月山は膝の上で手を組み直し、闇の中で語り続けた。
「あれは男にたかる寄生虫ですよ」
過去とされるものを聞いたシラベの耳には、それが枯れた声に聞こえた。感情が乏しく愚痴にすらならず、事実を陳列しているだけの声。
「しかも厄介なことに、物理的な枠組みに存在しない。追い出すことも、閉じ込めることも出来ない。私はあれを受け入れるしかなかった」
シラベは黙って聞いていた。大穴が作り上げた結界の中で、月山の横顔だけが薄く見えている。
「あれは幸運を巡らせますが、あれ自身もその幸運も、私の意志には関わりません。むしろ占いを楯にして、私を顎で使ってきますね」
月山の声に、僅かな苦みが滲んだ。
「お願いを聞いてくれないと凶兆について占ってみようかな、とか。明日の会議が上手くいくかどうか占ってあげようか、でもボクの機嫌次第だけどね、とか。そういう類の陰湿な言葉です」
シラベの脳裏にレヴェローズの顔が浮かんだ。あのポンコツは私を使えと喚き散らすが、少なくとも脅迫めいたことはしない。うるさいだけだ。
精霊を飼うにしてもうるさいだけで済んでいるのは、あるいは幸運なのかもしれない。
「クモンという小学生。あの子を見つけた時もそうです。わざわざノルドリッチを連れてほうぼう歩き回りました。彼女に引かれるまま、公園を、商店街を、住宅街を。偶然見つけた少年を見て、ノルドリッチが言ったんです。『あの子の運命は使える』と」
「それでチケットを渡したのか」
「ええ、彼女にねだられるまま。ノルドリッチがそう判断した以上、私に拒否権はありませんでした」
月山は笑った。空虚な笑みだ。
シラベは月山の話を一通り聞き終えて、暗闇の中で顎に手を当てた。
口にはしない。だが、月山は被害者であるように振る舞っている。ノルドリッチに精力を奪われ、意志を無視され、幸運という名の鎖で繋がれている。語り口だけを聞けば、同情に値する境遇だ。
だが完全な被害者と言うには、シラベの中で何かが引っかかっていた。
「お前の話を信じるとして、一つ気になるところがある」
「なんでしょうか」
「ノルドリッチの体型だ」
月山の眉が、僅かに動いた。
「あいつはひどく平坦な、子供同然の体型をしているだろ」
シラベはカードの中の絵と、ステージにあった姿を思い出す。その胸は平坦であった。
「たとえ幻想的な、アニメに出てくるようなキャラクターだとして。明晰夢の中でその姿を見て、それを抱くなんて行動に至るのはまずおかしいだろ」
闇の中で、月山の笑みが浮かんでいる。気味の悪い顔だと、シラベはようやく思う事が出来た。
「それと、ごまかしたままのようだが。ヒナタと時間を作ろうとしたのはなんだ。あいつに何をするつもりだった」
シラベにとって月山の述懐はどうでもいい事だった。ある種の哀れみすら覚える出来事があった事は理解したが、その上でシラベの友人ににじり寄ろうとする態度は一層の警戒を強める。
月山は笑みを維持したまま数秒の間を置き、口を開いた。
「私は生来の性癖では昂ぶらせることが出来なくなりました」
声に揺らぎはない。焦りも、恥じる気持ちも含んでいない、他人事とも思える語り口。
「ですが、亜修利社長の姿は──普通の人間にとって性的興奮を覚える対象なのでしょう」
シラベの目が細まった。正視に堪える笑みだ。耳も塞ぎたかったが、かろうじて我慢をする。
「あの身体を思うさまに使っていれば、また私の中で性欲が生まれてくれるかもしれないでしょう?」
月山は笑う。枯れた笑みの底に、湿った執着が覗いている。飢えた獣の亡骸を抱えながら、まだ飢えることを選ぼうとする男がそこにいた。
自分の欠落を他人の身体で埋めようとするその姿は、彼が忌避している寄生虫と大差が無い。シラベにはそう見えた。
「そうか」
シラベの声は静かだった。
「そうか、そうか。つまりお前はそういう奴なんだな」
声に怒りは無い。怒る事ではないからだ。ただ、目の前の人間がどういう生き物なのかを確認し終えた、その呟きに過ぎない。
「カルメリエル。いいぞ」
シラベが虚空へ呼ぶ。そこから先は、月山が反応するよりも早かった。
闇の上空から、何かが落ちてくる。
金属の光沢が先んじて黒い空間を貫いた。人間大に作られた巨大な独鈷杵が、重力に従って真っ直ぐに落下してきた。先端の刃が闇を裂き、風切り音が一瞬だけ鳴る。
剛金独鈷シルヴァルナ。かつて国を亡ぼす一因となった神器が、月山とシラベの前に降り立つ。
「は?」
困惑の声は、月山のものだけではなかった。シラベもまた想像以上のエントリーに眉根を寄せていたが、闇の中から這い出るように独鈷所の柄を掴んだ者は二人の困惑を斟酌しない。
シルヴァルナの持ち手と思しき部分を掴んだ手の主は、一切の重さを感じさせず独鈷杵を振り下ろす。
光の無い中でも浮き上がるように、シスター服の裾が翻る。ピンク色の髪が風に靡く。穏やかな微笑みを一切崩さないまま、カルメリエル・ドゥブランコは神器の一撃を月山シジマの頭頂部に叩きつけた。
鈍い音の後。月山の身体がぐらりと傾き、横に崩れ落ちる。白目を剥いており、完全に意識が飛んでいるのは明白だった。
シラベは倒れた月山と、シルヴァルナを傍に浮かせたカルメリエルを交互に見やる。
「……性根がカスなのが確認出来たらどうにかするってお前が言うから、とりあえず言い分を引き出したけどよ。この後どうするつもりだ?」
月山へと踏み込む少し前。白髪の少女という精霊の登場に異常を察知したカルメリエルは、面倒ごとの対処の為にシラベの元へと向かい相談を持ち掛けた。ヒナタとの密会(と言う名の練習会)を繰り返しているシラベなら、ヒナタのハレの舞台の裏について何か知るかもという思案と、どうせこの男なら何とかするだろうという信頼の元での判断だ。
カルメリエルの明け透けな丸投げする態度にシラベは元々の黒幕らしくしろよと苦言を呈しつつも、ヒナタが零した月山との賭けと、現れたノルドリッチの映像が精霊であるという情報を繋ぎ合わせ、月山を野放しにするとヤバいかもしれないという方向性をカルメリエルと一致させる。
だが月山は社会的立場のある人間であり、迂闊なことは行えない。アルバイト店員であるシラベでは社会的な立場が異なるし、カルメリエルが浮浪者ネットワークで得ていた情報からエデンパクトがヤのつく自由業との関係も大枠には分かっている。禍根を残すようなことにはしたくない。
話を聞かないことには対処は難しいが、話をする場に立つには諸々の差がありすぎる。どうにかする手段として選んだのが、問答無用の強襲だった。遊び疲れていた大穴を宥めすかすことで協力を取り付け、彼女の結界に閉じ込めることにより、シラベ側を条理の外にいるものと思い知らせる。冷静にさせる間を与えずに月山の口を割らせるのがカルメリエルの計画だ。
あるいは月山と対戦してアンティを取り付けることで口を割らせるかともシラベは思っていたが、するすると語る月山のお陰でその不安は杞憂に終わり、そしてカルメリエルの危惧通り月山の醜悪な性根は露呈した。
処置無しと判断すれば、カルメリエルが『適切な対処』を行うというのはシラベも事前に打ち合わせている。シラベは相手が社会的立場を持った人間で、迂闊な真似はするなよと十分に釘を刺したうえでカルメリエルはお任せくださいと頷いていた。
だが、まさか鈍器で殴打をするとまではシラベも思っていなかった。
「まさかシルヴァルナの洗脳って、対戦中でもないのに出来るのか」
「残念ながら、この神器の権能を振るうことは出来ません」
カルメリエルは首を横に振った。徐々に浮力を失い、闇の底に突き立った独鈷杵へ杖のように寄りかかる。
「結界内ということで、このように物品として出現させることは可能ですが。戦いの場でなければ、精神操作などは到底」
「じゃあどうすんだよ。こいつをぶん殴って気絶させただけか」
「いえ。これはあくまで麻酔のようなものですわ」
「俺が知ってる麻酔と違う」
「
カルメリエルが微笑む。シラベは相手の手札を叩き落とす『初対面の挨拶』のイラストが、暴れる患者を殴って黙らせる看護師の姿であった事を思い出してしまい黙るしかなかった。
「シラベ様が気を引いてくださった合間に精査しましたが、この男の場合は既に人間として抜け落ちているものが多すぎます。抜け落ちた部分に伝結晶を注ぎ込んで補い、余計な妄執と性癖の残滓についてはところてんのように押し出せるよう試してみましょう」
倒れた月山を見下ろすカルメリエルの目が薄く開く。シラベやミトラ、大穴、レヴェローズにすら決して向けられない、冷え切ったエメラルドグリーンの瞳。それが実験動物に対するものであることは、誰の目にも明らかだった。
シラベは口を開きかける。人体実験だろそれは、という苦言が喉元まで上がってきたが──月山の先ほどの言葉が脳裏を過り、シラベは口を閉じた。
元々の性癖がアレで、ヒナタを手籠めにしようとした事実は変わらない。放っておいても害しかない。
「……せめてまともな人間にしてやれよ」
シラベはそれだけ言い、月山の冥福を祈るように手を合わせる。どうにせよ今の彼とは永遠におさらばとなることだろうと、シラベは確信していた。
「ご理解いただけて何よりですわ。では、こちらは大穴の結界内で諸々済ませますので、シラベ様は先にお戻りくださいませ」
カルメリエルが指を鳴らすと闇の一角に切れ目が入り、外の光が隙間から差し込んでくる。VMコロッセオの照明だ。
シラベは立ち上がり、切れ目に向かって歩き出した。背後でカルメリエルの笑い声が大きくなっていく。月山に対してこれから何が行われるのかは、知らない方がいい気がした。
闇を抜けると、光がシラベの目を刺して出迎える。虚空を歩くような違和感は消えており、賑やかな音が現実感を補強する。
VMコロッセオの通路の物陰から、シラベは姿を現していた。パーティションの明るい光と、観客席の歓声が一気に押し寄せてくる。
対戦は既に終わっていた。パーティションには、『WINNER : HINATA ASHURI』と言う文字が浮かんでいる。
シラベはステージの上を一瞥した。ヴェルガラの衣装を纏った破廉恥な恰好のヒナタが、フィールドの中央で小さな少年と握手を交わしているのが見える。パーティション越しでは表情の細部は分からないが、二人とも笑っているようだった。
シラベの口元が僅かに緩む。それ以上は見なかった。ヒナタの勝利を確認した瞬間、次のタスクが待っている。
「シュークリーム、まだ売ってるよな」
ミトラとの約束だ。フードコートに売っていたあの店のやつ。閉店時間を確認しなかったのが痛いが、まだ間に合うだろうか
シラベはステージから背を向けて、コロッセオの出口に向かって歩き出した。
*
ステージの上での時間は、クモンにとって長くも短くもあった。
対戦の感想コメントをMCに促されて話した。何を言ったか、半分くらいは覚えていない。ヒナタさんは強かったです、とか、VRのカードがすごかったです、とか、そういう当たり障りのないことを言ったはずだ。
スタッフの人たちが拍手してくれて、タオルと飲み物をくれた。ありがとうございますと頭を下げながら、自分の手が震えていないことに少し驚いた。
ステージを降り、関係者通路を歩く。
隣に、ノルちゃんの姿はなかった。
いつの間にか消えていた。対戦が終わった後、感想コメントを話している時にはまだ近くにいた気がするが、通路に出た時点では既にいなかった。
不思議と、それはあまり気にならなかった。
通路の蛍光灯の白い光を浴びながら、クモンは歩いた。足音が等間隔に響く。スタッフとすれ違う度に、お疲れ様でしたと声を掛けられた。
頭の中では、対戦中のヒナタの様子が繰り返されていた。煽情的な衣装のせいでもあったが、それ以外。言葉のやり取りが残響している。
ステージの上で、ヒナタが呟いた言葉。シラベのことを、愛おしい存在と言ったこと。
複雑な感情はあった。自分が憧れ、慕い、弟子入りまで願い出た女性が、別の男の名前を口にしていたこと。白い肌が赤らみ、いつもの王子様ぶった仮面がズレて見えた素の表情。
あの顔は、シラベに向けられたものだ。おそらく彼女の言う、愛する過程で気付いたという新しい愛。それを語る時のヒナタの顔は、クモンが見たことのないものだった。
それを聞いた瞬間。自分の中の熱が冷めたのは、クモン自身でも気付いていた。
嫉妬か、と自分に問うてみた。
違う、とは言い切れない。だが、それだけでもなかった。
ヒナタに想いを寄せていたのは間違いない。年上の格好いい人に憧れ、その胸に目を惹かれていた。そのヒナタからの想われているシラベに対しての黒い気持ちはごまかせない。
それが熱の冷めた原因だろうか。選んでくれなかった人への失望なのだろうか。頷きかけて、だが違うと気付く。
相手から同じ感情が返ってこないのは、特別なことではない。思ったところで、思われるとは限らない。普通のことだ。
ステージの上で身に起きた冷静さと激情が同居した経験のせいだろうか。クモンの中での感情の折り合いは、思ったよりも静かについていた。
それに、そもそも。クモンは通路の角を曲がりながら、過去を振り返る。
レベを好きだった時。彼女が笑うたびに胸が跳ねたが、結局一度も言葉にしなかった。見とれているだけで時間が過ぎていた。
カルメリエルを好きだった時。衝動的に呟いた言葉を重ね、自分だけを見てくれと踏み出すことは出来なかった。
ヒナタを好きになった時。弟子にしてくださいとは言えた。でもそれは想いの告白ではなく、カードゲーマーとしての体裁に逃げてしまった。好きだという言葉は、やはり口にしていない。
三度とも、想いを伝えることなく、見とれているだけで時間を過ごしていた。
その間に変わったことだって、いくらでもあっただろう。レベがシラベに甘えているのも、カルメリエルがシラベと仲睦まじくなるのも、ヒナタがシラベを信頼するようになったのも。
全部が全部では無いだろう。元から目が無かったものもあるにしても、クモンが黙って眺めている間に変わっていったこともあるはずだ。
変わらなかったのは、クモンの方だ。
(もし機会があれば、次は迷わずに伝えよう)
関係者通路を抜け、客席エリアに戻った。関係者席に向かうスロープを上っていく。次のステージの演目が既に始まっているらしく、パーティションにはECとは別のコンテンツの映像が流れていた。その光が、客席を色とりどりに照らしている。
席が見えた。その隣にキリメが座っている。ふと振り向いた肩越しにクモンの姿を見つけたらしく、片手を上げて手を振る。
パーティションの投影映像が逆光になって、キリメの輪郭を縁取っている。薄暗く見える顔の中で、口元が弧を描いているのがクモンには見えた。
キリメの唇が動く。お帰り、と言っているのか、お疲れ、と言っているのか、距離があって聞こえない。だが、笑っているのだけが分かる。
クモンの心臓が強く打った。頬に熱が上がってくるのを感じる。
何故だろう。キリメの顔なんて、見慣れているはずなのに。
幼い頃から見慣れた顔だ。今だって、毎日のように対戦している。ボトムレスピットで会い、帰り道を一緒に歩き、今日の様に遊びに出ることも珍しくない。目付きの悪さも口の悪さも、すぐに手が出る喧嘩っ早さも、猫を撫でる時だけ緩む表情も、全部知っている。見慣れている。
なのに。逆光の中で笑うキリメの顔が、クモンの目に焼きついて離れなかった。
理由は分からない。ノルのおまじないのせいなのか。ヒナタの言葉で何かが変わったせいなのか。あるいは、もっと前から。毎日の対戦の中で、少しずつ積もっていたものが、今この瞬間に形を成しただけなのか。
分からない。分からないまま、クモンはキリメの待つ席へと歩いていった。
「頑張ってたじゃん。ほら座れ、次のイベント始まってるから、突っ立ってると後ろの邪魔になんぞ」
「ごめん」
「謝んなくていいよ。ほら、飲み物買っといてやったから」
キリメがペットボトルを差し出す。クモンはそれを受け取り、隣の席に座った。冷たいペットボトルの感触が火照った掌に心地よい。
キリメはステージの方に視線を戻している。パーティションに映る、ファンシーなキャラクターの映像に目を輝かせているようだった。
「キリメ姉」
「ん?」
キリメが振り向く。また、クモンの中で何かが跳ねた。
「……なんでもない」
「はぁ? なんだよ」
「本当に、なんでもない。ありがと」
キリメは怪訝な顔をしたが、それ以上は追及せずにステージに視線を戻した。
クモンはペットボトルの蓋を開け、一口飲んだ。スタッフから受け取ったのと同じスポーツドリンクの筈なのに、よりもおいしく感じた気がする。
少しだけだが、頭が冷えた。だが胸の奥で脈打つものは冷えなかった。
100話記念キャラ人気投票
-
押江シラベ
-
佐野ミトラ
-
亜修理ヒナタ
-
兼定キリメ
-
橋谷クモン
-
レヴェローズ
-
カルメリエル
-
ヴェルガラ
-
全てを喰らう大穴
-
レディ・ローマ
-
ノルドリッチ