孤高のリヴァイアサン   作:大和ユキ

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届かぬ刃

届かぬ刃

「はーい、運賃五千円のお預かりねー……って、お嬢ちゃんお釣りは?」

「大丈夫です、急いでるので」

 

 そうとだけ言い残してタクシーのドアに手を掛ける。

 

 大高緑地公園から車まで西に二十分と少しの港湾部にある、巨大な廃工場群。

 少し鼻から空気を取り込むだけで錆の嫌な臭いがする気さえするこの場所に、香蓮がいる。

 

「――ありがとうございました」

 

「はーい気を付けてねー」

 

 運転手に挨拶を述べたルイが、私を追い越すような勢いで駆け寄ってくる。

 

「大和、お釣り」

 

「……いいって言ったのに。後にして」

 

「後にしてって……人にお金預けない方が良いって教えてくれたのは大和だろ?」

 

 あの電話から大体四十分、生きた心地がしない。

 何も出来ない待つだけの時間が可能性の邪推を拡げる。

 〝もしも香蓮がまた傷を負ったら〟

 〝万が一にも香蓮が死んだら〟

 そんな可能性が広がる度に呼吸が浅くなる。

 

 待てないばかりに『ここから異能の力で全力で走った方が早いんじゃ』と、何度信号待ち中のタクシーから飛び出そうとしたことか。

 けれど、もしもの闘いの場合が同時に思い浮かび、その度に早とちりをしようとする自らを諌めた。

 

 足早に目的地へと歩みを進める。

 時間は気がつけば十八時、陽は沈みかけ。

 晴れではあるけど、地平線のあたりに雲が掛かっていて時間の割に暗い。

 工業地帯なのに騒音の一つも無く、建物同士をつなぐ古めかしいコンベアや配管のジャングルは、まるで何十年か前に時が止まったよう。

 そしてその一つ一つが、すこし揺らせば錆の塵が落ちて来そうなほどには脆そうな印象を受けた。

 

「……ここだな」

 

 ルイはスマホを眺めながら、建物を見定めた。

 入口には大量の廃材が並べられていて、中の壁際には大きなラックが並んでいる。

 工場というよりは大きな倉庫のような印象だけど、中は暗いせいでよく見えない。

 ただ、相変わらず土と錆の臭いがキツく、居心地が良いとはとても言えなかった。

 

「って、大和!敵がどうやって待ち構えてるかも分からない、まずは様子見を――」

 

 ルイがなんかそうやってごちゃごちゃ言ってるのが聞こえたけど、香蓮がすぐそこにいるのに歩みを止める選択はない。

 右手に無鋒剣(カーテナ)だけ顕現させつつ、工場の巨大な入口へと歩みを進める。

 

 元が廃工場なだけあって、入口からしばらく入ると陽の光が届かない。

 まだ人の気配は感じられない。

 

 けれど。

 雲に隠れていた西日が顔を出し工場の奥にまで陽の光が注がれると共に、彼女の立ち姿が浮き彫りになる。

 

「ッッッ!香蓮っ!」

 

 よ、良かった……生きてた……!

 陽が差し切っていないせいでその表情は見えなかったけれど、安堵に釣られて彼女の元へと駆けた。

 

「――めぐちゃん、逃げて!」

 

 香蓮が掠れた声で私へそう告げる。

 逃げる?何から?どういうこと――

 

 そんな疑問を浮かべた瞬間だった。

 私の視界の右を眩い閃光が走ると共に、誰かが私の前に飛び出てきた。

 

「ッ!?」

 

 突然の閃光に、反射的に腕で顔を覆う。

 けれど、痛みも目が焼け焦げるような感覚もない。

 

 その代わり恐る恐る目を開けると、目の前には右手に細身の銀色の剣を携えるルイ。

 その足元には、胴回りほどもあるタコのような触手が、紺色の血液を噴き出しながらのたうち回っていた。

 二、三箇所が焦げ付いており、焼け焦げた肉のような匂いが立ち込める。

 痙攣が終わった触手は、しばらくすると香蓮の後ろの闇へとシュルシュルと手繰り寄せられていった。

 

 その瞬間、何が起こったか理解する。

 襲撃だ。

 再び光の粒子より無鋒剣カーテナを呼び出し、ルイの横へ立つ。

 

「敵はどこ!?」

 

 応える(いとま)もないのか、ルイは黙ったまま更に二歩ほど前へ出る。

 私の少し上を、バスケットボールほどの大きさの幾つかの光るガラス球(光球)が通り過ぎ、ルイの頭上へ整列した。

 

 不気味なほどの静寂。

 廃工場の中には粘液が僅かに泡立つような音と、香蓮の啜り泣きの音だけが厭に響く。

 

「卑怯な真似をしてないで出てこい、ジャン・ド・モンフォール!」

 

 ルイは声高にそう宣言したけれど、何の反応もない。

 鼻から小さく息を洩らすと、ルイは天井へ手を掲げる。

 ルイの光球の中の光がぎゅっと縮こまると共に、そこから光線が打ち出される。

 光線は次々と天井を打ち抜き、闇は陽の光で次々と暴かれ――

 

 そしてその闇の中に、到底人間のものとは思えないような動きで蠢く何かが潜んでいた。

 

「っふ!やあルイくん、久しいねぇ!」

 

「ハ、ハハ……こんな大きかったっけ」

 

「もちろんさぁ! なんせ俺は万年成長期だからなあ!」

 

「……笑えない冗談はよしてくれよ」

 

 ルイは首筋にそう汗を浮かばせ、乾いた笑いをしながらそう冗談めいたことを言った。

 けれど、ルイがこういう反応をとるのも無理はない。

 

 男……いや、ジャンは腕まである深緑のワンピースのような服、腰にはベルトを巻いているまるで西洋時代劇の舞台からでてきたような浮世離れした衣装。

 上半身や顔に溢れんばかりの贅肉が付いているけど、問題はそこじゃない。

 

 そのワンピースの下からは、胴よりも太い紫色のタコのような触手が、優に二十本は飛び出していた。

 その質量から、触手が工場を仕切る壁のようにせり上がり、ジャンの本体を押し上げていた。

 

 あまりの異形に、思わず呼吸が乱れる。

 目にしただけで分かる。

 今までの異能者とは、何かが根本から違う……!

 

 けど、私が一番釘付けになったのはそこじゃなかった。

 鈴原香蓮が両腕を触手に縛られ、そこに立ち尽くしていた。

 彼女は目尻に涙を浮かべ、顔を青くする。

 

「香蓮っ……!」

 

 思わず一歩足が出る。

 するとルイが私の前に腕を出し、行く手を阻んできた。

 

「……ッ!」

 

 そりゃ分かってる、今行ったら相手の思うツボだって。

 けど、危機に陥っている香蓮を目の前にして何も出来ない自分が心底嫌になる。

 

「シャルルさんとの休戦協定はどうした」

 

「はっ、軍の犬との約束なんて誰が守るかぁ?第一なぁ――」

 

 二人は顔見知りなのか、私の知らないことでそんな舌戦(ぜっせん)を繰り広げていた。

 けれど、横から見えるルイの表情には余裕がない。

 口にしているのも今言う必要がないことばっかり。

 

 ――瞬間、ルイの目的が見えた……いや、見えてしまった。

 もしかして……ただ無駄な会話で時間を稼いでるんじゃ?

 脳内に過ったその可能性に、思わず息を呑む。

 

 簡単な勝負じゃない。

 その姿を見た時から分かっていたことだけど、ルイの舌戦にそれを裏付けられてしまった。

 

「っふ!それに俺は今までとちぃがーうッ!」

 

 ジャンは左腕の袖を捲ると、その前腕を陽の光へと掲げた。

 そこには枝に止まる両翼を広げた赤黒い鳥のタトゥーが描かれていた。

 

「……それはっ!」

 

「そうっ!俺はロムルス様に恭順の意を示し、その加護を受けたのだッ!」

 

「ロムルスって……さっき言ってたヤツだよね」

 

 朧気ながらにさっきの会話の記憶を思い出す。

 確か、私を狙ってるとかなんとかって奴。

 

「ああ、そうだ。道理で短期間でこんなに強力に……馬鹿なことを」

 

 ルイは下唇を力強く噛みながらそうこぼした。

 

「っふ!馬鹿かどうか決めるのはお前達じゃない、ここで勝った奴さぁ!さあ分かったらその小娘を渡せぇ!」

 

 ジャンは両腕を広げながらその触手をざわめかせると、か細い触手の一本で香蓮の頬をでろんと撫でた。

 わざとらしく垂らした粘液が香蓮の顔に纏わりつくと彼女はより一層深く青ざめ、こちらへ助けの目線を送ってきた。

 

 初めて感じる異様な威圧感に、思わず足の筋肉がピクつく。

 異能者を相手にして最後に心の底から怖いって思ったのはいつだったろう。

 香蓮が弄ばれる姿を見て心の底から赤黒い殺意が湧いてくるのに、足が前に出ない。

 ……目的は私で、香蓮が人質。

 私が降参すれば、香蓮は助かる。

 

 けどまだ〝あの事件〟のことを香蓮に償いきれてない。

 だからまだ死ねないのに、離れられないのに。

 ――結局、それも私の都合だ。

 香蓮一辺倒になれない自分が嫌悪を覚える。

 息の詰まるような思いと目の前にした恐さで心身がぐちゃぐちゃになる。

 

「なあ……大和」

 

 そんな私の表情を目にしてか、ルイが歯切れの悪い声で言葉を紡ぎ始めた。

 

「間違っても、鈴原だけ救って終わりにしないでくれ」

 

「なんでよ。ルイには関係ないでしょ」

 

「なんでって……友達だからだよ」

 

 ……友達、か。

 

「……分かった。努力はするよ」

 

 ルイの釘を刺すような発言に、そうやって乾いた返事をした。

 今身を投げ出してないのは決意が出来てないだけ。

 ……ごめんけど、約束はできない。

 

「っふ……返事は無いみたいだなぁ?ならばぁ――」

 

 ジャンはそう口にすると、立ち上らせた触手の先端をこちらへ向けた。

 複雑にうねっていた触手も解かれ、整然と立ち並ぶ。

 人質になっていた香蓮は、二本の触手に巻き上げられるようにしてジャンの背へと運ばれていった。

 

「力づくで捕まえるまでだぁ!」

 

 ……来るッ!

 

 確信した瞬間、四本のか細い触手が私の方へ目掛けて突っ込んでくる。

 軌道は読める。

 左側の壁を擦る二本は私へ、残り二本は右手側にいるルイへ。

 

 私へ向かってきた二本の触手を、一閃で叩き斬る。

 触手の先端がぼとりと落ち、もう片方は壁へ叩きつけられ光になって散った。

 

 けど繊維質な肉に押し返されるようで刃が重い。

 

(ロベールの蝋とはまた違う意味で”硬い”んだ……!)

 

 そして、斬っただけじゃ終わらない。

 先端が欠けた触手は、次は振り払おうとする素振りを見せる。

 

(止まらない!?)

 

 一閃、また一閃と切り上げていくも、突きが鞭に、鞭が腕を狙った拘束にと変わっていく。

 おまけに足元に飛び散った触手の血や粘液で足場が悪い。

 物量に圧され、悪い足場を避ける形でどんどん後ずさりしてゆき、気がつけば入口あたりまで追い詰められていた。

 そして、肝心のジャンは苦悶の表情すら浮かべていない。

 

(本体を叩かないとジリ貧……!)

 

 直感的にそう感じるも、本体を叩く術がない。

 ルイも捌けてはいるけど、私よりも圧されている。

 しかも、後ろには十数本の触手が蠢いている。

 

 今は良くてもどこかで立て直さないといずれ限界が来る……!

 

「……っふぅ!まだジャブだぞ、どうしたガキ共ぉ!」

 

 ジャンは指揮者のように両腕を前へ振るうと、最も太い胴回りほどもある触手を二本差し向けてきた。

 迫るときの風圧とその質量感から直感する。

 

(あれは近づけちゃいけない……!)

 

 細い二本を切り払い、隙を作る。

 ここへ来た時に見た廃材へと手を伸ばし、太めの鉄パイプを一本手に取る。

 それをルイへと向かう太い触手へ投げ槍のように投げると側面へと突き刺さった。

 

「……っ!?」

 

 瞬間、鉄パイプから噴水のように血が噴き、私の顔面に噴きかかる。

 生暖かい感覚に驚くも、本筋はそこじゃない。

 

 パイプの刺さったその触手が、まるで本物のタコのように唐突に暴れまわり始めたのだ。

 しかも差し向けられていた触手や工場の壁などへもお構い無しにその質量を打ち付ける。

 

 不意に訪れた隙に一瞬思考が固まる……けど、今しかない。

 ルイへ顎で指示を出し、工場の外へと駆け出る。

 

 暴れ回る触手が立てた砂埃で中は見えない。

 私たちが外へと出るのとは反対に、ルイの光球のうち幾つかがその場に留まり光線を乱射した。

 

 入口から十数歩駆けたところで止まり、息を整える。

 噴きかかった触手の血も、光の粒になって霧散した。

 

「どういうこと!?なにあれ!?」

 

「はっ……はっ……多分、あの触手一本一本が半分独立して……本物のタコと同じなんだと思う。昔、何かの図鑑で……」

 

 ルイは冷静にそう分析したけれど、私よりも息を切らしていた。

 

「すまない……こういう切り合いは得意じゃなくてね。ありがとう」

 

 ルイはそう口にすると、首を一つ鳴らしながら立ち上がった。

 圧されるルイを見て咄嗟に助けを出したのを今になって気がつく。

 ……別に私も人が傷ついて死ぬとこを見たいわけじゃないし、それ以上の意味はない。

 そういうことにした。

 

「……来るね」

 

 触手が暴れまわり、ラックや建物を破壊する音が途切れる。

 無鋒剣(カーテナ)を両手でぐっと握り構え、ルイも私の右手数歩先に距離を取り直して構えた。

 直後、砂煙の中からあの忌まわしい触手の群れが顔を出す。

 

「クッソ……勝手に暴れやがって」

 

 ジャンが、暴れる触手を他の触手で押さえつけながら姿を現す。

 ジャンは暴れる触手わ千切り投げ捨てると、その質量で建物の壁が音を立てて崩れる。

 ……あの太い触手をそのまま相手にしていたらと思うと。

 背筋が凍る。

 

 そしてさっきよりも数は減っており、合計十八本。

 一泡吹かせたことに思わず口角が上がるも、ジャンの表情には怒りが見て取れる。

 

「怒らせた、マズいかも」

 

「……だな」

 

 実際さっきは整然と並んでいた触手の戦列も、気のせいか無駄な蠢きが目立つ。

 ……怒りで判断が鈍るかも?

 そんな考えが頭を過ったけれど、そもそもの劣勢が多少の判断ミス程度で覆るとは思えない。

 

 そして、二本の触手がさっきの廃材の山に触手を這わせた。

 まるで、何かを選びとっているみたいな。

 ……来ないの?

 ってか一体なにして――

 僅かな混乱の隙に、廃材を掴んだ触手が大きく振りかぶるような動作をとった。

 

「ッ……!」

 

 直後、掴まれた廃材が宙を舞う。

 的確な狙撃というよりも、散弾のような軌道を描く。

 

 咄嗟に鉄骨を避け、ドラム缶を斬り伏せる。

 金属を切り裂く感覚が関節に響くも、こちらには当たらない。

 捌き切れる……!

 それに、左飛びでやけに簡単に避けられる。

 

 けどルイは大丈夫?捌き切れる?

 そしてふとルイの方へ目を向けた時。

 

 ジャンの意図に気がついてしまった。

 ルイとの距離がさっきの二倍、いや三倍に開いてしまっている。

 

 しまった……!

 狙いは攻撃じゃなくて分断……!

 わざと避けさせて、お互いの距離を開かせたのか!

 

(まずい……!)

 

 一旦は廃材の散弾は止んだ。

 けど、この後に来る「触手のラッシュ」に連携無しで捌ききれるの?

 

 次の瞬間、私目掛けて四本の触手が突っ込んでくる。

 視界の端で、ルイへ三本の触手が向かったことも目にした。

 

 軌道はさっきよりも単純。

 けど、迫りくるのは純粋な質量の暴力。

 あまりの手数に脳が焼ききれそうになる。

 

 どうする。

 さっきの暴走をまた狙う?

 咄嗟にさっき飛ばしてきた廃材を蹴り飛ばすも、触手の方に避けられる。

 触手に読まれた……!?

 それに、思い切り足蹴にしたせいで身体のバランスが大きく崩れる。

 目の前からは四本の触手がまとめて同時に飛んできている。

 どうする、どうす――

 

 そう思った時には遅かった。

 目の前の四本じゃなく。

 ルイ側に回り込んでいた細い一本の触手が私の胴を二の腕越しに鞭打った。

 

 ――身体が宙を舞う。

 衝撃で脳が揺れ、それと共に視界も乱れる。

 長いようにも短いようにも思えた飛行時間の直後、身体が高い枯れ藪の中にうつ伏せで落ちた。

 

 ……まずい。

 立ち上がらないと、次が来る。

 手が滑って上手く立ち上がれない。

 早く、早く!

 けれど、思考に焦りばかりが浮かぶ一方。

 その「次」が来ないことに違和感を覚える。

 

「っ……!」

 

 右上半身が強烈に痛むけど、折れてる感じはない。

 酷い打ち身程度だ。

 大丈夫、まだ戦える。

 

 そう言い聞かせながら気合で立ち上がると、中腰になってやっと向こうの様子を見ることができた。

 

 けれど。

 向こうではジャンが触手での追撃をやめ、ルイの方へとにじり寄っていた。

 そしてジャンの視線どころか、触手の一本すらこっちへ向かってきていない。

 

(どういうこと……?)

 

 まさかだけど、私が飛ばされたことにジャンは気付いていない?

 枯れ藪の奥に落ちて私のことが見えなくなって……それで私が逃げたと思ってるのか。

 

 けどこれは望んでもいないチャンス。

 乗り出して奇襲しようと身体を前屈みにするも、一瞬目が合ったルイが首を横に振る。

 ……待てってこと?

 目の前にこんなにも大きな隙があるのに。

 今すぐにでも乗り出したいと言っている身体を必死に抑えつける。

 

 だとしても、今がチャンスなのは変わりない事実。

 この間にもジャンはルイの方へと詰め寄っている。

 どうする。

 どうする。

 どうする。

 

 迷いに思考を巡らせると、ジャンが私の前を通り過ぎた。

 

 ――ああ、ダメだって分かってるのに。

 香蓮が、助けを求めているのを目にしてしまった。

 身体の押さえつけが聞かなくなるには、それだけで十分だった。

 

 無鋒剣(カーテナ)(つか)を強く握む。

 ジャンの視線も触手もルイに貼り付いたまま。

 だから、一秒でも早く。

 その一心で地を踏み込む。

 

 ――この胸の中の騒がしさはなんだろう。

 恐さだけじゃない。

 高揚感が変に混ざって、ハイなっている自覚さえある。

 

 力を込め、ジャンの背中へと飛び乗る。

 咄嗟に飛んだために両脚に熱が籠もり、骨が軋む。

 ――強化が足りなかったか。

 

「あ!?……誰だ、離せッ!殺すぞ……ッガアア!」

「めぐちゃ……っぐうっ!」

 

 瞬間、触手が締まり香蓮が苦悶の表情を浮かべる。

 だめだ、いますぐ解かないと。

 髪を鷲掴みにして、締まる触手へと刃を突き立てる。

 

「ッ!?」

 

 直後、ジャンがじたばたと暴れ回る。

 髪をより一層強く握りしめ、揺れる視界も香蓮へと定め続ける。

 

(硬ッ……!)

 

 筋肉質で刃の通りが悪い触手を、力任せに無理やり切り裂く。

 

「待っててね香蓮、今……!」

 

 息苦しさから解かれた香蓮が、触手の血を浴びながら口を開く。

 

「っは……だめ!逃げてめぐちゃん!」

 

 知らないし、聞こえない。

 無鋒剣(カーテナ)を粗野な逆手持ちにし、一心不乱に触手を斬る

 そして最後の一本を――斬った。

 

 既に足首には触手が巻かれ、逃げられない。

 ――香蓮だけでも。

 

 香蓮の襟首を掴み、ルイの方へと力任せに投げ飛ばす。

 ルイは姿勢を大きく崩して尻もちをつくも、しっかりとその身体を受け止めた。

 

 ――香蓮を、救い出せた。

 ほんの一瞬の安堵の直後に響く鈍い音。

 どこからでもない、私の身体の中から鳴った音。

 

「大和――」

 

「………………………………………………………………っ?」

 

 ……ルイが私を呼ぶ声が聞こえた。

 何が、起きた?

 途切れた意識と共に走る激痛。

 立たなきゃ。

 さっきみたいなまぐれは二度も――。

 

「っふ……随分と舐めた真似をしてくれたなぁ!」

 

 怒気を発しながら、こちらへ迫りくるジャン。

 力が入らない。

 肺、腕、肩。

 左半身のどこが折れているのかも分からない。

 

 ――あ、これ。

 無理だ、逃げられない。

 

 四つん這いになることも出来ず、ジャンのボロボロになった触手に巻き上げられる。

 

「ぐあああああああッ……」

 

 軽く締められただけで骨が軋み、声にならない叫びが漏れ出た。

 

 無鋒剣(カーテナ)も消えた。

 もう、抵抗する気力すらない。

 

「……手こずらせやがって」

 

 ジャンは吐き捨てるようにそうこぼすと、その目線をルイ達の方へと向けた。

 

 視界の端にルイに抱かれる香蓮が映る。

 ルイはこちらを歯がゆそうな表情で見つめている。

 ――そう、それでいい。

 香蓮を、頼んだよ。

 

 ジャンは何も口にすることなく私の方へと向き直る。

 香蓮たちもこのまま、なんて心配は要らなかった。

 混沌とした頭の中に僅かな安堵が芽生える。

 

 次の瞬間、ジャンが触手を足元へ束ね、それをバネのようにして空へと大きく飛び上がる。

 あっという間に遠くの山やビルよりも高いところに達する。

 

 そして、ジャンが勢いよく飛び上がる最中。

 だらんと垂れた私の頭は偶然香蓮の方を捉えていた。

 ルイはやり切れない表情を浮かべ、香蓮は大きく目を見開きながら視界の端に涙を浮かべていた。

 

 ……怪我は無さそう。

 なら、よかった。

 不意に香蓮の方へと自分の手が伸びる。

 これで良いなんて思ったけど、やっぱ私もっと香蓮と――。

 

「……?」

 

 傷ついた触手が、私の重さに耐えられなかったのか。

 ボロボロな触手が、唐突にちぎれた。

 

 ジャンの触手から滑り落ち、そのまま地面へ、真っ逆さまに落ちていく。

 体のコントロールを完全に失い、宙に身を委ねる。

 

(ああ、これ。死ぬな)

 

 助かりはしない。

 どこからともなく、自分の運命を悟る。

 そしてこんな状況だってのに、私の目は山の向こうに煌めく夕陽を見ていた。

 

 刹那、鳴り止まなかった風切り音が止み、しんとした静寂に包まれる。

 時間の流れがゆっくりに感じる。

 

 ああ、まだあの映画見てないや。

 あの路地裏のラーメン屋、最後まで行かなかったな。

 香蓮から借りた本返せてないや。

 

 最後の瞬間なのに、そんなどうでもいいことばかりが湧いてくる。

 

(……けど)

 

 最期に香蓮へ。

 数年ぶりに()()()()()()を向けることが出来た。

 それだけで今までの人生が、ほんの少しだけ報われた気がした。




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