孤高のリヴァイアサン   作:大和ユキ

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一人じゃない

「はあ……はあ……はあ……」

 

 さっきのところから何分走ったか。

 何キロか行った廃工場の群れの中、苔の生い茂る鬱蒼とした建物の中。

 水道がまだ通っているのか、壁からは水が滲み出ている。

 そして……錆と土の、嫌な匂いが立ち込めていた。

 

「な、なんとかなったな……!」

 

 ルイがそう息を洩らしながら腰掛けると共に、香蓮を手頃なブロックの上に座らせる。

 

「……はあ……はあ」

 

 息を切らす香蓮に、どこか違和感を覚える。

 香蓮を抱えていたのは私で、香蓮自身はただの少しも走ってないはずなのに。

 

「大丈夫?どこか苦しいの?」

 

「え?ううん!大丈夫、だよ!なんにも……ないよ!多分、ただの貧血だから……」

 

 香蓮は、言葉端に疲れを浮かばせながらそう口にした。

 ……まあ香蓮は元々貧血気味だし、香蓮が言うんだったらそうなんだと思う。

 強烈な違和感を感じつつも、半ば無理やり納得することにした。

 

「……サイレン、鳴ってるな」

 

 ルイにそう言われて、風に耳を傾ける。

 たしかに、飽きるほど聞いたサイレンがどこか遠くから聞こえてくる。

 異能事案が発生した時に起こる警報。

 

「こんな人気(ひとけ)ないところなのに届くんだ」

 

「あんだけ派手にやり合ったからな。周りにここで戦いが起こってるのがバレたんだろう。……被害に遭う人が僕ら以外に出ないといいけど」

 

 ルイはそうこぼしながら目を細め、何かを憂うような表情を浮かべた。

 ……自分たちが大変な時に他人の心配って。

 どこまでお人好しなんだって詰め寄りたくなる。

 

「ねえ、ルイ。聞いときたいことあるんだけど」

 

「ん?どうした?」

 

 ルイは細めていた目を開き、こちらへ向き直る。

 もう、ジャンからは逃げ切った。

 だけど、最後にこれだけは聞いとかなきゃいけない。

 

「ルイさ、あいつ(ジャン)と知り合いっぽかったけど……あれってどういうこと? 教えて」

 

 ルイのことを軽く睨みつけながらそう訊いた。

 ルイは目を一瞬見開き、眉を寄せながら視線を私から外した。

 

「……なんかあるってことね」

 

「ああ……実を言うと、ジャンは元は僕らの組織の人間だった」

 

 ルイは言葉を詰まらせることなく、つらつらと言葉を口にしていった。

 

「元々、あいつはあんな姿じゃなかった。タコ足の異能はあったけど、あそこまで強いやつじゃ――」

 

「そんなことはどうでもいい」

 

 ルイの言葉を切って、そう言い捨てる。

 こんな口の聞き方したくないのに、焦りと言葉だけが先に出る。

 

「……簡潔に言おう。こうなったのは、半分は僕らのせいだ」

 

「……あっそ」

 

 結局そうなのね。

 そうやって結論付けて言って振り返ろうとした。

 けれど、ルイが立ち上がり声を大にして私を呼び止める。

 

「待ってくれ、まだ重要なことを話せていない!」

 

 必死な表情を浮かべるルイ。

 そんな状態で立ち去ろうとすることに、僅かに罪悪感を覚える。

 

「……早くして」

 

 そうぼそっとこぼすと、ルイは僅かに安堵の表情を浮かべ、また言葉を連ね始めた。 

 

「こうなったのは僕らの組織のせいだ。組織のリーダーとジャンの間で争いがあって、ジャンは自ら出てった」

 

「そこをロムルスに突かれた、ってことでしょ?」

 

「そうだ。それに、ジャンの腕に付いている紋章を大和も見ただろ?ジャンはロムルスと契約を交わした。今回こうやって逃げ切れたけど、これで諦めるとは到底思えない」

 

「……そう、情報感謝」

 

 ぶっきらぼうにそう返す。

 踵を返し、ルイとは反対、香蓮の方へ向き直る。

 

「待ってくれ、確かに僕らが悪かった!けれどいきなりどうしたんだ!?」

 

 ダメだって言ってるのに。

 良識も、ルイの心配への嬉しさも。

 抑え込んでも、どんどん、どんどん湧いてくる。

 

 『捨てればいい』

 瞬間、心の中であの軽薄で嫌な声が音をたてて跳ねる。

 

「……ルイには関係ないって言ってるでしょ!!」

 

 反射的に、大声でそう返す。

 いきなりの事に、ルイは二の句を告げられないでいる。

 眉間がピクピクと動き、私の態度の豹変に絶句している。

 

 ……自分でも、筋の通っていないことをしてる自覚はある。

 けど、私はルイと関わるべきじゃなかった。

 そういう運命じゃなかったってだけ。

 

『あのルイとかいう男も、鈴原を守れたら捨てればいい』

 

 胸の内で、リヴァから言われた言葉を僅かな時間で反芻する。

 

 私は、香蓮と帰れれば良い。

 それで今まで通り。

 それでいいの。

 

 そう、無理やり言い聞かせた直後だった。

 

 目の前から、人が倒れる鈍い音を耳にする。

 うちっぱなしのコンクリートと骨がぶつかる嫌な音。

 目の前で起こったことの理解を、脳みそが一瞬拒んだ。

 

「……()(れん)……?」

 

 私の足元に倒れたのは。

 他ならぬ、鈴原香蓮だった。

 

「香蓮ッ!?」

 

「ご、ごめん……めぐちゃん……足元がふ、ふらついて……」

 

「鈴原ッ!」

 

 私が香蓮のことを抱き上げると同時に、ルイが香蓮のもとへ駆け寄る。

 

「香蓮っ!香蓮っ!どうしたの!?香蓮っ!」

 

「なんか……急に……目が回って……意識が……」

 

「意識、目が回る……鈴原、あの男(ジャン)に何かされたか!?」

 

「最初……足を……刺され……痛くて……」

 

 香蓮はそうとだけ残すと、私に体重を預けた。

 香蓮の全身から力が抜けていく。

 

 呼吸が出来ない。

 香蓮を抱きかかえる手が震える。

 なんで?

 どうして?

 どうするの?

 どうしたらいい?

 思考だけが駆け回るのに、何も結論が出てこない。

 

「……まさか!」

 

 ルイはそうこぼすと、香蓮の足をまさぐりはじめた。

 彼女のスカートをまくり、右脚のニーハイの下。

 そこにあったのは、出来たばかりの小さなかさぶた。

 

「しまった……見落としていた……!」

 

 ルイは大きく深呼吸をし、唾を一つ飲み込むと共に言葉を口にする。

 

「僕らが鈴原を取り返しても逃げられないようにするための……毒だ……!」

 

「毒……?」

 

 確かに、言われてみればここに来た時から様子がおかしかったけど……!

 

「な、なら!今から全力で安全なとこまで行って救急車を――」

 

「ムダだ……」

 

「なんで!?」

 

 そうこぼしたルイはスカートを戻すと、両手をぐっと握り込んで震わせていた。

 

「異能者の毒は、大抵その異能者オリジナルの毒だ。血清は、そいつにしか作り出せない。異能者に対しては動きを鈍らせる程度の働きしかしないけど……」

 

「香蓮は……異能者じゃない……」

 

「そうだ。そんなすぐ死ぬわけじゃないが……タイムリミットは長く見積もって数時間だろう」

 

「毒……し……ぬ……?」

 

 鼓膜だけが、どこか遠くへ遠ざかっていく気がする。

 鼓膜だけじゃない。

 私の意識が、ここじゃないどこかにあるみたいな。

 

 頭がふらつく。

 そのふらついた頭が、工場の真っ暗な空間の向こうを捉える。

 

『言ったろ?お前は贖罪以外に生きる道はないんだ』

 

「リヴァ……?」

 

 真っ暗闇の中に、リヴァのにやけ面とあの白い歯が浮かんでいる。

 丸い顔、白い歯、軽薄な声。

 

『こうなったのはルイのせいなのは分かるだろう? そしてお前がルイと会うなんて選択をしたからだ』

 

 にやけ面が、闇の中いっぱいに引き伸ばされる。

 (おお)きく、(おお)きくなっていく。

 

「私が……悪い……」

 

『そうだ、お前のせいだ』

 

 私のせい……。

 でも、血清はなくって、救うには……またあいつに立ち向かうしか……。

 

『何言ってる、立ち上がれ。時間は残されていない。さもなくば――』

 

「――と、や――と、やまと、大和!」

 

 音が一点に集まる。

 聞こえる。

 忘れていた呼吸が始まり、気管が音を立てて鳴く。

 

 ルイが、肩を揺らしながら私のことを呼んでいた。

 闇の中に浮かんだ、リヴァのにやけ面は……幻……覚?

 

「大丈夫か?大和まで急に息が荒くなってたぞ……それに急に”私のせい”とか言い始めるし。そんなわけないだろ、鈴原のことはこれから二人でって……おい、今度はどうした!?」

 

 手足の先から、血の気がすうっと引いていく。

 膝から崩れ落ちる。

 身体に力が入らないんじゃない。

 ぐっ……と、身体が重くなり、それに身体がついていけなくなるような感覚。

 

 無意識に、崩れ落ちた先にあった香蓮の手を取る。

 香蓮の手のひらは温かかった。

 けれど、指先はひどく冷えていた。

 血が(かよ)りきっていない。

 

 早くしないと、手遅れになってしまう。

 なのに、足に力が入らない。

 助けを求める香蓮を目にした時みたいな、昔みたいな純粋な助けたいって思いが。

 枯れてしまった水源みたいに、乾いて湧いてこない。

 

「香蓮が不幸になるときは……決まって私が傍に居た」

 

 気がつけば、出会ってそう長いわけでもないルイに、自分の気持ちを吐き出していた。

 嗚咽が出るでもなく、自分の瞳からとめどなく涙だけが溢れ続けていた。

 

 ルイは、周りを見回して辺りをさぐるような仕草をしたあと言葉を口にした。

 

「……聞かせてくれ」

 

 こんな話をしている状況じゃないっていうのに。

 それでも、彼は私の話を遮らなかった。

 言葉が一つ、また一つと自然にこぼれてゆく。

 

「六年前……お父さんに連れられて……私が、ぜんっぶの引き金を引いたの。ルイもさ、私のこと調べたんだったら知ってるでしょ?あの事件」

 

 言葉の整理がうまくいかない。

 声が上ずって、自分でも何を言っているのか分からない。

 チグハグな順序で、浮かんだ言葉を口にしていく。

 

 ルイは視界の端で小さく首を縦に振った。

 

「なら分かると思うんだ、私が近くにいると香蓮が不幸になるって。今回もそうだったでしょ……?」

 

 自分でも分かるレベルの、か細い声でそう連ねる。

 頬を伝った涙の(しずく)が、香蓮の手の甲に一粒、また一粒と落ちていく。

 目の周りがほんのりと熱をもつ。

 心臓だけが早鐘を打っているのに、心はどこか深い場所へ沈んでいくみたいだった。

 

「責めるわけじゃないけど……ならなんで鈴原から離れなかったんだ」

「……まだ、香蓮への罪を償いきれて――」

「違う。鈴原と大和が友達だからなんじゃないのか?」

「っ……!」

 

 思わずくわっ、とルイの方を向いて睨みつける。

 励まそうとしてくれてる、肯定しようとしてくれているって分かるのに。

 話を聞いてくれているのに。

 「あんたに何が分かるのよ」って言い返したい気持ちになった。

 

 けれど。

 出会ったばかりでこんなことを言うのは変かもしれない。

 でも確かに、彼はいつになく真剣な表情をしていた。

 

 喉元まで出た気持ちが、寸でのところで引っ込む。

 なんで、なんでこんな私の話をそんな真剣そうに聞いてくれるわけ?

 

「わけ……わかんないよっ……」

 

 自分の声が自分のものかも分からない。

 ただ、喉を通って空気がでていくだけのようにも感じる。

 

 もう一回、香蓮の手を見つめ直す。

 私が握っていた香蓮の手は、ほんのりと温かさを取り戻していた。

 けれど指先はいまだ真っ白なまま。

 まだ、血は通っていない。

 けれど、こんなに近くに香蓮の手があるのに。

 どこかすごく遠いところにあるような気さえした。

 

「もうね、分かんないの。私のこの香蓮への気持ちがほんとなのか嘘なのかも」

 

 しばらくの沈黙の後、また語りを始める。

 ルイはただ、黙って聞いていた。

 彼がただ強く地面を踏みしめる音だけが響く。

 自分の中で絡まってぐちゃぐちゃになった心情を、一つずつほどいて口にしていく。

 

「香蓮にたくさんの迷惑をかけた。命の危険に晒した。香蓮のことを助けるために人を殺した。だから、私はもう、失敗できないはずだったのに」

 

 一瞬ルイに気持ちを(あらわ)にしたせいか、沈み込んでいた感情が少しずつこみ上げてくる。

 さっきまで声にならずに流していた涙が、嗚咽と共に意味を持って溢れ出てくる。

 声が自然と大きくなっていく。

 

「なのに、私はまた失敗した!私は、償わなきゃいけないのに!私は失敗できないのに、できないのに、できな――」

 

 瞬間、私の左頬全体に、かすかにひりつく痛みが走った。

 一秒もないぐらいの間、廃工場全体に乾いた音が響く。

 見上げると、ルイが心に芯を持ったような。

 憂いのような、哀れみのような。

 いろんな感情を覗かせるような表情で、私の頬を叩いた右手を前へ出していた。

 

「大和……お前は、鈴原香蓮のことなんかこれっぽっちも見ちゃいない」

「……え?」

 

 ルイは、さっきよりも強く拳を握り込んだ。

 私が、香蓮のことを、見ちゃいない……?

 

「はは……どこか自覚はあったけど、他人から見たら既にそんなふうに見え――」

「それも違う」

 

 ルイはそう言うと、ゆっくりと腰を下ろした。

 右膝を突いて、私と視線の高さを合わせる。

 地面と触れた彼のズボンに、汚れた水滴が染み渡る。

 

「僕が君とこうやって接触したのは、僕の組織から言われたのもある……けれど、前々から鈴原さんが君の話を楽しそうにするのを見て、僕も君に対する興味が元々湧いてたんだ」

 

「……で、どうだった?失望した?」

 

「ああ、失望したさ。君は偏屈で、歪んでて。人の話をぜんぜん聞きゃしない」

 

 彼は僅かに口角を上げながら、私へそう告げた。

 私の欠点を公然と告げられた。なのに、なぜか悪い気はしなかった。

 むしろ、彼の言葉は親しみを持った軽口にさせ聞こえた。

 

「けど……ホントは君は誰よりも友達思いで、友達の気持ちを汲むことができて、優しい人なんだってことも、今日、分かった」

 

「……」

 

 すごく、すごく言い返したい衝動に駆られる。

 私は自分しか見てないこともあったし、香蓮の気持ちを無視することもあった。

 けれど、今は言い返しちゃいけない。

 言い返したくない。

 そうとさえ思えた。

 

「そんな気持ちが強すぎて、君は塞ぎ込んだんだ。悪い気持ちになってほしくなくて。友達を失いたくなくて。それに……愛想を尽かされたくなくて」

 

 ……私は、元々こうだったわけじゃない。

 記憶を掘り返せば、今よりももっと元気だった時期も、遠い、遠い昔にあった気がする。

 

「……今日だけで十分分かったさ。君がどれだけ必死で鈴原を守ろうとしてるか」

 

 どれくらい喋っていたのか分からない。

 たぶん、数分も経っていないはずなのに、ずっとここにいるような気がした。

 

 けれど、ルイが結局何を言いたいのか分からない。

 私を擁護したいのか、諭したいのか。

 

 ルイは、一つ、大きく息を吸い込み、言葉と共に吐き出した。

 

「……だからその、だな。大和は、鈴原香蓮のことじゃなくて〝罪〟とそれを償うことしか見えちゃいないんだ」

 

「……?」

 

 私が、罪しか見てない?

 どういうこと?

 

 思考が歪む。脳みそがぐちゃぐちゃに掻き乱される。

 吐き気にも似たくらくらした感覚。

 けれど、違う。

 

 既に淀んでいた思考が更に濁っていくんじゃなく。

 何かが一つ、また一つが音を立ててはまっていく。

 

「さっきも言ったけど、鈴原さんは君のことをこれっぽっちも悪く言っちゃいなかった」

 

 そう告げたルイは、私の手を取った。

 彼の手には大きなペンだこが出来ていて硬い。

 男の人の手に触れるのは初めてで、同時に幼気(おさなげ)な印象の残るルイとのギャップに小さく息を呑む。

 

「君は、今まで一人で償いを背負ってきた。たった一人で自分の命を、鈴原の安全を守ってきた。けど……もう、贖罪は終わってるんだ」

 

「……え?」

 

「だって、鈴原が君のことを話しているときのあの屈託のない笑顔の裏に、君への憎みがあるだなんて……僕にはとても思えない」

 

 ルイは、微かに視線を落としつつも、どこか懐かしそうにしていた。

 

 香蓮は私のことを、裏で楽しそうに話していた。

 そして、その中で私を悪く言うことはなかった。

 

 今までも、理性では理解していた。

 香蓮がそんなことするはずないって。

 けれど、私は、私が信じられなかった。

 言い聞かせることができなかった。

 

「けど……鈴原は君に対してどこか申し訳ない気持ちを抱いてた。彼女も、余計なことを考えてた。大和には他に身近な人もいなかった。だから、これを言う人はいなかったけど……」

 

 そう言うとルイは、ぐっとこちらに寄ってくる。

 

「君が許されていいって、僕は思う。君はもう、償う必要はないんだ」

 

「……なんで、そんな事言うの?」

 

 そんなわけない――。

 っていつもの私なら即座に言い返してる。

 今も、そんな衝動がどこからか湧いてくる。

 なのに、今は――。

 

「ずるいよ……!」

 

 瞬間、ぶわっと涙が溢れ出す。

 廃工場には、私が制服で両目を擦り、鼻をするる音だけが響き渡っていた。

 今まで、この六年の間心の奥底に溜まっていた真っ黒な空気が、嗚咽と共に吐き出される。

 

 ずっと、ずっと欲しかった言葉。

 認めたくても、自分で認められなかった事。

 

 なんで私は、こんな簡単なことを認められなかったんだろう。

 確かにあのときの私には、それしか選べなかったのかもしれない。

 

 けれど、チャンスはいくらでもあったのに。

 いつしか、私と香蓮の繋がりが贖罪以外無いんだって、勝手に決めつけていた。

 

「今まで大変だったな。大和は、自分ができる限りのことをした。頑張った……で、その、だな」

 

 ルイは軽く自分の頭をポリポリと掻いた。

 若干頬が緩み、赤くなっている。

 本人のそれをからかったら「夕陽のせいだ」って言い訳が返ってきそうな。

 

 「……これからは一人じゃない。鈴原が、そして僕が傍についている」

 

 一人じゃ、ない。

 

 寂しかった。

 近付いてくる人を傷つける気がして。

 

 楽しそうな香蓮の横で、笑ってるふりをしてた。

 香蓮とすら、心の底から楽しい関係を築けていなかった。

 

 ルイの胸元へ、香蓮の手を握ったままそっと額を添える。

 ルイは一瞬驚いたけれども、すぐに私の頭を抱きしめてくれた。

 彼の身体は細く引き締まっていて、そして温かかった。

 香蓮が包み込んでくれるような温かさだったとするなら、ルイは陽の光のような温かさ。

 

 深い、深い谷の奥底まで、陽の光が行き渡る。

 

 もう、頼っていい。

 もう、償わなくていい。

 そう思うだけで、小さな。

 けれど大きな一歩を踏み出せた気がした。

 

 ふと闇の奥に目を向けても、あの室外機がにやけ面に見えることもなかった。

 

 私はしばらく、ルイの胸元で泣き続けた。

 どこかにはまだ、小さな棘の残滓がまだ残っている。

 けれど、それを抱えたままでも前を向ける気がした。

 

 胸の奥で、忘れていた何かが。

 あの事件の前から眠っていた何かが、やっと息を吹き返した気がした。




今回かなり力入ってます。
っていうか、読み返してて「ほんとにこれを俺が書いたのか……?」って疑うぐらいには気に入ってます。
もし気に入っていただけたら、お気に入りや評価の方よろしくお願いします、大変励みになります。
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