カスレアクロニクル   作:すばみずる

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111 jんmk ぐぉd にゃkksっっl

 閉店後のボトムレスピットは、蛍光灯の半分が落とされていて薄暗い。ショーケースのガラスに残った指紋の跡が少し浮かんで中のカードをくすませている。

 

 シラベは勤務中と同じようにカウンターの前に座り、開いたノートパソコンの画面を睨んでいた。ミトラから支給された型落ちのそれは起動するたびにファンが悲鳴を上げるが、ブログの更新程度なら問題なく動く。問題があるとすれば、画面の中身の方だった。

 

 おもちゃ屋ボトムレスピット、店舗ブログ。

 

 開設してからそれなりの年月が経っている由緒正しい唯一の宣伝の場所だが、その掲載内容は必要最低限だった。人気おもちゃの入荷情報、エインヘリヤル・クロニクルの店舗大会スケジュール、大会優勝者のデッキリスト掲載。それ以外のコンテンツは皆無に等しい。

 

 直近の記事を遡ってみると、ヒナタのデッキリストやレヴェローズのデッキリスト、その他常連のデッキリストがつらつら並び、その合間に「新弾入荷しました」の定型文が挟まるだけの、およそ読み物としての面白みに欠ける構成だった。

 

 おもちゃ屋としての最低限の機能は果たしている。だがそれだけで、集客力という観点で言えばこの程度のブログは有っても無くても大差ない。わざわざ検索してたどり着くような内容ではないし、定期的に覗きに来るような読者もごく一部の常連に限られているだろう。

 

 現代社会においては死んでいるようなこのページ。何か、もう少し人の目を引くようなコンテンツを追加するべきではないか。シラベは画面を前に頬杖をつきながら、漠然とした課題感を抱いていた。

 

 そんな時。背後から柔らかいものが押し付けられた。

 

「どうしたのだ契約者。難しい顔をして」

 

 レヴェローズだった。後ろからシラベの背中に抱きつき、両腕を首に回して覗き込んでくる。パジャマ代わりのだぼついたTシャツ越しでも自己主張を止めない弾力のある塊がシラベの首筋を容赦なく圧迫していた。

 

「ブログのことを考えてた」

 

「ほう。あの戦績表か」

 

「別にデッキリスト載せるだけの場所じゃねえよ」

 

 レヴェローズは首を傾げながら画面を覗き込む。ほのかに湿る金色の髪がシラベの頬を掠めた。風呂上がりらしい。

 

「まぁ現状、確かに大会の結果とか入荷情報を載せてるだけなんだが、もうちょっとなんかやれることないかなと思ってさ」

 

「ふむ」

 

 レヴェローズはシラベの背中に顎を乗せ、数秒ほど考え込んだ。

 

 そしてパッと顔を上げると、彼女は自信に満ち溢れた声で宣言した。

 

「仕方ないな。ならば私の写真を掲載すればよいだろう。この前のアリーナでの姿は来場者にも大好評だったのだ。軍服に身を包んだ私の勇姿を見れば、客などいくらでも押し寄せてくるぞ」

 

 レヴェローズはシラベから離れ、片手を腰に当てて堂々と胸を張った。Tシャツの布地が断末魔のような軋みを上げる。本人は自分のプロポーションに絶対的な自信を持っているようだが、自信の量とそれを発信すべきかどうかは全くの別問題だ。

 

「うちの店の恥部をネットで発信出来るか」

 

「恥部とはなんだ恥部とは! 私のどこが恥部だ!」

 

「態度」

 

 あと体型。レーディング的に。

 

 レヴェローズが抗議の声を上げたが、シラベはそれを黙殺して画面に向き直りながらディーヴァ・アリーナでの一件を思い返す。

 

 あの日、レヴェローズとカルメリエルと大穴は施設公認のコスプレイヤーとしてフロアに立っていた。来場者の写真撮影に応じ、子供の相手をし、それなりに好評だったらしいことは聞いている。

 

 問題はその後だ。

 

 あの時撮られた写真は、現代としては当然の如くネットに出回っている。シラベがそれを知ったのは、シラベが配信を追いかけている動画投稿者アイラバ☆モヒニのチャンネルのコミュニティ投稿だった。ハイクオリティなレイヤー写真として拡散され、まるでキャラクター本人だと称賛する声が上がっている。

 

 それだけなら微笑ましい話で済むが、厄介なのは写真に映る者の出処を辿ろうとする者が少なからずいることだった。あれほどの完成度のコスプレイヤーでありながら、活動履歴が一切存在しない。イベントへの参加記録もなければ、SNSのアカウントも見つからない。直接話しかけた来場者ですら詳細を聞き出せなかったという情報が出回り、謎のレイヤーとして一部の界隈がざわついている。

 

 カルメリエルは特に危うい。あのシスター服は普段着と同一であり、ボトムレスピット周辺の商店街で買い出しに出歩く姿は近隣住民にはお馴染みだ。シスター服で食材を抱えて歩くピンク髪の巨乳が複数箇所で目撃されているとなれば、写真との照合は時間の問題ではないか。

 

 レヴェローズについては、まだマシだろうとシラベは判断していた。確かにどこに出しても恥ずかしくない美人ではあるし、その行動範囲は商店街に留まらず無駄に広い。だがレヴェローズはボトムレスピットに来てからというもの、シラベが見繕ったカジュアルな私服を着る生活にすっかり馴染んでおり、元のカードイラスト通りの衣装を着る機会はほとんど無くなっていた。アリーナの一日限りの軍服姿と、普段のジャージ姿を結びつけられる人間はまずいないだろう。

 

 とはいえ、この手の特定はネットの住人の執念を侮ると痛い目を見る。余計な露出は控えるに越したことはない。

 

「却下だ。お前の写真を載せたら面倒事を呼び込むだけだ」

 

「むぅ。面倒事とは失礼な。私の美貌は福を呼ぶのだぞ」

 

「福の神ってのはもっと慎ましいもんだよ。厚かましいやつめ」

 

 レヴェローズが口を尖らせて不満を連ねている最中に、二階から軽い足音が降りてきた。

 

 パーカー姿のミトラは階段を下りきると、一切の迷いなくシラベの膝の上に座り、背中をシラベの胸に預けた。ぐりぐりと頭を押しつけてくるのも忘れない。

 

 すっかり定位置と化したその場所で、ミトラは画面を一瞥した。

 

「何やってんの」

 

「ブログに何か新しいことできないかなって話」

 

「ふーん」

 

 ミトラは興味があるのかないのか判別のつかない声を出し、シラベの腕の間に小さな体を収めた。軽く腕を回してやる。

 

 数秒ほど画面を眺めた後、ミトラがぼそりと言った。

 

「適当に試合風景でも載せたら。それにかこつけてヒナタの写真でも貼っとけば、客が釣れるんじゃないの」

 

「レヴェローズ以上にめんどくせえことになるぞ。あいつ一応企業人で有名人だから権利関係とか」

 

「別にいいでしょ。客が来ればなんでも」

 

 悪びれもしない店長の後頭部を見下ろしながら、シラベはため息をつく。茶化しているだけで、本気の提案でないのは分かる。分かるが、助けにならないのも確かだ。

 

「失礼しますわ。お夕飯の支度が出来ましたわよ」

 

 ミトラを追うように、二階からカルメリエルが炊飯ジャーを抱えて現れた。シスター服にエプロンを重ねた姿も慣れたものだ。炊飯ジャーから立ち上る湯気が、閉店後の薄暗い店内にふわふわと浮く。

 

 炊飯ジャーを長テーブルの端に置いてから、カルメリエルはシラベの画面を覗き込んだ。レヴェローズの時と同じ構図だが、こちらは胸でシラベを潰すようなことはしない。

 

「ブログの更新についてご検討中ですか?」

 

「ああ。何か良いネタがないかと思ってな」

 

 カルメリエルは糸目を細め、顎に指を当てた。

 

「でしたら、詰め将棋のような問題を掲載するのはいかがでしょう」

 

「ん? 詳しく」

 

「特定の盤面を提示して、最善手を読者に考えてもらうような形式ですわ。カードゲーマーは知的好奇心が高い方が多いでしょうし、定期的な更新コンテンツとしても機能するかと」

 

 シラベは少し考える。特定の盤面と手札から、正解の動きを導き出す問題形式。カードゲーム系のメディアでは定番のコンテンツではあるし、上手く作れば読み応えのあるものになるだろう。

 

「悪くはないんだが」

 

 シラベは画面に目を戻しながら、現実的な障壁が口から漏れる。

 

「盤面を設計して、解答を検証して、解説を書いて。一問作るのに結構な手間がかかるぞ。しかも定期的にやるとなると、それこそネタ切れとの戦いだ。同じようなパターンが続いたら読者も飽きる」

 

「ミトラ様とシラベ様ほどの腕前であれば、過去の実戦から良い場面を切り出すことも出来るのでは?」

 

「実戦の盤面をそのまま使うと、回答が一意に定まらないことが多いんだよ。状況が複雑すぎて正解が複数出たり、逆に情報が不足して問題として成立しなかったりする。きちんとした詰め問題にするには、盤面を一から設計し直す必要がある」

 

 カルメリエルはふむと頷いた。反論はしなかったが、提案を取り下げる気配もない。

 

「ストックがある程度溜まってからなら、やれなくはないか……」

 

 シラベは独り言のように呟いたが、結論には至らなかった。良い案であることは認めるが、今すぐに始められるほど手軽ではない。

 

 頭を抱えるシラベの前で、カウンターの端に置かれた黒い毛の塊が動いた。

 

 大穴だ。シラベの肩から降ろされてショーケースの横で丸くなって寝ていた黒猫が、もぞもぞと身じろぎして起き上がった。瞳を数度瞬かせ、周囲をぼんやりと見回す。寝起きの猫特有の、世界の全てがどうでもいいという顔だった。

 

 大穴はのそのそと歩き出した。カウンターの上を横切り、ノートパソコンの手前へと近づいてくる。

 

「おい、そっちは──」

 

 シラベが制止する前に、大穴の前足がキーボードの上に着地した。

 

 カタ、カタカタ。

 

 肉球がキーを押し込む柔らかな感触と共に、画面のテキストエディタに文字列が出現した。

 

 『jんmk ぐぉd にゃkksっっl』

 

 意味を成さない文字の羅列。猫の歩行が生み出した、ランダムな入力の産物だ。

 

「こら、どけ」

 

 シラベは大穴をキーボードの上から持ち上げようとした。だが大穴は持ち上げられる途中でもう一歩を踏み出し、追加の文字列を叩き込んだ。

 

 『ぅいいいい んに』

 

「にゃ」

 

 満足げに一声鳴いた大穴は、シラベの腕に抱え上げられて抵抗もなく脱力した。構ってもらえてうれしいらしい。

 

 シラベは大穴を膝の上のミトラの更に膝の上に置き、画面に残された惨状を消そうとバックスペースキーに指を伸ばした。

 

 その指を、小さな手が止めた。

 

「待って」

 

 ミトラは身を乗り出し、画面に顔を近づけている。死んだ魚のような瞳がモニタの光に照らされて僅かに煌めく。

 

「何を待つんだよ。ただのゴミだぞ」

 

「面白いじゃん、これ」

 

 ミトラの指がトラックパッドを操作し始めた。テキストエディタからブログの編集画面にコピー&ペーストし、手慣れた操作でレイアウトを整えていく。猫の足跡のフリー素材をすぐに用意しヘッダに配置し、フォントを少し丸みのあるものに変更。タイトル欄に『看板猫のつぶやき』と入力した。

 

「おい、おいおいおい」

 

「黙ってなさい」

 

 思惑を汲み取ったシラベが声を掛けるが、有無を言わさぬ店長命令で遮られる。ミトラの指は止まらない。猫が生成した意味不明な文字列の下に、小さなフォントで「※当店の看板猫による投稿です。翻訳は読者の皆様にお任せします」と注釈を付け加えた。

 

 そしてミトラの人差し指が堂々たる様子でエンターの上に差し掛かったところで、ようやくシラベがそれを掴んで止めた。

 

「待てって、マジでやんのか。こんなん乗せてどうすんだよ」

 

「このまま何も載せないのもしょうがないでしょ。ものは試しよ」

 

 雑すぎる言い分にシラベが反論を組み立てようとする間もなく、ミトラの指は躊躇なくボタンを押し込んでいた。

 

 画面が切り替わり、更新完了の表示が出る。おもちゃ屋ボトムレスピットの店舗ブログに、黒猫の肉球が生み出した暗号文が世界に向けて発信された瞬間だった。

 

「……もう取り返しがつかないぞ」

 

「大袈裟な。ダメだったら消せばいいだけだし」

 

 ミトラはシラベの胸にもたれかかり直し、満足そうに目を閉じた。膝では大穴がすでに再び丸くなっている。己の所業に一切の関心を示していない。

 

 あれよあれよと進んでしまい状況が飲み込めていないレヴェローズが画面を覗き込み、首を傾げた。

 

「何が書いてあるのだこれは。暗号か?」

 

「知るか、猫語だよ猫語」

 

 レヴェローズは文章の内容よりこの短時間で小さなコーナー画面を作ったミトラの手腕に感心しきった様子で頷いていたが、感心する要素は一つも無いとシラベは思った。

 

 カルメリエルは一連のやり取りを穏やかな笑みで見守った後、炊飯ジャーの蓋を開けた。白米の湯気が立ち上り、閉店後の店内に温かな匂いが広がる。夕食の気配を感じ取った大穴が飛び起きて、カルメリエルへと突進する。

 

「さ、お夕飯にいたしましょう。ブログの反応は、明日のお楽しみということで」

 

 カルメリエルに促され、一同は夕食の席へと移っていった。シラベは膝の上のミトラを降ろす。

 

 降ろそうとしても降りないミトラをそのまま抱っこして運んでやるのも、また日常になりつつあった。

 

 

 *

 

 

 翌日。昼下がりの頃に、オオタがカウンターに駆け寄ってきた。

 

「シラベさん、ブログの新しいやつ見たんですけど」

 

「ああ、あれね」

 

 シラベは覚悟を決めた。苦情なら甘んじて受ける。あんなものを載せた責任は──いや、責任は店長にあるのだから、自分は悪くないはずだが。それでも止められなかったのは確かだ。

 

「あの猫の文章、何かの暗号ですか? 仲間内で解読しようとしてるんですけど、もしかして公式からの情報を隠されてるとか?」

 

「いや、あれはただ猫がキーボードの上を歩いた──」

 

「ローマ字に直すと一部それっぽい単語が浮かぶんですよ! 『にゃkks』ってナックスって読めませんか? ほら、この間出たスポイラーにも同じ名前の生命体がいましたし、新しいアプリのパスコードキャンペーンとか!」

 

 シラベは口を閉じた。

 

 オオタが去った後も、似たような反応が続いた。開店から昼過ぎまでの間に、ブログの猫コーナーについて言及した客は五人に上った。暗号説、アプリ情報説、謎の店長からの挑戦状説。解釈は様々だが、全員が楽しそうに語っている。

 

 夕方になると、わざわざカルメリエルがシラベに報告してきた。

 

「ブログのアクセス数ですが、昨日までの一週間分の合計を午前中だけでゆうに超えましたわ」

 

 シラベは頭を抱えた。カルメリエルに伴ってバックヤードから出てきたミトラが、シラベの背によじ登りながら得意そうに鼻を鳴らした。

 

「ね。言ったでしょ」

 

「どの口が。ものは試しとしか言ってなかったじゃねえか」

 

 そんなやり取りを無視して、大穴がトコトコとバックヤードへと歩き始めた。

 

 一同が見守る中、事務机に飛び乗った肉球がキーボードを踏む。

 

 『っっbんm あg』

 

 カルメリエルが開いたままにしていたメモ帳に、新たな神託が降りた。

 

 シラベの背で、どうすると聞くかのようにミトラの顔が押し付けられる。

 

「……週一くらいでいいか」

 

 シラベは呟き、大穴が通り過ぎた後のキーボードを眺めた。

 

 ブログの新コーナー『看板猫のつぶやき』。更新頻度は大穴の気分次第。内容は肉球が紡ぐランダムな文字列。解釈は読者に丸投げ。

 

 およそ店舗ブログのコンテンツとしてはあまりにも出鱈目な企画だったが、数字は嘘をつかない。

 

 大穴は取って返してシラベの元へと駆け寄ったかと思えば、わしわしとよじ登っていつもの肩へと収まった。背負われたままのミトラが大穴を労るように撫でると、ゴロゴロ音がシラベの身体を震わせる。

 

 小さい店舗ブログで僅かばかり成した偉業の自覚は、やはり微塵も見られなかった。

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