。

 この一手で一瞬でも迷ってくれれば。

 その隙に、決定的な一撃を叩き込める……!

 

 ロベールは一瞬の迷いもなくナイフを弾く。

 ――なぜ? そんな疑問が浮かんだけど、もう生じた隙を埋めることも出来ない。

 

 そう思った直後。

 どこかで聞いた風切り音を耳にする。

 私が元いた場所の方、公園の手前側。

 何かがおか――。

 

 振り返ると、目に入ったのは私が最初に躱した三日月型の蝋。

 それが、今になってブーメランのように返ってきていた。

 たまたまか、それとも意図したのか。

 

 あれを弾き返すことは出来る。

 けれど、その隙にこちらが決定的な一撃を叩き込まれる。

 なら――今の隙にロベールへ絶命の一撃を放ち、蝋が消滅することに賭けるほかない。

 

 ――けれど、()()殺すの? 人を?

 そんな迷いとともに駆け巡る、肉に刃を深々と突き刺し、()()あの感覚。

 戦いの中に持ち込まれるには、あまりにも大きすぎる迷い。

 ロベールを迷わせるつもりが、気がつけば私が迷う側になっていた。

 どうする、どうする、どうする――!

 

 その時だった。

 どこからか差し込む眩いばかりの光の筋。

 それが一瞬のうちに三日月型の蝋を飲み込み、液状の蝋に変えてしまった。

 

 瞬間、視界の端に屋根の上に人影を見る。

 何が起こった?

 そんなことに割かれるほど私の思考のリソースに余裕はなかった。

 今確かなのは――「殺す」という選択が消えたことただ一つだった。

 

「うおおお!!」

 

 ロベールの胴を、斜めに浅く切り裂く。

 異能者ならば死なない、けれどしばらく立ち上がることができないような一撃。

 骨までは届かせない、生々しい肉の抵抗が無鋒剣(カーテナ)(つか)から伝わってくる。

 そして、ロベールの腹部目掛けて蹴りを入れる。

 ――暗器で刺し違えよう。ロベールが間違ってもその選択をしないようにするための一撃。

 

 ロベールは蹴りの衝撃で数メートル転がり、まるで舞台の上の役者のように優雅に受け身をとって片膝をついた。

 

「素晴らしい……見事な連……携……!」

 

 ロベールは胸元の傷から鮮血を溢れさせながら、心の底から称賛してみせた。

 直後、彼は蒼い顔をしながら意識を失い、浅い血溜まりを作りながら仰向けになりその場に倒れる。

 

「連携……? 今の光が?」

 

 当たり前だけど、そんな自覚は全くの寝耳に水。

 ――そういえば、と思い出しさっき人影を見た屋根の方へと目を向ける。

 公園の近くにある、瓦葺きの屋根の上。

 そこに彼は立っていた。

 

 背後の夕焼けと、未だ身体の周囲に漂う光の粒子が混ざり合い、逆光のシルエットを作る。

 まるで、そこだけ影絵の世界から切り取ってきた瞬間かのように幻想的だった。

 

「いやー、危ないとこだったね。怪我はない?」

 

 彼は屋根の上から公園の敷地にひょいと飛び降りると、私の元に駆け寄ってきた。

 

 私と同じ高校の紺色のブレザー。

 明るい栗色の毛でパッツンのボブ、ぱっちりと開いた大きな目。

 病気を疑うほど白い肌に低い身長、そして幼い顔つき。

 一年生かとも思ったけど、私と同じネクタイを付ける少年……いや青年。

 

 その言葉も、私の身を心の底から案じているようにも感じられた。

 

「……怪我は、ない」

 

「良かった。で……君が大和めぐみさんで間違いないよね?」

 

「そうだけど……ッ!?」

 

 そんな問いをする彼の近くには、鈍く光るガラス球が浮かんでいた。

 新手の異能者かと勘づき、無意識に距離をとる。

 

 青年は、額に脂汗を浮かべながらも笑っていた。

 倒れる血まみれの男、その返り血を浴びた、刃物を持った女。

 端からみればそんな風に見えるのに、それでも彼は親しみを持った表情でこちらへ歩み寄ってきている。

 

「そんな警戒しなくても……って。ああ、名乗りがまだだったね」

 

 そういうと、私から一歩距離をとり、こほんと高い声で小さな咳をした上で、名を名乗った。

 

「僕の名前は本田ルイ。君をここに呼んだ張本人だ!よろしく頼むよ!」

 

 初対面で、しかもこんな状況なのに。

 屈託のない、純粋な笑顔を向けられるのはいつぶりだろう。

 ふと、そんならしくないことを思ってしまった。

 

 さっきまで血と砂に塗れた戦場には不釣り合いなほどの、純粋な「光」。

 ――これが、私と彼。

 閉ざされた檻にほんの一筋の光が差した、最初の瞬間だった。




歴史などの社会科オタクの書いた作品ですが、ここまで読んでいただきありがとうございます。
カタルシスを最初の一万文字に抑えるの、きっついですね……!

もし気に入ってなどいただけたら、各種評価や批評の方よろしくお願いします。
各種反応は、私がこれから執筆活動を続けるうえでの励みになるので、どうかよろしくお願いします。
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