01 お前は、弱い
昨夜から胃に入れたのは水道水だけ。財布の中身は小銭が数枚で、銀行口座の残高もそう変わらない。
週が明ければ待ってもらった家賃の期日が来る。そうなれば無職のカスは住所不定無職のカスへと昇格だ。
働けと理性が正論を吐き、シラベはそれを寝返りで黙らせた。給料なんて待っていられない。今必要なのは、今日のパンと明日の寝床を引き換える為の即金だった。
「何か、あるよな」
万年床から這い出し、押し入れを開ける。雪崩れた着古しの服をどけると、奥には捨てそびれたガラクタや見た目が良くて取っておいた空の酒瓶が詰まっていた。
不要と知っていても捨てられないのは昔からの悪癖だ。リサイクルショップへ持ち込んでも、値段がつくより処分費を取られそうな物ばかりだった。
そんなガラクタの山を脇へ退けていく途中で、シラベは押し入れの最奥にある段ボール箱に目を留めた。
引き摺り出して埃を払う。箱の側面にはマジックで、『カード』という見覚えのある殴り書きがされていた。
「……マジか。まだ取ってあったのかよ」
ガムテープを剥がし、蓋を開ける。埃の奥にあるインクと紙の匂いを嗅いで、途端に脳の奥が疼いた。
箱の中で眠っていたのはシラベが高校から大学までの青春とバイト代と単位のいくつかを捧げた
くすんでひびの入ったプラスチックのデッキケース。ノーマルカードを詰め込んだストレージボックス。お気に入りを適当に挿しただけのバインダー。彼らは仕舞い込んだ時そのままの姿でシラベを出迎えてくれた。
とっくに捨てたか売り払ったか実家に送り付けていたかと思っていたが、こんなところに眠っているとは。
(エインヘリヤル・クロニクル──ECは新しいパックが発売されてるのを前に見た。サービス終了してないはず。いや、終了してもカードの買い取りは絶対にある)
懐かしさよりも皮算用の方が早い。レアか、あるいは古くて供給の絞られたカードなら、今でも値がついているはずだ。カードゲームでは新規のカードが刷られなくなって十数年経とうとも高額で売買されるものもある。
あれほど時間と金を捧げて来たのだ、1枚で家賃が消えるような爆アドカードが紛れていたって罰は当たらないのではないか。いや、あるべきだ。
大学を出るのと同時に、この趣味を自分は自分で箱へと封じた。それから二年そこら社会の歯車として働き、カスのような濡れ衣で会社を追われて今のザマだ。また紙束を漁る理由が食うに困っているからだなんて、あの頃の自分は想像もしなかっただろう。
シラベはストレージを掘り返していく。たちまち床に極彩色の紙片が積み上がる。『灰被りの機甲兵』、『弱者狩りの聖騎士』。懐かしい絵柄が次々と顔を出すが、どれも記憶の限り十円ストレージの常連だ。
(もっと値の張りそうなやつを持ってなかったっけ。今なら変なコンボに使われる可能性もあるのか? また電気屋のパソコンで検索するか)
焦りで指が雑になる、その時だった。散らばったカードの山で一枚だけ、唐突に眩く光り輝いた。
「うおっ!?」
紫の燐光が薄暗い六畳間に瞬く。後ずさるシラベの前で光の出どころ──ホログラム加工の一枚が、ふわりと宙に浮いた。鼓動するように脈打つ光がシラベを覆い、部屋中に拡散していく。
粒子が渦巻き閉め切った六畳間に突風が吹き荒れた。
顔を覆うシラベは、その中心に人型が出来上がっていくことに気付いていない。
「──再臨プロセス完了。実体化シーケンス、起動」
涼やかで、どこか冷たい女の声が響いた。
光が弾ける。シラベが目を開けると、そこに一人の女が立っていた。
薄汚れたアパートには不釣り合いなほど、堂々とした立ち姿だ。胸元を大胆に開けた赤の装束に、肩からマントのように羽織った灰色の軍装と思しきコート。黄金の髪は結晶めいた髪飾りで纏められている。
何より目を奪うのがその身体だった。今にもこぼれ落ちそうな常識外れに豊かな胸。冗談みたいにくびれた腰。黒いストッキングを張り詰めさせる太腿。
二次元の誇張をそのまま三次元へ出力したような造形なのに歪みは一つもなく、その姿はカードで見て来た通りの美しさを保っている。
彼女は紫電の瞳でシラベを見下ろし、腰のサーベルに手を添えた。
「久しいな、我が契約者。ドゥブランコ王家第三王女、レヴェローズ・ドゥブランコ。戦線への復帰要請、確かに受領した」
聞いたことのない声なのに、一度耳にすればこれ以外あり得ないと思える自然な響きが耳に馴染んだ。
軍靴が畳を踏む音。閉め切った部屋へ混じった甘い香り。服を翻す所作の度に揺れる胸の質量。全てが目の前で存在しているとしか思えない。空腹が見せる脳のバグにしては何もかもがリアルすぎた。
「まじかよ」
そんな奇跡を目の前にして漏れたのは感動でも恐怖でもない、乾いた呟きだった。
目の前にいるのは、かつての愛用カード──『
これが物語であるなら、主人公は運命の出会いに胸を熱くするんだろう。美少女との同居に浮かれるか、その体を好き放題にするか。あるいは何らかの使命を負わされるのか。夢は無限大に広がっていくのだろう。
だがシラベは二十五歳の無職で、年季の入ったカードゲーマーくずれだった。主人公を気取るには歳を取りすぎ、女遊びをするには気力が尽き、そしてカードに関しては──とっくに目が肥えてしまっていた。
シラベは立ち上がって埃を払い、目の前の美女をしっかりと見る。
そして、腹の底から長く深い溜め息を吐いた。
「よりによって、お前かよ」
レヴェローズの眉がピクリと跳ねた。
「……よりによってとはなんだ。契約者よ、貴様はかつて、私をデッキの切り札として重用していたはずだぞ」
「ああ、使ってたよ。大学までずっとな」
シラベは散らばるカードの山に目を落とし頭を掻く。
「あの頃の俺はガキだった。イラストがエロいってだけでお前をエースだと信じてたんだ。デカい胸と太ももに釣られてな」
「む……ふ、不愉快な言い分だが、契約者にそう見られているのは、その、悪い気は……うむ」
頬を赤らめ、咳払いをするレヴェローズ。確かに可愛い。視覚的な満足度は満点だ。これがギャルゲーなら迷わず最初に攻略する。
だが、カードの話となると別だ。その美貌には戦術的価値が1グラムもない。シラベは創作物の美女が顕現するという異常事態において、自分でも驚くほどに早く順応して冷静さを取り戻していた。
「いいかレヴェローズ。今の俺にはガキの頃にはなかった判断力がある。だからはっきり言わせてもらうぞ」
シラベは彼女を指さし、告げる。
「お前は、弱い」
「なっ……!?」
レヴェローズが絶句する。シラベは構わず、床に落ちているバインダーを開いた。そこにはホログラム加工されていない、通常仕様のレヴェローズのカードがある。やはりデカい。
『
コスト:〈8〉
タイプ:機械・生命体
・伝晶6(この生命体は
・あなたのターン開始時に、あなたがコントロールする各「伝結晶」生命体の上に
[0/0]
175cm/68kg/B124(K)/W58/H96
「まずコストだ。8。重すぎる。こんなコストが出せる頃は勝負は終わり際だ。普通の環境だったらお前を期待している間に盤面が傾き轢き殺されて終わる」
「し、しかし、私が戦場に立てば、伝結晶の力で鉄壁の陣地を……!」
「立てれば、な。仮に立ったとしてだ」
テキスト部分を指で示す。ご立派な伝晶6という数値は腰にある紫色の結晶体六つが示すものであって、その大きな胸はおそらく関係無いのだろう。
「着地でカウンターが六個乗って、実質6/6。コスト8で6/6じゃあデカいことはデカいがそれだけだ。それだったらもっとプラスな能力を積んだ上で同サイズがいくらでもいる。割に合わねえ」
そして、テキストを示していた指を下に滑らせる。
「極めつけがこれだよ。ターン開始時に『伝結晶』生命体たちへCCを置いていく効果。自己強化も兼ねているからこれだけ見れば強力だ。だがな、ターンの開始時ってことは、出たターンは何もしないただの置物だ」
シラベは、対象を指定する一文を指で叩いた。
「おまけに『伝結晶』指定はどうしても汎用性も低い。返しに除去を撃たれたら8マナ払って棒立ちのまま退場だし、次のターンまで生き残れなきゃこの効果はただのインクの染みだ」
「ぐ……っ、だ、だが、運用次第では……!」
「運用もクソもあるか。お前には『即時行動』もなければ『固有領域』もない。フィニッシャーみたいなご立派なデカさを持つなら、出た瞬間に盤面をひっくり返す能力か、せめて除去耐性くらい持っててくれ。お前はそのどっちもない。胸と尻と太もも以外何もないんだよ」
シラベの言葉は止まらなかった。相棒だと信じていた時間が長かったぶん、大人になってロマンや言い訳を忘れ効率ばかり覚えた今の落胆は思っていたより深い。
目の前の彼女がどれだけ美しくても、どれだけ豊かな体をしていても、カードのスペックが一行たりとも変わるわけじゃない。
「お前はカスレアだ。ストレージの肥やしに過ぎない」
「カ、カスレアっ!?」
「ああそうだ。箔押し加工でせいぜい百円てとこだろ」
「百……」
「なんで俺はお前を取っておいたのかね。こんなのよりトップレアのヴェルガラの方があればな。あっちはコスト2でサクリ台能力が超優秀、今でも伝晶デッキの必須パーツだろ。売れば一万は堅いし何よりエロい」
「ね、姉様の方が良いだと……!?」
「当てた覚えもねえけどな、ヴェルガラ」
シラベは肩を落とし、床へ座り込んだ。昔の自分がこいつに懸想していた黒歴史が暴かれ精神は疲弊しているものの、肝心の金策はまるで進んでいない。
「……はぁ。マジでハズレ引いたわ」
総督閣下は何も言い返さず、わなわなと震えている。その姿を見上げたところで、もう一度腹が鳴った。不可思議な同居人は間違いなく目の保養にはなるが、腹の補給にも懐の補強にもなりはしない。
「とりあえず、飯と金をどうにかしねえと」
差し迫った空腹の前では、王女も不可思議現象も後回しだった。
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