カスレアクロニクル   作:すばみずる

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第一部
01 お前は、弱い


 六畳一間のアパートには、絶望という名の静寂が澱んでいた。

 

 押江(おしえ)シラベは万年床の横に転がる発泡酒の空き缶を無造作に蹴り飛ばし、埃っぽい押し入れを睨みつける。

 

 腹が鳴った。昨日の夜から水しか飲んでいない胃袋が、自らの内壁を消化しようと悲鳴を上げている。

 

 財布の中身は三百円と小銭が数枚。銀行口座の中身もそれほど変わらないはす。週が明ければ待ってもらっていた家賃の支払期日が到来し、無職のカスは住所不定無職のカスへと変貌を遂げることになる。

 

 理性が叫ぶ働けという正論をシラベは無視した。いま必要なのは来月の給料ではなく、今日のパンと明日の居場所を確保するための即金だった。

 

「何か、あるはずだ」

 

 シラベは呟き、押し入れの襖を乱暴に開け放つ。まず雪崩れてきたのは着古した服。それを乱暴にどけた先に鎮座しているのは、数々のガラクタたちだ。どれもこれも、捨てられず中途半端に溜め込んでしまっていた何かの残骸たち。当時は何を思っていたのか、25年程度しか生きていない頭は足りない栄養のせいか、ろくに記憶を再生してくれない。

 

 もしかすると使えるのではないかと思ってしまい、手放すことを躊躇する。それが自分の悪癖だと分かってからは、多少意識して物を捨てるようにしてきていた。だが、それでも染み付いたものはなかなか無くならない。

 

 リサイクルショップに持っていけば一山数十円にはなるかもしれないゴミ同然の代物を脇に退けていく内に、シラベは押し入れの最奥にあった段ボール箱に目を留める。

 

 引き摺り出し、埃を払う。ガムテープで封印されたその箱には、黒のマジックで『カード』と殴り書きされていた。

 

「懐かしいな……。まだ取ってあったのか」

 

 箱を開ける。そこにはかつて高校、大学時代のシラベが青春とバイト代と単位の全てを捧げたトレーディングカードゲーム「エインヘリヤル・クロニクル」の遺産が眠っていた。

 

 プラスチック製のデッキケース、大量のノーマルカードが詰まったストレージボックス。気に入ったカードを適当に差し込んでいたバインダー。

 

 埃に負けない独特のインクと紙の匂いが鼻腔をくすぐると同時に、シラベの脳内で皮算用が弾かれる。

 

EC(エインヘリヤル・クロニクル)はまだサービス終了してない。レアカードか、単純に古くて供給が少ないカードなら価格がついている可能性がある……!)

 

 かつては愛してやまないゲームではあったが、大学卒業をきっかけに自分で封じ込めた。そこから2年とそこら働いた後、カスのような濡れ衣で辞める羽目になり今のザマだ。

 

 こうも落ちぶれた自分が再びカードを握る日なんて来ないだろう。背に腹は代えられない。シラベは獲物を漁るハイエナのような手つきでストレージボックスを片端に掘り進める。

 

 床に積まれていく極彩色の紙片。『灰被りの機甲兵』や『弱者狩りの聖騎士』といった懐かしいイラストが目に飛び込んでくるが、どれも記憶にある限り十円ストレージの常連ばかりだ。

 

 焦りが募る。もっと価値のあるもの、一発で家賃を払えるような爆アドカードはないのか。

 

 その時だった。散乱したカードの山の中で、一枚だけが異常な脈動を始めたのは。

 

「うおっ!?」

 

 紫色の燐光が、薄暗い部屋の中で瞬いた。

 

 LEDのような電気的な光ではない。もっと脈打つように有機的で、粘度のある光だ。

 

 シラベが尻餅をつきながら後ずさると、光の源──1枚のホログラム仕様のレアカード──がふわりと宙に浮き上がる。

 

 カードの枠が溶解し、光の粒子が渦を巻いて収束していく。六畳間の狭い空間に、物理法則を無視した突風が吹き荒れた。

 

「──再臨プロセス完了。実体化シーケンス、起動」

 

 涼やかだが、冷徹な響きを持つ女の声。

 

 光が弾け飛ぶと、そこには一人の女性が立っていた。

 

 いや、立っているという表現は生温い。彼女はそこに君臨していた。

 

 華美かつ見目麗しく胸元を大きく空けた赤の装束と、肩に掛けられた灰色の軍服。プラチナブロンドの髪は結晶物のような質感の髪飾りで後ろにまとめ上げられている。

 

 何より目を引くのは、その暴力的なまでの身体的特徴だ。

 

 大きくデコルテを晒す赤き装束に包まれた、常識外れに豊満な胸部。冗談のようにくびれたウエスト、そして白のストッキングに包まれた肉感的な太腿。

 

 それは二次元の誇張表現をそのまま三次元に出力したような造形だった。だが決して歪んではおらず、記憶にある絵柄通りの美麗さを保ち続けている。

 

 彼女は紫電の瞳でシラベを見下ろし、腰に佩いたサーベルの柄に手を添えて言った。

 

「久しいな、我が契約者よ。ドゥブランコ王家第三王女、レヴェローズ・ドゥブランコ。戦線への復帰要請、確かに受領した」

 

 凛とした声はやや高く、かつてシラベが夢想した威厳あふれるものとは違う。だがこうして聞いてしまえば、これぞこのキャラクターの声であると真実疑わないものだった。

 

 肩にかけた軍服を翻す所作、揺れる胸元の質量。それらも共に受け止めたシラベは、呆然と口を開ける他ない。

 

 夢か、幻覚か。あるいは空腹による低血糖が引き起こした脳のバグか。

 

 だが、彼女が動くたびに漂う微かな甘い香りと、軍靴が畳を踏みしめる軋みは、残酷なほどにリアルだった。

 

「……まじかよ」

 

 シラベの口から漏れたのは、歓喜でも恐怖でもなく、乾いた呟きだった。

 

 目の前にいるのは、かつて自分が愛用していたカード、『伝結晶総督(クリスタライズ・ガバナー)レヴェローズ・ドゥブランコ』その人だ。

 

 画面の向こうや紙切れの上ではなく、生身の女として、しかも極上の美女としてそこにいる。

 

 普通の男なら、あるいは物語の主人公なら、ここで運命の出会いに感動したり、美少女との同居生活に胸を躍らせたり、あるいはその肉欲を満たす容姿を好き放題にする場面だろう。

 

 しかし、押江シラベは25歳の無職であり、同時に年季の入ったカードゲーマーくずれだった。主人公というには年が行ってしまい、女遊びをするにしても今は気力を失い、そしてカードというものに対して蒙が啓いてしまっていた。

 

 彼はゆっくりと立ち上がり、埃を払うと、目の前の美女──レヴェローズをしげしげと観察した。

 

 そして。深く、重く、臓腑の底のさらに底から溜め息を吐いた。

 

「はぁ……。よりによって、お前かよ」

 

 レヴェローズの眉がピクリと動く。

 

「……『よりによって』とはどういう意味だ。契約者、貴様はかつて、私をデッキの切り札として重用していたはずだが?」

 

「ああ、使ってたさ。大学までずっとな」

 

 シラベは先程の勢いで散らばったカードの山に視線を落とし、頭を掻いた。

 

「あの頃の俺はガキだったからな。イラストがエロいって理由だけで、お前をエースカードと信じてたさ。デカい胸と太ももに釣られてな」

 

「む……そ、それは……不愉快な言い分だが、契約者にそう見られているのは、悪くは……うむ」

 

 レヴェローズが僅かに頬を赤らめ、咳払いをする。その反応は確かに可愛い。視覚的な満足度は百点満点だ。もしこれがギャルゲーなら間違いなくこいつのルートを最初に選ぶ。

 

 だが、カードゲームの話となると別だ。その美しさには、なんの戦術的価値も無い。

 

「いいか、レヴェローズ。今の俺には冷静な判断力がある。だからはっきり言わせてもらうぞ」

 

 シラベは彼女を指さし、残酷な事実を突きつけた。

 

「お前は、弱い」

 

「なっ……!?」

 

 レヴェローズが目を見開き、絶句する。

 

 シラベは構わず続けた。まるで長年の鬱憤を晴らすかのように。

 

「まずコストだ。コスト8だぞ? 8なんて重すぎて、出せる頃には大抵勝負が決まってるんだよ。普通の環境じゃ、お前が出る前に轢き殺されて終わりだ」

 

「し、しかし! 私が戦場に出れば、伝結晶の力で堅牢な防御陣地を……!」

 

「出れば、な。仮に出せたとしてだ。お前のスタッツは? 着地効果でカウンターが6個乗るから実質6/6。コスト8で6/6だぞ? デカいと言えばデカいがコスパが悪い」

 

 シラベは指を折って数え上げる。

 

「しかも、お前には『即時行動』もなければ『固有領域』もない。出たターンは何もしないただの置物だ。返しで除去を撃たれたら8コスト払って何もしないで退場。『伝晶』で強化だけは残せるが、それだって受け渡し先が無きゃ意味ねえ」

 

「ぐ……そ、それは運用次第で……!」

 

「運用もクソもあるか。フィニッシャーなら出た瞬間に盤面に干渉するか、除去耐性くらい持っててくれよ。お前の効果、自分のターン開始時に『伝結晶』にカウンターを乗せるだけだろ? 次のターンまで生き残らなきゃインクの染みだぞ」

 

 シラベの言葉は止まらなかった。

 

 かつては自分の相棒だと信じていたからこそ、大人になって効率を知ってしまった今の落胆は深い。

 

 目の前のレヴェローズがどんなに美しくても、どんなに豊満な肢体を持っていても、カードとしてのスペックが変わるわけではないのだ。

 

 この金欠の状況でもし売るとしても、こいつはカスレアだ。店のストレージの肥やしにしかならない。たとえ箔押し加工でも、ファイリングされて100円程度が関の山だ。

 

 シラベは再び溜め息を吐き、虚空を見上げた。

 

「あーあ……。こんなのが出てくるより、トップレアのヴェルガラの方があればなぁ。あっちはコスト2でサクリ台付き、伝晶デッキの必須パーツで売れば一万は堅いし、エロいし」

 

「ね、姉様の方が、だと……!?」

 

「当てた覚えねえけどな、ヴェルガラ。……はぁ、マジでハズレ引いたわ」

 

 シラベはがっくりと肩を落とし、万年床へと座り込んだ。

 

 目の前にはプライドをズタズタにされ、わなわなと震える総督閣下が取り残されていた。




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